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3月16日【土】 この日のランチは那須烏山にあるクローバーステーキハウスさんこのところ散財が多くて ランチは2000円まで縛りをしていたんですが自分ご褒美に …
清水川せせらぎ公園の岩場を撤去し、親子連れや高齢者に配慮した公園にする方針だという記事を見た。ユニバーサルデザインの観点からの再整備だという。この公園から岩場がなくなるとすれば、まったく景観が変わってしまうのだろうと思い、思い立ったときに写真に撮っておこ
烏山城三の丸は上下2段になっている。上の段には地面に栗のイガが落ちていた。下の段には梅が咲いている。どちらもその一画にという感じで密集はしていない。南北西には一部に竹が密集している。人々の生活の残り香が漂っている雰囲気がある。
烏山城跡の長者峰にたどり着くことができて目的は達成された。やはり未踏の通路をたどり、西側防御の腰曲輪などがどの程度見えるのか確かめながら、西城を経由して帰ることにした。長者峰を振り返ると、下に水たまりが見えた。烏山城は井戸がたくさんあったらしいので、ここ
烏山城址にはこの冬2度程行って、その5城3廓を一通り回った。ところが地図上気になる場所があった。地図には名前が載っていないが、大きな平坦地がある。たぶんヤブで覆われているのだろうとは思ったが、確かめてみたくなった。烏山城址は、メインのルートでさえ人と会うこ
関街道(旧国道294号線)は烏山城下、中町で東西道と交差し、そこは十文字と呼ばれていた。十文字から東が鍛治町だった。文字通りかつては7軒の鍛冶屋があったほか桶屋、傘屋など主に職人の町だったらしい。十文字のすぐ東は昭和の雰囲気があるたたずまい。鍛治町は商家も並
烏山城下の宿町(赤坂町・中町、金井町)の南北端に寺があったことは、前回書いた。この3町の中では金井町が最も新しく、それまでは中町の南端に結界としての寺があったという。その寺、極楽寺は1864年に焼失した。極楽寺の跡地。この大谷石の蔵の後方に清水川が流れ、そ
那須烏山の市街地を南北に貫く旧国道294号線は、かつては関街道と呼ばれていた。その両側に連なる街並みは、北から赤坂町、中町、金井町の3町で宿町を構成していた。宿町の北端には大宝院、南端には妙光寺があり、街道にはそれぞれ木戸が設けられていた。大宝院があった