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世界像のオートポイエーシス論的説明2:ホームページ用メモ12
まえのメモで世界像によりあらたな行動が加わっていくことについてのメモをとりました。今度は世界像そのものについてオートポイエーシス論的な説明を考えたいです。未来像で一ページ書いているのでそれにつなげられるはずです。未来像は意識、認識の自己言及によるそれまでの自己の構造を反映するという状態で、意識、認識の状態変化(拡張)が身体、行動を拡張します。世界像が成立すれば、本能行動による活動の延長上に未来像に...
ホームページのオートポイエーシス論のページで、知能行動(類人猿の道具使用)をその瞬間に現れた未来像に導かれるようにして限定的に成立する、と説明しています。この「未来像」という言葉は木田元の「世界像」をもとにして作った言葉で、今度は世界像をもとにした人間の知能行動、それから世界像を可能にしている「言葉」について説明したいです。関連ページ:知能行動(オートポイエーシス論)人間の道具使用は類人猿と違って...
前回、洞察的行動を「認識の一階層上の認識(未来像)が生まれ、これが環境として身体動作の連環を新生する」ことで説明できるかも、と書きました。今回は構成素、構造等のオートポイエーシス論の言葉で考えてみます。まずホームページで本能行動や欲求行動を身体の状態の連環で考えていて、縮減を本能行動、新生を欲求行動としています。ホームページに上げた図をここでも上げておきます。洞察的行動でも身体の状態の連環が新生さ...
前回のメモで、本能行動と欲求行動、洞察的行動をプロセス経路の縮減と新生で説明できるかもしれないこと、オートポイエーシス論としては未来像の浸透による知能行動の成立を説明できるかもしれないことを書きました。もうちょっとこのことについて考えてみることにします。これまで論文等で参照してきた洞察的行動は、類人猿が台を使って吊るされたバナナを取る場面です。これはケーラーの実験映像をローレンツが文章に起こしたも...
ホームページで本能行動と動物行動をオートポイエーシス論で考えるページを上げてます。関連ページ:本能行動と欲求行動(オートポイエーシス論)そのページでは環境との相互浸透による身体作動の経路の縮減を本能行動、新生を欲求行動と考えてます。それでこの考えだと本能行動と欲求行動の間にさして差がない、という結論が出てきます。欲求行動は主に学習とかそのあたりを想定してますが、類人猿における洞察的行動とかもここに...