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『はるのいざない』というタイトルで発信してきたこのブログは、 2025年4月16日に、 『加害恐怖にとらわれた頭 ハートと根っこ繋がる旅路』 として再スタ…
おはようございます! キャリアコンサルタントの江藤セツ子です。自分らしい生き方や働き方を見つけていきましょう。 みなさんは洋服についているスナップをご存知だ…
私の考える脳の可塑性−4(ビューティローラー使用による経験から)
にほんブログ村脳卒中・脳梗塞ランキング⭕私の考える脳の可塑性−4(ビューティローラー使用による経験から)ビューティローラー使用して脳の回復を計るということは、…
機械なんかであるはずがない身体を科学が機械と見なすに至るキッカケにみなさんはドギモを抜かれる(1/7)【医学がしばしばしばみなさんに理不尽な損害を与えてきた理由part.3】
*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.49 目次・科学は機械ではない身体を機械とみなす・科学が事のはじめに立てつづけに為すふたつの不適切な作業・ひとつ目の作業、「絵の存在否定」・「絵の存在否定」はすべてを心のなかの像に変える・心の外に実在するものはすべて、見ることも、聞くことも、嗅ぐことも、味わうことも一切叶わない「のっぽらぼう」・補足で音について「絵の存在否定」をしてみる ◆科学は機械ではない身体を機械とみなす 前回、身体がほんとうは機械ではないという極々当たり前のことを確認しましたよね。ここからは、機械ではないその身体を、なぜ医学が機械と見なすのか、確認していきます。 ★★身体…
ホームページの「近代の哲学まとめ」ページを書くのに苦労してて、先にこっちにメモを書いておくことにします。「知覚・認識論」、「西洋近代形而上学」、「自然科学と形而上学」の三つの項目で書く予定で、今回は「知覚・認識論」についてのメモ1回目です。まずはデカルトからです。デカルトで関係しそうなのは心身相関のところです。彼は真に存在するのは精神のみで、それに捉えられる物体の本質は延長などの量的諸性質です。そ...
デカルトからスピノザあたりまでの認識論で基盤となっているのはイデア論でした。心身相関もイデアを仲介することで解決が図られているようでした。今回はイギリス経験論のところを見てみます。まずロックからです。ロックは「観念」を思考対象全般を指すかなり広い言葉として使っています。同じ観念の言葉で指しているのでわかりづらいのですが、彼が経験によって獲得されると主張したのは、胎児の時点ですでに成立する感覚をもと...
デカルトからヒュームをまとめてひとまずの終着点を与えたのがカントです。カントに続くドイツ観念論と呼ばれる哲学者では、対象の認識ではなく対象の認識をする自己を認識する、といった方向に行くので、そちらは見ないことにします。ヘーゲルの同一性と差異の思考にはそこに含まれないものがあるんですが、知覚・認識論とは直接関係なさそうなので、そこも飛ばします。デカルトを代表とする十七世紀の理性の哲学者においては、神...