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『東海道中膝栗毛』、子供の頃になぜか夢中になって読みました。
小学生頃でしたかねぇ、なぜか『東海道中膝栗毛』って本に夢中になって読んだ記憶があります。たしかその後にドラマだかアニメだったかやってたかもしれませんが、小説でねぇ。語り口が面白かったのかもしれません。挿絵も浮世絵風でして、そういうのが私の心に刺さったのかもしれません。やじさん、きたさんの二人のトラブルがらみの珍道中。子供心に『いやいやいや、そこはダメでしょ』ってツッコミながらも『でもわかるなぁ』と不思議になってしまう。そう、どこか憎めないし突き放せない。それがこの二人の魅力だろうし、また捨てる神あれば拾う神ありで、周囲もなんとなく助けてなんとか危機を乗り越えていく。で、オチに川柳だったか狂歌だったか。読みながら東海道を旅をしている気分になれたもんです。エピソードはいくつもあり、例えば小田原で『ういろう』を...『東海道中膝栗毛』、子供の頃になぜか夢中になって読みました。
拙宅からトボトボ歩いて15分ほどの場所に「七里の渡し」(宮の渡し)跡があります。 さて「七里の渡し」とは、その昔の街道である東海道五十三次の第41番目の、 ここ「宮宿」から次の第42番目「桑名宿」までの概ね七里(28km)の距離を船で渡る、 東海道唯一の海路を指しており、そ...
材木問屋の若旦那である栄次郎は、才能は全くないのに、絵草紙の作者として有名になりたいと願うあまり、自ら親に勘当され、頼み込んで奉行所から手鎖の刑を受け、果てはうその心中をたくらむが…。ばかばかしいことに命を賭け、茶番によって真実に迫ろうとする、戯作者の業を描いて、ユーモラスな中にすごみや悲しみが漂う直木賞受賞作。冒頭に大河ドラマ「べらぼう」の主人公である蔦屋重三郎が登場し、語り部は、後に十返舎一九となる“おれ”が務め、その仲間は後に曲亭馬琴と式亭三馬となる。栄次郎という架空の人物にこれら実在の人物を絡めて一種の群像劇として描く手法が面白い。井上お得意のおもしろうてやがて悲しき物語。併録の「江戸の夕立ち」は「たいこどんどん」として舞台化されている。井上ひさしの芝居「たいこどんどん」https://blog....『手鎖心中』(井上ひさし)
【あっぱれの戯作者】たわむれに詩文を作るのが戯作なんだそうですけど たわむれったってねえ
< 日本で最初の職業作家としては 井原西鶴 山東京伝 十返舎一九 の名前が挙がってます > 江戸時代の識字率は6割ほどもあって、同時代の西欧の国々の3割程度っていう数字を大きく引き離していたってされています。 そういう素地があってこそなんでしょうけれども、娯楽本とはいえ、江戸時代中期からは読書ブームっていうのが周期的に起こっているみたいなんですね。 人気の書き手、商売上手な売り手が作り出したであろう江戸時代の読書ブーム。印刷技術は版画ですね。 江戸時代の本は挿絵入りの戯作(げさく)っていわれるものがほとんど。大人の絵本、みたいな感覚だったんでしょうかね。とにかく、江戸時代の人たちはみんな本を読…
戯作者「十返舎一九」は、東海道中膝栗毛で有名ですが、生涯も「洒落のめし」!
今回は、弥次郎兵衛(弥次さん)と喜多八(喜多さん)の東海道珍道中(弥次喜多道中)を描いた「東海道中膝栗毛」の作者の「十返舎一九(じっぺんしゃいっく)」にまつわる面白い話をご紹介します。1.十返舎一九とは十返舎一九(本名:重田貞一)(1765
辞世の句(その16)江戸時代 浅野長矩・大石良雄・十返舎一九・曲亭馬琴・井原西鶴・歌川広重・良寛
団塊世代の私も73歳を過ぎると、同期入社した人や自分より若い人の訃報にたびたび接するようになりました。そのためもあってか、最近は人生の最期である「死」を身近に感じるようになりました。「あと何度桜を見ることができるのだろうか」などと感傷に耽っ