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アンケート等調査研究へのご協力のお願い “拒食症(神経性やせ症)の女性患者さま&そのお母さま”が 親子ペアで参加可能な調査協力者を募集中!@Pressに20…
同室の相沢さんについて書こう。今まで待合室で精神科の患者さんと 居合わせたことはあったが(患者図鑑1~4)親しく言葉を交わしたのは 同室になった相沢さんと伊原さんが初めてだった。 相沢さんはショートカットの似合う40代くらいの女性で、はきはきと話す方だった。 「私ねぇ。摂食障害で入院してるのよ。拒食症」 確かに病的に痩せていて、手足は木の枝のように細かった。 顔色は悪く、爪はぼろぼろ。目がぎょろぎょろ目立っていた。 「食べても、喉に指入れて吐いちゃうの。何度も吐くから歯も悪く なっちゃって」じっくりと見た訳でないが、確かに歯は悪いように見えた。 患者は食堂で一堂に食事を取るのだが、相沢さんもき…
事件現場清掃人は見た 拒食症で孤独死した「30代女性」と「元夫」の切なすぎる関係デイリー新潮に2022/3/18に掲載された記事です。『事件現場清掃人 死と生…
Coccoさんの最近の発言を受けて、私も自分のことをいろいろ考えた結果、家に「ひきこもる」ことが今の私にとって必要なのではないかと強く思うようになりました。自分を大切にするために、ひきこもるという選択が必要なのではないかと強く思うようになり
私は12歳(小学校6年生)のときに“摂食障害”というものに陥った。 それまで食べること大好き!の私がこの頃を境に、『食べる』ということに苦しむことに。 摂食障害になったのは、特にこれといってきっかけがあったわけでなく、夏バテで少し食欲が落ちたのと同時に体重が減った。思春期に足を突っ込んだくらいの私はその事が妙にうれしく感じた。 特に太っていたわけでもないけど、やっぱり思春期の女子は痩せるということが嬉しい。体重は数字に現れるから、もうちょっと頑張ろうかなが積み重なって、日に日に食べる量が減っていった。 この頃は食べ物のカロリーを調べることが趣味になり、徹底的に調べた。 今でもほとんどの食べ物(…
私自身も母も、最初は摂食障害だと思っていなくて大学病院では胃のエコーなど、色々と検査をおこなった。 この頃私が摂取していたのは一日に500カロリーのみ。 自分の中のルールで朝は100カロリー以内、昼、夜それぞれ200カロリー以内としていた。 きっと500カロリーも摂ってなかっただろうなぁ。 朝は80カロリーの冷凍焼きおにぎりを食べ、昼は学校の給食で牛乳一本とおかず少し、夜は納豆素麺を50グラム。 母が作ってくれた料理にはほとんど手をつけいなかったと思う。いま思い返しても胸が痛くなる。 自分が、母親になって、よりあの頃の母の気持ちを考えるとつらい。 色々な検査を行ったのち、ついた病名が“摂食障害…
『拒食症』と診断された日、入院を勧められたけど、どうしても嫌だった私は自宅安静かつもう少しご飯を食べるという約束を先生として入院は間逃れた。 具体的には次病院に来た時に、体重が今よりも減っていたら即入院ということだった。 今からもう17年ほど前のことなのに、その日の帰り道のことをよく覚えている。“明日から学校に行かなくていいのか”“これから何をどれくらい食べたらいいんだろう” そんな安心感と不安感が交差していた気がする。 学校が嫌いだったわけではなく、ガリガリに痩せた身体での学校生活がもう限界だった。冬だったから骨まで寒くて痛かったし、友達と喋る気力も失っていた。 友達に「なんか最近〇〇ちゃん…