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子供の頃、両親のケンカが始まると私は何も言えずに固まっていた。 父親の競艇場通いが母に知れ、言い争いが始まる。子供の私にはどうにもできない状況だ。 母の甲高い声、責め立てる声、金切り声に身がすくんだ。 静かになったところで両親が仲良くなるわけではない。 重苦しい険悪な空気だ。 私はそうやって他者のトラブルの渦中で成長した。 それに対処する方法を学ばず大人になった。 …
否定され続けて育つと、その子は「自己評価」を下げる。 自己評価が下がると、怒りの沸点も下がる。 些細な事でキレ易くなる。 ニュースで17、8歳が凶悪犯罪を起こした報道を見て思う。 推測だが親の機嫌のいい時には猫かわいがりされ、機嫌の悪い時に暴言を浴びせられて育ったのではないか? 善悪の判断で叱らず、親の都合の暴力や暴言で対応してきた。 自己評価の低さや、心の底に満杯になった怒り…
松岡要は演奏を常に先輩と比べるだけだった。 こいつも母と同じで他人と比べた。 母は従姉をいつも引き合いに出して私を貶した。 松岡も同じだ。否定するだけで先が無い。 比べる指導法や教育法は その子にとって未来が無いのだ。 その子は先輩でも従姉でもない。 別の人間なのだから…
私が幼少の頃から生涯、外へ働きに出た母の姿を見た事はない。 いつも家にいて作業場で洋裁をしていた。 ミシンを踏んでいない時は手縫いの細かい作業をしていた。 仕事はお客様の採寸から始まる。 その前にデザインの打ち合わせをするのだが、生地はどちらかが用意するか、お客様が持ち込まない時はこちらが商店街の生地屋さんへ行き調達する。 ボタンやファスナーもストックに適切なものが無ければ、裁縫…
母は常に手作りの服を私に着せていた。 普段着から、ピアノの発表会の服にいたるまで全て手作りだった。 既製服を「仕立てが悪い。」とけなし、一切買うことはなかった。 もちろん自分自身の洋服も全て自分で仕立て、着用していた。 自分の作る服が世界で一番、そういう認識があったように思う。 仕立てのオーダーの仕事に加え、自分と娘の洋服まで作っていたから、暇な時間は一時もなかった。 いつも仕事…
何が間違えていて、何が正しかったのか。自分がどんな家庭で育ったのか。当たり前の親なら、まず子供の歯の事を気にかける。ほんの少し想像力を働かせれば分かる。相手の立場になって物を考えれば、生き易いか生き辛いか、すぐに分かるはず。 現実感。 それが両親には欠けていた。 * * * * * * * * 長い年月を経て、前歯のブリッジがとうとう限…
私のような歯並びを矯正できると知ったのは、もう少し後の事だ。 雑誌に歯科医院の広告があって写真が載っていた。 矯正前の歯は、かつての自分のように完全に奥側にあった。 噛み合わない奥に生えた歯でも動くのだと知った。 抜歯する必要など全く無かった事を知らされた。 その時の衝撃が一番大きかった。 有ればどうにかなった。 何も知らずにいた。 教えてくれる歯医者に当たらなかった。 …
前の歯で物を噛み切る。 上下で挟んで切るから、きれいに食べられる。 私のは二重になっていた。 みかんの房を前歯で挟んで果肉を引き抜いて食べようとしても、二重になった奥の歯が邪魔して、水分が飛び散り上手く食べられない。 林檎もきれいにかじる事はできなかった。 物を食べるささやかな行為と幸せ。それが不可能な歯。 それは些細な事かもしれない。 些細でない事もある。 舌に当たって常…
両親はその後も歯医者を探そうとはしなかった。 よく言われた。 「あんたは口が小さいから、見えへん見えへん。」 口を閉じてしまえば外からは見えない。 見えないから気にするなと。 結局それで済ませてしまった。 母が探したのはピアノの先生だった。 小学生になってから習い始めたピアノ。 しかし月謝が高いという理由でそこを辞め別の先生に代わった。 「あの先生は月謝を上げて。高…