メインカテゴリーを選択しなおす
学歴のない母だが、プライドは高く肩書きを気にする人だった。 ある時、何かの時間で先生が、家で仕事をしているという意味の「内職をしているお母さんがいる家の人は手を挙げて。」と質問した。私も他の生徒に混じって手を挙げた。 家に帰ってそれを母に話すと、「内職」ではないと怒った。 仕立ての仕事は技術のいる専門職で、誰でもできる仕事ではないから、他の人たちの内職と同じにするなと。 「内職」と…
「教育」という名の「虐待」~引きこもるのは自尊感情が低いから
5月以降、関東の方で事件がいろいろ起き、また数年前の事件の裁判などが報道された。 ニュースの数々に考えさせられた。 自分とは何の関係もない人たちの出来事ではあるけど。 加害者や被害者の人たちが自分とそんなに違わないんだろうと思った。 自尊感情が低い。 物心ついた時から、15歳になるまで人格否定されて育ったんだと、そういうのは分かった。 「教育虐待」というワードをニュース報道で初め…
相互依存と共依存。 相互依存は健全で、共依存は不健全な関係だ。 相互依存は精神的に自立した者同士が依存する健全な関係。 共依存は精神的に自立しない者同士が依存する不健全な関係。 依存は喜びや悲しみを共有する。 依存とは他者と関わり、頼り合う事だ。 喜びや悲しみを共有する事だ。 依存とは感情を共有する間柄になる事だ。 健全な間柄は、他人との境界線を認識して頼り合う。 …
Yahoo!ニュースから 皮膚科では人工皮膚炎、精神科では身体表現性障害や、特定不能の衝動制御の障害と呼ばれていました。専門家の間では『ゴミ箱診断』と俗称される、どこにも行き場のない迷子のような病気だったのです。 2013年に改定された米国精神医学会の公式診断基準DSM-5で初めて『Excoriation(Skin-Picking)Disorder』として命名され、日本語では皮膚むしり症と呼ばれ始めました。グループ分けにおいても強迫…
音楽の習い事は情操教育ではなく、技能訓練だった。将来、収入を得るための職業訓練。「月謝が高い。」「こんな高いお金を払って。」「趣味で習わせてない。」勝手に押し付けておいて。まだ小さかった私に金の文句を言い続けた。 * * * * * * * 仲間からカラオケに誘われたけど、2人きりだと緊張するし相手が男子だったので返事はせずに保留状態に。 …
高校生の時は、国道の路面電車に乗って通学していた。 定期券の期限が切れそうになると、次のを申し込んで購入する。 タイミングが遅れて数日間の間が空くと、乗車するのに現金の小銭が必要になる。 一度、そういう事になった。 母はその金がもったいないと怒ってわめきだした。 食事中だった。 子供の頃から金の事で文句を言われ続けて来て、それが慢性的な日常生活の風景になってしまっていた。 …
「怒りを感じていても、その時に上手く言葉になって出てこない。」 私はカウンセラーの先生にそう話した。 すると、私の言語に問題があるのではなくて、受け止められない相手だからと先生は答えた。 怒りの感情をぶつけて受け取ってくれる相手には、言葉が出て来るそうだ。 「怒りの感情を爆発させても、それをよしよしと受け止め、包んでもらえたという体験が、自尊感情を高める。」 カウンセラーの先生はそう…
情緒的に側にいない人を好きになる。 機能不全家庭に育った人の回復テキストにそう載っている。 健全でなくても、自分の生まれ育つ環境に適応しなければ子供は生き延びられない。 自分を守るため、親の顔色を窺いそこに照準を合わせ育つ。 感情やそれを表現するコミュニケーション能力を養うのも、自己主張と協調のバランスを学ぶのも、子供時代から少しづつ積み重ねて行くものだ。 機能不全家庭はその体…
否定され続けて育つと、その子は「自己評価」を下げる。 自己評価が下がると、怒りの沸点も下がる。 些細な事でキレ易くなる。 ニュースで17、8歳が凶悪犯罪を起こした報道を見て思う。 推測だが親の機嫌のいい時には猫かわいがりされ、機嫌の悪い時に暴言を浴びせられて育ったのではないか? 善悪の判断で叱らず、親の都合の暴力や暴言で対応してきた。 自己評価の低さや、心の底に満杯になった怒り…
家庭に憧れた事はなかった。 高校の同級生が商店街を歩いてる時、幼い子供が通ると「可愛い。」「私も子供が欲しい。」と言っていた。 私には、そういう感情や願望が全くなかった。 大人になってから、職場の女性が小さな子供を見て「旦那は要らないから、子供だけ欲しい。」と言っていた。 それも分からなかった。 子供時代、両親の争いを見て育った。 家庭は陰鬱で、夢や生きる希望を与えられない場所…
2年前に歯の治療を始めたのがきっかけで子供時代を振り返るようになり、更に去年5月から自助グループに通い始めました。 自助グループは、様々なテーマ別に分かれています。 最初、間違えてギャンブル依存症の家族会に行きました。 そこは依存症者の親御さんや配偶者の方の集まりでした。 テキストにギャンブル依存症本人の借金を、家族や身内が代わりに返済してはいけないとありました。 病状が悪化する…
松岡要は演奏を常に先輩と比べるだけだった。 こいつも母と同じで他人と比べた。 母は従姉をいつも引き合いに出して私を貶した。 松岡も同じだ。否定するだけで先が無い。 比べる指導法や教育法は その子にとって未来が無いのだ。 その子は先輩でも従姉でもない。 別の人間なのだから…
ピアノとか塾とかそんなんどうでもいいから、歯医者探せよ。 歯医者、探してくれよ。 子供時代に戻って親に何か言えるとしたらそれしかない。 言いたい事はそれだけ。 母が夜遅くまで自宅で仕事をしていたのは、父親の借金を返すためだけじゃない。 生活を向上させるためだ。 母は冠婚葬祭用の真珠のネックレスやブローチを持っていた。 親せきと肩を並べて付き合うために、張り合って競い合って生き…
2か所の自助グループへ参加してみました。 たぶんどんなに話しても吐き出しても、自分の中の恨みは消えてなくならないと思うんだけど、話さなかった事を話せる場があるというのは、ありがたいです。 それに、とても不思議な感じがします。 親しくなった相手にも、あまり話さないでやり過ごしてきた事を、余計な前置き抜きで先に言ってしまえる。 よく考えると凄い事です。 こういうシステムがアメリカで生…
布を切り離すとそこから解れるのを防ぐために、裁断と同時に布の解れ止めをするミシンがある。 ロックミシンといって機能はそれだけの専門の機械だ。 普通のミシンとは形状が全く違う。 ロックミシンは業務用だ。 それは普通のミシンより大きな音がする。 仕事の工程によってはロックミシンを延々とかけ続ける時もある。 機会音が響き続ける。 ほんの数分で済めばいいが、作業によっては1時間近く…
小学生の時は同級生がよく家へ遊びに来ていた。 その度にお菓子と飲み物を出していたが、それにお金がかかる事を母は快く思っていなかった。 私は全く気づかなかったのだが、思わぬ所でそれを知らされる。 学校の行事で保護者が集まっていた。 顔を合わせても挨拶ひとつしない、母に突然言われた。 よく家へ遊びに来ていたその子のお母さんの事だ。 『来るたびにあれだけお菓子を出してやってるのに、あり…
ミシンの騒音とアイロンを台に叩く鈍い音、そんな作業場で暮らした。私が生まれた時からの日常だ。 父親はバイク(カブ)で役所へ出勤する。だから日中は家に居ない。家は母の仕事場だった。一日中ミシンを踏むか手縫いの細かい作業をしていた。 私は母の仕事しか知らない。 父親の役所での仕事を具体的に聞いた事はない。 会話が無かったからそういう話題も出なかったように思う。 水道局だったはずだ。知っ…
両親が信頼関係を築けない間柄というのは子供にとって良くない。 過剰で自己満足な愛情も。 無関心で他人事のような距離も。 成長過程の子供には有害だ。 衣食住は足りていた。 だから虐待家庭ではない。 衣食住に不自由はしていないし、短大へも通った。 親に感謝するのが当たり前で、不満を並べるのは間違えてるのかもしれない。 虐待家庭の子は命を取られる。 命は大事だ。 そういう家…
精神疾患のある人を、無理に結婚させても不幸が広がるだけ。 何もいい事はない。 一緒になった相手にも精神的な不健康がうつっていく。 * * * * * * 叔母(父の妹)のアドバイスをよく聞いていた母。叔母は公務員だった。母よりは学歴があったのだ。知識も教養も上だったに違いない。 母は権威や肩書きに弱かった。 自分より優れていると思う相手の言う事をよく…
母は仕立ての仕事で忙殺される毎日だった。 家に居たが、仕事中は没頭し、私を相手にしなかった。 家にはいたが、会話することも教わることも何もなかった。 静かに黙って邪魔をしないこと。 それが母にとって扱いやすい良い子だった。 私の育った家は母の作業する空間だった。 そこで育ち大きくなった。 幼い頃、母は日の当たらない家の暗い作業場で仕事をしていた。 小…
母の姉妹も、父親の方の兄弟姉妹もそれなりの暮らしをしていた。 子供が大きくなるにつれて車を買い、一戸建てを購入し、より豊かな生活環境を築いていく。 うちだけ車が無かった。 休みの日もどこへも出かけなかった。 母の妹夫婦が見るに見かねて私と母を旅行に誘った。 別の妹夫婦の家族とドライブに行った記憶もある。 母は高速道路の料金所で必ず後部座席から運転する叔父さんへ料金を払おうとする…
途中から顧問になった松岡要。演奏への指導、ダメ出しが先輩と比べるだけだった。具体的にどう弾くようにとは教えない。 単に恥をかかせてるだけで全く意味がない。他人と比べるだけ。否定するだけ。単なる憂さ晴らしだ。最低な指導法だった。 * * * * * * * 学歴のない母だが、プライドは高く肩書きを気にする人だった。 ある時、何かの時間で先生が、家で仕事をして…
母は常に手作りの服を私に着せていた。 普段着から、ピアノの発表会の服にいたるまで全て手作りだった。 既製服を「仕立てが悪い。」とけなし、一切買うことはなかった。 もちろん自分自身の洋服も全て自分で仕立て、着用していた。 自分の作る服が世界で一番、そういう認識があったように思う。 仕立てのオーダーの仕事に加え、自分と娘の洋服まで作っていたから、暇な時間は一時もなかった。 いつも仕事…