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用事があってJR吹田駅へ久しぶりに立ち寄った。 懐かしかった。駅前の建物の外観はそれほど変わっていない。 よく楽器店の会議で吹田に通っていた。 その当時は自分にどんな未来があるのか想像つかなかった。 両親が離婚し、問題はすべて解決したかに思えていた。 子供時代の陰鬱な世界。そこから解放されたと思っていた。 実は母が毒親で自分にとってかなり有害だとは分かっていなかった。 父親は…
精神疾患のある人を、無理に結婚させても不幸が広がるだけ。 何もいい事はない。 一緒になった相手にも精神的な不健康がうつっていく。 小学校高学年で塾へ通い始め、成績が一番になった。 すると今度は、クラス委員に選ばれない事を非難した母。 何も悪い事はしていない。 なのにとんでもない悪い事をしたかのように注意される。 期待通りにやればやるほど損をする気がした。 人間の欲望には上限…
学歴のない母だが、プライドは高く肩書きを気にする人だった。 ある時、何かの時間で先生が、家で仕事をしているという意味の「内職をしているお母さんがいる家の人は手を挙げて。」と質問した。私も他の生徒に混じって手を挙げた。 家に帰ってそれを母に話すと、「内職」ではないと怒った。 仕立ての仕事は技術のいる専門職で、誰でもできる仕事ではないから、他の人たちの内職と同じにするなと。 「内職」と…
「教育」という名の「虐待」~引きこもるのは自尊感情が低いから
5月以降、関東の方で事件がいろいろ起き、また数年前の事件の裁判などが報道された。 ニュースの数々に考えさせられた。 自分とは何の関係もない人たちの出来事ではあるけど。 加害者や被害者の人たちが自分とそんなに違わないんだろうと思った。 自尊感情が低い。 物心ついた時から、15歳になるまで人格否定されて育ったんだと、そういうのは分かった。 「教育虐待」というワードをニュース報道で初め…
Yahoo!ニュースから 皮膚科では人工皮膚炎、精神科では身体表現性障害や、特定不能の衝動制御の障害と呼ばれていました。専門家の間では『ゴミ箱診断』と俗称される、どこにも行き場のない迷子のような病気だったのです。 2013年に改定された米国精神医学会の公式診断基準DSM-5で初めて『Excoriation(Skin-Picking)Disorder』として命名され、日本語では皮膚むしり症と呼ばれ始めました。グループ分けにおいても強迫…
音楽の習い事は情操教育ではなく、技能訓練だった。将来、収入を得るための職業訓練。「月謝が高い。」「こんな高いお金を払って。」「趣味で習わせてない。」勝手に押し付けておいて。まだ小さかった私に金の文句を言い続けた。 * * * * * * * 仲間からカラオケに誘われたけど、2人きりだと緊張するし相手が男子だったので返事はせずに保留状態に。 …
健全な家庭で育った人は、自分との付き合い方を心得ている。 誰にでも長所や短所はある。 それはそのままでいいのだ。 長所を伸ばし、短所には気を付けて周囲と上手くやっていく。 自分をよく知っていれば失敗や危険を回避する事ができる。 しかし機能不全家庭で育った人は、子供時代から自分を抑え込んで生きて来た。 元々の性格に加え、機能不全家庭の影響から偏った生き方の癖、特徴が身に付いている。 …
自助グループの仲間から春にカウンセリングを勧められました。 最初3回通ったところは止めて、今はまた別の場所へ行ってます。 月1回だから楽です。 地下鉄を降り地上へ出ると、道路の向かいに見えるのが 大阪歯科大学付属病院
「怒りを感じていても、その時に上手く言葉になって出てこない。」 私はカウンセラーの先生にそう話した。 すると、私の言語に問題があるのではなくて、受け止められない相手だからと先生は答えた。 怒りの感情をぶつけて受け取ってくれる相手には、言葉が出て来るそうだ。 「怒りの感情を爆発させても、それをよしよしと受け止め、包んでもらえたという体験が、自尊感情を高める。」 カウンセラーの先生はそう…
高校生の時は、国道の路面電車に乗って通学していた。 定期券の期限が切れそうになると、次のを申し込んで購入する。 タイミングが遅れて数日間の間が空くと、乗車するのに現金の小銭が必要になる。 一度、そういう事になった。 母はその金がもったいないと怒ってわめきだした。 食事中だった。 子供の頃から金の事で文句を言われ続けて来て、それが慢性的な日常生活の風景になってしまっていた。 …
情緒的に側にいない人を好きになる。 機能不全家庭に育った人の回復テキストにそう載っている。 健全でなくても、自分の生まれ育つ環境に適応しなければ子供は生き延びられない。 自分を守るため、親の顔色を窺いそこに照準を合わせ育つ。 感情やそれを表現するコミュニケーション能力を養うのも、自己主張と協調のバランスを学ぶのも、子供時代から少しづつ積み重ねて行くものだ。 機能不全家庭はその体…
家庭に憧れた事はなかった。 高校の同級生が商店街を歩いてる時、幼い子供が通ると「可愛い。」「私も子供が欲しい。」と言っていた。 私には、そういう感情や願望が全くなかった。 大人になってから、職場の女性が小さな子供を見て「旦那は要らないから、子供だけ欲しい。」と言っていた。 それも分からなかった。 子供時代、両親の争いを見て育った。 家庭は陰鬱で、夢や生きる希望を与えられない場所…
私にトラディショナル、正統で健全なものは似合いません。 2年と10か月目に入った歯医者通い。 治療は終了し、残るのは上の前歯の作成だけになりました。 待ちに待った自分の理想的な歯。 だけど歯科技工士さんが作ったのは、顔の中心が通った適切な大きさの整然と並んだ歯でした。 それを入れようとすると3本しか入りません。 元々私の上の配列が異常だからです。 犬歯と犬歯の間に…
一昨年から必要だと言われていた、歯の再植手術を7日に受けてきました。 所要時間、一時間30分。 左上の奥歯の治療です。 抜歯はさすがに強烈でしたね。 やや時間がかかりました。 麻酔が効いているので最初はほとんど感覚がありません。 だけど作業が進んでいくにしたがって、歯が器具で揺さぶるように動かされ…
アダルトチルドレンは大人になってから、合理的に効率よく人生を歩んでいけないとテキストに載っていた。 幼少時代から親である大人が、自分たちの勝手な都合で育てたためだ。 保育園に預けると金がかかるから、幼い私を家に置いた母。 自宅で洋裁業をしてる母。 側にいると仕事の邪魔になる。 しゃべってうるさいから口の中に長く残るお菓子を入れていた。 何もかも大人の勝手な解釈で育ててきた。…
松岡要は演奏を常に先輩と比べるだけだった。 こいつも母と同じで他人と比べた。 母は従姉をいつも引き合いに出して私を貶した。 松岡も同じだ。否定するだけで先が無い。 比べる指導法や教育法は その子にとって未来が無いのだ。 その子は先輩でも従姉でもない。 別の人間なのだから…
ピアノとか塾とかそんなんどうでもいいから、歯医者探せよ。 歯医者、探してくれよ。 子供時代に戻って親に何か言えるとしたらそれしかない。 言いたい事はそれだけ。 母が夜遅くまで自宅で仕事をしていたのは、父親の借金を返すためだけじゃない。 生活を向上させるためだ。 母は冠婚葬祭用の真珠のネックレスやブローチを持っていた。 親せきと肩を並べて付き合うために、張り合って競い合って生き…
26日は歯医者さんの日でした。 また雨。 なぜか雨になるめぐり合わせ。 なのでJRではなく、阪急で出かけました。 左下、サイドの歯を削る事にしました。 奥から順に触っていって、今日は仮歯を挟んだ手前の歯。 仮歯を挟んだ奥の歯は結構痛くて、麻酔を足してもまだ痛みを感じてたんだけど、今回のはほとんど痛みは無かったです。 神経治療は2度に分けてしています。 一本だけのレン…
布を切り離すとそこから解れるのを防ぐために、裁断と同時に布の解れ止めをするミシンがある。 ロックミシンといって機能はそれだけの専門の機械だ。 普通のミシンとは形状が全く違う。 ロックミシンは業務用だ。 それは普通のミシンより大きな音がする。 仕事の工程によってはロックミシンを延々とかけ続ける時もある。 機会音が響き続ける。 ほんの数分で済めばいいが、作業によっては1時間近く…
歯の治療に通い始めて10月で一年になります。 近所の歯医者さんから治療を始め、インターネットで探し転院しました。その後は予約を取るのが大変で月二回くらいのペースで通っています。 今通っている歯医者さんはひとつひとつの工程が丁寧で、神経の治療が完全かどうかを一本ずつレントゲンを撮ります。 ひとつの歯に神経が3本に分かれていて、それぞれに神経の治療をして薬を入れるそうですが、ひとつに…
裕福でなくても、環境の良い場所に住んでいなくても、心穏やかに暮らす事はできる。 両親の仲が良く、温和な家庭に育った人は幸せだと思う。 母はいつも神経をピリピリさせていた。 穏やかでほのぼのした家庭に生まれ育ちたかった。 中学の時のクラブ活動も、自分の入りたかった科学部にしていたら、また全然別の人生があったように思える。 科学部に入部しても何も変わらなかったかもしれない。 そ…
両親が信頼関係を築けない間柄というのは子供にとって良くない。 過剰で自己満足な愛情も。 無関心で他人事のような距離も。 成長過程の子供には有害だ。 衣食住は足りていた。 だから虐待家庭ではない。 衣食住に不自由はしていないし、短大へも通った。 親に感謝するのが当たり前で、不満を並べるのは間違えてるのかもしれない。 虐待家庭の子は命を取られる。 命は大事だ。 そういう家…
精神疾患のある人を、無理に結婚させても不幸が広がるだけ。 何もいい事はない。 一緒になった相手にも精神的な不健康がうつっていく。 * * * * * * 叔母(父の妹)のアドバイスをよく聞いていた母。叔母は公務員だった。母よりは学歴があったのだ。知識も教養も上だったに違いない。 母は権威や肩書きに弱かった。 自分より優れていると思う相手の言う事をよく…
母は仕立ての仕事で忙殺される毎日だった。 家に居たが、仕事中は没頭し、私を相手にしなかった。 家にはいたが、会話することも教わることも何もなかった。 静かに黙って邪魔をしないこと。 それが母にとって扱いやすい良い子だった。 私の育った家は母の作業する空間だった。 そこで育ち大きくなった。 幼い頃、母は日の当たらない家の暗い作業場で仕事をしていた。 小…
母の姉妹も、父親の方の兄弟姉妹もそれなりの暮らしをしていた。 子供が大きくなるにつれて車を買い、一戸建てを購入し、より豊かな生活環境を築いていく。 うちだけ車が無かった。 休みの日もどこへも出かけなかった。 母の妹夫婦が見るに見かねて私と母を旅行に誘った。 別の妹夫婦の家族とドライブに行った記憶もある。 母は高速道路の料金所で必ず後部座席から運転する叔父さんへ料金を払おうとする…
母は常に手作りの服を私に着せていた。 普段着から、ピアノの発表会の服にいたるまで全て手作りだった。 既製服を「仕立てが悪い。」とけなし、一切買うことはなかった。 もちろん自分自身の洋服も全て自分で仕立て、着用していた。 自分の作る服が世界で一番、そういう認識があったように思う。 仕立てのオーダーの仕事に加え、自分と娘の洋服まで作っていたから、暇な時間は一時もなかった。 いつも仕事…