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情緒的に側にいない人を好きになる。 機能不全家庭に育った人の回復テキストにそう載っている。 健全でなくても、自分の生まれ育つ環境に適応しなければ子供は生き延びられない。 自分を守るため、親の顔色を窺いそこに照準を合わせ育つ。 感情やそれを表現するコミュニケーション能力を養うのも、自己主張と協調のバランスを学ぶのも、子供時代から少しづつ積み重ねて行くものだ。 機能不全家庭はその体…
1月の再植手術で最後だと思ってましたが、3月になって、奥歯の高さを調整する外科処置を受けました。 外科処置としては再植の方が、高度な技術の要る難しいもの…だと思います。 事前の規則も厳しいし費用もかかりました。 だけど受ける側としては3月の方が結構、キツい感じがしました。 奥歯なので耳に近く、器具で削る音が大音響に聞こえてかなり怖かったです。
歯の治療に通い始めて10月で一年になります。 近所の歯医者さんから治療を始め、インターネットで探し転院しました。その後は予約を取るのが大変で月二回くらいのペースで通っています。 今通っている歯医者さんはひとつひとつの工程が丁寧で、神経の治療が完全かどうかを一本ずつレントゲンを撮ります。 ひとつの歯に神経が3本に分かれていて、それぞれに神経の治療をして薬を入れるそうですが、ひとつに…
裕福でなくても、環境の良い場所に住んでいなくても、心穏やかに暮らす事はできる。 両親の仲が良く、温和な家庭に育った人は幸せだと思う。 母はいつも神経をピリピリさせていた。 穏やかでほのぼのした家庭に生まれ育ちたかった。 中学の時のクラブ活動も、自分の入りたかった科学部にしていたら、また全然別の人生があったように思える。 科学部に入部しても何も変わらなかったかもしれない。 そ…
精神疾患のある人を、無理に結婚させても不幸が広がるだけ。 何もいい事はない。 一緒になった相手にも精神的な不健康がうつっていく。 * * * * * * 叔母(父の妹)のアドバイスをよく聞いていた母。叔母は公務員だった。母よりは学歴があったのだ。知識も教養も上だったに違いない。 母は権威や肩書きに弱かった。 自分より優れていると思う相手の言う事をよく…
母は仕立ての仕事で忙殺される毎日だった。 家に居たが、仕事中は没頭し、私を相手にしなかった。 家にはいたが、会話することも教わることも何もなかった。 静かに黙って邪魔をしないこと。 それが母にとって扱いやすい良い子だった。 私の育った家は母の作業する空間だった。 そこで育ち大きくなった。 幼い頃、母は日の当たらない家の暗い作業場で仕事をしていた。 小…
母の姉妹も、父親の方の兄弟姉妹もそれなりの暮らしをしていた。 子供が大きくなるにつれて車を買い、一戸建てを購入し、より豊かな生活環境を築いていく。 うちだけ車が無かった。 休みの日もどこへも出かけなかった。 母の妹夫婦が見るに見かねて私と母を旅行に誘った。 別の妹夫婦の家族とドライブに行った記憶もある。 母は高速道路の料金所で必ず後部座席から運転する叔父さんへ料金を払おうとする…
途中から顧問になった松岡要。演奏への指導、ダメ出しが先輩と比べるだけだった。具体的にどう弾くようにとは教えない。 単に恥をかかせてるだけで全く意味がない。他人と比べるだけ。否定するだけ。単なる憂さ晴らしだ。最低な指導法だった。 * * * * * * * 学歴のない母だが、プライドは高く肩書きを気にする人だった。 ある時、何かの時間で先生が、家で仕事をして…
母は常に手作りの服を私に着せていた。 普段着から、ピアノの発表会の服にいたるまで全て手作りだった。 既製服を「仕立てが悪い。」とけなし、一切買うことはなかった。 もちろん自分自身の洋服も全て自分で仕立て、着用していた。 自分の作る服が世界で一番、そういう認識があったように思う。 仕立てのオーダーの仕事に加え、自分と娘の洋服まで作っていたから、暇な時間は一時もなかった。 いつも仕事…
父親は市役所に勤めていたが、ギャンブル依存症だった。 父親は毎日出勤し、給料をもらってはいたが、お金は尼崎競艇に消えていく事が度々あった。母親は洋裁の仕事を自宅でし続けた。 結婚当初から消えていくお金の穴埋めに母の収入が必要だった。 注ぎ込む資金が給料だけで足りない時は、借金をした。 家にある品物を質入れする事もあった。 諍いや揉め事は絶えなかった。 お金が無いながらも支え…