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東海古城研究会の3月の見学会の案内ハガキが届きました。3月19日(日)午後「岩津城と信光明寺」を見学します。徳川(松平)家康の始祖の地・松平郷から松平三代信光が岡崎市の岩津に進出し、後の松平家(徳川家)の発展の礎を築いたのが岩津城と信光明寺です。岩津城鳥観図小牧長久手の戦い前後に家康が大幅改築した興味深い姿を今に留める地元の方が整備に尽力され、往時の姿を見ることが出来るようになっています。見学会の詳しい案内は東海古城研究会の公式Twitterに掲載されています。問い合わせや申し込みは公式TwitterのDMやGoogleフォームで出来ます。当ブログの左下にもリンクが張り付けてあります。岩津城三河東海古城研究会の見学会が行われます
三河・岩津城 地元整備で往時の姿が蘇りつつある松平家発展の礎の城
岩津城は愛知県岡崎市岩津町にあります。三河山間部の松平郷を始祖の地とする松平氏が三河の大河矢作川流域の平野部、岩津の地に進出し、勢力を拡大して後に徳川家康を輩出し発展を遂げました。岩津には松平氏によって通称「岩津七城」と呼ばれる城塞群が築かれましたが、岩津城は家康と秀吉が対峙した小牧長久手の戦いのときに大改修を受け、今見る姿になったとされます。城址は後世、梅林となりその後竹林となり、足を踏み入れるのも困難な状況でした。近年地元有志の方々によって継続的な整備が行われ、年々岩津城の本来の姿が蘇りつつあります。先日は、地元の《「松平氏かがやきの600年」推進懇話会》によって整備が行われたと新聞に載りました。近くですので見学に出掛けました。岩津城通称「岩津七城」だが・・矢作川の土場(船着場)が現在の天神橋付近に在った当...三河・岩津城地元整備で往時の姿が蘇りつつある松平家発展の礎の城
三河・長沢城 今はほぼ消滅したが謎の多い城郭の往時の姿を想定してみる
長沢城は愛知県豊川市長沢町にあります。城の名は桜ケ城、長沢古城ともいわれます。長沢の地は、古くは今川氏の一族の関口氏が領したとされます。後に松平信光が長沢城を攻めとり、子の親則に与えたとされ親則を長沢松平の初代とします。親則から七代政忠までの歴史は不明確のようで、長沢の地は別にあったという説も出されています。※長沢の地は別にあったは→こちら長沢松平八代康忠の時に東三河に進出した家康が、永禄五年に長沢を康忠に与えたとされます。その後、家康の関東移封に従って康忠も関東に移ったとされます。長沢にとどまった長沢松平氏の分家筋もあったようで、後に長沢松平を名乗ったとされます。今回の参考資料は(1)「愛知県中世城館跡調査報告3」愛知県教育委員会1997(2)音羽町史通史編音羽町史編さん委員会2005(3)「城」代31号東海...三河・長沢城今はほぼ消滅したが謎の多い城郭の往時の姿を想定してみる
三河・登屋ケ根城 その2 意外に広く興味深い城域を絵図で確認しながら見学する
登屋ケ根城は愛知県豊川市長沢町にあります。その1ではⅠ郭、Ⅱ郭を中心に「諸国古城之図」の絵図と対比しながら見学しましたが、その2では、屋敷地とされる範囲も絵図を見ながら見学したいと思います。今回も資料は(1)「愛知県中世城館跡調査報告3」愛知県教育委員会1997(2)音羽町史通史編音羽町史編さん委員会2005(3)三河国宝飯郡誌(4)浅野文庫「諸国古城之図」(三河宝飯トカ子)広島市立中央図書館所蔵などです。なお城の位置、城郭周辺などはその1でご覧ください。※登屋ケ根城その1は→こちら浅野文庫「諸国古城之図」(三河宝飯トカ子)広島市立中央図書館所蔵※広島市立中央図書館の許可を得て掲載しています。絵図のⅣ郭部分には「此城昔ヨリ有之ト云トカ子ノ城関口ノ城トモ云粕屋善兵衛小原藤市城ヲ守由」などの書き込みがあります。登屋...三河・登屋ケ根城その2意外に広く興味深い城域を絵図で確認しながら見学する