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三河・長沢上屋敷、下屋敷 長沢の地はどこに? 長坂松平氏はどこに?
長沢上屋敷、下屋敷は愛知県豊田市長沢町にあります。従来、長沢といえば愛知県豊川市長沢(旧宝飯郡)であり、長沢松平氏の初代松平親則が長坂城を築城したされてきました。ところが歴史研究者の平野明夫氏が長坂は豊田市に有る長沢町の可能性が濃厚であるという研究結果を発表されています。今回は(1)「三河松平一族」平野明夫2002と(2)「音羽町史通史編音羽町史編さん委員会2005を参考資料として豊田市長沢町と、長沢松平氏の墓所が有る岡崎市岩津町の円福寺を見学しました。長沢上屋敷、下屋敷周辺は松平氏発祥の地に近く、古くから松平氏の勢力圏だった長沢町の町名は明治になって遊平村と西大沼村が合併して出来たものですが(1)では小字名に長沢東と長沢西があるので、この地を長沢と称した痕跡とされています。(2)では長沢松平氏の初代親則は、松...三河・長沢上屋敷、下屋敷長沢の地はどこに?長坂松平氏はどこに?
三河・長沢城 今はほぼ消滅したが謎の多い城郭の往時の姿を想定してみる
長沢城は愛知県豊川市長沢町にあります。城の名は桜ケ城、長沢古城ともいわれます。長沢の地は、古くは今川氏の一族の関口氏が領したとされます。後に松平信光が長沢城を攻めとり、子の親則に与えたとされ親則を長沢松平の初代とします。親則から七代政忠までの歴史は不明確のようで、長沢の地は別にあったという説も出されています。※長沢の地は別にあったは→こちら長沢松平八代康忠の時に東三河に進出した家康が、永禄五年に長沢を康忠に与えたとされます。その後、家康の関東移封に従って康忠も関東に移ったとされます。長沢にとどまった長沢松平氏の分家筋もあったようで、後に長沢松平を名乗ったとされます。今回の参考資料は(1)「愛知県中世城館跡調査報告3」愛知県教育委員会1997(2)音羽町史通史編音羽町史編さん委員会2005(3)「城」代31号東海...三河・長沢城今はほぼ消滅したが謎の多い城郭の往時の姿を想定してみる