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堂洞城は、岐阜県の富加町と美濃加茂市にまたがる山(標高192m)の頂上にあります。麓の富加町郷土資料館で、事前に地図をもらうことをお勧めします。すれ違いができない細い道をずんずんと登りますが、登り切ったところに巨大な貯水タンクがあり、車を2、3台を駐車するこ
堂洞合戦を巡るエピソードの中で、何といっても悲惨なのは、父親の佐藤紀伊守が織田信長に寝返ったために殺され、竹の串に貫かれて長尾丸山に晒された八重緑でしょう。子供向けのマンガではさすがにこの場面をはっきりと描けず、シルエットで示唆しています。「堂洞軍記」に
堂洞合戦がどんな戦いだったのか、簡単にまとめてみます。永禄3(1560)年の桶狭間の戦いで今川義元を滅ぼした織田信長は、美濃への侵攻を本格化し、その足掛かりとして東美濃の攻略を図ります。東美濃ではこれを阻止するため、関城の長井隼人(はやと)、加治田城の佐藤紀
今回は歴史の勉強と観光をメインに、堂洞(どうぼら)城の埋蔵金を取り上げたいと思います。堂洞城は岐阜県富加町にあった平山城で、斎藤道三、義龍(よしたつ)、義興(たつおき)の3代に仕えた岸勘解由信周(かげゆ・のぶちか)が城主でしたが、永禄8(1565)年の堂洞合