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こんにちは。高見沢隆の詩的ライフです。 A・C・ショー司祭は明治十五年に軽井沢を訪れました。昭和十一年八月七日の北信毎日新聞の記事からこれが判ります。 ショー司祭の子息など特定の方々が初めて軽井沢を訪れたのは明治十八年とか明治十九年ということがいままで言われてきましたが、この新聞記事によりそれが明治十五年ということが明確になりました。新聞というメディアだから客観性があることは疑いの余地はありません。 ショー司祭の軽井沢を訪れた年代については明治十八年、十九年とまちまちでした。この北信毎日新聞でも同面の東信地区の記事では明治十八年となっています。この千葉県からの記事はショー司祭の書簡からそれらを…
こんにちは。高見沢隆の詩的ライフです。 明治十九年というのは、軽井沢が避暑地化に向かった年です。いままで明治十九年はA・C・ショーが軽井沢を初めて訪れたといわれてきましたが、そうではないことが判りました。この明治十九年はコレラが流行していた年で、群馬の温泉でもそれが猛威をふるい、それを恐れた多くの外国人は避暑をすることのできる軽井沢の峠町まで逃れてきました。峠町は外国人でたいへん混み合い、その様子をみた朝野新聞がそれを報道したのです。峠町は宿泊施設がなかったので神社や空家の農家などを借りたり、自らキャンプのできる道具を持ち込んで避暑生活を送りました。たくさんの外国人がそこで涼をとっていたので新…
こんにちは。高見沢隆の詩的ライフです。 いままでA・C・ショー司祭は軽井沢に明治十七年か十八年に訪れたとされてきました。それは過去に出版された書籍からそのように理解されてきましたが、それが今回、新たな資料により軽井沢にA・C・ショーが訪れたのは明治十五年ということが判りました。北信毎日新聞昭和十一年八月七日の記事からで新聞記事だからそこには客観的な思考が流れています。 貴重な文献を発見 シヨー氏軽井沢発見は明治十五年 千葉県成田から古文書が現れる(千葉電話) 異国情緒をもつた高原の避暑地軽井沢は在日英人のチャプレン(宣教師)エ、シ、シヨウが発見したーといふ貴重な書簡が今回霊場成田町郊外の農家か…