メインカテゴリーを選択しなおす
クスコの街は何に見えるかな? これは有名なのでご存じかもしれない。 街を見ているとコロニアルな雰囲気なのだが。 ちょっと離れて見てみると。 これはサクサイワマン遺跡からのクスコの景色。 屋根の色が調和がとれていて美しい。 うまい角度からはとれていないのでイメージ図を。 ピューマである。 頭の部分がサクサイワマンであるという。 そういわれると、地図をみてもピューマに見えてくる。 すごい規模でピューマに見立てて街をつくったものだ。 日本最大級のレジャー総合情報サイト「asoview!(アソビュー)」 にほんブログ村
ペルー旅の番外編つづき。 素晴らしきインカの遺跡 マチュピチュ。 マチュピチュの後方のワイナピチュには、ピューマの顔が見えるだろうか。 ちょっと角度が違うのだけれど。下の絵の感じ。 そして、マチュピチュの遺跡群(AからHまで)を連ねてみると。 ・・・トカゲに見える? ちょっと可愛い姿。 現地でお土産に買った本がある。 El Valle de Sagrado de los Incas - Mitos y Simboles いろいろと見立てについて書いている。 クスコの街はピューマだ。 マチュピチュはピューマもトカゲもコンドルもいる! クスコの街やマチュピチュの遺跡、オリャンタイタンボの山。 何度…
ちょっと脱線。インカへ戻る。 インカトレイルの地図を振り返る。 下はインカの聖なる谷の略図である。 Patallactaから青いラインがインカトレイル(Camino de Inca)として歩いたところ。 マチュピチュに行った当時は全体像をわかっていなかった。 いま、ゆっくり写真と地図を見て、もう一度マチュピチュ探訪している。 マチュピチュを俯瞰すると・・・ 実は、ある動物に似ているのだが、それはまた今度。 これも意外と気づいていなかった。 【ヤフートラベル】取り扱い施設数が約17000施設!!国内最大級宿泊予約サイト にほんブログ村
プーノはfeo(醜い、良くない)だと言われたけれど、チチカカ湖へは行きたい。 クスコからプーノへは豪華列車ペルーレイルに乗った。 マチュピチュまでは徒歩の旅だったが、これはファーストクラス。 ただ当時は車両が安定していなかった。ジャンピングしていた気がする。 入れもらったコーヒーが振動でこぼれていた。 今はもっと快適なんだろうね。 プーノはほどほどにチチカカ湖観光へ。 ボリビアはすぐそこ。 先住民が多くてすすけた街並みだった。 そろそろ旅に疲れていたかもしれない。 にほんブログ村
マチュピチュからつづら折りの道を降りてくる。 徒歩なので、バイバイボーイと同じようにショートカットしながら下る。 バスを待てなかったのか、節約したかったからか、歩いて降りた。 ふもとの街はアグアスカリエンテス(温泉)である。 中南米は火山国が多いため、温泉も結構ある。 日本とは違って水着着用で入ることも多い。 貸風呂のように個室になっていると好きにできる。 ここでは温水プールのような感じで入った。 極楽、極楽。 これで本当にマチュピチュへのインカトレイル旅行は終わり。 にほんブログ村
マチュピチュでアルゼンチン人のみんなとガイドさん記念撮影。 3泊4日一緒にトレッキングすると仲間意識が芽生える。 山登りの不思議だね。みんなフレンドリーで面白かった。 アルゼンチンの休暇時期にあたっていたのはたまたま。 複数のアルゼンチン人のグループに偶然入れてもらった。 日常会話程度のスペイン語なので、率直にしゃべらざるを得ず。 チチカカ湖のほとりのプーノに行くと話すと、 ”Puno es feo!” プーノなんか良くないよ!って言われた。 遠慮ないんだよね。それが楽しかった。 ポーターとの競争も刺激的だった。 さて、マチュピチュ観光の後は、アグアスカリエンテスだ! 温泉だ! にほんブログ村
どいつ遺跡の中で最も高く見晴らしがよいところにある。 インティ・ワタナ「太陽をつなぎとめるもの」 高さは1.8mで自然石を削って作られている。 中央に突き立っている36cmの角柱。 東西南北を指しており、柱の対角線を太陽が冬至に通過するという。 インカは太陽暦を使用していた。 日食で太陽が消えないように儀式をおこなった? 日時計に使われたという説もある。 マチュピチュには巨大な自然石を削って作ったものが多い。 その技術にうなってしまう。 日本で言ったら近江の穴太衆だろうか。 ちなみに今村翔吾さんの塞王の楯も穴太衆を描いている。
位置も重要性もその中心的なものだったのが大塔である。 石組みが精巧なものになっており、重要な場所だった。 大塔を下部から眺めると圧巻。 この内部には彫刻が施された石もある。 この弯曲したカーブがクスコのコリカンチャと似ている。 窓からさす光で天体観測もしたのだろうか。 この塔も別名「太陽の神殿」コリカンチャである。 この大塔の岩の下は洞になっている。 入口の右には自然石を刻んだ階段がある。 の階段の奥の壁には「ニチョ」(壁がん、壁のくぼみ)がある。 祖先の霊を弔っていた霊廟と言われている。 なかにはなんと日時計のような石まであった。 すばらしい石積みの遺跡にまみれて、ぼうっとしてしまう。 にほ…
石積みが精巧にできているの本神殿や3つの窓の神殿のあるあたり。 中央部の高台にある本神殿。 ほかの石積みも素晴らしいが、特にこの一帯の石組みは精巧にできている。 マチュピチュを発見したのはハイラム・ビンガムというイエール大学の歴史学者。 インカの始祖が生まれた場所は「3つの窓をもつ」タンプ・トッコが出てくる。 ビンガムは、マチュピチュこそインカの始祖が生まれた場所と考えたらしい。 3つの窓の神殿。 実際にマチュピチュを建設したのは、第9代皇帝のパチャクティと言われている。 インカの歴史は深い。興味が尽きない。 にほんブログ村
遺跡の中に入ってしまうと、どこにいるかわからなくなる。 ちょっと離れた位置から全景を見てみる。 観光の仕方によるのだが、入り口が違うとアプローチが異なる。 インカトレイルから徒歩でくるのと、アグアスカリエンテスからバスで登ってくるのでは若干違う。 結構広くて、すごいのだけど、現場にいるとその一つ一つが良く分からなくなる。 実際、あとで写真で見て、「あー、こんな貴重なものだったのか」と後悔しきり。 ローマなどでもそうではないかと思うが、遺跡が多すぎて疲れてくるというのか。 まあ、ぜいたくなことである。 スペイン語ツアーだったので、わかったような顔をしていたのもあるけど。 しっかり見ておけばよかっ…
インカ時代から聖鳥としてあがめられてきたコンドル。 大きな岩の前に石に刻まれたコンドルが東向きに配置されている。 このコンドルのレリーフは「拷問の場」の前の広場にある。 インカの石工はヒワヤといわれる黒く固い石で、自然石を加工していた。 石を切るというよりは、打ち砕いていたという。(インカ皇統記) 大きな岩や拷問の場を囲むように長い石壁がある。 この壁にも「ニチョ」(壁のくぼみ)がいくつもある。 ミイラか生贄か何かが配置されていたのだろう。 コンドルは神々が住まう天の世界(ハナパクチャ)へ、人々の願いや魂を運ぶ使者の役割を担っていたという。 地上と天界を結ぶ場所だったのかな。 にほんブログ村
インカトレイルからマチュピチュ全体を眺めて、いよいよ遺跡の中に入る。 クスコのコリカンチャのような弯曲した形の塔。 軍事的に大切だったという大塔である。 その左側に皇女の館がある。 皇女の館の門のあたり。インカの石積みが、そこここにある。 右には皇帝の館もがあり、マチュピチュの中でも重要なところ。 インカの精巧な石組みだらけで至福のひととき。 シーニュ ヴィニュロン / ジャン フルール ボジョレー ヌーヴォー [2022] 赤ワイン 500ml ペットボトル / フランス AOCボジョレーボジョレー ヌーボー Beaujolais Nouveau ボージョレー ヌーヴォー 新酒 [bjn] …
標高 2500mの断崖にある天空の都市 マチュピチュ。 マチュ・ピチュとは「老いた・峰」とか「親分の峰」とかいう意味。 うしろにそそり立つ山はワイナ・ピチュ「若い・峰」である。 クスコからインカの聖なる谷を抜けウルバンバ川上流を一気に登る。 インカトレイルを歩かなくてもマチュピチュには行ける。 ハイラムビンガム・ロードというつづら折りの道がマチュピチュにつながっている。 ふもとのアグアスカリエンテス(温泉)から斜面をのぼるバスが出ている。 バスはゆっくりとつづら折りの道をジグザグとしか進めない。 しかし人が徒歩で歩くなら、ショートカットできる。 バイバイ・ボーイといったか、ショートカットしては…
霧立ち上る早朝のインカトレイル。 もうマチュピチュは目の前だ。 インカの時代にはいなかったリャマたちもお出迎えしてくれた。 霧の中に徐々に建造物が見えてくる。 期待が膨らむ。 リャマは人慣れしていて、まったく動じることはない! 直下から見上げていても、平気な顔をしている。 危害を加えてくるわけでもなく、景色に馴染んでいた。 Yogiboにもリャマのローラさんがいるけど。 遺跡にリャマってなごむ。 にほんブログ村
リャマたちの歓迎(?)を受けた後、歩みを進める。 マチュピチュは、クスコよりは標高が低くすごしやすいそうだ。 もやもやした霧の中に・・・何かが見えてくる。 雨期でも乾期でも、朝夕のマチュピチュは霧が多い。 映像でも写真でも撮影泣かせらしい。 低地の温かい空気と高地の冷たい空気がぶつかって霧が多く発生する。 この霧もマチュピチュの景観や自然を保っている。 歩き進めると霧の隙間からうっすらと建造物が見えてくる。 さあ、天空の城に到着だ。 あの景色が見えてきた。 世界遺産 マチュピチュへ。 にほんブログ村 地球にちりばめられて (講談社文庫) [ 多和田 葉子 ] 楽天で購入
クスコからインカの聖なる谷に向かっていく。 マチュピチュへ向かう途中の、チンチェーロ Chinchero。 標高3600mの高地にある遺跡。 Chincheroの広場(plaza) インカ時代は堅固な要塞であったという。 今はその基底部の石組みだけが残っている。 斜面の段々畑(アンデネス)はインカ当時の繁栄を忍ぶことができる。 Chincheroの寺院(templo) 基底部の石組みの上に白い寺院が建っている。 この近くの村では、インカ時代の水路がまだ使われている。 インカの技術がすごい。 近くには観光客向けの民芸品のマーケットがある。 チンチェーロは質の高い織物も有名。 天然染料で染めたアン…
ビルカノタ川沿いの「インカの聖なる谷」El valle sagrado de los Incasにある、オリャンタイ・タンボ。標高 2850m タンボとはケチュア語で「宿泊施設」の意味である。 インカ時代の宿場町なのか。スペイン軍に抵抗する砦なのか。 ここは、クスコとマチュピチュの中間地点である。 大きな神殿とインカの宿(タンボ)であった建造物が多くある。 これは、オリャンタイ・タンボの下部。 本来はここからマチュピチュにインカトレイル(インカ道)が伸びていた。 現在は鉄道になっているので、インカトレイルのトレッキングでは、コリワイラチナが拠点となっている。 オリャンタイ・タンボの要塞跡。オリ…
オリャンタイ・タンボ自体にも見どころが多い。 このダイナミックなアンデネス(段々畑)は壮観である。 これこそ、洪水や土砂崩れにも負けないインカの技術である。 その頂には太陽神殿だったと考えられる巨石がある。 ただの巨大な石ではない。 うっすらと彫りかけのピューマが見える? 3体あるらしいのだけど。右上のほうのはなんとかわかる。 巨大な石の間をぴったりと埋める石。 インカの精緻な石組みがここにもある。 地震にも揺るがないような頑強さが見て取れる。 この巨石が6つ並んでいた。
オリャンタイ・タンボの神殿に向かった山も見ておきたい。 現地にいるときにはあまり考えずに見ていた。 岩肌の突起やくぼみが顔に見えるという。 神様と考えられていた。王冠もかぶっている。 見えるかな? 王冠の部分には建物がある。 顔の右にある斜面には食糧倉庫(コルカ)が作られている。 斜面に作るのは自然災害を考えていたのかな? インカの遺跡はコンドルやピューマ、蛇などに見える建造物が多い。 行ってよし、見てよし、後で振り返るのもよし。
オリャンタイ・タンボから進み、いよいよトレッキングのスタート地へ。 3泊4日の山歩きが始まる。大きな荷物はポーターが持ってくれる。 ガイドとポーター、アルゼンチン人男女6人、日本人1人のツアーである。 インカの人々が歩いたであろう道をたどる。 インカ道(インカトレイル)はしっかり踏み固められた道で歩きやすい。 ウルバンバ川沿いの渓谷は「インカの聖なる谷」と呼ばれる。 スペイン軍によるクスコ陥落のあと、インカ軍の拠点となっていた。 インカの盛衰に思いをはせながら、歩みを進める。 チルカから少し先の、リャクタパタ(テラスの村、パタリャクタともいう)。 ここから本格的なインカトレイルが始まった。 こ…
いよいよインカ道のトレッキングが始まった。 ここから歩いてマチュピチュを目指す。 スペイン軍から逃れたインカの人々も歩いたのだろうか。 しっかりとした登山道である。 インカがそれほど古くないとしても、500年以上。 ネパールトレックなどとはまた違う味わいがある。 荷物を持ってくれているポーターたちの体力はすごい。 自分の荷物を持っているだけなのだから、体力差は歴然。 1日目のキャンプ地。 テントを一つあてがってもらって広々だった。 おかかえトレッキングは楽々だ。と、思っていた。
インカトレイルの山岳レースみたいなのがあるらしい。 それに出場したというポーターもいた。 2日目、ポーターと競い合うように歩く。 日本人の体力を見せなければ! 富士山だって3776m。高度順応はできているはず。 インカトレイルの高度3500m付近に到着する。 高地なのだが、高地だからか、汗を大量にかいて息が上がる。 やっぱりインカ道。なまはんかなトレッキングではなかった。 向かいに見える山々は5000m級がたくさんある。 変な負けず嫌い根性を出さずにのんびり歩けばよかった。
4000mの峠越えの直前。 だんだん足取りが重くなってくる。 さすがにきつくなってきた。 ガスが下りてくる。 マチュピチュへの期待が膨らむ神秘的な雰囲気。 霧の中である。天空に近くなってくる気がする。 本日のキャンプ地。色とりどりのテントが並ぶ。 峠より500m程度下ったところである。 つまり、3500m付近だ。やっぱり。 眠れないからと、こういう高地でアルコールを飲んではいけない。 ペルーにもクスケーニャとかよいビールがあるが。 急性アルコール中毒になることがある。 今ではインカトレイルのトレッキングは1か月前にはいっぱいになるらしい。 このころは、たいしてほかのグループも多くなく、のどかで…
標高3500mの大きな岩山を控えたマルカ(館)の遺跡がある。 サヤク・マルカ(切り立った土地の建物)という。 インカの皇帝の宿と要塞をかねていたのか。 頂上部には、楕円形の神殿跡のような遺跡が残っている。 インカの建築としては曲線は多くない。 3500mあたりを上ったり下ったりで、心身はぼろぼろ。 疲労困憊状態であった。 どういう状態で遺跡を見ていたかは、覚えていない。 景色だけ見ていると霧の中の神秘的な雰囲気なのだが。 実際は、ガスの湿気と汗でぐちゃぐちゃである。 高野潤氏の「マチュピチュー天空の聖殿」を読んで、この遺跡の価値がわかった。 この遺跡で目を見張らされたことはいくつかある。そのひ…
ウニャイワイナの休憩所。 ビールも飲めて天国だ! アルゼンチン人たちにビールを飲まされている。 日本人は若く見えてしまうので(?)いじられる。 よろこんでビール飲んだけど。 キャンプ生活も今夜で終わり。 もうマチュピチュは目前である。 打ち上げ状態で、みんなで祝杯をあげた。 標高が下がったとはいえ、まだやや高地なので、皆ハイ状態。 クライマーズハイかな。 インカの精霊が乗り移った? お酒を飲むときは、インカの神々にも少し捧げるのである。 守っていただき、ありがとうございます。 にほんブログ村
インカトレイルを歩いて3日目あたりに到着する。 これは、ルンクラカイ(籠型の小屋)。 真ん中は円形で、周りは半円の遺跡。 なんともいえない美しい形をしている。 植物で編んだような籠みたいな形である。 食糧小屋だという。 あまり多くないけど、インカ時代の建造物の曲線が好きだな。 小さいけれど、本格的な遺跡である。 えっちらおっちら登ってくるのは、トレック仲間のアルゼンチン人女性たち。 ちょっと離れても、ルンクラカイは美しい。 どうして、こんな形なんだろうね。
昼頃にプヨパタマルカの遺跡に到着。 サルカンタイ峰を望む稜線の下にある。 雨期だったのか、ガスがすごい。 霧の高地のテラスという名前通りの状態。 他のグループの登山者もポンチョらしきものを羽織っている。 雨は降っていないが、びしょ濡れになるのだ。 ここにも小規模ながら、段々畑が見られた。 霧でよくは見えなかったのだが。 あまり住居らしいものはない。 山の上のほうには、水が湧き出ていた。 乾季でもこの水は石積みの水槽の中を流れているそうだ。 つくづく、高度な技術で建設されていると思う。