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祭の前は曳山を出す町は準備に忙しい。 山建てだけでなく、提灯を飾ったり。 設営に余念がない。 祇園祭もそうだが、祭りの前が好きだ。 気分が盛り上がってくる。 祭り当日は、人が多くて閉口してしまう。 西行桜狸山のある鍛治屋町自治会館。 粽も売っている。 祇園祭と同じで厄除け粽である。 玄関に飾るとよい。 大津祭では曳山から粽をまく。 安全面から今年は動いている山からはまかないことになった。 景気よく粽をまいている祭りは珍しいようだ。 www.otsu-matsuri.jp 商店街のアーケード内に西王母山の曳山がある。 天候が不安定な秋には雨に守られてよいね。 屋根ぎりぎりの曳山は圧巻だ。 こうい…
源氏山と競演していたのは、月宮殿山(げっきゅうでんざん)。 謡曲の鶴亀(喜多流では月宮殿)にちなんだもので、唐の皇帝が不老門に立って、美しく立派な前庭で春を祝う会を催され、世を寿がれました。俗に「鶴亀山」とも呼んでいます。所望は、頭上に鶴と亀の冠りをつけた男女の舞人が皇帝の前で舞うところ。見送り幕は、トロイ落城の情景を現したゴブラン織りで、国の重要文化財です。平成11年10月に新調されました。 www.otsu-matsuri.jp 旧東海道の石畳風の道にある。 風情があまりない大津で、ちょっとましな道。 とはいえ、ホテルなどビル群が見える。 実際、真横にはマンションが。 古い街並みと新しいビ…
来年の大河ドラマで紫式部が取り上げられる。 そのせいだろうか。 紫式部にちなんだ源氏山はひときわ活気がある。 紫式部が石山寺において「源氏物語」を書いた伝承にちなんだもの。そのため、紫式部の十二単や、曳山全体が、平安の昔を偲ばせる造りとなっています。所望は石山をかたどった岩の中から、潮汲み馬、御所車、かさ持ち、木履持ちなどが現れては消えていきます。回り舞台の原型であるといわれており、現存するものでは、全国で二番目に古いものです。 俗に「紫式部山」とも呼ばれます www.otsu-matsuri.jp 紫式部が源氏物語を執筆中? 石山寺にもこういう像がある。 源氏山とほかの曳山の競演。 囃し方も…
大津駅前の大通りを動く曳山があった。 龍門滝山(りゅうもんたきやま)である。 普段、車が通る道を山が行く。 黄河の上流の竜門山の滝は、どんな魚も上がれないが、もし上がる魚があれば、直ちに昇天して龍になるという故事にちなみます。登竜門という語もここからでました。所望は、龍門の滝を鯉が躍り上がるところを見せます。鯉のからくりは宝暦12年(1762)在銘でわが国最古のものです。 俗に「鯉山」ともいいます。見送り幕「トロイアの陥落図」は、ゴブラン織りで国の重要文化財に指定されています。 www.otsu-matsuri.jp 青空とビルを背景に曳山が進む。 囃し方にも勢いがある。 道の真ん中まで進んで…
もう雨に備えていた山があった。 郭巨山(かっきょやま)である。 俗に「釜堀山」ともいいます。中国二十四孝の一人郭巨は、家が貧しくて老母を養うのがやっとでありました。子供が生まれましたが、老母は自分の食を減らして孫に与えねばなりませんでした。「子供はまた得られる。母は再び得ることはできない。」郭巨は妻と相談し、子供を土中に埋めようと穴を掘ったとき、そこから黄金の釜が出てきたという故事によります。 www.otsu-matsuri.jp 乾物屋さんの前に置かれていた。 日ごろ徹街並みが新鮮に思える。 この通りも店の入れ替わりが激しい。 古い家がマンションに変わったり駐車場になったり。 大津祭を維持…
工事中の建物の前にも曳山がある。 神功皇后山(じんぐうこうごうやま)である。 松が出ていて特徴的だ。 神宮皇后が戦に先立ち、肥前国松浦で鮎を釣り、戦勝を占ったとされる伝説にちなみます。なお、神宮皇后は当時懐妊されていましたが、戦が終わって後、九州の地で応神天皇を無事出産されたことから、この山は、「安産の山」として信仰されています。所望は、皇后が岩に弓で字を書く所作をすると、次々と文字が現れてくるからくりで、江戸時代の文字書きからくりとしては、斬新な機構とされています。 www.otsu-matsuri.jp この曳山は上部がかなり装飾的である。 下部は簡素であり、上と下で作った人が違うようだ。…
玉屋町の自治会館の前に来た。 普段よく通り抜ける道である。 湯立山が建っている。 天孫神社の湯立ての神事は、この山が捧げるといい、山の形は天孫神社をかたどり、廻りはその回廊を真似ています。所望は、祢宜(ねぎ)がお祓いをし、市殿(いちどの)が笹で湯を奉り、巫女が神楽を奏します。この所作から、「おちゃんぽ山」の愛称があります。昔から、この湯をかけられたものは、五穀豊穣、病気平穏、商売繁盛など縁起がよいといいます。 www.otsu-matsuri.jp 口伝えによると寛永三年に創建、大津山中の最古の山といわれている。四宮祭礼牽山旧記の古記録中では第七番目に数えられているが、これは寛文年中に孟宗山か…
細い通りにも曳山が見えている。 近づいて見る。 車は入れなくなっている。 西宮蛭子山(にしのみやえびすやま)である。 古くから西宮の蛭子様を出して飾り、祀っていましたが、後に曳山に載せるようになりました。鯛を釣り上げたえびすさんに商売繁盛を祈るといいます。所望は、えびすさんが鯛を釣り上げる所作。 この所作から俗に「鯛釣山」と呼ばれています。この曳山が作られた頃は、宇治橋姫山と称していましたが、延宝年間以後、いまの西宮蛭子山に変えられたといわれています。 www.otsu-matsuri.jp 西宮えびすだね。 縁起が良い感じの曳山である。 えびすさんが鯛を釣り上げる所望が人気らしい。 間近で曳…
孔明祈水山とすれ違ったのは、 西王母山(せいおうぼざん)だった。 むかし、崑崙山(こんろんさん)住む、西王母が天女とともに舞い下って、君に桃の実を捧げ長寿を賀しました。この桃は三千年に一度、花が咲き、一個しか実らない貴いものでした。その後、これに桃太郎の説話を加味したものといわれています。俗に「桃山」と呼ばれています。 所望は、桃が二つに割れ、その中から童子が生まれます www.otsu-matsuri.jp 大屋根の上の派手な飾りが目立っている。 飛竜(有翼の竜)であるという。 商店街の丸屋町から出る山である。 商店街のアーケードの中に飾られていると壮観。 ベテランらしい囃し方に可愛い子供た…
石橋山を見てから、道を東へ向かう。 滋賀銀行本店の近くだったか。 ほかの曳山がちらっと見えた。 大津祭見て歩きマップによると、孔明祈水山(こうめいきすいざん)かな? 蜀の諸葛孔明が、魏の曽操と戦ったとき、流れる水を見て「敵の大軍を押し流してください」と水神に祈り、大勝をした故事によります。 山は万延元年まで福聚山といいました。また俗に「祈水山」ともいいます。所望は孔明が扇を開いて水を招くと、水が湧き上がり、流れ落ちる仕掛けです。 www.otsu-matsuri.jp 提灯に「祈水山」とあるので正解。 囃し方も乗っている。 ほかの曳山が迫ってくる。 囃し方も観光客も興奮気味だ。 宵宮の試し引き…
10月の初旬に大津祭が開催される。 今年は久々に完全な形で行われた。 大津祭は、天孫神社の祭礼である。 江戸時代初め、鍛冶屋町の塩売治兵衛が狸の面をかぶって踊ったのが始まりとされる。 13基の曳山が出るが、その中でも西行桜狸山はくじとらずで先頭を行く。 俗に狸山といい、塩屋治兵衛の狸面の伝承を持ちますが、明暦2年に西行法師が桜の精(仙人)と問答を交わす熊を現した人形を用いるようになって、その名を西行桜狸山と改めました。狸は、屋上に載せられて、祭の先導ととも守護とも見られるようになり、祭日の天気を守ることになりました。これにちなんで、この山は毎年くじとらずで、先頭を巡行します。 www.otsu…
京都の山鉾町で行われた、去年の、祇園祭の前祭です。船鉾(ふねほこ)祇園祭山鉾連合会3年ぶりの開催だったので、いつもより笑顔の方が多いです。船鉾(ふねほこ)ホームページ前祭の巡行の最後を飾る山鉾です。神功皇后をめぐる説話によって鉾全体を船の型にし、舳
京都の山鉾町で行われた、去年の、祇園祭の前祭です。岩戸山 ホームページ岩戸山 祇園祭山鉾連合会天岩戸を開いて天照大神の出現される日本神話から取材している。山とはいえ室町時代狩野永徳の洛中洛外図屏風で見られる岩戸山にはすでに車輪が描かれており
京都の山鉾町で行われた、去年の、祇園祭の前祭です。放下鉾放下鉾鉾の名は真木のなかほどの「天王座」に放下僧の像を祀るのに由来する。鉾頭は日・月・星三光が下界を照らす形を示し、その型が洲浜に似ているので別名「すはま鉾」とも呼ばれる。かつては長刀鉾と同様「生稚
京都の山鉾町で行われた、去年の、祇園祭の前祭です。太子山前回の芦刈山、伯牙山の記事も、ご覧ください。聖徳太子を祀るのでこの名がある。聖徳太子が四天王寺建立にあたり、自ら山中に入って良材を求めたという所伝にもとづき、他の山がいずれも松を立てているのに対して
京都の山鉾町で行われた、去年の、祇園祭です。前回の菊水鉾の記事も、ご覧ください。祇園祭の宵々山まであと1週間となりましたが、体調が5か月も優れず、祇園祭に行きたかったのですが、一番楽しい宵々山、宵山、祇園祭の前祭が、3連休なので、観光客は去年よりも、もっと
京都の山鉾町で行われた、去年の、祇園祭です。前回の占出山の記事も、ご覧ください。今年の祇園祭は、開催が決定しています。7月1日から、7月31日まで、祇園祭の色んな行事がありますが、前祭山鉾巡行は、7月14日、後祭山鉾巡行は、7月24日にあります。菊水鉾(きくすいぼ
京都の山鉾町で行われた、祇園祭です。占出山(うらでやま)過去記事祇園祭 宵山 長刀鉾 22祇園祭 前祭 山鉾巡行 長刀鉾 速報 22祇園祭 後祭 山鉾巡行 鷹山 22祇園祭 宵山 孟宗山 長刀鉾 函谷鉾 鶏鉾 22祇園祭 宵山 菊水鉾 山伏山 22祇
京都の山鉾町で行われた、祇園祭です。鶏鉾(にわとりほこ)前回の、祇園祭 山鉾巡行 前祭 蟷螂山 山伏山 霰天神山の記事も、ご覧ください。鶏鉾木賊山(とくさやま)過去記事祇園祭 宵山 長刀鉾 22祇園祭 前祭 山鉾巡行 長刀鉾 速
京都の山鉾町で行われた、祇園祭です。山鉾、曳山の名称に、祇園祭山鉾連合会のサイトの、詳細をリンクしているので、そちらをご覧ください。祇園祭 山鉾巡行 前祭 月鉾も、ご覧ください。月鉾(つきほこ 公式ホームページ)蟷螂山(とうろうやま)蟷螂山は、「蟷
京都の山鉾町で行われた、祇園祭です。山鉾、曳山の名称に、祇園祭山鉾連合会のサイトの、詳細をリンクしているので、そちらをご覧ください。前回の、白楽天山 四条傘鉾 油天神山の記事も、ご覧ください。月鉾(つきほこ 公式ホームページ)今までは、宵山、宵々山
京都の山鉾町で行われた、祇園祭です。山鉾、曳山の名称に、祇園祭山鉾連合会のサイトの、詳細をリンクしているので、そちらをご覧ください。前回の孟宗山 保昌山 郭巨山 函谷鉾の記事も、ご覧ください。白楽天山(はくらくてんやま)学問成就・合格祈願の山白楽天山は、
おはようございます! 昨日から今朝、そして今も北朝鮮がミサイルを飛ばしています。 日本に落とす事はしなくて、アメリカにこれだけ飛ぶミサイル持ってるんやで! って言う練習と思うので大丈夫だとは思います。 万が一日本に落ちたら北は無くなるかもなので、そんなリスク冒してまで日本には落とさないですね。 っと、そんな話をかき消すほど、昨晩から始まった【唐津くんち】の宵山 各町で点灯式があるけど、わたし達は【二番曳山 青獅子】の点灯式を見て、場所移動。 いつもの場所で全曳山が通過する所を撮って出店回って酔っ払って帰りますw 今日はもうすぐ【御旅所神幸(おたびしょしんこう)】です。 砂地に重たい曳山が14体…
ついに… 来たっ!! 3年ぶり😭!! 長い事待たせやがってー!! くんちだ!くんちだ! ふぅ( ´ᐞ`)=3 すいません、取り乱しました⁽⁽ ( ˊᵕˋ ) ⁾⁾ 本日2日から4日まで、以前紹介した【唐津くんち】が始まります! 唐津くんち 曳山 ①赤獅子 - nasubonnobusanのブログ 今日の19:30に宵山で各町で点灯式があり、街を練り歩きます。 今のわたしの現場は[伊万里]で唐津から40〜50分の場所です。 早く帰らないと、大渋滞で帰って来れなくなります。 なので、現場は長くいても14時までであがります。 ソワソワワクワクが止まりません。 ずっと『お囃子』の音が耳で鳴ってますw …
唐津くんちの話も終わりましたが、当時の唐津くんちの曳山は15体ありました。 紺屋町の黒獅子です。 なぜ、なくなったのか原因は定かではなくて 火事になったとか、町が維持できなくなったとか…。 黒獅子カッコいーんですけどね。 復活して欲しいです。 本日は、先程奥さんに、台所に1箇所、リビングに2箇所の棚と、和室の押し入れに中段がなくてそのままタンスを入れてますが、中段を作ってほしいって言われたので今から作業場に加工しに行って来ます。 棚は加工って程ではなくて寸法通りに切って取り付けるだけ。 押入れの中段は加工が必要なので、ちょっと時間かかるかなー。 詳細はまた後日載せたいと思います。 ではまた👋
おはようございます☀ 今朝は四時に起きて次女の陸上の大会で、家から1時間ほどの場所、佐賀サンライズパークに来てます。 家族みんなで来てるから、長女も息子もまだ車で寝てますw 本日は、唐津くんち 14体の曳山の最後の紹介です。 唐津くんち 14番曳山 江川町 七宝丸 江川町(えがわまち) 内町の西北端に位置する名護屋門口は巡見道や通称太閤道と後に呼ばれるようになる名護屋道の起点となる出口で、ここからは南に向かうと平戸道、北に向かうと呼子道となる。 門口からすぐは坊主町の町筋で北側を上がって西続きの横町筋が江川町である。 江川町は組屋敷の町とも呼ばれ、当初は下級武士の居住区域であり、江戸期当初の正…
おはようございます☀ あっという間に月末に近づいて来ましたね。 明日は次女の今年最後の大会で、いつもより早起きです😅 頑張ってほしいですね。 今日は十三番曳山 水主町 鯱です。 水主町(かこまち) [主水]とはいわゆる水夫・船舶労働者のことで、水手とも書く。 水主町は寺沢氏領分の時代に御船宮わ設けて常備水軍の拠点として整備し、ふねぶく船奉行が支配する御手主水を集住させたのが町の起こりという。 寺沢氏改易の折に常備的な御手主水の編成が解かれ、日雇的な日高主水役が領内沿海漁村に賦課(ふか)されるようになり船奉行から代官所へ支配が移された。そのため町奉行支配の町方には属せず村方(郷方)に属した。 松…
おはようございます☀ めっちゃ寒い🥶 すぐにこたつ付けたw 今シーズン一番の冷え込みらしいです。 日中は晴れでかなりあったかいみたいですね☺️ 今日は 唐津くんち 十二番曳山 京町 珠取獅子です。 京町(きょうまち) 町田川に架かる大橋、札の辻橋を渡れば、札の辻惣門と呼ばれた門構えがあった。 現在の札の辻公園のあたりである。 この門口から西の横町筋が京町である。小笠原時代、天保頃の唐津藩大坂御蔵元として名が見えるのは「大根屋小兵衛」、「長崎屋平右衛門」であるが、京町には「御蔵元京町出張手代」と呼ばれた大根屋、長崎屋にあった。 また、京町には九州の豪商として大坂あたりにまで名の知られた日野屋、常…
おはようございます☂️ 今日は雨予報でしたが、今朝の予報では曇りになってる… 今の現場外壁貼ってるのでどっちつかずは困りますね。 本日は唐津くんち木綿町 九番曳山 武田信玄の兜です。 木綿町(きわたまち) 礼の辻から南北の縦町筋の東側が木綿町である。 鍛冶屋町とも言われ鍛治職に従事した家が五家もあった。 また、唐津領内の鍛治職の元締めである棟梁も木綿町に住んでたという。 藩の御用鍛治を務め、郡奉行から手鎖、十手などの用達をした牧原家もあった。 伝馬役や飛脚問屋の仕事をしたのが益田屋である。唐津神社に移されたが鳥居天満宮は元は木綿町にあったものである。 明治31年(1898)には、郡部の旧庄屋や…
おはようございます☀ 今日は夜遅くから雨予報で明日まで降るみたいです。 そのあと気温が下がるみたいで、体調管理追いつかない😅 今日は唐津くんち八番曳山 本町 金獅子です。 本町(ほんまち) 札の辻門口から入って、2本目の南北町筋が本町である。 築城当初からの町で、城下町の惣行司の順番や唐津17カ町の順番で第一番目の役割を担った町である。 商人と職人が半々の町で藩の御用米問屋、日田御用達などの商屋と屋根師棟梁、桶師棟梁、木挽棟梁、御用仕立屋があった。 本町の町年寄りを務めた楠田家は出雲大社の社人の足場となった[出雲宿]でもあった。 また楠田家は安政年中には藩の武具方役所で皮座を創設し、皮革の独占…
祇園祭 山鉾巡行 前祭 孟宗山 保昌山 郭巨山 函谷鉾 22
京都の山鉾町で行われた、祇園祭です。山鉾、曳山の名称に、祇園祭山鉾連合会のサイトの、詳細をリンクしているので、そちらをご覧ください。孟宗山(もうそうやま) (舁山 ひきやま)前回の長刀鉾の記事も、ご覧ください。保昌山 (ほうしょうやま)(舁山 ひき
おはようございます☀ 朝はこたつないと寒いですが、昼は暑い😵 気温差がやばいですね。。。 さて、今日は 七番曳山 新町 飛龍です。 新町(しんまち) 正保絵図には記載はないですが、大久保時代以降、新しい町として登場する。 所謂、唐津十二カ町に含まれない町で、その結果、惣行司や惣町の事務を処理する月番の役割はできなかったようである。 規模は37軒、176人とされている。 新町は大工職人が多かった町で、白井家、中島家などの幕末期の大工棟梁や御用大工も住んでいた。 かつて、北側角にあった恵比寿像は木村屋こと鶴田屋のもので弘化年中に作られ鶴田定吉の名がある。また、新町南端にあった稲荷神社のもとは[圧崎…
おはようございます☀ 昨日は現場まで行きましたが調子悪くて帰ってきてそのまま寝てました。 風邪でした🤧 今日は大丈夫なので行きます!! 本日は唐津くんちの五番曳山 魚屋町 【鯛】です。 魚屋町(うおやまち) 唐津街道の終着点。 礼の辻橋にいたる主往還端にある町が魚屋町である。 この町の屈指の旧家は木屋こと山内家である。 天正19年(1591)の名護屋城築城の際に、豊臣秀吉の命を受け材木運搬船の船頭として泉州堺から移り住んだ木屋利右衛門に遡る。 山内家は江戸時代を通じて栄え、東、中、裏、角、西の五家に分かれた。 寺沢時代の二十六聖人の護送の際に一泊したのもこの木屋の店舗と言われています。 文化年…
おはようございます☀ 昨日コタツを出したけど電気は入れてない話をしましたが今朝から入れましたw 少し風邪気味かも…。 今日は唐津くんち[呉服町]の四番曳山の紹介です。 呉服町(ごふくまち) 主従還で、城の大手門に直結する町筋で、南端は京町筋と紺屋町筋と交差し町田口に至る。 唐津町大年寄の筆頭石崎家はこの町の住人です。 文化年間の規模では34軒、158人とされています。 城下町造成当初からの町筋で呉服屋が軒を連ねるほどの繁華になることを期待して付けられた。 最初に兜型の曳山を作ったのが呉服町であるが、新興を警護する武者を擬えたものでしょう。 題材は江戸期の庶民に人気のあった九郎判官義経の兜であり…
おはようございます☁️ ホント寒くなってきましたね。 うちは昨日、こたつ出しました。 電気は入れませんが、下の敷物とこたつ布団だけであったかいです☺️ 今日は【材木町(ざいもくまち)】 三番曳山 亀と浦島太郎です。 材木町 外町街道筋の北側に位置する材木町は、材木、竹、木炭などの特権を持った町です。 川岸に接してる場所もあって、船大工や、船鍛冶の居住も見えます。 材木町では天保12年(1841)に三番曳山 【亀と浦島太郎】 が制作されています。 当初は[亀と宝珠]だったようで神祭後列図に描かれています。 海亀は海と関係して営みを持つ漁民や舟民にある妙見信仰と結びついて、海亀は亀の使いとして逸早…
おはようございます☁️ 11月2日から始まる、佐賀県唐津市のお祭り 【唐津くんち】 わたしは49年生きてきていろんな祭りを見ましたが、【唐津くんち】はほんとに熱く、素晴らしいお祭りです。 以前14体の曳山の名前紹介しましたが、その詳細はまだでしたので、今日から紹介(一部抜粋、切り抜き)していきたいと思います。 今日は 【唐津くんち】とは何ぞや?🤔 って事でご紹介。 唐津くんち(からつくんち)は、佐賀県唐津市にある唐津神社の秋季例大祭です。また、平成27年にユネスコ無形文化遺産にも登録された。唐津市で、唯一祭りといえる祭りです。 乾漆で製作された巨大な曳山(ひきやま)が、笛・太鼓・鐘(かね)の囃…