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清水八幡宮(清水冠者源義高終焉の地)探訪記
朝日(旭)将軍と呼ばれた木曽(源)義仲の嫡子、清水冠者(しみずかじゃ)源義高は、義仲と対立する鎌倉の頼朝の元に「頼朝の長女・大姫(おおひめ)の婿」という名目で、質子(ちし:人質)として送られた。しかし、木曽義仲が頼朝が派遣した源範頼・義経軍に粟津の戦いで戦死すると、僅か12歳だった義高も、頼朝の指示で殺害された。可哀想な、義高ちゃん・・・歴史好きなら誰もが知る話ですが、清水冠者源義高の悲話に纏わる史...
#本富士見橋
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武蔵と相模の史蹟探訪記