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病院のお粥に慣れて、最初の一口さえ口に入ればある程度の量食べられるね、となった頃、今日は病院のお昼ご飯のメニューがカレーなので、お粥にカレーをかけて食べてみましょうとSTの先生が小学生用の「ミキサー食」を持ってきてくれました。カレーは、具材をミキサーにかけて滑らかにした上でむせないようにとろみがつけてあり、小学生用だからそんなに辛くはないとのことでした。 これをお粥にかけて慶の口に入れてみると、慶はカレーを口に入れたまま大笑いし始めました。イヒヒヒヒ!ウヒヒヒヒヒ!と笑って笑って、ヒーヒーしています。ものを口に入れたままそんなに笑ったらむせちゃうよーと出させようとしたら、出すのが嫌だったらしく…
哺乳瓶のミルクしか受け付けなかった慶に、とろみをつけたミルクを飲ませ、それをスプーンで食べさせて…と訓練を進め、とろみをつけたミルクをお皿にあけて、お皿からスプーンで食べさせられるところまでたどり着きました。 私はもう感激で、ここまでできれば退院してもいいんじゃないの!?と思いましたが、STの先生は、いやいやこんなもんじゃない、慶くんはもっとできるはず!と言うのでミルク以外の食事にステップアップすることになりました。 まずは、とろみミルクと並行して、病院のなめらかなお粥を食べさせることにしましたが、味がないと食べないだろうから私が適当に味付けするようにと先生から指令が出て、お醤油や、ふりかけの…
慶はリハビリ病院に入院中、 ST(言語療法)、OT(作業療法)、PT(歩行訓練)を受けさせてもらって、それぞれの先生に馴染んでいきました。PTは先生が全力で遊んでくれるので、先生に会うと期待に目を輝かせて、抱っこしてー!という感じで近づいていきます。STは、スプーンの練習の時に顔を押さえられるので、この人の言うことは聞かなきゃダメらしいとわかってきたようでした。 OTは先生のことが大好きなようで、「自分、普段こういうのはやらないんですけど、先生がやれとおっしゃるならやるっす、よろこんで!」って感じで私も初めて見るような熱心さで訓練に取り組みました。 いつもわからないフリしてるだけで、言葉通じて…
慶の摂食障害で入院した時は、私は毎日家に帰れるつもりでいたものが、慶の自傷が酷く、急に私も付き添い入院することになって、自分の物は着替えとスマホ、現金少々を用意するのが精一杯でした。 病院での私の生活の場は、慶のベッドの隣に置かれた折り畳み簡易ベッドで、食事は地下の職員や外来者向けの食堂と院内の売店で売っているもの。入浴は週2日付き添いが浴室を使って良い時間があったので、その時にシャワーを浴び、そうやっていいよと担当看護師さんが教えてくれたので、歯磨き用の流しの蛇口の下に頭を突っ込んで毎日洗髪((流しに髪の毛が残ると気持ち悪いので拾って捨てていました)消灯後カーテンを閉めて体拭きシートで身体を…
慶が入院した当日の夜だと思いますが、 消灯後慶が寝てくれずにゴソゴソしていると、看護師さんが来て、他のお子さんの迷惑になるから、ちょっと部屋を出ましょうかと、慶のいるベッドを部屋の入り口付近の廊下に転がして行きました。 そこには既に「ママー」と泣いているお子さんがいて、ああ、ここは寝ない子の定位置なのかと、私も慶のそばに座っていました。 慶はまだ眠くないだけなのでおもちゃをいじったり指をしゃぶったりしておとなしくしていました。 移動してから30分も経たないうちに慶の担当看護師さんが来て、ナースステーションで見ますから、お母さん寝てください、とパーっと慶のベッドを転がして行ってしまいました。 慶…
入院中の病室はもちろん大部屋で、同室のお子さんたちがいました。 ポータブルDVDの持ち込みOKでしたので、お気に入りのアンパンマン映画を厳選して持ち込み、自由時間に小さな音でかけていました。同室のお子さんにはDSを持って来て遊んでいる子もいました。 食事はきちんと着替えて自分で入院患者用の食堂まで行って食べます。 小児科の子供達も成人の患者さんもここでご飯を食べるので、仲良くなっている方々もいました。 入院初日には慶の分の小学生用普通食が出てきてしまって、看護師さんにうちの子摂食障害で入院したから食べられないんですよーと言ったらまあ!連絡が行き届いてなくてごめんなさいねーもったいないからお母さ…
哺乳瓶のミルクでしか栄養も水分も摂取できない慶のために、ST(言語聴覚士)の先生が考えてくれた秘策は、「ミルクにとろみをつける」でした。 この課題は難なくクリアできて、次の課題が出ます。 今度は「哺乳瓶の飲み口を変えてみる」でした。 いつもの哺乳瓶の飲み口をこの「マグマグ」用の白いのに変えてみようということです。 これは以前自宅でも、マグマグでミルクを飲むところまではできたことがありましたが、哺乳瓶よりも受け入れが悪く、ゆっくり慣らさないと常用できなそうでしたので、継続的に練習はさせませんでした。 慶の執着がマグマグに移って結局ミルクしか飲まないのでは問題の根本的な解決にならないし、マグマグの…
小学校に入学した時、慶は哺乳瓶のミルクでしか栄養も水分も摂取できませんでした。これは解決しなくてはいけない大変な問題でしたが、面倒を見る立場からすると食事を調理したり食べるのを介助する必要がなく、手間のかからない状態でした。 それが、リハビリ病院に入院してミキサー食を食べられるようになったので、私が毎日ミキサー食を作って給食の時間に持って行き、支援級の教室で食べさせるようになりました。これに慣れてくると、支援級の担任の先生から、お母さんも毎日大変だろうから、ミキサー食はレトルトの介護食にして、先生が食事の介助をしたい、合わせて当日の給食にシチューやゼリーなど慶が食べられそうなものがあったら、先…
慶はこの年の4月に市立小学校に入学したばかりでしたが、夏休み中最低でも1カ月は入院するということで、病院内に院内学級を持つ、県立養護学校に転入することになりました。 退院したらもちろん元の市立小学校に戻るのですが、この手続きを支援学級の担任の先生に頼んだら、「え…寂しいです。いやです。」とか言って泣きベソかいちゃうのでびっくりしました。普通、よく決心しましたねとか、がんばって下さいとか言うところだと思うんですが、この先生は、本当に支援級の子供達のことが好きで好きで、これが嘘いつわりのない気持ちでして…。実際、このあと2カ月に渡った入院期間中、山の中の何もない所まで週1回以上のペースで慶に会いに…
リハビリ病院は、本来慶のような先天性の障害は受け入れていないので、慶は摂食障害克服のためのST(言語療法)以外は受けられないはずなのですが、 小児科の先生がオーダーしてくれたようで、歩行訓練と作業療法、心理の時間が割り振られました。朝、看護師さんが「歌間さんは今日10時からPT(歩行訓練)、13時からOT(作業療法)でーす」という風に教えてくれるのでその時間に訓練室に行きます。 本当は要らないんだけど、対象外なんだけどーと言われつつ訓練や相談のオーダーが入っていて、一度受けると次から本来の対象者と同じようにルーティンに組み込まれるのは病院あるあるです。 特にPTは、歩ける子は対象外なので、二重…
リハビリ病院に親子で入院し、ST(言語聴覚士)の先生の元、離乳食を食べる練習をします。 決まった哺乳瓶から決まったものを飲むだけで他のものは受け付けない慶に、最初に課された訓練は、哺乳瓶はそのままで、中身のエンシュアリキッドにとろみをつけることでした。 入院中、飲み慣れたエンシュアリキッドを処方してもらえたので、まずこれを慶に良く見せながら哺乳瓶に入れ、その後コッソリとろみ剤を入れてトロトロにしました。 これを慶に手渡すと、シメシメ。飲みます。 哺乳瓶にとろみのあるものを入れたら吸うのが大変じゃないかと思いましたが、もう小学校1年生だった上に哺乳瓶歴の長い慶は難なく中身を飲むことができました。…
リハビリ病院に入院して、まずSTの先生に慶の哺乳瓶への執着とスプーン拒否について説明した後、STさんと訓練を始める前に、歯医者さんにも確認しておいてもらいましょうということで、院内の歯医者さんにも一度診てもらいました。 慶のように「お口あーん」が通じない子を診察する時は こういう風に網で台に固定して開口器などを使います。歯科治療の時はこれでしていますが、摂食相談ではミルクを飲んでいる様子を見せるだけでした。 この時は入院して今まで食べてこなかった食べ物を食べさせようという訓練だからか、歯医者さんがきっちり口の中を確認しました。 ※写真は、慶が小さい頃、遠くの障害者歯科に通う理由がイマイチわから…
慶が、小学生になっても、哺乳瓶からしか栄養も水分も摂れなかったので、リハビリ病院に入院させてもらって、離乳に向けての特訓をすることになりました。ここで特訓を指導してくれたのはST(言語聴覚士)の先生です。STは口の使い方全般に関わりますから、摂食についても守備範囲ですが、慶はまだ言葉が出ないので、STさんとは言語療法や聴力検査でしか関わったことがありませんでした。 この時慶は決まったブランドの哺乳瓶と飲み口に入った白っぽい飲み物しか口にしないという状態で、 いつもの哺乳瓶で水や果汁を飲ませようとしても、 いつもと違う物でいつものミルクを飲ませようとしても、 どちらも拒否していました。 この哺乳…
リハビリ病院に入院予約をした時は、夏休み中にリハビリしたい子が多いから、慶の順番が回って来るのは9月か10月になりそうと言われていたので、入院が決まったといってもまだまだ先、と思っていましたのですが、(リハビリ病院初受診は6月)8月のお盆あたりにキャンセルが出たから入れますよ、と電話が来て、急遽入院することになりました。 病棟の先生と顔合わせの時に、こちらはリハビリ病院なので数ヶ月単位で入院するのが普通だけど、慶は特殊な訓練だから1ヶ月の予定で入院して、必要なら入院期間を延ばしてはどうかと提案され、そうすることにします。 そして慶を病室のベッドに乗せてみたら、病院が嫌いな慶はガンガン頭を打ち始…
もやもや病から脳梗塞を起こし、脳の血流改善のためにバイパス手術を受けるまでは、手足が痺れることも多く、すぐ眠くなってしまって、自分でも頭の血の巡りが悪いのがわかりました。それでも夫は不在が多く、夜は私とカナメと慶の3人で家にいました。寝室は2階で、私とカナメはここで眠り、慶は1階のリビングを1人で独占し、眠くなったら、床に敷いた柔らかいマットや1人用のトランポリンの上で眠ります。 いつもならカナメが寝付くまで一緒に寝室にいて、一度慶の様子を見にリビングに降りて、おむつを替えたりミルクをあげたりした後、「おやすみチェック」といって、台所のゲートよし、洗面所のドアよし、トイレよし、玄関ゲートよし!…
夜中、子供が寝ているうちにお風呂に入ろうとすると、慶に察知されることがあります。 一緒に入るのでなければ 洗面所のドアのこんな鍵を掛けて、 慶には気付かないふり。 ゆっくり湯船に浸かってスマホをポチポチしていると うわぁ!!!バレたかぁ! 我が家は至る所に鍵やゲートがあります。 まず、いつも慶がいるリビングから、台所に入れないように夫が鉄柵を作って取り付けました。これは、家の構造上、市販のベビーゲートがつけられず、 夫が木製のゲートを作ろうとしたものの、「木工は苦手」と放棄、鉄なら任せとけ、とえらく物々しい柵を作ってきたので使っています。 お風呂場に通じる洗面所には最初に載せた鍵。 玄関と階段…
市立小学校の支援級では、「交流級」というものが決められて、各々授業を受けに行ったり、給食を食べに行ったりします。慶くんはどのくらい交流したいですか?と入学時に聞かれたので、授業や給食に参加させてほかのお子さんに迷惑をかけるなんてとんでもない、ずっと支援級に置いてもらえるのが一番いいけれど、決まりでどうしても交流するなら、音楽や体育の時に隅っこに座らせておいて下さいとお願いしました。 くれぐれもよそのお子さんに慶の世話をさせて、ヨダレをつけてしまったりしないようにともお願いしました。 抱っこで通える学校に入学できただけでも望外の喜びでしたので、よそのお子さんの邪魔になったり嫌われたりしないように…
慶が入学する頃、私の住んでいる市では、市立小学校の支援級がかなり充実していて、看護師常駐の学校もあり、知的障害の重い子の受け入れもしていました。 市の教育委員会はインクルーシブ教育の推進を強調していましたが、特別支援学校(養護学校)が満杯で受け入れの余裕がなかったという事情もあったと思います。 慶を入学させた学校は、ちょうど新校舎を建てたばかりで、支援級の教室は、トイレ、シャワー(!)、水道、洗濯機が教室内に完備されていて、掃き出し窓から外にも出られるようになっていました。 設備ばかりでなく先生方も素晴らしく、担任の先生は、もはや親の私より慶を可愛がってくれているのではないかというくらい手間を…
慶は療育手帳A1(最重度の知的障害)です。身体障害の手帳は持っていませんが、歩き始めたのは4歳の時で歩行は不安定、階段も昇れません。おまけに哺乳瓶からミルク状のものしか飲まず、食事は一切拒否です。小学校は当然養護学校(今時は特別支援学校と言うところが多い)に行かせようと思っていました。ところが、小学校入学の前年度、養護学校に見学に行くと、かなり条件が悪い… 慶が入るとすれば、知的障害児用の学校しかありませんが、古い上に知的障害はあっても身体は健康な子を受け入れるつもりで作ったらしく、エレベーターは無いし、食事は食堂で普通食のみ。スクールバスも既に希望者多数、遠い子は90分程乗車することになるが…
赤ちゃんに同じビデオをエンドレスで見せていると自閉症になる???
慶が赤ちゃんの頃には小児科や健診の会場に「DVDに子育てさせていませんか?同じDVDを何時間も見せていると赤ちゃんが自閉症になりますよ」みたいな小児科学会のポスターが貼ってありましたが、今もあるのかな? 専門的な事はわかりませんが、我が家でダウン症児と健常児を育てた経験だと 普通の子は同じDVDを何時間も見せようとしても、飽きちゃって見ませんね… DVD以外おもちゃが何もなくても、自分の手足や洋服の紐などそこら辺のものを使って他のことをし始めます。こういう明らかに飽きて他の遊びをしている時に遊んでやりも話しかけもせずにDVDを見せ続けるような育て方をすれば、そりゃ悪影響が出るでしょうが、それは…
夫婦で悩んだ末産んだ第二子は女の子でした。カナメといいます。 慶がとにかく静かな子だったので、カナメの産声を聞いた時には夫婦揃って「なんじゃこれ、うるさい」と驚いてしまいました。 この子のこともまた書くかと思いますが、とにかく子供らしい子供で子育ての醍醐味を存分に経験させてもらいました。元気に育ち今は小学校高学年で、家族と家族をつなぐ扇の要になっています。
私達夫婦は結婚当初から子供は2人欲しいと話し合っていました。その第一子が慶です。ダウン症なのは確定で、心肺の病気は手術で治ったものの身体が弱そうというのはわかりました。ただ、知能の方はどの程度になるか育ってみなければわからず、下の子が健常だったとしても慶の世話に振り回されるようになるのもかわいそうだし、とりあえず慶が歩くようになって様子を見てから考えた方が良いかな、と私は思っていました。 ところが、普段あまり自分の意見を主張しない夫が、この時ばかりは、「慶がダウン症なんだし、親の年齢が上がったらもっと病気の確率が上がるだろ?産むつもりなら早く作らないとダメだ。」とはっきりきっぱり言いました。「…
心臓の手術から1年経って、術後の様子を見る為にカテーテル検査を受け、肺高血圧も良くなっているとのことで、酸素療法が終わりました。当時慶は下半身はペタッと床につけて手の力で這う「あざらし這い」をしていましたので、酸素のチューブが邪魔で邪魔で仕方なく、取れることになってホッとしました。それまでは抱っこも嫌いで人に甘える様子を見せない慶でしたが、このころには、私の腹の上にうつ伏せに乗りたがるようになりました。おそらく、うつ伏せの体勢が好きだから、下に肉布団を敷きたかったのだと思います。私の後追いもしていましたし、離乳食も生後6カ月の頃から始めていて、普通の子よりかなり遅いながらも着実に成長していまし…
私は慶を産む前、ダウン症というと皆同じような風貌になるのだと思っていました。慶がダウン症だとわかり、この子もあの独特の風貌になるのかなあと思って落ち込んでいた時、助産師さんがふと「慶くんって、お母さん似かと思っていたけど、お父さんにも似てるのね。今日初めてお父さんにお会いしたから」と声をかけてくれました。このころは赤ちゃんを見慣れていない者の目にはお相撲さんにしか見えない顔立ちでしたが、ダウン症の顔ではなく、お父さん似、お母さん似、と言ってもらってとても嬉しくなりました。この助産師さんには赤ちゃん体操も教えていただいて、マタニティーブループラス子供の障害で完全に参っていた時期、本当に救われまし…
このあと書いていこうと思いますが、慶は、離乳食を受け付けず、ずーっとミルクを飲んで生きていました。普通は大人と同じものを食べる年齢になっても、0歳から使っている母乳実感」の哺乳瓶からしか栄養も水分も摂れません。哺乳瓶の中身も白いミルクでなければ見た瞬間に放り投げてしまいます。こういうこだわりから、自閉症が強く疑われるわけですが、それはまた別の機会に書くとして、 その相談の為摂食相談をしている歯医者さんとお話ししたら、「私の師匠は、この子たちは心が真っ白だから白いものが好きなんだと言ってましたよー」と言われたことがあります。障害者に多く接する仕事をしていると、きれいごとだけでは済まない部分もたく…
慶を産んだ後、慶の血液や合併症の検査が終わるまで、私も大学病院病院の産科にそのまま入院していました。慶がダウン症だとわかってから退院する時に、ある助産師さんがダウン症児専門の赤ちゃん体操をしているところがあるよ、と ホームページをプリントアウトしたものを下さいました。 この大学病院の小児科にいたお医者さんと看護師さんが立ち上げたところで、理学療法士の人が来て、体操やマッサージを教えてくれるというので、行ってみました。内容は、今もamazonで買える『ダウン症児の赤ちゃん体操』を実地で教えてもらえる感じでしたが、慶は弱々しくて本を読んでの独学では実施不能だったので、これは通って良かったです。目標…
慶のように心臓の壁に穴が開いている状態で呼吸が苦しいからと酸素を使うと、かえって命を縮めることがあるのだそうです。昔はそれがわかっていなかったので酸素を使ってしまっていたけれど、今は治療法が確立して、手術後なら酸素をどんどん使えるから元気になりますよ!と手術をした外科部長さんが教えてくれました。そこで、手術の傷が癒えて家に帰ってからも酸素を使えるように機器を借りなくてはいけません。私達の時には、電動の酸素生成機か、大きな酸素のタンクを家に置いて、外出する時はそこから小さなタンクに酸素を詰め替えてリュックで背負うタイプのものが選べました。我が家ではタンクを置く方を選びましたが、何にしても鼻の近く…
ダウン症の子は心臓の病気を持っていることが多く慶も心房中隔欠損・心室中隔欠損・肺高血圧という病気を抱えていました。心臓の各部屋を隔てる壁に穴が開いていて、穴を閉じないとずっと呼吸が苦しいままになってしまうので、穴を閉じる手術を受けることになっていました。手術前に細気管支炎で入院することになり、手術を受けられるかどうか心配しましたが、幸いそちらは回復して、術前の心臓カテーテル検査なども滞りなく受けることができました。 手術前に、外科の部長さんから「私が経験した中でも10本の指に入るくらい肺高血圧の状態が悪い。手術後肺が大出血することもあるから、手術終わった当日の夜、ご両親は病院に泊まり込んで下さ…
私の風邪がうつってぐったりとしてしまった慶。入院することになり、病棟に移動すると、慶のベッドの周りにたくさんお医者さんが来て、「お母さんは少し待っていて下さい」と部屋を出されます。一般病棟ではとても無理なので、 ICUに入院してもらいます、と ICUに移動して少し落ち着いてから、「細気管支炎」で呼吸が苦しい状態、原因の菌やウィルスは知られているものは皆調べてみたけれどわかりませんでしたと教えてもらいました。 小児科の ICUは「PICU」という部屋で、面会できるのは両親のみ、祖父母などは廊下の窓から覗いて様子を見られるだけでした。
慶の心臓の手術のスケジュールが決まった頃、私が風邪をひいてしまいました。38度台の熱が続きましたが、熱には強いのであまり気にせず発熱3日目くらいに近所の耳鼻科で薬をもらうも、長引いて血液検査や点滴をするまでになってしまいました。私は点滴を2回ほどしたところで良くなってきたのですが、このタチの悪い風邪を慶にうつしてしまったようで、慶の鼻づまりがひどくなりました。目立った症状は鼻詰まりだけなので、私が通っていた耳鼻科に連れて行って鼻水を吸ってもらったりネブライザーをし、薬をもらってきました。耳鼻科なので聴診器は当てなかったと思います。 その晩、だんだん慶の呼吸が辛く苦しげになってきます。夫は仕事が…
慶が生まれたばかりの頃に指摘された心臓の小さな穴は経過観察になっていましたが、待っていても自然に塞がる可能性は低いとのことで、手術が決定しました。心臓から肺に行って酸素をもらってきた血液が、心臓の穴から未処理の血液と混ざってしまい、また肺に送られ…肺の負担が大きくなっていたそうです。病名としては、「心房中隔欠損症」「心室中隔欠損症」「肺高血圧」で、生後5ヶ月で手術する予定で術前検査など準備を進めました。
慶が21トリソミーのダウン症であることが確定してからは、合併症確認のため、検査、検査、検査、でした。中でも印象深かったのはレントゲン撮影です。台の上に寝かせて頭と手を動かないように拘束、さらにネットで身体を台に固定して、台を立てて撮るのです。磔みたいになってしまってかわいそうな感じなのですが、動かないように固定しても寝たまま撮ることはできないらしく、赤ちゃんの頃はずっとこの撮り方でした。 眼科の検査もかわいそうで、クリップでまぶたを固定して目を瞑らないようにしてから目薬をさすのですが、流石の慶もこれには大泣きで、目薬が流れてしまいます。結局、お医者さんが目視で白内障や緑内障を調べるだけで視力は…
出産から9日目、小児科の先生から血液検査その他の結果の説明がありました。 21番染色体が3本ある21トリソミーで、ざっと調べてわかった合併症は心臓に小さな穴があること、片耳が難聴、手の指先に欠損があることでした。心臓の穴は成長と共に自然に塞がることもあるので様子をみましょうという話でした。 私の乏しい経験の中では、ダウン症の方は陽気で人懐こく元気なイメージがあったので、慶がダウン症だというのには驚きました。何かもっと聞いたこともないような病気を言われるような気がしていたのです。 もう一つ驚いたのはお医者さんがダウン症のお子さんや患者さんのことを言う時に「ダウンちゃん」と呼ぶことです。私も夫も身…
出産時、明らかに元気がなかった慶は、すぐに小児科に行って診てもらったようです。その日のうちに小児科の先生から内臓に異常がないか、採血をして遺伝子や染色体の検査をして調べて良いか?と話され、血糖値が低いから母乳よりもミルクを与えるように指示がありました。しかしそのミルクもたった5ccが飲みきれずに途中で眠ってしまいます。必要量飲みきれない時は助産師さんを呼んで手伝ってもらわなくてはいけませんでした。 慶はお腹が空いたとかおむつが汚れたとかで泣くことは全くなく、放っておくと何時間でも寝てしまいます。その上「息をするのが上手じゃなくて、うつ伏せ寝させてあげた方が楽そう」と言われてうつ伏せにしていたの…
慶が生まれたのは2008年の春のことです。 私は妊娠高血圧だったので、大学病院で出産予定でした。 木曜日に出産しようと主治医に言われて、ボチボチ入院の準備をしていた日曜日の夜中、陣痛が来て、血圧が190を超えるまで上がってしまいバタバタと出産することになりました。 痛みが強いと血圧が上がるので、麻酔を使ういわゆる無痛分娩でしたが、それでも分娩中に血圧は210まで上がり、赤ちゃんの心音も弱ってしまいました。 「この一回で出すしかないからしっかりいきんで!」と助産師さんに言われ、はいと答えてうーんと唸ってはみたものの、麻酔で下半身の感覚は全くなく、お腹から出ようとしている赤ちゃんをアシストできてい…
我が家はベッドタウンの住宅街にあります。 おそらくここの一画は40年余り前に分譲されたのではないかと思います。 その頃から住んでいそうなお家と、新築で若い世代が入ってきたお家があります。私達夫婦は新婚でここに越して来て、その後慶とカナメが生まれたので、うちより先に住んでいたご近所さんは、うちの子供達をお腹にいる時から知っていて、いつも気にかけてくれます。引っ越して来た当時はご近所付き合いが濃密な上、自分達より20歳かそれ以上年上かな?という方が多くて、ちょっと気を使うなあと思っていました。 ある冬のこと、夫の父が癌で入院していて、少し心配な容態だった時に大雪が降ってしまいました。何かあった場合…
ꕤ ご訪問ありがとうございます ꕤ特別支援学校 中学3年生の娘の日々の事や闘病の記録をメインにつづっています。時々、母の趣味ネタも登場(ˊ˘ˋ* )♡ 初め…
こんばんはー!(`・∀・´)ゞご訪問ありがとうございます! ❥︎:❥︎ ブログのご紹介 ❥︎:❥︎ 特別支援学校 中学3年生の娘の日々の事や闘病の記録をメイ…
こんばんは(⌒∇⌒)ご訪問ありがとうございます♪ ❥︎:❥︎ ブログのご紹介 ❥︎:❥︎ 特別支援学校 中学3年生の娘の日々の事や闘病の記録をメインにつづっ…
(*´・ω・)ノこんばんわぁ今日もご訪問ありがとうございます♪ ⸜❤︎⸝ ブログのご紹介 ⸜❤︎⸝特別支援学校 中学3年生の娘の日々の事や闘病の記録をメインに…