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今年3月、春の青春18切符を使って、福井まで行って来ました。私にとって初めての越前の旅で、朝からドキドキ!始発の東海道線で名古屋まで行き、特急しらさぎに乗り換え。ホームには、撮り鉄の皆さんが今か今かと待ち構えていました。指定席は完売だったそうで、自由席には長蛇の列が!幸い名古屋が始発だったため、運良く座れました。ここで座れないと、3時間立ちっぱなしということがあるそうです(^_^;無事JR武生駅に到着。4時間...
【光る君へ】#21 感涙の「春はあけぼの」誕生、まひろ&道長は再逢瀬からの新たな道へ
NHK大河ドラマ「光る君へ」第21回「旅立ち」が5/26に放送された。まず公式サイトから、あらすじを引用する。 (21)旅立ち 初回放送日:2024年5月26日 定子(高畑充希)が髪をおろしたことは内裏に広まり、一条天皇(塩野瑛久)はショックを受ける。任地に赴くことを拒み逃亡する伊周(三浦翔平)を実資(秋山竜次)らが捜索し、やがて発見するが…。定子を守ることができず落胆するききょう(ファーストサマーウイカ)を励ましたいまひろ(吉高由里子)は、中宮のために何かを書いてはどうかとアドバイスする。越前へ旅立つ日が近づき、まひろは道長(柄本佑)に文を送り…((21)旅立ち - 大河ドラマ「光る君へ」 …
気比の松原から神明社へ。神明社の付近では、渤海との貿易によってもたらされたとのではないかと思われる青磁器片が出土していることから、神明社から永建寺にかけての辺りに、松原客館があったのではないかとも推測されています。当社はもともと近隣島郷十一ヶ村の惣神であり寛文年間(1667)西今浜村に創立、明治七年東今浜村の島明神を合祀神明社と改称。明治九年村社に列せられ、更に明治四十三年鋳物師村の村社及び松中村の無格...
松原客館(まつばらきゃっかん)は、平安時代前期の9世紀頃に、渤海の使節団(渤海使)を迎えるために越前国に設置されたと考えられる迎賓・宿泊施設。使節団が上京するまでの間、一時的にとどめ置かれ、食料や衣服などが支給されていたとみられています。松原客館の場所は、福井県敦賀市の気比神宮付近や来迎寺・永建寺付近一帯(現在の松島町付近)、西福寺、櫛川遺跡など7カ所が推定されていますが、存在した時期や場所など謎が...
琵琶湖に浮かぶ朱塗りの大鳥居の光景から、近江の厳島の異名を持つ滋賀県高島市鵜川の白鬚神社。「白鬚さん」、「明神さん」の名で広く親しまれ、延命長寿・長生きの神様として知られ、また、縁結び・子授け・開運招福・学業成就・交通安全・航海安全など、人の世のすべての「導きの神」でもあります。祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)国道を挟んだ向かいに社殿があります。社伝では、垂仁天皇(第11代)25年に倭姫命によって...
「枕草子」誕生の描写!?大河ドラマ「光る君へ」・第21回の感想!
大河史上初の時代を描いているだけに、出てくる歴史上の描写は全て初という「光る君へ」・・・・。 今回はなんと、清少納言が綴った「枕草子」が執筆されるシーンが出ていました(^^;)。 まさに、大河ドラマならではの、歴史上の出来事の描写・・・・・(^^;)。 ドラマでは、一条天...
「出家致します」・・・毅然とした定子サンの姿と実頼サンを責めない主上とその後の慟哭。いいねえ。 宣孝サンとのサシの場面が増えて,しかもビミョーに息が合ってるのは,伏線ですね。大仰な「大きに御無礼仕った」,からの〜深読み・・・こーゆーのは,為時パパではできない(でもそこがイイ)もんね〜。宣孝サンの「悪い顔」演技も,イイネ♪ で,見れば,パパの無官の年月が長過ぎてお家も結構荒れてきましたね〜。美術さん,細かい...
京阪電鉄/京津線「大谷」下車 徒歩3分のところにある「逢坂の関」は、逢坂山にあった関所で、東海道、東山道の京都への入り口にあたる要所として知られています。また、平安時代から蝉丸法師や清少納言など多くの歌人がこの関を歌った歌枕の地としても有名です。天禄元年(970年)には藤原道綱母が逢坂越を通った際に休息した事が『蜻蛉日記』に記されています。「逢坂」の地名を契機として別離や邂逅の感懐が詠まれることが多いが...
【光る君へ】宇治大河ドラマ館&びわ湖大津大河ドラマ館レポ。平等院・宇治神社・石山寺も(写真多め)
この記事では、2024年4月に宇治大河ドラマ館とびわこ大津大河ドラマ館、京都・宇治の名所と大津・石山寺に行った際の模様を写真多めでお届けします。宇治大河ドラマ館、びわこ大河ドラマ館はどこ?行き方は?大河ドラマ館のみどころと、紫式部と源氏物語ゆかりの地について全力でご紹介していきます。
【光る君へ】第16話”華の影”ネタバレあらすじと感想。再放送はどこで見れる?
2024年大河ドラマ『光る君へ』第16話「華の影」。都に疫病が流行し、一条天皇を取り巻く道綱一族の栄華にも影が差してきます。思わぬ形でまひろと道長が再会し、道長が持ち続けているまひろへの気持ちを再確認した16話でした。清少納言『枕草子』に記された「香炉峰の雪」のシーンもあり、美しい映像にため息が出ました。
【簡単】TSUTAYA DISCAS(ツタヤディスカス)の解約方法。注意点とコツもご紹介。
宅配レンタルサービス「TSUTAYA DISCAS(ツタヤディスカス)」の解約方法について解説します。DVD現物の返却のタイミングなど注意するポイントや解約のコツがいくつかあります。また、スマホやデバイスがなくても解約できる方法もご紹介します。
【光る君へ】第17話”うつろい”ネタバレあらすじと感想。再放送はどこで見れる?道隆の最期。
2024年大河ドラマ『光る君へ』第17話のタイトルは”うつろい”。「日なたの道」を歩んできた道隆が最期を迎え、熾烈な後継者争いが繰り返されていきます。道長とまひろの縁がまた交差し始めて、進むべき道が分からず悩んでいたまひろの心に「筆をとらずにはいられない」という気持ちが沸いてきます。
【光る君へ】第21話”旅立ち”再放送は?どこで見れる?ネタバレあらすじと感想。清少納言『枕草子』の誕生!
2024年大河ドラマ『光る君へ』第21話のタイトルは”旅立ち”。 定子の辛さと悲しさ、清少納言が定子を思って書き始めた『枕草子』の場面が秀悦でした。伊周が大宰府に旅立って道長の地位は不動のものになっていきます。そして道長のダークな面が少し垣間見える部分もありました。父・為時と共にまひろも越前に旅立ちました。22話からは越前に舞台を変えてまひろの新たな世界が広がっていきます。
奈良の長谷寺、玉鬘神社を参拝した後、玉鬘神社の向かい側にある素戔嗚神社を訪ねてみました。社伝によると天暦年間(947~957年)に與喜山に菅原道真を祀った際、與喜山は天照大神が降臨した地なので、弟神の素戔雄の霊も鎮めなければならないとのことで、この地に社殿をかまえたと言われています。その後、祇園信仰の高まりから明治維新までは宮寺を置き、牛頭天王を祀り、「ごってらさん」の俗称で呼ばれ親しまれていました。境...
サブタイトルは「旅立ち」。今回も情報が多かったですが、なにはさておき「枕草子」 爆 誕 !!につきましたねっ「枕草子は、中宮を慰めるために書かれた」的なナレーションがもうね、たまらんです。どうにも途中..
京都市伏見区に鎮座する伏見稲荷大社は、全国に約3万社ある稲荷神社の総本宮で、お稲荷さんと親しまれ、商売繁昌・家内安全のご利益があるとされ、一年を通してたくさんの参拝者で賑わいます。その歴史は平安遷都よりも古く、和銅4年(711)、秦中家忌寸(はたのなかつやのいみき)の遠祖秦公伊呂具(はたのきみいろぐ)が初めて社を創建したと伝わります。《山城国風土記》逸文によると伊呂具は富裕で,ある時,餅を的として弓を射...
【光る君へ】第18話”岐路”ネタバレあらすじと感想。再放送、イッキ見はどこで見れる?七日関白・道兼の最期。
まひろの母・ちはやを殺め、円融天皇に毒を盛り、花山天皇を出家に追い込むという「汚れ役・悪役」で終わると思われた道兼が、弟の道長に救われ、たった7日間の「七日関白」ながら一矢報いた最期の時を過ごすことができました。
【光る君へ】第19話”放たれた矢”ネタバレあらすじと感想。再放送はどこで見れる?右大臣就任「第二期道長」の誕生。
2024年大河ドラマ『光る君へ』第19話「放たれた矢」。タイトルの「放たれた矢」は文字通り隆家が最後に放った矢のほか、右大臣に就任した道長と、白楽天の『新楽府』からインスピレーションを受けて夢を語るまひろの「2本の矢」が「第二期道長・まひろ」として放たれたとも考えられます。更に一条天皇の名君ぶりと明子の兄・源俊賢の敏腕フィクサーも本格稼働です。
【光る君へ】第20話”望みの先に”再放送は?どこで見れる?ネタバレあらすじと感想
『光る君へ』の再放送情報、視聴方法、ネタバレあらすじとみどころをお届けします。大河ドラマ『光る君へ』の再放送は、地上波では放送翌週の土曜日午後1:05から放送されます。放送後7日以内はNHKプラスで、7日過ぎた場合や『光る君へ』第1話からの見逃イッキ見は、ユーネクストでNHKオンデマンドを。
【光る君へ】#20 強い!「女兼家」女院詮子が中関白家一掃。まひろは父に道長との真実を語る
とにかく落ち着け、伊周 NHK大河ドラマ「光る君へ」第20回「望みの先に」が5/19に放送された。ラストに定子が自ら髪を切って落飾してしまうなど、主人公のまひろの身の上もそうだが周りの話題が盛りだくさんで何から書けばいいのか迷う。 定子の悲劇の原因を作っている兄の伊周は、烏帽子のひん曲がったヘナチョコ貴公子で右往左往する姿がスーパーで駄々をこねる男児のようで、まさに「栄花物語」の「心幼き人」を表現。つい可愛いなーと笑ってしまった。それが悲劇の素なんだけど。ききょう&まひろコンビのドリフコントと言い、重すぎる展開から和らげるスパイスになったか。 まずは公式サイトからあらすじを引用する。 (20)…
大河ドラマの「光る君へ」を、いつも楽しく見ています。 切なかったり辛かったりする時もあるけれど、 おもしろいですよねぇ。キャッキャッ! この時代の女性たちって、歴史の表舞台にはあんまり出てこないし、 本名すら史料に残されていないことも多いと聞くけれど、 まひろちゃんの人...
船岡山は、京都市北区紫野北舟岡町にある標高111.7m、面積2万5千坪の小山で、船岡山城の遺構が建勲神社、船岡山公園として整備され、京都市街が一望できます。桓武天皇が山頂から山城盆地を見渡して、遷都を決めたという伝承から「京都始まりの地」ともいわれています。また、朱雀大路の真北に位置しているところから、造都に際して船岡山は南北軸の測量基準点となったとの説、頂上付近には露頭した岩が見られるため造都以前から磐...
読書記録:大鏡ビギナーズ・クラシックス 日本の古典(角川ソフィア文庫)[武田 友宏]「枕草子」現代語訳があまりに難易度高かったので、今度はタイトルに初心者向けとある物を選んでみました。推定1068年頃に..
糺の森を通って河合神社へ。河合神社は、糺の森に鎮座する下鴨神社の摂社です。ご祭神の玉依姫命(たまよりひめのみこと)は女性の守護神、また美麗の神様として信仰があることから、女性の参拝者が多い神社です。手鏡形の絵馬に描かれた顔を自分の顔に見立ててメイクアップし、裏面に願い事を書いて奉納する「鏡絵馬」が人気を集めています。鏡絵馬と一緒に授与される「御供米(おくま)」は、神様にお供えされたお米で、ご飯と一...
下鴨神社のお参りを終えて、糺の森へ。糺の森は、古くは『源氏物語』や『枕草子』に謳われた下鴨神社の境内に広がる原生林で、ケヤキやエノキなどニレ科の落葉樹を中心に、約40種・4,700本の樹木が生育しています。『源氏物語』では、第12帖「須磨」に登場し、光源氏が都を離れて須磨に退去する際、「憂き世をば 今ぞ別るる とどまらむ 名をば糺すの神にまかせて」と詠んでいます。平安京が置かれた時代には約495万平方メートルの...
次に、境内の御手洗池の方に向かいます。御手洗池御手洗池は井上社ともいわれる御手洗社(みたらししゃ)の下にある井戸や御手洗池の下から湧き出る水などを水源とし、御手洗池などから湧き出した水は御手洗川になります。御手洗川は、土用になると池の周辺や川の底から清水が湧きでるところから鴨の七不思議にかぞえられ、湧きあがる水泡の姿を団子にかたどり、みたらし団子の発祥としました。また、土用の丑の日にこの池の清水に...
前回への補足。 よく考えたら,為時パパの越前守任官に「苦学の寒夜 紅涙襟を霑す」の漢詩が影響を与えたってのは,説話集や後の歴史物語に出てくるだけで,当時の記録類にはなかったのよね・・・。なので,まひろサンが介入したって別にいいわけだ。よし,許す(←何様?) さて。 「私はここに来てはおらぬぞ」・・・って,親子丼とか高御座でホニャララとかしてたクセに,何を今更外聞を憚ってるんすか(笑) 中関白家に戻ってのご兄...
京都市左京区下鴨泉川町に鎮座する賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)は、賀茂別雷神社(上賀茂神社)とともに賀茂氏の氏神を祀る神社で、奈良時代以前から朝廷の崇敬を受けました。上賀茂社(賀茂別雷神社)に対して、通称下鴨神社といい、玉依姫(たまよりひめ)命とその父賀茂建角身(かもたけつのみ)命を祀っています。大同2年(807年)には最高位の正一位の神階を受け、賀茂祭は勅祭とされ、弘仁元年(810年)以降約400年にわたり...
葵祭は、京都三大祭の一つで、正式名称は賀茂祭(かもさい)といいます。賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)の例祭で、毎年5月15日に行われます。下鴨神社上賀茂神社6世紀の中頃、欽明天皇の頃に凶作が続いたので、鴨の神の祟りを鎮めるため、4月吉日に鈴をつけた馬を走らせて、五穀豊穣を祈ったのが始まりと伝えられています。平安中期の貴族の間では、祭りといえば葵祭のことをさすほど有名で、その盛況ぶりは「源...
サブタイトル「望みの先に」。情報が……情報が多いっっ(><)私は基本、視聴直後には他所様の感想を見ないで、まず自分の感想を書くのですが……テレビがリビングにしかないため、記憶だよりなのですよ。なのに今..
「光る君へ」の先週分を見返していたんですが。……あれ、定子の最初の出産って、1月に花山院奉射事件があった年の12月ですよね?しかもなかなか生まれなくて、「懐妊十二月」とか噂されてたってことは、この時点..
上京区葭屋町に、平安宮 検非違使庁址の碑があります。検非違使は、京都の治安維持を担当した役職で、犯罪者の取締りから疫病などによる遺体処理まで、さまざまな仕事を任せられていました。当時、検非違使庁の別当であった藤原実資は、花山院に矢を射かけた事件(長徳の変)で、藤原伊周の屋敷を捜索したことを自身の日記『小右記』に記しています。平安京 検非違使庁址 東を堀川小路(堀川通)、北を鷹司小路(下長者町通)、...
【光る君へ】#19 まひろの活躍を引き出す清少納言(ききょう)、権力者デビューの颯爽道長もまひろに応える
NHK大河ドラマ「光る君へ」第19回「放たれた矢」が5/12に放送され、何かとスッキリする回だった。次回は定子には気の毒だが、さらに期待できそう。まずはあらすじを公式サイトから引用する。 (19)放たれた矢 初回放送日:2024年5月12日 道長(柄本佑)が右大臣に任命され公卿の頂点に。これを境に先を越された伊周(三浦翔平)との軋れきが高まっていく。一方まひろ(吉高由里子)は、ききょう(ファーストサマーウイカ)のはからいで内裏の登華殿を訪ねることに。定子(高畑充希)との初対面に緊張する中、一条天皇(塩野瑛久)も現れ…。ある夜、隆家(竜星涼)は、女に裏切られたと落ち込む伊周を強引に女の家へ連れて…
長谷寺から玉鬘神社へ。玉鬘神社(たまかずらじんじゃ)は、紫式部の『源氏物語』に登場する姫君・玉鬘をお祀りしています。玉鬘は源氏物語第22帖に登場する玉鬘は、頭中将と夕顔の間に生まれた娘。夕顔の亡き後、筑紫国に下向。美しく成長した後、筑紫から上京し、長谷寺に詣でた際、母・夕顔の侍女だった右近に再会したのをきっかけに光源氏の養女となります。源氏は夕顔を六条院の夏の町に住まわせて大切にし、やがて想いを寄せ...
続いて奥の院へ陀羅尼堂長谷寺の塔頭寺院。正堂、礼堂を併せ菩提院と称します。歴代能化墓所真言宗豊山派の派祖と崇拝される専誉僧正をはじめとする長谷寺歴代の能化(住職)の墓所の中に、豊臣秀長の供養塔があります。豊臣秀長の供養塔大手鞠が綺麗に咲いていました。奥の院から本坊へ。和傘と牡丹が出迎えてくれます。閼伽井本坊本坊の境内には、皇族の名前を記したお手植えの松があります。天皇・皇后お手植えの松大講堂や書院な...
長谷寺の諸堂を巡ります。愛染堂曽我地蔵大黒堂開山堂長谷寺開山・徳道上人と西国三十三所各霊場のご本尊をお祀りしています。御影堂本長谷寺長谷寺創建の地に建っています。天武天皇の勅願により、道明上人がここに精舎を造営したことから、今の本堂(今長谷寺)に対し本長谷寺と呼ばれています。朱鳥元年(686)、道明上人は天武天皇の御病気平癒のため『銅板法華説相図(千仏多宝仏塔)』を鋳造し、本尊としてお祀りされました。...
仁王門から本堂までの399段の長い登廊を上りきり、やっと長谷寺の本堂に到着。小初瀬山の斜面に建つ国宝の本堂は、慶安3年(1650)、徳川家光により造営された大殿堂。10mを越す本尊を安置する正堂(しょうどう)、相の間、本尊を参拝する礼堂(らいどう)から成る巨大な建築で、前面は京都の清水寺本堂と同じく懸造になっています。ご本尊は、右手に錫杖、左手に水瓶を持って方形の大磐石という台座に立つ長谷寺式十一面観世音菩薩...
細かく見返せるので,当日視聴ではなく,次のお休みの日に見逃し配信でじっくり見ることにしますた。 アヴァン,主上のお言葉が一条天皇らしいって感じ。 後世「御堂関白」とは呼ばれながら,実は摂政にしか就任してない道長クン・・・内覧で関白権限の重要な部分を保持しながら太政官内で実権を握る「異なる道」を,良い人方向で解釈しましたね。主上が母と妻の間で悩んだ末に出した答えは,実は・・・(苦笑) いとサン,清水寺へ...
登廊平安時代の長歴三年(1039)に春日大社の社司中臣信清が子の病気平癒の御礼に造ったもので、百八間、三九九段、上中下の三廊に分かれています。下、中廊は明治二十七年(1894)再建で、長谷型の灯籠が吊るされています。また、1~2月には冬牡丹、4月下旬~5月下旬に牡丹の花を鑑賞することができます。下登廊の途中には、長谷六坊の一つであった「清浄院」の跡地に、宗宝蔵(しゅうほうぞう)が建っています。宗宝蔵春と秋に長谷...
仁王門から右の小道に向かうと、『源氏物語』二十二帖「玉鬘」ゆかりの二本の杉があります。幹の根元がくっついた杉の大木です。 謡曲「玉鬘」と二本の杉 謡曲「玉鬘」は源氏物語玉鬘ノ巻に拠ったもので、初瀬詣の旅僧の前に現れた玉鬘の霊が、僧を長谷寺の”二本の杉”の下に案内し、この杉の下で亡母の侍女右近とめぐりあった話を述べるという物語になっている。 玉鬘は、光源氏と契り生霊にとりつかれて死んだ夕顔の娘で、故あ...
サブタイトルは「放たれた矢」。まひろの努力が、ついに実りましたね!これまで空回りしたり、疫病で無駄になったりだったのが、ついに……清少納言とゆっくりじっくり縁を繋いで、友と呼ばれるまでになり、たとえ推..
【光る君へ】#18 まひろ成長、道長は姉女院の強力アシストで権力の頂点へ。ゲス兄伊周に絡まれる定子憐れ
NHK大河ドラマ「光る君へ」第18回「岐路」が5/5に放送された。まずはあらすじを公式サイトから引用する。 (18)岐路 初回放送日:2024年5月5日 道隆(井浦新)の死後、一条天皇(塩野瑛久)が次の関白にと命じたのは道兼(玉置玲央)だった。道兼は民の為によい政をと奮起していたが、関白就任の日に倒れ、七日後にこの世を去る。その頃、為時(岸谷五朗)の屋敷にききょう(ファーストサマーウイカ)がまひろ(吉高由里子)を訪ねてくる。次の関白は伊周(三浦翔平)か道長(柄本佑)かで内裏では話が持ち切りだと聞かされ…。夜、まひろが道長との思い出の場所へ行くと…((18)岐路 - 大河ドラマ「光る君へ」 - …
昨日の「Webアプリケーションファイアウォールの誤検知によるForbiddenエラー」に関して、なんとか自分だけファイアウォールの対象外にできないかといろいろ調べていたら、さくらのレンタルサーバで初期ドメインを表..
最後は、石清水八幡宮の摂社の高良神社に参拝しました。吉田兼好の「徒然草」には、仁和寺の法師が八幡宮参詣に来た折り、間違って高良神社に参詣したエピソードが記されています。徒然草第52段仁和寺(にんなじ)にある法師、年寄るまで、石淸水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩(かち)よりまうでけり。極樂寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。さて、かたへの人にあひて、「年比...
日曜日は早朝からのバストリップの疲れで,注意力が散漫になっていそうだったので,リアルタイムではなく48時間遅れでの視聴です(笑) あ,そうそう,乙丸サンと百舌彦サンのコンビ,オトモズって呼ばれてるそーですね。名前の頭と「お供's」をかけるとは,命名者,アッパレである(今度から使おっと 笑) 宣孝サン,おかえりや〜す。で,「色香を増した」って,求婚フラグでつか〜?(笑) 「まひろのために買って参った」って,重ねて...
石清水八幡宮の山上からケーブルで降りて、山麓の下院を散策しました。表参道には、八幡宮の門前名物・走井餅(はしりいもち)のお店があります。元々は、大津で江戸時代に創業した店で、大津の走井という名水を使い、餅や餡を作ったそうです。それが、大津名物となり、歌川広重の錦絵「東海道五十三次」にも茶店として登場しました。明治の終わりには、京都の八幡にも支店を出し、八幡名物となったそうです。こし餡をお餅で包んだ...
『源氏物語』第二十二帖では、筑紫から都に戻った玉鬘が、参拝する神社として描かれ、『枕草子』には、祭りの様子や一条天皇が行幸から帰る様子が書かれています。八幡神は、源氏の氏神として知られ、源氏は全国各地に八幡大神を勧請しました。源氏の源義家は、石清水八幡宮で元服し、自らを八幡太郎義家と名乗りました。義家の父である源頼義が石清水八幡宮を河内源氏の本拠地・河内国石川郡壷井(大阪府羽曳野市壺井)に勧請したの...