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京都市東山区粟田口鍛冶町にある粟田神社は、平安時代、清和天皇の時代の貞観18年(876)、素戔嗚尊を氏神として創建されたと伝わります。石段下の道は旧東海道・東山道であり、この辺りは京の七口(京都の七つの出入口)の一つである粟田口であり、京都を行き来する旅人は旅の安全を祈願し、旅立ち守護の神として崇敬されました。『源氏物語』第16帖「関屋」では、石山寺に向かう光源氏は、粟田山(粟田口)を越えて、関(逢坂の関)に...
京都駅から西に歩いて10分ぐらいのところにある六孫王神社。ここは源氏の祖である源経基の邸宅跡で、清和源氏発祥の地で、多田神社(兵庫県川西市)、壺井八幡宮(大阪府羽曳野市)と共に「源氏三神社」の一つとされます。経基は、清和天皇の孫で、六孫王と称しましたが、光源氏同様、臣籍降下して、初代清和源氏となりました。そして、経基の子・源満仲が邸宅跡に霊廟を建て、六の宮と称したのが、六孫王神社の始まりです。満仲は...
【光る君へ】#17 胡蝶の夢か、長兄・道隆が逝去。権力は移ろい道長の世が近い
NHK大河ドラマ「光る君へ」第17回「うつろい」が4/28に放送された。これから源氏物語を書いてもらわなくちゃいけないので、主人公まひろは疫病を克服し生き永らえた。彼女を寝ずに看病した道長も、これから権力者の階段を急速に上るところだから疫病にもならず、元気いっぱいだ。公式サイトからあらすじを引用する。 (17)うつろい 初回放送日:2024年4月28日 一命をとりとめたまひろ(吉高由里子)。乙丸(矢部太郎)から道長(柄本佑)が夜通し看病してくれたことを知らされる。道長は民を救うべく疫病患者を収容する小屋を建てようとしていた。その頃、道隆(井浦新)は体調を崩し衰弱し始める。定子(高畑充希)は兄・…
神泉苑は、延暦13年(794)、元は桓武天皇により平安京大内裏に接して造営された禁苑(天皇のための庭園)でした。苑内には、大池、泉、小川、小山、森林などの 自然を取り込んだ大規模な庭園が造られており、 敷地の北部には乾臨閣を主殿とし、 右閣、左閣、西釣台、東釣台、滝殿、後殿などを伴う宮殿があり、当初の敷地は二条通から三条通まで、南北約500メートル、東西約240メートルに及ぶ池(現・法成就池)を中心とした大庭園で...
17日の山鉾巡行の後は、夕方から神幸祭が行われます。八坂神社に奉安される3基の神輿が午後6時に南楼門をし出発し、石段下で3基揃い踏みの「差し上げ」を行い、それぞれの氏子区域のコースを巡行します。午後8時から9時の間にそれぞれ四条新京極の「御旅所」に奉安され、24日の還幸祭まで留まります。御旅所初めての祇園祭でしたが、組立から神幸祭までじっくり見学することができ、貴重な思い出となりました。にほんブログ...
【那須町遺体事件】若山耀人容疑者 NHK『軍師官兵衛』で岡田准一と共演 元芸能人が犯罪組織の末端となった背景
栃木県那須町で東京・上野で飲食店を経営する宝島龍太郎さんと妻・幸子さんの遺体が発見された事件で、韓国籍、姜光紀(20)に続き逮捕された元俳優・若山耀人容疑者(20)は岡田准一主演のNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』にも出演。なぜ輝かしい経歴を持つ若山容疑者は死体損壊という許されざる犯行に手を染めたのか。
※2011年に見学した祇園祭の山鉾巡行の続きです。北観音山(きたかんのんやま)楊柳観音像(ようりゅうかんのんぞう)と韋駄天像(いだてんぞう)を祀る曳山で、後祭りの山鉾巡行の先頭を行き、「上り観音山」と言われます。元は昇山でしたが、後に曳山へと改められました。その名残として真木には松の木が立てられ、山鉾巡行時には、山の後ろに柳の大枝を差しています。橋弁慶山(はしべんけいやま)ご神体人形は、弁慶と牛若丸。...
先週の道長クンが一晩中看護してたシーン,熱に浮かされたまひろサンの夢(妄想)だったことにしても,いいでつか? 右大臣と権大納言が悲田院を直々に視察するのはともかくとして,↑は流石にファンタジーが過ぎるだろ・・・orz;;; さて,本題。 乙丸サン,どこまでも姫様大事なのよね・・・いいヤツだ♪ 為時パパは自分の経験に引きつけて,見抜きましたね。「世話をしていただく」ってのは,いい歳になってる娘の先行きを心配しての...
※2011年に見学した祇園祭の山鉾巡行の続きです。鶏鉾(にわとりぼこ)中国の史話「諌鼓(れんこ)」より取材した鉾。昔、堯(ぎょう)の時代に天下がよく治まり、政治に不満がある時に叩かせる訴訟用の太鼓(諌鼓)に鶏が巣を作ったという故事によります。伯牙山(はくがやま)「琴破山(ことわりやま)」ともいわれます。ご神体は、知音(ちいん)の語源でもある琴の名手・伯牙が、友人鐘子期の死を聞いて、琴の弦を断ち再び琴を...
日本三大祭の一つに数えられる祇園祭は、八坂神社(祇園社)の祭礼で、明治までは祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)と呼ばれました。八坂神社 西楼門四条通りの突き当たりに建つ切妻造の楼門。南楼門八坂神社の正面門にあたる楼門。舞殿本殿現在の社殿は承応3年(1654)に4代将軍徳川家綱により建立されたもので、拝殿と本殿を大屋根で覆った特殊な建築様式から「祇園造」と呼ばれています。貞観11年(869)に京の都をはじめ日本各地...
京都市東山区の観光名所である音羽山清水寺は、778年(宝亀9)延鎮上人が開山、798年(延暦17)坂上田村麻呂の創建と伝わっています。法相宗系の寺院で、広隆寺、鞍馬寺とともに、平安京遷都以前からの歴史があり、平安時代には、観音霊場として信仰を集めました。清少納言の『枕草子』では、「さわがしきもの」の例として、清水の縁日が挙げられています。紫式部の『源氏物語』第4帖「夕顔」では、「清水の方ぞ 光多く見え 人の気...
今週「うつろい」は、うーん……なんかあんまり印象に残る場面がなかった、かな?ヒゲ生やす前は穏やかで爽やかだった長兄道隆が、すっかり見る影もないというか。汚れた部分をほとんど知らないまま上り詰めてしまっ..
【光る君へ】#16 道長&まひろ悲田院での再会。別れから8年、すれ違いから4年(オリンピック?)
NHK大河ドラマ「光る君へ」第16回「華の影」が4/21に放送された。まひろと道長のニアミスや再会があっても、一喜一憂せずフラットに受け止めると前回のすれ違いで反省して書いたが、今後は「いと」が私の代わりに大騒ぎしてくれそう。いと、いいねー。 公式サイトからあらすじを引用する。 (16)華の影 初回放送日:2024年4月21日 石山寺からの帰路、まひろ(吉高由里子)は思いかけず、さわ(野村麻純)を傷つけていることを知り落胆する。宮中では、後宮に伊周(三浦翔平)や弟の隆家(竜星涼)らが集い賑わう中、詮子(吉田羊)が現れる。一条天皇(塩野瑛久)らが緊張する中、伊周は・・・その頃、都で疫病がまん延し…
京都市下京区富小路通五条下る本塩竈町ある本覚寺は、源実朝の後室・坊門信清の娘の坊門信子(西八条禅尼)が貞応元年(1222)に創建したもので、寺名は信子の法名本覚をとったもの。また、当寺は光源氏のモデルとなったという源融の邸宅・河原院の跡地にあります 。山号を佛性山(ぶっしょうざん)といい浄土宗の寺で、開祖は團譽(だんよ)上人玉翁(ぎょくおう)和尚である。ここは嵯峨天皇の皇子・源融(みなもとのとおる)の河...
五条大橋の南東(下京区木屋町通五条下ル)に源融河原院跡の石碑があります。紫式部の『源氏物語』の光源氏のモデルとなった源融の邸宅・河原院があった地とされています。この辺りは河原院の庭の中の島「籬の島」が鴨川の氾濫によって埋没したものと伝えられた「籬の森」の跡で、石碑の隣にある榎は、森にあった木の最後の1本とされています。源融河原院跡この付近には、嵯峨天皇皇子で『源氏物語』の主人公 光源氏のモデルの一人と...
縮遠亭印月池に浮かぶ北大島に建てられた茶室。西側入口の土間から入ると、茶室(抹茶席)あり、四畳間が付く構成をとっています。その南端から斜めに続く板間を経て、三畳敷の上段の間が連結されており、上段は床を高く支えた舞台造りになっています。上段の間から東山三十六峰の一つ、阿弥陀ヶ峰の遠景が縮図のように見晴らせたとのことですが、江戸後期には、すでに樹木が繁っていて、見えなくなっていたそうです。源融が奥州塩...
蘆菴(ろあん)二階建ての茶室で、階下は七畳、西側に床を構え、二方に縁がついています。階上は主室四畳半に、台目三畳の次の間があります。主室北側を板敷きとし、中央に赤松の曲木を立てて、左を床とし、右脇には二重棚があります。二方肘掛け窓からは、眺望を楽しむことができる煎茶席です。「盧庵」は、江戸時代の文書では、「露庵」と書かれており、中国・唐代末(9〜10世紀)の禅僧・雲門文堰(うんもんぶんえん)の言行録...
京都市下京区の渉成園は、「お東さん」と京都市民に親しまれている東本願寺の庭園で、周囲に枳殻(からたち)が植えてあったことから枳殻邸とも呼ばれています。1641年、徳川家光によって現在の土地が寄進され、、1653年、本願寺第13代宣如上人の願いによって石川丈山が作庭。江戸時代の二度にわたる大火により建物はすべて類焼しましたが、明治初期に復興されました。四季折々の風情を楽しむことができ、国の名勝にも指定されてい...
NHK大河ドラマ「光る君へ」の違和感をAIに聞いてみた。なるほど、なるほど。多少矛盾する回答もあるがおおよそ理解出来る。
悲田院は、奈良・平安時代に,身寄りのない貧窮の病人や孤児などを収容した公設の救護施設で、「悲田」とは慈悲の心で哀れむべき貧窮病者などに施せば福を生み出す田となるの意。聖徳太子が四天王寺に建てたと伝わっていますが、723年(養老7)奈良の興福寺に施薬院(せやくいん)とともに設けられたのが初見。光明皇后もまた施薬・悲田の二院を設けています。これを継承して平安時代には、平安京の東西二カ所に施薬院別院として東...
「光る君へ」の舞台、紫式部ゆかりの石山寺って? 源氏物語誕生の地を散策してみた!
まずは石山寺のご案内 石山寺は、紫式部が「源氏物語」の着想を得たとされる場所です。 春の桜、秋の紅葉と、四季折々の自然が彩る境内は、訪れる人々を魅了します。 本堂や多宝塔など、歴史を感じさせる建築物も
さわサン・・・;;; でも,ヒネちゃダメよ〜。 登花殿,枕草子の世界が全開じゃあ〜〜〜〜っ! 香炉峰から全員による雪まろばしに持ってくとはね〜。強引さにちょっとワロタ。でもキャピキャピしてて,定子後宮らしくて,よきよき。 行成クン,お上と道長クンとどっちを取るの・・・つったら,結局は道長クンになるんだよな。隆家クン,えびすくい踊り出したらどーしよーかと(爆) 伊周クンの挑戦的な言葉と振る舞いが,詮子サマの反感を買うと...
タイトルは「華の影」。前回、道綱(上地雄輔)のやらかしにより、さわさんがヘソを曲げているなと思ったら、意外と根深い感じでちょっとびっくり。まひろがなにやら書いているので、日記的な……後年、源氏物語を書..
藤原氏の氏寺である奈良の興福寺は、天智天皇8年(669)藤原鎌足の夫人鏡女王(かがみのおおきみ)が、山城国山階(京都市山科区)に山階寺(やましなでら)を創建したのに始まり。天武天皇元年(672)大和国高市郡厩坂(うまやさか)(奈良県橿原市)の地に移して厩坂寺と呼ばれました。和銅3年(710)、平城遷都の際、藤原不比等の計画によって移されるとともに、「興福寺」と名付けられました。その後は、天皇家や藤原氏の手によって次...
【光る君へ】#15 まひろ、道綱の母に示唆され作家の道に光を見出す
NHK大河ドラマ「光る君へ」第15回「おごれる者たち」が4/14に放送された。何も踏み出せなかった歯がゆい時期を経て、闇から立ち上がるヒントを石山寺で得ることができた主人公まひろ。ここから「書くこと」へと思いが動き、いよいよ紫式部の「源氏物語」ワールドが花開くか・・・! まずは、あらすじを公式サイトから引用する。 (15)おごれる者たち 初回放送日:2024年4月14日 道隆(井浦新)は、強引に定子(高畑充希)を中宮にし、詮子(吉田羊)を内裏の外へと追いやった。二年後、一条天皇(塩野瑛久)は麗しく成長。道隆の独裁には拍車がかかっていた。伊周(三浦翔平)らに身内びいきの人事を行い、定子のために公…
【光る君へ】第12話ネタバレあらすじ「思いの果て」再放送は?どこで見れる?庚申待の夜。
2024年大河ドラマ『光る君へ』第12話では、好きなおなご(=まひろ)に言われて、分かりやすく道を極めようとする道長と、「妾でもいいから」と思い直したのに手遅れだったまひろの「思いの果て」が描かれます。二人とも言葉足らずで、言いたい言葉を飲み込んで…男と女ってどうしてこんなにすれ違うんでしょうね。歯がゆくてたまらない12話でした。
【光る君へ】第13話ネタバレあらすじ「進むべき道」再放送は?どこで見れる?4年後の再会。
2024年大河ドラマ『光る君へ』第13話「進むべき道」。前話から4年が経過しました。まひろと道長はそれぞれの「進むべき道」で迷いなく過ごしていたはずでしたが、2人の縁(えにし)が再び赤い糸のように絡み始めます。
【光る君へ】第14話ネタバレあらすじ「星落ちてなお」再放送は?どこで見れる?巨星・兼家の最期。
2024年大河ドラマ『光る君へ』第14話「星落ちてなお」。再会したまひろと道長は今後どうなるのか?オープニングで流れるバイオリンの音色に物悲しい展開が予想されます。14話では燦然と輝く巨星・兼家の最期が描かれます。死に際して兼家が見上げる月の色が白から赤へと変わっていく姿、兼家の鬼気迫る形相の変化に注目です。星落ちてなお藤原家の繁栄は続き、今度は長男・道綱の独裁が始まります。
【光る君へ】第15話”おごれる者たち”ネタバレあらすじと感想。再放送はどこで見れる?石山寺で道綱の母・寧子と出会う。
2024年大河ドラマ『光る君へ』第15話「おごれる者たち」。15話では兼家が生涯を捧げて築きも守り抜いた一族の栄華に影が差します。盛者必衰の理です。大河ドラマ『光る君へ』の再放送は、地上波では放送翌週の土曜日午後1:05から放送されます。放送後7日以内はNHKプラスで、7日過ぎた場合や『光る君へ』第1話からの見逃イッキ見は、U-NEXTでNHKオンデマンドを。
大沢池の池の周りを歩いて行きます。紀友則詠碑「ひともとと おもひし菊をおほさわの 池のそこにもたれかうえけん」大沢池と菊島名古曽橋心経宝塔昭和42年(1967)、嵯峨天皇心経写経1150年を記念して建立されました。基壇内部に「如意宝珠」を納めた真珠の小塔を安置、宝塔内部には秘鍵(弘法)大師尊像を祀っています。名古曽の滝跡名古曽の滝は離宮嵯峨院にあった滝殿庭園内に設けられたもので、『今昔物語』では百済川成が作庭し...
大覚寺の東に位置する大沢池は、唐の洞庭湖を模して嵯峨天皇が築造したもので、庭湖とも呼ばれます。池のほとりには、茶室望雲亭、心経宝塔、石仏、名古曽の滝跡があり、平安時代前期の名残をとどめる周囲約1kmの日本最古の人工の庭池とされています。「名古曽滝跡」とともに国の名勝に指定されており、毎年、中秋の名月の頃、「観月の夕べ」が催され、大沢池に竜頭船や鷁首船での遊覧が楽しめます。春は桜の名所でもあり、池の周...
滋賀県野洲市喜合のさざなみ街道沿いにに紫式部の歌碑があるとのことで、守山市在住の友人が画像を送ってくれました。「おいつ島 しまもる神や いさむらん 浪もさわがぬ わらわべの浦」 沖の島は、古くから人の心をとらえていた島で、歌に詠まれたり、文学の中にその名をとどめている。 この歌は、紫式部が、沖の島の対岸であるあやめ新田童子が浦のこの地から、遠く沖の島を望んで詠んだものと言われている。 平成五年三月...
「枕草子『香炉峰の雪』は第何段なのか問題」NHK大河ドラマ「光る君へ」を見ていたら、来週の予告で中宮定子が「香炉峰の雪」と言ったところで番組は終わった。有名な…
多宝塔からさらに上に上がっていくと、見晴らしの良い所に出ます。「近江八景 石山の秋月」で描かれており、瀬田川の光景を眼下に望むことができます。月見亭保元年間、後白河上皇の行幸のために建てられたといわれています。光堂平成20年(2008年)石山を発祥の地とする東レ(株)によって寄進されました。本堂と同様懸造りになっています。光堂の周りでは、早咲きの桜に出会えました。紫式部の像源氏苑の一角にあります。紫式部は、...
三十八所権現社本堂のすぐ東側にある鎮守社で、現存する文献などから慶長7年(1602年)に淀殿により再建されたものと考えられています。祭神は、神武天皇から天智天皇までの38代の歴代天皇。経蔵石山寺一切経や校倉聖教などの文化財を収容してきた校倉造の建物。屋根は瓦葺で、校倉造では珍しい切妻造となっています。紫式部供養塔石山寺で『源氏物語』を起筆した紫式部の供養塔。鎌倉時代に作られた石造の宝篋印塔で、その傘が三...
NHK大河ドラマ「光る君へ」:香炉峰の雪、いかならむ雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子まゐりて、炭櫃に火おこして、物語などして集りさぶらふに、「少納言よ、…
詮子サン,体よく内裏の外へ。まあ,変な嫁姑戦争やるよりは,いいよね(爆)・・・って,ちょっと待て,円融院崩御のこの時点で既に出家してなかったか???とツッコんでみる。 あ,今回は為時パパがトメなんだ。 道兼サン,家庭崩壊からホームレス状態か〜いっ! でも,このモノローグは良い。「七日関白」の伏線かの。で,それを立ち直らせる道長クンの感化力って・・・スゴくね;;;一条帝の凛々しい本役,ご登場〜〜〜〜〜♪ 実資...
石山寺の本堂へと続く階段を上っていきます。本堂正堂と礼堂が幅一間の相の間で繋がれていて、礼堂は急な斜面に造られているため、懸崖造になっています。懸崖造で有名なのは、京都の清水寺の本堂ですね。正堂は、承暦2年(1078年)に半焼した後、永長元年(1096年)に再建され、礼堂は、慶長7年(1602年)淀殿の寄進によって建てられました。本堂にある「源氏の間」は、紫式部が『源氏物語』の構想を練り、書き始めた場所と伝えられてい...
タイトルは「おごれる者たち」。今回もまた、作中で2年が過ぎましたね。前回と合わせるともう6年、道長とまひろは他人のふりしてすれ違ったぐらいで、文のやり取りどころかまともに会話もしてないのかあ。まあ史実..
平安時代の人々は、霊験あらたかな石山寺の観音様に会いに行くのが大きな楽しみでした。藤原道綱母もその一人で、『蜻蛉日記』には朝早く都を出て、逢坂(おうさか)の関を越えて近江に入り、打出浜から舟で琵琶湖から瀬田川へ進み、夕方頃に石山寺に入ったと記されています。まさに一日がかりの石山詣だったようです。逢坂の関打出浜大河ドラマ館を出て、境内を散策していきます。明王院の前には、比良明神影向石があります。ここ...
石山寺では、「光る君へ びわ湖大津 大河ドラマ館」と「源氏物語 恋するもののあはれ展」の2つの展示を見学できます。明王院では、「光る君へ びわ湖大津 大河ドラマ館」を開催中。ドラマに登場する衣装や小道具、撮影の裏側を知ることができるパネルなどを展示。まひろとききょうのフォトスポット「光る君へ」の台本 まひろが書き写した後撰和歌集キャスト・スタッフのインタビューなどの映像を4Kシアターで上映。世尊院では、...
【光る君へ】#14 兼家没、遠ざかったまひろと道長は各自もどかしい空回り
前回ブログについての反省 NHK大河ドラマ「光る君へ」第14回「星落ちてなお」が4/7に放送され、オープニングのトリを飾っていた藤原兼家(演・段田安則)が没した。ここまで公の硬派的な物語を引っ張ってきた功労者、まだまだ居てほしかったが・・・そんなことを言ったら、いとに叱られるか。 まずはあらすじを公式サイトから引用しよう。 (14)星落ちてなお 初回放送日: 2024年4月7日 仕え先を探すまひろ(吉高由里子)は、土御門殿からの帰りに道長(柄本佑)と鉢合わせてしまう。久しぶりの再会だったが・・・。ある日、兼家(段田安則)は道長らを呼び、道隆(井浦新)を後継者にすると告げる。道兼(玉置玲央)は納…
清少納言の生まれた瞬間に立ち会えるとは。 ききょうとまひろがお茶しているシーン良かったなあ。日本を代表する文学者どうしなのにほっこり。 いつの時代も心を打ち明けられる友とのお茶会はいとたのし。
京阪石山寺駅から瀬田川沿いを歩くこと10分。石山寺の東大門に着く直前に「朗澄大徳ゆかりの庭園」があります。朗澄律師大徳は「石山寺中興の祖」と言われた名僧で、自分の死後は鬼となって石山寺の経典と聖教を守ると誓い、弟子の前に金色の鬼となって現れました。石に刻まれた鬼は、石山寺縁起絵巻に描かれた死後の朗澄律師の姿なのだそう。この庭園を過ぎるとすぐに石山寺東大門があります。東大門仁王門、山門、総門とよばれる...
京阪石山駅から石山寺駅に向かう際、京阪電車の「光る君へ」ラッピング列車に乗車出来ました!側面に紫式部(まひろ)役の吉高由里子さんの姿が見られます。現在のまひろとは衣装もメイクも変わり、よりお美しいですね。つり革も紫電車内も「光る君へ」仕様となっていました。石山寺駅に着くと、駅自体も紫式部ワールドになっています。駅前には、源氏物語のレリーフがあります。ここから石山寺に向かって歩いて行きます。郵便局のポ...
読書記録:絵草紙源氏物語(角川文庫)[田辺聖子]価格:733円(税込、送料無料)(2024/4/11時点)楽天で購入抄訳も抄訳と言うか、もはやダイジェストかジュブナイル版ですが。ようやく「源氏物語」と題されたものを読..
楼門寛永5年(1628年)の建立。玉橋楼門と玉橋片岡橋片山御子神社は、上賀茂神社の境内にある24社ある摂末社の中で第1摂社に定められる神社(通称「片岡社」)で、賀茂別雷大神の母である「玉依比売命(たまよりひめのみこと)」をお祀りしている神社です。 縁結びの社として女性に人気があります。屋根には二葉葵のご心紋が見えます。紫式部も参拝したと伝わり、片岡社について「ほととぎす 声まつほどは 片岡の もりのしづくに ...
上賀茂神社の二ノ鳥居を潜ります。二ノ鳥居 上賀茂神社と謡曲「賀茂」 秦氏の妻女の玉依日売が、当地の御手洗川で水を汲んでいると、白羽の矢が流れてきた。持ち帰り、軒に挿しておいたところ、解任して男子を産んだ。その子が三歳の時、父は雷と知り、天に昇って別雷の神となる。この神を祀ったのが当神社で、正式名を賀茂別雷神社という。 神社は京都でも最も古い神社の一つ。雷神を祀ることから、厄除けのほか、五穀豊穣の...
京都市北区上賀茂本山にある上賀茂神社の正式名称は「賀茂別雷神社」といいます。今年も桜の季節にお参りしてきました。創建については諸説あり、社伝では、神武天皇の御代に神山(こうやま)の麓の御阿礼所に賀茂別雷命が降臨したと伝えています。弘仁元年以降、斎院が400年にわたって置かれ、皇女が斎王として賀茂社に奉仕しました。『源氏物語』第9帖「葵」では、女三の宮が新たな斎院となり、第20帖「朝顔」では、朝顔の姫が父...