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生き方が難しいのはいつの時代も同じで人間はその中でどれだけ精神的な余裕を持てるかをいつも試されてるような気がする、又私達はいい条件がそろえば幸福になれるという錯覚が、なぜかあるものだ。 ある面、一理あるのだが必ずしもそうではない、苦しみの質は人それぞれ違う、物質的には豊かで満たされていても幸せを感じられない多くの人がいることも確かである。 実際100%の幸せなどありえない、幸せは常に断片として現れるものだ、それこそ丸ごとの幸せ、なにからなにまで幸せといった状態は幻想かもしれない。 明日の保証を手にしている人など一人もいないし、今日は元気で安定していても明日のことは誰にもわからない、だから人の一生は最後までわからないと思って生きるしかない。明日のことは誰にもわからない
午前8時に、苦しみながら、これを書いている。あまりに苦しくて頓服薬を服もうと思っているのだが、そうすると倦怠感で書けなくなってしまうので、今、無理をして書いている。 昨日は、あまりに苦しくて、寝る前に5㎎錠を2錠、服んでいるヒルナミンを午後6時に25㎎錠を1錠服んで寝てしまい、睡眠時間は取れている。 さて、私が敬愛する作家、鷺沢萠の言葉にこんなのがある。本から転載するのが面倒で、そういえば初出はWebだったと思い検索をしたら出てきた。 人間は、「自分にはとうてい理解できない、とうてい手に負えない」というような事実に直面したとき、それに直面したくない一心で、たとえば酒を飲んだり麻薬に走ったりする…