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先日職場の会長がお亡くなりになりました 81歳でした 今の職場に転職して20年が過ぎ〜 御縁があり嘱託として現在もお仕事させていただいています 土日に社葬も兼ねてお通夜と葬儀が行われました コロナ禍で葬儀も自粛傾向でしたが、昨年5月に5類となり〜 多くの来賓の方々と共に〜 会長の最後を見送る事ができました 普通〜 会長と言えば雲の上の存在でしょうが〜 とても親しみやすい方でした 本物志向でただ見かけだけの所は嫌い 本当に良いものを提供しているお店などを見つけると私達も連れて行ってくださったり、温泉宿も福利厚生で利用できるように配慮してくださったり 今思うと、「美味しいか」「楽しいか」など子供の…
あっちゃんを偲ぶ会が正式に決まったのはいいが、入場チケが日時指定制って・・・(旧)ジャニショか!!(←ちなみに店舗は休業中)どもども→以前に比べると更新が鈍くなりつつありますが、まだまだ敦についてはブログを通じて独自の目線で語りたい事が沢山あるんですよだけど亡くなった直後に比べると図書館で借りてきた本も読める様になったし、ずっとスマホの#あっちゃんに張り付く事は減りましたね(投稿が減少し落ち着いたのもあるが)だから中々文章がまとまらないそんな中、お昼休みに寿ぶりのFCからのメールにてあっちゃんを偲ぶ会「THECEREMONY-櫻井敦司へ-」@ZeppHaneda/12月8日(金)9日(土)が正式に決まりましたね会場はいわゆるセレモニーホールではなく箱ツアーオーラスで使う予定だったZeppHanedaだった...あっちゃんを偲ぶ会正式に決まる
8月になりました。今日はある方の命日なのですが、そのことについて僕が詳しく書くのは憚られるので書きません。いつかわかりませんが書くことができるようになったら、許されるようになったら書くと思います。どうも夏というのは、特に8月というのはお盆があるせいもあり亡くなった人のことを想います。また、敗戦・終戦記念日があるということも戦争で亡くなった人のことを想うわけです。亡くなった人のことを想うこと。それは非常に大切なことだと思います。先日想ったのは、亡くなった人が生きていたらこうしたんじゃないか?ああしたんじゃないか?と、生き残った人がいろいろ考えて、結局生き残った人自身がそれを自分でやってしまう、というのが、未来をつくる、世界が続く、ということではないでしょうか?8月1日。
古い農家を購入した義理妹1夫婦は数年前に敷地に建つバーンを取り壊した。その時に出た錆びたトタンを使って道路に面した我が家の外壁をカバーする事にした。日曜の朝、ジェイクくんの赤いトラックで義理妹1夫婦が住むアイオワの街に向かった。二人がトタンをトラックに詰めている時”イジー貴方に見せたいものがあるの”と言った義理妹1が見せてくれたのは細かく砕かれたドライフラワーだった。”母のメモリアルサービスに贈られた花で作ったのよ”と言った義理妹1が次に見せてくれたのは紐に通したビーズ。これらのビーズは手芸店で販売されているオーブン粘土(polymerclay)を使って義妹1が作ったもので最初に彼女が見せてくれた義母に贈られた花が混ぜられている。今回、茶色に仕上がったビーズは黄色いバラのドライフラワーが混ぜられており混ぜ...メモリービーズ