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ヨーロッパ哲学の流れ 知を愛する学問の発展と歴史 楽しい世界史 -ヨーロッパの歴史-
・哲学はギリシア語「Philosophia」(フィロソフィア)を訳した言葉・「知を愛する」という意味をもつ哲学
『文芸復興の時代世界の歴史7』社会思想社、1974年7マルティン・ルターの場合5神の前での平等ルターは「大農民戦争」のさなか、一五二五年五月、四十二歳で結婚した。妻は尼僧で二十六歳のカタリナ・フォン・ポーラといった。ルターは『貴族に与うる書』のなかで、つぎのように書いている。「聖書によれば僧侶はりっぱな人物で学問があり、一人の女の夫であるべきなのだが、キリスト教がローマ時代、権力者に圧迫され、そのため勇気が必要だったために、結婚しないという決心をする僧侶がたくさん出た。ところが教皇は、このすぐれた人びとにとって自発的な意志であったものを、一つの規則として僧侶すべてに強制した。それは教会の財産を、ローマ教会に全部結びつけることに役立った」と書いた。僧侶のなかには「めかけ」をもつ者もいたが、恋愛をし子供ができ...7-7-5神の前での平等
ルターによる宗教改革と宗教戦争 楽しい世界史 -ヨーロッパの歴史-
・ルターが教皇の贖宥状(免罪符)乱売を批判し、宗教改革を開始・影響を受けたカルヴァンがスイスで宗教改革を実行・
ドイツ宗教改革の発端にもなったとされるマルティン・ルターの『九十五箇条の提題』の日本語訳を学んでいく連載記事である。連載42回目である。なお、英訳された『九十五箇条の提題』を、当方で日本語訳して掲載することとした。17〔42〕キリスト教徒は、教皇が、恩赦を買う(贖宥)ことと、慈悲の行為とを比較するつもりがないことを、教えられるべきである。訳は当方この記事では、贖宥と、慈悲の業とが、比較されることでは無いことを知るべきだという。この場合の、「慈悲の業」とは何を意味しているのだろうか?それは、イエスによる罪の購いを指すという。いわば、イエスがゴルゴダの丘で処刑された一事をもって、「慈悲の業」としているようである。つまり、イエスによる慈悲の業と、贖宥状との機能とは、比較できることでは無いと示しているのである。【...マルティン・ルター『九十五箇条の提題』を学ぶ・42