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徳川家康の瘡蓋(かさぶた)を治した霊験あらたかな「笠森稲荷」は高槻市にある
1.徳川家康のエピソード山岡荘八の大河小説「徳川家康」に載っていたエピソードで、家康が「大坂の陣」(冬の陣か夏の陣のどちらか忘れましたが)の折り、瘡蓋(かさぶた)ができて困っていたところ、家臣が摂津国の笠森稲荷がかさぶたを治す霊験あらたかな
時は明和五(一七六八)年秋、江戸の外れ谷中の笠森稲荷の水茶屋’鍵屋’に一人の武士が一休みするために入って行った。茶を運んできた娘に、(なんて美しい娘なんだろう)と、武士が見とれてしまった。この武士、太田南畝と言い、当時十九歳で幕臣として勘定役を務めていた。独学で和漢の故事典則を学び、江戸風俗に通じまた、狂歌にも長じていた。南畝は、この年になってはじめて一目ぼれをした自分に苦笑してしまった。茶を飲み終わって、店を出て知り合いの浮世絵師鈴木春信(四十四歳)の住んでいる神田白壁町の家に行って、水茶屋の娘の話をした。春信は役者の錦絵を主に描いていたが、その娘の話を聞いて興味を持ち、翌日さっそく笠森稲荷に出かけて行った。茶屋は繁盛していた。縁台に座ると、しばらくしてから茶を娘が運んできた。春信は一目見て、その娘に魅...大江戸美人揃二之巻笠森お仙