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関ヶ原の戦いで裏切り者と言えば真っ先に小早川秀秋の名が挙がると思います。確かに勝敗を決定的にしたのは秀秋ですが、関ヶ原の戦いでは他にも多くの裏切りがあり、中でも秀秋に匹敵する程、戦いの勝敗に大きな影響を及ぼした、もう一つの裏切りがあります。
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾七
以上の様に、「功臣の粛清」は、君主としての正統性を持たない者が、有能な功臣により、その座を奪われたために行われたのである。 血統を含め、君主としての正統性を…
「大津城の戦い」は関ヶ原の戦いにおける前哨戦の一つで、突如、東軍に寝返り籠城した大津城城主、京極高次と西軍による戦いです。一般的にはあまり知られていませんが、関ヶ原本戦に大きな影響を与えた戦いの一つです。
第二次上田合戦は、中山道を通って関ヶ原に向かう徳川秀忠の軍勢3万8000と上田城に約3000の兵を以て籠城した真田親子(昌幸、信繁※幸村)との戦いで、関ヶ原の戦い本戦に大きな影響を与えた一戦です。
小山評定(おやまひょうじょう)とは、家康と会津征伐に従軍していた諸大名によって行われた軍議で、関ヶ原の戦いを決定づけた重要な出来事です。
関ヶ原の前哨戦ともいわれる伏見城の戦いは、西軍の主力4万の大軍に対し、わずか2300人の兵力で迎え撃った籠城戦です。そこには三河武士の鑑と称された忠臣と家康との苦渋の別れがありました。
「岐阜城の戦い」は関ヶ原の戦いの前哨戦の一つで、西軍の重要拠点であった岐阜城をめぐって東軍、西軍が激突した戦いです。福島正則、池田輝政ら3万5000の兵力に対して、6000の兵をもって岐阜城を守っていたのは信長の孫の織田秀信です。
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾六
宋の太祖、趙匡胤は、後唐の禁軍将校、趙弘殷の息子である。 趙匡胤は、後周の柴栄が、即位して、世宗になると、近衛軍の将校となった。 その後、柴栄の将軍として、…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾五
劉邦に粛清された、韓信、彭越、英布は、劉邦が、漢中王になった後に、劉邦に従った。 そのため、同郷の盧綰、樊噲、蕭何、曹参、夏侯嬰程には、劉邦との信頼関係はな…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾四
劉邦は、諸将に対策を問うた。諸将は、口々に「兵を発して、英布を坑にするのみです」。 劉邦は、暗然とした。親 征は、やむを得ないが、大軍を率いても、英布は、強…
#745 隆家と花山院の賭け事 from『大鏡』 ~『光る君へ』を楽しむため
大河ドラマ『光る君へ』では描かれていませんが藤原隆家と花山院の賭け事を『大鏡』より花山院が通れるものなら通ってみろと挑発し、それに乗った隆家勝つのはどっち⁉ …
#744 第24回「忘れえぬ人」感想~大河ドラマ『光る君へ』
まひろの心の中にいる大切ない人の存在をも受け入れる宣孝とその存在で心に入れなかった周明の対比が描かれる大河ドラマ「光る君へ」 - NHK』の第24回「忘れえぬ…
#766 レビュー 『第12回 21世紀台頭するアジア』-3か月でマスターする世界
アメリカとソ連の二極体制から、アメリカ一極、そのアメリカが内向きになる無極体制な現代をどう考えるか『第12回 21世紀 台頭するアジア - 3か月でマスターす…
はじめまして。初回なのですが、経緯はプロフィールに書きましたのでご挨拶抜きでいきなり書き出します。 本当に手当たり次第なうえ、まだこのブログに慣れていませんので、色々とご容赦くださいませ。 さて、御存知の方も沢山いらっしゃるでしょうが、福岡県朝倉市に『橘広庭宮跡』というのがあるんだそうです。教科書にも載っている663年の白村江の戦いに向かう時に、いわば大本営として造られた、天皇の御座所ですね。 朝倉橘広庭宮跡 「あさくらのたちばなのひろにわのみや」と読みます。画像は手持ちがなかった(多分、どこかにはあると思われます)ので、福岡観光WEBさんから。 造営時の天皇は斉明天皇。あの方ですね。蘇我入鹿…
昨日は橘広庭宮からあれこれ書きました。今日もその辺のお話です。 斉明天皇が661年の旧暦で5月9日に崩御されたので、実子でもある中大兄皇子は殯(もがり)しないといけなくなりました。 殯っていうのは古代のお葬式で、故人の遺体を火葬したり埋葬したりせずに、棺に入れたまま葬礼用の屋敷に安置して、近親者がその中で遺体が腐敗して白骨化していくのを確認し、確かに亡くなったことを納得する儀式なんだそうです。 本当でしたら天皇家の方なので、殯宮っていう宮をひとつ建ててその中で一年間暮らすのだそうですが、中大兄皇子は、「戦の陣中だから」ってことで、ひと月を1日に替えて12日間の殯としたのだそうです。 で、この殯…
宮地嶽神社は全国にありますが、福岡県福津市にある神社が有名ですね。年2回見える海まで続く光の道は、所謂映え写真のスポットです。ここの神社が、全国各地にある宮地嶽神社の総本社なんだそうです。 ただ、今回はここの宮地嶽神社ではなく、朝倉市宮野の宮地嶽神社です。というか、宮地嶽神社がこんなにいっぱいあるの、初めて知ったんですけど!朝倉市だけで3か所くらいある!ざっくり地図もらってなかったら、どの宮地嶽神社かわからないところでした。 この宮地嶽神社は、先日から書いている橘広庭宮跡から直線距離で1kmちょっと北西ににあります。山の上なので、実際はもうちょっとあるでしょうね。 ちっちゃい神社で、鳥居と拝殿…
斉明天皇と中大兄皇子の朝鮮出兵に関する記事が続きましたので、ちょっとこの辺の歴史をおさらいしたいと思います。 高校の日本史の教科書を読んでみましたけど…………うん。わからん。 なので、私が納得できるようにあれこれ調べて書いていきます。 西暦300年代ごろからの朝鮮半島は、小勢力が乱立するいわば群雄割拠状態だったようです。その中で倭国こと日本も朝鮮半島で影響力を持つべく、半島の南端で日本列島からほど近い任那と言う勢力を応援します。勿論無償ではなかったようで、任那からはいろいろ貰っていたようです。いつ頃からかというと、日本書記などに神功皇后が出てくるころには、任那は既にあるものとして書かれているの…
字だらけの記事が続きますが、先にこれをやっといた方が後が書きやすいので、福岡の古代史語りに欠かせない、神功皇后のおさらいをしておこうと思います。 神功皇后は、実在の人物ではないとか、何人かのエピソードを纏めて一人の人物として語られたものだとか言われていたりもます。まあ、そうかもしれませんし、そうでなかったとしても誇張や神格化はされているでしょう。 なので、どこまでを史実とするかは置いておいて、今回は神功皇后がどんなことをしたと言われているかをざっくりおさらいします。そしてこの先しばらく各エピソードを細かく見ていくことになると思います。 では、スタート。 神功皇后というのは諡号なので、本来のお名…
熊襲、熊鷲、土蜘蛛。これらは、九州にあった大和朝廷とは別個の勢力のことです。熊襲と羽白熊鷲は、おのおの独立した特定の勢力を指すようですが、土蜘蛛は九州に色々いる土着勢力の総称の事のようです。昔は東国と呼ばれていた、関東以北の勢力を蝦夷と呼んでいたのと同じですね。 神功皇后はほぼ関係ないのですが、先ず、熊襲について書いて行こうと思います。 おそらくは大和朝廷がまだ完全に九州を掌握出来ていない頃、景行天皇は即位12年に熊襲征伐のため、九州巡行を行います。景行天皇は第12代天皇なので、神功皇后の御主人である仲哀天皇の2代前の天皇です。 8月に出立し、途中、周防の国や豊後の国で賊や土蜘蛛を倒しながら1…
7月になりましたね。全国のあちこちで大雨が降っていますが、皆様の所は大丈夫でしょうか?皆様が恙なくお過ごしになりますよう祈っております。 予告通り、羽白熊鷲(はしろくまわし)について書いて行こうと思います。 日本書記では、荷持田村(のとりたのふれ)に羽白熊鷲あり、と書かれています。手元の資料によれば、羽白熊鷲は儺県(福岡市)の南方、脊振山系から朝倉郡にかけて勢力を持っていた土酋の一人、だそうです。「土酋」とは、先住民の統率者のことだそうなので、羽白熊鷲という人が率いる集団がいたんですね。「羽白熊鷲」ってう集団がいたのかと思っていました。 日本書紀では羽白熊鷲について「その人となりは強健で、翼が…
前回の記事で、日本書記に「荷持田村(のとりたのふれ)に羽白熊鷲あり」とあると書きましたが、その荷持田村について書くのを忘れていました。 羽白熊鷲の勢力範囲が脊振山系から朝倉郡にかけてだということなので、荷持田村は羽白熊鷲個人の居住地でしょうか?日本書記の書き方はあっさりしすぎていてよくわかりませんが、そんな書き方ですよね?資料には、現在の朝倉市秋月野鳥、平成の大合併前は甘木市大字野鳥だったところ辺りではないかと書かれています。 朝倉市秋月の秋月城や武家屋敷なんかがある観光地の所から、小石原川の支流である野鳥川を遡るように秋月街道を古処山方面に上っていった所に、昔は野鳥村というのがあったそうです…
あ、暑いですね… パソコン部屋にエアコンがないので作業が厳しくなってきました あれこれ調べながらブログ書いていてると、私よりパソコンが先に音を上げるんですよね💧今はまだ、内蔵データ飛ばされたくないので、労らないと。もっと要領よくやれればいいんですけどね。 まだまだ暑い日が続きますが、皆様も熱中症等ご注意ください。 今日は、大乙貴(おおなむち)神社についてです。 朝倉郡筑前町弥永にある大乙貴神社の御祭神は、天照大御神、大国主命、春日大明神です。日本書記に、次のような一文があります。 『一書に曰く、大国主神は、またの名を大物主神、また国造りの大乙貴神と号し、また八千戈神といい、また大国玉神といい、…
神功皇后についていろいろと書いてきましたが、当然、資料にあってもここに書けていないことも沢山あります。一番ブログの参考にすることが多かった河村哲夫先生の『西日本古代紀行』などは、神功皇后が香椎宮から松峡宮に移動された時の道行き、それから、羽白熊鷲を討ってからの行程などを事細かに解説してあるんですよ。 それを読んで思ったのが、 神社が多い! ということ。 事あるごとに神社造る。何か困ったら神社造る。上手くいったら神社造る。作らないまでも既にある神社に何か奉納するし、社に何か祀ったりする。なので、神功皇后にまつわる謂れのある神社がめちゃめちゃ多いんです。勿論、神社以外もあります。 朝倉郡筑前町にあ…
今回からしばらく、田代将門著『舊志に據れる筑前秋月家の研究』という本を読んでいきます。書きながら、この本のタイトルがブログでちゃんと表示されるのか危ぶんでいるんですが、旧漢字なんですよ。書いたはいいけど私自身、ちゃんと読めなくて調べました。 舊志:旧志(キュウシ)。昔、記録されたもの 據る:因る・由る・拠る・依る・縁る(ヨる)。手段とする。根拠とする。のっとる。 それぞれほかの意味もありますが、特に『據る』は活用範囲が広いので割愛します。今回の用法では、こういう意味のようです。 旧字が使われていることで古い書物だということはお分かりだと思いますが、初版が昭和6年4月3日。戦前なんです。印刷者の…
ええと、まだ平安時代終わっていませんでした。それから今後の進め方としては、前回分も含めて秋月氏の歴史をさっくり辿った後で、背景となる事件をひとつずつおさらいすることにします。それでは前回の続きから。 書籍によって家系図が微妙に違うのですが、秋月家譜を元にしますと、安徳天皇に仕えたという大蔵種成の長男が原田種直(はらだたねなお)となります。この頃の人々は、文献に寄って姓を「大蔵」としたり「原田」としたりされますが、このサイトでは種直から「原田」としましょう。特に理由はありませんけど。 というわけで、1158年(保元3年)平清盛が大宰大弐に就任した時、原田種直は大宰大監でした。この頃、大蔵氏一族は…
どうにも区切りが悪いのですが、前回筑後川の戦いまで書いてたので、その後をちょろっと書いておきます。 筑後川の戦い以来、九州で菊池氏をはじめとする一勢力を保持していた懐良親王は、1351年に大宰府を攻略。以後、大宰府を征西府とします。観応の擾乱・武蔵野合戦・八幡の戦いで機内と関東以北は一応大人しくなり、南朝の最大勢力は九州にいる彼等たちとなっていました。 京都で北山文化が花開くまでもう少しという1372年。当時14歳の征夷大将軍足利義満は、九州探題として今川貞世、大内義弘を派遣します。(実際は管領として将軍を補佐していた細川頼之の指示らしいですけどね。)早速、九州探題は早速南朝討伐に乗り出し、就…
あっついですねえ。 さっき、家族と話してたんですが、一日中エアコンの効いた部屋の中にいると体が動かなくなる気がします。だけど、この猛暑の中エアコンのない所にいても何もできませんよね。屋外やエアコンなしの屋内でお仕事なさっている方には、社会の一員として感謝申し上げます。そしていずれの皆様もくれぐれもご自愛なさって、この夏を乗り切りましょう。 前回の最後の方と前後しますが、1568年(永禄11年)、立花鑑載(たちばなあきとし)と高橋鑑種(たかはしあきたね)たちが大友宗麟に立てついたのは、どうも策略家の毛利元就に乗せられたようです。立花鑑載が大友に謀反するのはこれが二度目なので、なんかつけいる隙はあ…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾参
韓信は、事に当たっては、用意周到に計画し、慎重さに抜かりがなかった。 しかし、自分を大いに買って、引き留め、大将軍に推挙してくれた、蕭何だけは、信用していた…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾弐
当時、北方の封牧民の匈奴は、紀元前209年に単于になった、冒頓単于によって、勢力を拡大していた。 冒頓単于は、父の頭曼単于を殺して、単于になると東の東胡・北…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾壱
劉邦が、家臣達と酒宴を行っていた時、劉邦は、「皆、私が、天下を勝ち取り、項羽が、敗北した理由を言ってみよ」と言った。 高起と王陵が、「陛下は、傲慢で、人を侮…
#東奥見聞録 【ゆっくり解説】南部信直の宗家継承物語~南部正史プレーン味編~
・ 東奥人と申します。 これまでの津軽為信編からあらためて 、 新章(?)突入、南部盛岡藩の藩祖・南部信直が、…
1812年4月18日、ナポレオンは、後方、即ち、西方の半島戦争の憂いを無くすために、イギリスに和平を提案した。 ナポレオンの兄、ジョセフは、スペイン王の地位…
【星野源主演・高畑充希出演映画『引越し大名!』】引越し費用は10,000両以上!?
引越し大名!,映画,邦画,映画感想,映画レビュー,星野源,高畑充希,歴史,歴史好き,歴ヲタ,
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾
紀元前202年、劉邦は、群臣の薦めを受けて、遂に「皇帝」に即位した。 なお、漢王朝は、劉邦が、「漢中王」を称した、紀元前206年を「高祖元年」としている。 …
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百参拾九
「私の力は、山を抜き、私の気は、世を覆うほどである。 しかし、時勢が味方せず、愛馬の騅は、疲れて進まない。 騅が、進まないのに、どうしたらよいのであろうか。…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百参拾八
劉邦は、過去に項羽と義兄弟の契りを結んでいたことを持ち出して、「お前にとっても、父親になるはずだから、殺したら、煮汁をくれ」と項羽に返答した。 次に項羽は…
第3位【ナポレオン・ボナパルト】249.ワルシャワ公国駐在大使
1812年2月26日、パリにおける、ロシアの皇帝の代理人、チェルニチェフの邸宅が、フランスの警察によって、捜索を受けた。 前述の通り、チェルニチェフは、ロシ…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百参拾七
韓信は、戦国の七雄の内、大国の斉を領有し、河北の趙、燕を支配していた。 そのため、項羽の西楚、劉邦の漢、韓信の斉の三国が、鼎立する、局面となった。 韓信が、…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百参拾六
韓信は、李左車の策に従い、労せずして、燕の臧荼を降伏させた。 紀元前204年、韓信は、鎮撫のために張耳を趙王として、建てるように劉邦に申し出ると、認められた…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百参拾五
後に、韓信は、本来、必敗の陣である、背水の布陣で、何故、勝てたのかと聞かれると、「私は、兵法書に書いてある通りにしただけだ。 即ち、『兵は、死地にて、初めて…
第3位【ナポレオン・ボナパルト】248.ベルナドットとロシアの同盟
1812年1月20日、スウェーデン王太子、ベルナドットは、スウェーデン領ポンメルンのイギリスの密輸を停止させるように、ナポレオンから、命令を受けた。 ベルナ…
侍と武士、浪人とか武者とか武芸者と兵法家なんて言葉があるが どういう風に区別するのか、どういう人が名乗っていたのかを解説しよう 海外だと侍(samurai)と武士(samu
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百参拾四
その後、韓信は、北に進んで、陳余の部下の代の相、夏説を降伏させると、趙に進軍した。 韓信が、趙を攻めるに先立ち、劉邦の本軍は、兵力不足のため、韓信に対し、韓…
#768 献本到着『古代・近代・現代のオリンピック』大熊廣明・稲葉茂勝
本が好き!さんから『古代・近代・現代のオリンピック (2) 知られざる歴史と未来への社会遺産(レガシー) (シリーズ・とは何か?) [ 大熊 廣明 ] 』とい…
(挿絵はフリーメーソンの紋章。1980年ごろまで、教会はカトリック信者がこの結社に入ることを禁じていた。)『絶対主義の盛衰世界の歴史9』社会思想社、1974年8フランス啓蒙思想――貴婦人たちのサロン1理性の光明啓蒙思想とは、十七世紀、とくに十八世紀に発展した合理主義、自由主義、進歩主義的な思想の総称である。個々の面をみると、宗教では理神論や無神論、哲学では経験論、感覚論、唯物論などが展開され、政治・社会思想では自然権にもとづく社会契約説が支配的であり、経済上では重農主義などの自由放任論があらわれた。とくにここで注目すべきは政治、社会上で専制王政、封建遺制、カトリック教会の権勢などに対して、「理性の光明」をもって批判がおこなわれたことであろう。この啓蒙思想は、十七世紀市民革命によって絶対主義を倒し、早くも自...9-8-1理性の光明
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百参拾参
陳平は、偽物の劉邦を滎陽の城の外へ出し、敵の降伏に楚兵が、喜び、油断したところを城の反対側から、脱出する策、金蝉脱殻の計を出し、偽の劉邦には、紀信を、滎陽に…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百参拾弐
陳平は、特に項羽の謀将である、范増に対して、楚の使者が、漢へ派遣された際、当初、范増の使わした、使者として、豪華な宴席に招くと、范増と仲が良いかのように振舞…
レッドムーダン【第4巻】唐皇帝:李世民の帰京!夜伽の資格は誰の手に!?あらすじと感想(※ネタバレ注意)
レッドムーダン第4巻についてレビューします。唐皇帝:李世民の帰京!夜伽の相手を決める慰労会が開催されます。果たして主人公:武照は選ばれるのか...!?