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金曜日毎にCLK講座を更新してきましたが、工作に必要な視力回復が思わしくなく、北海道旅行準備の為に当分お休みします、次回はバラスト撒布の予定です。 数回に渡り1965年10月ダイヤ改正直前の全国の動きを紹介しました。 最後は私鉄と路面電車編です。 【過去記事から転載】 ★私...
1965年10月ダイヤ改正は、東北本線盛岡電化と鹿児島本線熊本電化に伴う変化、特に大型蒸機の大量余剰と廃車が南北で発生しましたが、他地方でも様々な動きがありました。 【過去記事より転載】 ★在来線の動き 新幹線開業1年を経て旅客輸送実績データが収集されました、東海道在来線昼...
私事で恐縮ですが、5月24日に東京で眼科手術を受けました、術後数日見え方が悪くなると言われてましたが、実際は1週間全くメールも読めない状態で、ブログ記事ストックが底を尽き掛けてます。 先日1965年10月ダイヤ改正直前の東北本線の様子を紹介しましたが、同様な事が全国各地でも...
1965年10月に実施されたダイヤ改正については先日紹介しました。 ★60年前1965年のダイヤ改正・・・5月21日更新 この改正で東北本線仙台-盛岡間が電化され、盛岡駅の特急『やまびこ』や急行『いわて』発車式の様子を紹介しました。 華々しい10月1日の直前、9月上旬には電...
1960年代は道路整備が進み自動車交通が大きく発展した時代で、地方私鉄の多くがバス路線に客を奪われ、トラックに貨物輸送を奪われて姿を消しました。 そんな地方私鉄の一つ、九州の片隅で姿を消した大分交通宇佐参宮線を紹介します。 宇佐参宮線は宇佐神宮参拝客輸送と、地域特産品出荷路...
首都圏は1964年の東京オリンピック開催と東海道新幹線開業で建設ラッシュのピークを越えましたが、関西圏は1970年万博開催へ向けて、これからピークを迎える時期でした。 都市部への人口集中は関西圏でも発生しており、ラッシュ時混雑緩和が喫緊の課題でした。 大阪市は6路線89km...
ダイヤ大改正と言えば1961年(昭和36年)の優等列車大増発のサン・ロク・トウ、1964年の東海道新幹線開業、1968年(昭和43年)の準急廃止、特急大乱発のヨン・サン・トウが有名ですが、その谷間、60年前1965年10月にも大規模ダイヤ改正が行われてます。 【交通公社時刻...
寒さの心配から解放されたと思ったら、熱中症対策が必要な暑さ、元々信州は東京に比較し春と秋が短く感じる土地柄ですが、『冷涼な信州』は過去の物になりつつあります。 まっ連続猛暑日が続く地方より余程過ごし易く、苦情言ったら罰当たるかもしれません。 今回は『風薫る爽やかな初夏』だっ...
前回まで3回に渡り国鉄型機械式気動車の歴史を追ってきました。 国鉄(鉄道省)が気動車開発に期待した小単位・多回数・高速運転は、地方私鉄に於いても全く同じで、運転経費が嵩む蒸機運転合理化策として、地方私鉄各社でも採用する動きが広がりました。 特にキハ39500(41000)が...
前回1952年のガソリン動車終焉まで、国鉄型気動車の歴史を追いました。 最後に登場したキハ41500・キハ42500は戦後復興の旅客輸送増大期に活躍しましたが、統括制御ができず多連運転できない欠点がありました。 気動車の内燃機関はモーターと異なり無負荷起動が必要で、自動車と...
キハ二5000に始まったレール上を走る自動車ガソリン動車は、わずか23年で国鉄から姿を消しました。 現在隆盛を誇るディーゼル動車の直系のご先祖登場は、ガソリン動車に5年遅れの1934年、キハ41000の機関換装改造した試作車キハ41500でした。 当時のディーゼル機関は船舶...
●●北線、●●西線の様に方位を含む路線名は数多く存在しましたが、その多くは建設計画の部分開業で、釜石東西線や三江南北線の様に全線開業して●●線になった路線もあれば、興浜南北線の様に全線開業しないまま廃線になった路線もあります。 そんな中で全線開業後も方位を冠したままの路線名...
筆者は1965年に高校進学して一人旅が許される様になりました、蒸機全廃の10年前です。 時間的に間に合っても出会う機会がなかった型式が2形式ありました、C51とC59です。 C59は九州と呉線でしか見られませんでしたし、C51は1966年に全廃されました。 残り僅かになった...
皆さん西濃鉄道をご存じでしょうか?、西濃運輸の関連会社ではなく全くの別会社です。 知る人が少ないのは路線延長4.5kmと短く、貨物輸送のみを行う鉄道だからです。 西濃鉄道は1928年(昭和3年)開業でおよそ100年前です。 石灰石・大理石産地金生山の鉱石運搬路線として建設さ...
前回の続編、今回は関西私鉄の話題からです。 【前号より転載】 近鉄特急網拡大のニュースです。 発車式に花を添える着飾った女性達は多分近鉄社員なのでしょう。 現在なら社外から雇わないと問題化する処です。 由運行開始翌日の吉野駅、終端駅だと解ります。 近鉄特急乗車経験は京都-近...
60年前を知る人は高齢者のみになりました、古い時代の春の話題です。 こんな事があったんだとご覧ください。 【鉄道P誌1965年5月号表紙】 表紙は西武鉄道700系、東村山付近の撮影です。 当時都内から日帰りハイキングコースの定番は、丹沢・奥多摩・奥高尾(陣馬山・景信山)そし...
東急は沿線で生まれ育った筆者に最も馴染み深い鉄道です。 物心付いた頃はまだ急行運転開始前で、旧型3000系MMT3連が渋谷-桜木町間を50分ほどで往復してました。 新型5000系が登場し、急行運転が始まったのは幼稚園児の時でした。 1950年代中頃は多摩川を渡ると一面田園地...
1月31日更新の以下記事で、釜石市内で撮影された廃止直前製鉄所鉱石輸送専用線写真と、シーナリーガイドK氏の陸中大橋駅訪問記が繋がった話を紹介しました。 ◆釜石製鉄所専用線の話 釜石製鉄所専用線レポート執筆者は、新聞記事で1965年3月に廃止される事を知り、釜石を訪問してます...
皆さんご存じの湘南顔80系走行写真を集めてみました、写真集としてご覧ください。 ★湘南顔80系西へ 交流電化開始前、直流電化が進んだ地域に80系電車が次々と進出しました。 東京都心お茶の水駅付近です、関西向湘南電車とあるので、東海道本線全線電化完成前から関西地区で運転開始さ...
★断片的記憶 『◇◇ちゃん湘南電車が来たよ、何台か数えてごらん』父の声に水遊びを止めて顔上げると緑色と蜜柑色の絵本で見た電車が鉄橋半ばに差し掛かってました。 覚えたての数え方で『1・2・3・・・』と数えると15両編成でした。 1953年夏、3歳半の朧げな記憶の断片、相模川か...
暦の上では立春過ぎたら春ですが、2月上旬は寒い日が続きました。 北海道や裏日本側は例年の倍を越える豪雪ですが、諏訪は雪が舞う程度で、2-3㎝の小雪でした。 と思ってたらこの週末に積雪があり、今シーズン初の雪掻きに追われました。 今回で更新1,500回になりました、良く続いた...
結局2月はレイアウト建設進展なしに終わりました、西日本編に続き東日本編です。 ブルトレ全盛時代の牽引機EF65登場です、1965年デビューだったんですね。 岐阜は名古屋に近い為かブルトレ特急は全列車通過でした。 『県庁所在地駅なにに』と、地元から要望があったのでしょう、19...
昭和40年代 前半(1965-1969年)は古き良き日本が残る最後の時代でした。 新幹線開業・オリンピック開催を終えて経済発展一段落、日本人の価値観や生活を大きく変える出来事が多発した『激動の40年代』前の、『曲がり角手前の小休止』時代だった様に思えます。 昭和40年代に起...
『鉄道開通で人・物の流れが活発化し地域は発展する』は、日本の鉄道発祥以来の原則で、何より事実が証明し新線建設の大義名分でした。 能登半島では七尾線が輪島まで開通してましたが、先端に近い珠洲市は鉄道開通が悲願でした。 20世紀後半に入り、『鉄道開通』から『道路網整備』に変化し...
『満鉄』シリーズ最終回は満州国の鉄道風景です。 満州の風景は『大陸的』です、土地に対する概念の違いが原因です。 現在の米国内風景も『大陸的』です、車で走れば何故kmでなくマイルなのか、何故リッターでなくガロンなのか感覚的にすぐ解ります。 【シリーズ初回より】・・・地平線が見...
本題に入る前にご報告、2月10日に拙ブログ開設以来累計250万アクセスに到達しました。 9年1ヶ月、1490回更新での250万アクセス到達になりました。 【2025.02.10 18:00】 これも一重に読者の皆様のご愛読の賜物と深く感謝申し上げます。 あくまで通過点に過ぎ...
『満鉄』特急『あじあ』号計画が持ち上がったのは満州国の建国翌年1933年でした。 日本が満州の直接経営を始め、その背骨に当たる大連-新京間高速列車の要望実現が背景です。 当時の最速列車急行『はと』は、701.4kmのこの区間を10時間30分で結んでました。 ここに130km...
旧南満州鉄道通称『満鉄』は、1906年から終戦までの39年間存在した日本の鉄道です。 従って乗った記憶、見た記憶のある人は85歳以上です。 生まれる前の時代なので特に興味はなく、戦前日本が経営してた現在の中国東北部を走る標準軌の鉄道で、流線形蒸機牽引の看板列車特急『あじあ』...
前回鉄道P誌掲載写真が釜石の国鉄準急『陸中』と製鉄所鉱石運搬専用線ナロー蒸機並走と解った話と、TMS掲載のホッパーのある陸中大橋駅の記事が、繋がった話を書きました。 鉄道P誌には記事内容と全く関係ない写真掲載が良くあり、これもその例です。 対岸が霞んで見えない長い鉄橋を渡る...
昨年9月鉄道P誌に掲載された1枚の写真が気になり、次の記事を書きました。 ★1枚の写真から・・・2024.09.11更新 【同記事より転載】 結局場所は釜石、被写体は釜石線準急『陸中』と、並行して走る釜石製鉄所鉱山専用線と解ったのですが、廃止間際のこの鉱山専用線訪問レポート...
前回今年の初工作記を更新し、レイアウト製作ブログの面目を保ちましたが、アクセスもINポイントもさっぱり、『下手な工作記休むに似たり』で、工作記にこだわる必要はなさそうです。 どっと疲れが出た訳ではありませんが、今回は写真数枚の軽い話題です。 【新庄機関区】・・・過去記事より...
妻が他界したあと収集していた鉄道模型や鉄道関係の雑誌はだいぶ処分整理しました。 人は亡くなったら、あの世に持っていくことは出来ないと思ったからです。 そこで鉄道模型は残したいものだけ残し凡そ半分位売却
レイアウト建設が進めば、プロセス写真と文章で工作記ブログ記事になります。 車両購入すれば、単品と走行写真にインプレッション添えて入線報告ブログ記事になります。 建設が進まず、車両購入しない当社はブログ記事に苦労してます。 『鉄道関連読物』として興味を持って貰えるネタを提供...
『新潟地震』で皆さんが思い出すのは2004年に発生した『新潟県中越地震』だと思います。 1995年阪神淡路大震災後改定された震度基準で、2回目の震度7を計測した地震で、死者16人、震源が陸上だったので津波はなく、マグニチュード6.8でした。 ここで言う『新潟地震』とは、その...
◆集中アクセス余話 臨時増刊号でお知らせした集中アクセスのその後です。 1月17日は最終的に3,372まで伸びました、18日、19日はご覧の通りで3日間で6,900です。 通常より4,500~4,700多く、余波が続いてる様です。 週間と言っても更新5日目で、平穏だった最初...
1964年10月新幹線開業を間近にした5月~9月には鉄道に係わる様々な動きがありました。 新時代の鉄道誕生と共に、まだ蒸機現役であり新旧混在、新旧交代の時代でもありました。 全国からそれらの動きを拾ってみます。 ★新幹線開業・ダイヤ改正 9月一杯は東海道で活躍する151系も...
前回の続編です。 『分解作業』で目的地別に分類し仕訳線に留置された貨車を引き出し、出発する貨物列車編成に仕上げるのが『組成作業』です。 旅客列車の編成表と同じ様に貨物列車にも列車毎に貨車の編成順序が決められており、ダイヤ改正の都度改定される『貨車集結方』に全貨物列車の編成順...
『ツル操』とは現在の新川崎駅近くにあった新鶴見操車場の事です。 国鉄関係者が岡操(岡山)、広操(広島)の様に貨物列車始発駅終着駅の略称として使ってた物です。 操車場で編成されたローカル貨物列車が各駅で行う貨車入換作業については、TMS掲載摂津鉄道S氏記事を基にした以下2記事...
モノレールは新しい交通機関として注目されてましたが、実用化は上野動物園や犬山遊園地など客寄せ施設の短い距離で、新しい交通機関と言える規模の物ではありませんでした。 当時羽田空港と都心の所要時間は1時間前後で、この区間を15分で結ぶ交通手段として距離/速度/輸送力に於いて世界...
前回は1961年10月サン・ロク・トウダイヤ大改正前で紙数が尽きました。 大改正で登場した新特急の記念切符は作られなかったので、最初は地味~な記念切符の話題です。 ★1961年12月 関西本線DC化 1961年12月、関西本線大阪-奈良間にDC列車運転開始し記念切符が販売...
昔も今も変わらず鉄道事業者は記念切符を良く販売します。 『開業』『開通』『▲周年』『電化』『新型車登場』理由は何でも良いのです。 記念切符とイベント開催で利用客増えれば増収ですし、記念切符を記念品として購入して貰えば丸儲けだからです。 最近では真岡鉄道や大井川鉄道など記念切...
東海道新幹線開業準備で忙殺されてた1963年の国鉄内部では、新幹線開業後の車両運用について意見が割れてました。 余剰になる151系の交直両用改造案と、特急網整備の為新製案の間で結論が出ませんでした。 【ウィキペディアより】 最終的に新製になった訳ですが、開発着手が遅れ60H...
ボリュームの大きい記事が続いたので、今回は前回C59特集に関連する小話です。 前回のC59特集で『1962年5月に広島まで電化され、瀬野八越えD52補機の役割も終わりました』と書きましたが、筆者の思い込みで間違ってました。 広島電化で登場した151系特急『富士』や153系急...
鉄道P誌1964年9月号からC59特集を紹介します。 【鉄道P誌 1964年9月号表紙】 本来ならC59/C60特集として特急ヘッドマークを付けたC59が表紙を飾る処でしたが、C56にその座を譲ってます。 【1963年版 蒸気機関車スタイルブックより】 国産初の特急牽引蒸機...
前回更新の鉄道P誌C56特集番外編として長野県のC56について書きます。 長野県はC56頼りの簡易線区小海線と大糸線、C56が主力を務めた飯山線があり、他地方に比べC56の関連性が高い県です。 筆者訪問保存機を含めた長野県C56特集にします。 1.小海線 筆者の『信濃のC5...
今回は鉄道P誌1964年9月号からC56特集です。 【鉄道P誌 1964年9月号表紙】 国鉄動力近代化計画がスタートし、近い将来蒸機全廃が確定した1960年代初頭から、鉄道P誌は蒸機特集を始めました。 早く消える形式からで、C51から始まりました。 関連形式一緒にしたシリー...
実は11月22日/23日にノートパソコンの代替を実施しました。 目が悪くセットアップして使える様にできるか自信がなく、ブログに穴を空けない為に今回まで予約投稿しました。 次回以降更新が途絶えた場合は、トラブルに巻き込まれたとお考え下さい。(笑) 鉄道P誌1964年6月号から...
鉄道P誌1964年5月号からは、新幹線や新線建設、及びアナザーストーリーをお伝えしてます。 5-6月号掲載の『新緑』、『水辺』と題した特集写真を紹介します。 【鉄道P誌1964年5月号表紙】 表紙は伊豆急乗り入れの国鉄113系と伊豆急車輛の、伊豆多賀駅での列車交換風景です。...
常総筑波鉄道をご存知の方は少ないかもしれません、翌年鹿島参宮鉄道と合併し関東鉄道となり、存在してたのは1964年までだったからです。 東西に走る水戸線と、北上する常磐線に挟まれた茨木県の片田舎を斜めに結ぶ鉄道路線で、非電化単線のローカル私鉄でした。 時代に取り残され全廃され...
鉄道P誌1964年3月号掲載記事からもう一つ紹介します、『わだいのくるま』です。 【前号より転載】 ◆名鉄パノラマカー7500系 最初の『わだいのくるま』は名鉄パノラマカー2次増備車7500系です。 1次車は6連3編成しかなく、全特急電車に採用した訳ではなく、あくまで『同...