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近年、世界各地において不可解な事件や辻褄の合わない出来事が頻発するにつれ、‘陰謀’という言葉を耳にする機会も飛躍的に増えました。かつてはマニアックな人々の好奇心を引き寄せてき‘陰謀’なる言葉は、今では、メディアなどでも堂々と語られるようになりました。しかしながら、その一方で、‘陰謀’という言葉は、さらなる混乱を招くことにもなったのです。それでは、何故、‘陰謀’という言葉の一般化が、現実に対する正確な理解を妨げる要因となってしまったのでしょうか。その主たる原因は、‘陰謀という言葉には、以下に述べるように、その使われ方に違いがあるからなのでしょう。第一の陰謀の使われ方は、陰謀の存在を否定する側が、陰謀の実在を信じている人々を揶揄するために使われるケースです。この使われ方は、メディアやウェブ記事などで頻繁に目に...陰謀論と陰謀説は区別すべき
あらゆる物事が数値化されるデジタル社会が、人々が安心して暮らせる信頼社会となるためには、データとして示された数字が正確である必要があります。基礎となる数字に疑いがあれば、人々は、それに基づいて下した自らの判断をも疑わなければならなくなるのです。もっとも、この側面は、デジタル化の進捗度に拘わらず統計全般にも言えることであり、数字が不正確であれば、それに基づく分析も評価も当然に砂上の楼閣とならざるを得なくなります。数字は理系の世界でより頻繁に使われるため、主観が混じりやすい文字による言葉よりも科学的で客観性があると見なされがちです。例えば、新聞や雑誌等の大手メディアが「国民の多くは、政府が検討している○○政策を支持しています」とする記事を掲載するよりも、「世論調査を実施した結果、回答者の73%が○○政策を支持...検証できない数字は怪しい-世論調査の問題