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時代劇などで、定(町)廻同心が自身番屋を巡回したり、拠点にしている様子がよく描かれます。では、自身番屋とはどのような場所だったのでしょうか。 江戸には、町奉行と町人たちとのあいだに、惣町を支配する三人の町年寄がいました。それが樽屋、奈良屋
俗に江戸八百八町といいますが、延享年間(1744〜48)に寺社門前地が町奉行支配になると、江戸の町数は千六百余に及びました。江戸惣町の頂点に君臨していたのが三人の町年寄、すなわち本町一丁目の奈良屋(舘)市右衛門、同二丁目の樽藤左衛門(また
江戸の町人地には自身番屋と木戸番屋があり、武家地には辻番所がありました。 今日でいえば、自身番屋は町役場に消防署と派出所の機能を兼ね備えたもの、木戸番屋は町内の防災と防犯、通行の管理を担う警備所、辻番所は最寄りの大名や旗本が管理する派出所