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江戸の町奉行所(延享年間以降)における職員の階層構造は以下のとおり。 頭(南北両町奉行)|組頭(筆頭与力。南北各組に五つ宛ある番組の支配役与力)|組衆(組与力同心。五人の支配役以外の本勤与力、本勤並与力、見習与力、および南北各組
先手組は番方だから家格も高かったというような話をたまに見かけることがあります。先手組は抱入席ですから、家格が高いわけはありません。おそらくは加役方(※1)#長谷川平蔵 を主人公にした時代劇(あるいは小説)の影響などもあるのでしょう。 『甲
明治元年(1868)、新政府は一六ノ日(※1)を休みとし、同六年には年末年始等の休日を制定しました。また、同九年四月から一六日の休暇を日曜日および土曜日の午後に改めます。では、それ以前、江戸幕府の役人、たとえば町奉行所の組与力同心たちはい
側衆の子弟や小姓・小納戸など、中奥の昵近衆がその筋の推薦を得て、表の役人に転じることがありました。そういう人を表では「坊さん」といったようです。要するに、世間を知らないお坊ちゃんというわけです。 中奥から出た町奉行といえば、下情に通じた刺