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昨日と今日で10℃以上違う気温差は身体に堪える。一昨日はTシャツ一枚で小田原の町を歩いていた。天守閣に上った頃は汗まみれだった。 ミジェットのトランクに機材満載で行く小田原の旅。この日の現場弁当は、東華軒のシュウマイ弁当と田むら銀カツ亭の豆腐カツ丼をいただく。勤労感謝。
写真は時間が経てば経つほど撮った瞬間と違う意味を帯びてくる。何気なく撮ったスナップが都市の歴史を読み取る記録となったりする。しかしこの方は地元の写真家なので当初から都市の記録目的であろうという写真が多い。スナップが都市の記録になるのか、記録だけれど巧いスナップなのか、どちらも正解なのだろうけれど、この日はたっぷりとノスタルジーに浸りゆったりと写真ることができた。 https://www.shibukei.com/headline/17953/ 1973年。50年前の道玄坂小路。渋谷アーカイブ写真展より。 この年代の渋谷の写真は数々の写真家が(スナップで)撮っているので初見ではないけれど、時折、…
地元の友人からの電話は1時間以上にも及んだ。途中ブランクはあるけれども中学生来の友人である。自営業のこと、主催のイベントのこと、女性のこと、兄弟のこと、子供のこと、友人知人のこと、色々な厄介事が一気にのしかかり潰れかけていた。時々言葉に詰まり涙ぐみ、話している内容が支離滅裂になりかかっているのは彼にとって危険信号である。ボクよりはるかに精神力の強い男だったけれど、とにかく色々ありすぎた。小説か映画にできるくらいの人生である。支離滅裂な内容をもうボケたのかと指摘し、お互い歳をとったからなと言って自虐ネタで無理に笑わせてみる。数少ない腹を割って話のできる友人のピンチに助け船を出してやれない距離が歯…
繁忙期に入った。業務が山積みになると現実逃避したくなるのはいつもの事、明日出来ることは明日に回そうということでこの日はカニ太郎をガンガン走らせてみた。絶好のオープン日和だけれど日が傾きはじめると途端に寒くなる。それでも晩秋の限りなく透明に近い空気が気持ちよい。 その昔、草レースなどをやっていた事もあってか、握りの細いウッドステアリングはあまり好まないけれど、カニ目のレスレストンのウッドステアリングの掌へのフィッティングが妙に気持ちよくて、帰宅後ミジェットもウッドに替えてみた。勿論レスレストンではなくてモトリタ。このステアリングは以前トライアンフTR4に付けていたもので25年ぶりの現役復帰となる…
若い頃はカブなんてクソだせえと思いつつも、幼い頃から当たり前のようにある、風景のようにそこにある不変なその姿が、突然ある時から機能美として見えてくるのである。20年ぶりくらいに友人に借りて乗ってみたらそれはもう軽くて楽しかった。大型バイクに乗っていた頃にSR400に乗ったら「軽っ!自転車みたいだ」って思ったし、中型スクーターに替えた時もすごく軽いと思った。さらに125スクーターに替えたときはもうそれは風に飛ばされそうなほど軽くて頼りないと感じたけれど、今やその125スクーターですら取り回しが重いと感じるのは体力が落ちたのか齢のせいだろうかなんだかちょっと悲しくなる。そんな非力人でも扱えるような…
以前から宇宙からの得体の知れない電波をキャッチして創作していると言っていたボスだけれど、それはゼロポイントフィールドからの波動をもらっている事だと言いだした。今話題のゼロポイントフィールドは俄には信じがたいけれども、色々と腑に落ちる部分はあったりする。ボクがよく体験している締切に追われてギリギリのところでこれしかないという良きアイデアが下りてくる、というのはゼロポイントフィールドからの波動なのだろうか。過去の自分の作品を観ながら、なんでオレはここでこのカットを入れたのだろうとか、なんでこういう編集をしたんだろうかとか、結果成功しているんだけれど、今やれと言われてもできないようなマジックを無意識…
現像薬品のD76がなくなり、さあ薬品をどうしようと考えていたところ、以前購入した自家調合品のMARIX D76が買ってあったのを思い出して溶解してみると烏龍茶級のまっ茶色の現像液となった。確か5月に買った薬品なので半年しか経っていない。まあコダックのD76も溶解して日数が経つとどんどん茶色化するのはわかっていたけれど、溶解した途端にまっ茶色になったのは少々驚いた。念のため販売元に問合せてみると外袋などまだ色々試行錯誤中との事。すぐに代替品を送ってくれると言うことで大変よく対応していただいた。自分で調合することを考えたら多少コストがかかっても安定供給してくれるのは有り難い。微妙な配合の自家調合で…
友人知人から過去何度も感染させられそうになった強力なライカウイルスには全く感染しなかったボクだけれど、カブ菌にはいとも簡単に感染した。そしてその感染力は凄まじく、ボクから感染した職場のボスもカブを探し出した。 スクーターを手放して新車みたいなキャブ最終の納屋物をゲット。鉄カブの中古相場は上がっているので入手価格は当時の新車価格を超えたかも。しかしスクーターの売値と先日のジャケット売値を加算すればなんとか賄えるか。 というわけでスーパーカブはじめました。
もうそれがあったことすら忘れていた。仕事場で作業着代わりに着ていた90年代に買ったデトロイトジャケット。先日入った古着屋で信じられない値段で吊されているのを見て腰を抜かした。早速仕事場で探してみると20年間クローゼットの中で熟成されたジャケットが出てきた。何度も捨てようと思ったけれど捨てなくてよかったよ、これは古着屋には持って行かずメルカリへ。もはや一体何がブレイクするのか想像も付かない。アウトドアブームだからだろうか、近年のファストファッションへのアンチテーゼだろうか、頑丈なワークウエアの需要が再燃しているようである。
渋谷芸術祭で渋谷駅前で一日だけ限定公開されたハチ公アート、西野達制作の部屋「ハチ公」をフラッと見に行ったらその見物行列は半端ない長さになっていておそらく2時間待ち級だった。これは無理だと思い、通りすがりに横目で見るだけにしたけれど、いつものハチ公前を通り抜けるだけでも相当大変で、それはもう何年か前のハロウインくらいの混雑になっていた。芸術もハチ公もここまでメジャーになってヒートすると何だか素直になれないような、妙な心理が働いてよろしくないなあとか考えながら友人の誕生日パーチーイベントに浜田山まで出掛ける。もちろん井の頭線の車内もハチ公一色になっていた。
25年ぶりに訪れたその場所にまだかどやは残っていた。津具村「かどや」は小学生の頃よく買い物に来た場所である。この後方100mに本家があった。このあたりまでが上津具、この先の集落を下津具と呼んでいた。
コロナの影響か、昨年近所の成城石井が閉店した。その後しばらく空き店舗だったけれど、最近白地に黄色の看板が目立つ店舗に代わっていた。ああ、またチョコザップかなと思ったけれど古着屋チェーン店だった。今さら古着屋かと思ったけれど覗くと大盛況なようで冷やかし半分で入ってみた。するとなんだか若い頃を思い出して楽しくなって気づけば30分も古着を漁っていた。そして帰りには良い色合いのマッキントッシュのキルティングコートを抱えて店を出てきた。
朝7時、気温8℃。超寒いし雨降るし、それでも飼い犬を散歩させるように走る。いつもの外苑でマーキング。今シーズン初のヒートテック股引を履いた。 相変わらず直流発電のダイナモでチャージ不足のバッテリーは一週間も放置するとセルの回りは弱々しく。今朝のコールドスタートはさすがにブースターの助けを借りた。
区内循環のハチ公バスに乗ってハチ公口に行き、そこからスクスクの紀ノ国屋へ。実家へのお土産はハチ公ソースを選び、支払いは地域電子マネーのハチペイで決済するというハチ公まみれの昨今。 忠犬ハチ公が昨日で生誕100年。区役所でもしきりに関連イベントの告知をおこなっていた。それはたいそう立派な秋田犬だったとは思うけれど、博士が亡くなってからは行き場がなくて渋谷駅を根城とする野良犬になっていたという話もあるけれど本当のところはわからない。おそらく人々が観念的に作り上げたハチ公物語だとは思うけれど、それはそれでいいのである。今日はハチが歩いたであろうルートで帰ってみることにする。
いつも通りかかる近所のそば屋の軒先には出前機を装備した配達用のカブが2台停められている。デリバリメシはウーバーイーツじゃなくてやっぱりコレが正しい。先日ふと気になってメーターを覗き込んでみると、なんと、間もなく10万キロだった。もう一台は5万キロ。たった50ccのエンジンでこの耐久性、まさに世界に誇る日本の名車である。 雨に濡れる軒先駐車ゆえサビは仕方ないけれど、毎日動いているだけあって現役感が半端ないプロ仕様。その健気な佇まいはもはやニッポンの風景でもある。
モーターショーのチケットをもらっていたけれど結局行けなかった。毎年この時期の週末は忙しくて行けない。はて、最後に行ったのはいつだったかと思い返せば小学生の時だから随分前である。当時は晴海で開催されていて小学生でも妙に興奮したのを覚えている。果たして今行っても楽しめるだろうかとか色々考えてしまうとどうにも腰が重かったりする。家電化されたようなハイテク自動車には正直あまり興味が湧かない。本棚にまだ保管してある当時の図録を捲ってみればトヨタの2TGと18RGにソレックスがギリギリで付いている佳き時代だった。
撮れたかなっていう写真は100コマに1枚あるかないか、3ロールに1コマあればいい方か。10年以上まったく進歩してないけれど、セレクトする眼はわずかに進化していると思う。
丁度いい季節なので走りまくった週末。久々にマキナを積んで中央道で北上し、飯田の元善光寺でお詣りをして、下道で愛知県まで南下、温泉に入って東名で戻るというルートだったけれど、帰路はうっかり東名集中工事の大渋滞にあたってしまった。これが休日の渋滞と違い工事1車線規制なのでどれだけ待っても渋滞の距離は短くならず、下道も真っ赤で大混雑。仕方なく渋滞に突っ込むこと2時間以上。その間ほとんど完全停止か1速でゆるっと前に進む程度の最悪の渋滞で左足は痙攣気味。組み直したヒーターの効きは抜群で何度も意識が飛ぶ。 151号添いの道の駅毎に五平餅を食す。悪くないけれどやっぱり自分で作る五平餅が一番美味い。
久しぶりに大きな買い物をしようと企んでいる。出費は痛いけれどあれこれ考えているときが一番楽しい。ある意味ムダかもしれないようなお金を使う事も活力になる。
現像に抜群の季節となり、D76の最後の1ガロンを使い切った。 コダックの現像薬品D76が日本から姿を消したのち、代替えをどうするか未だに悩んでいる。安価なフジのSPDを試してみようと考えたこともあったけれど、ダブルXにはどうなんだろうかと。何より長くやってきたレシピを替えるのは面倒でもある。ならば自家調合しかないと薬品を取り揃えたところでイルフォードからD76が発売された事を知る。イルフォードにはD76同等のID11というのがあったけれどラインナップから外れ、D76に集約されたのだろう。しかし1Lあたり以前の1ガロンほどの値段を見てちょっとがっかりした。試しに2袋ほど買ってはみたものの、やはり…
洋服の選び方が難しい季節になった。先週、コロナ休暇ついでにクローゼットの不要衣類を大量に処分した。夜、スッキリしたクローゼットを覗きながらそういえば昨年は何着てたんだろうと毎年のように考える。スーツは着ないけれど人前に出る事が多いのでそれなりに気を遣う。とか言いながらビジネス用のジャケットとまだ固いライダースを代わりばんこに着ていたのを思い出す。しかしこの時期一番活躍するのはやっぱりユニクロのアウターだったりする。と、そんな事を考えているうちにすぐに冬がやってくる。また来年考えることにしよう。
今日も飛ぶ、真上を旋回ヘリの音。秋の空、遠くに聞こえるセスナかな。 オリンピック前から自宅の真上を羽田に着陸するジェットが飛ぶようになった。着陸態勢なので高度は低く、当初は911を思い出すような低さに思えたけれど、実際はもう少し高度はある。飛ぶのは午後の一部の時間帯だけだけれど、立て続けに飛来するので最初は慣れなかった。色んな物が忙しなく頭上を飛び回る東京だけれど、そんな中でも乾いた秋の空で遠くに響くプロペラ機のエンジン音だけは何故かノスタルジーな気分に浸れたりする。
同居人がコロナを発症してから二週間、奇跡的に回避できた俺は無敵だぜなんて言ってた矢先に発熱した。しかしそんなにウイルスは長居するのだろうかと今ひとつ納得できないけれどPCR検査でははっきりくっきり二本線が出ていた。どうも具合悪いなと思ったのは出張先のビジネスホテルの朝。あれ、これなんかヤバいやつじゃんって8年ぶりの感覚。まあ何とかなるだろうとマスクして業務をこなして、しかし夕方には立っていられないほどフラフラに。体温はあえて測らずロキソニンを飲んでなんとかミジェットで中央道をひたすら運転して帰ってきた。機材を片付けて家に帰ってきた途端に強烈な寒気に耐えられなくなり体温を測ると39.5度まで上が…