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英語で話しかけられると、つい緊張して「オーケー」を連発しがちですよね。でも、「OK」という語は使い方次第で微妙なニュアンスも表せる便利な言葉です。この記事では、会話例を示しながら感覚的に使い分けるためのポイントをお伝えします。
文脈によって単語の意味合いが変わる日本語では同じ言葉を使い回しできることも多いですが、英語だとそれぞれの状況に応じて使い分けが必要な場合もよくあります。日常会話でも使用頻度の高い「分かりません」という表現の使い分けについてお伝えします。
「なんでもいい」と言う時に「anything」以外の表現も使いたい。そこで候補になる「whatever」ですが、この語を単体で使う場合と文中で使う場合とでは意味合いが変わってしまうという落とし穴が。ニュアンスの違いと使い分けについてお伝えします。
言葉を使うことは本当に難しいです。容易に相手を傷つけますし、自分も傷つきます。私は訓練や書籍から学んだことを活かしようやく平穏に暮らせるようになりました。それまで紆余曲折ありました。
言葉選びに必要なことって...まず親は子どもをどのように育てていけばいいのでしょうか??体をつくることは【食べ物】ですね♪ですが、思考はどのように育っていくのでしょうか??それは【言葉】だと感じます♫しかも外部から受ける言葉と内側からでる言
「草」と書いているのを見てあなたはどう思うだろうか。笑ったことを意味しているなんて答える人がいるかも知れないが、実は全く意味を内包していない。その言語空間に参加している証を残したいだけなのだ。参加している痕跡として、とりあえず「草」と書いているに過ぎない。
あなたは関係を進展させたいと思っている女性と話していてこう感じたことはないだろうか。「言葉の意味を間違ってるんだけどな」「その意見はちょっとおかしい」。受け流すのも一つの手だ。だが、どうしても訂正したくなったり、反論したくなったりすることもあるだろう。そんなときには次の方法を試してみてほしい。
「感」を多用する人ほど「感受性」が鈍い|「~感を感じる」という重言に何ら抵抗がないヘボライターは自害せよ
「~感を感じる」「感じる~感」といった表現を絶対に許せない神経でなければライターをやるべきではない。こんな無粋な重言に対して指摘されるまでもなく「あれ?」と思わない奴は間違いなく「鈍感」だからだ。これはスポーツ選手にとっての動体視力や反射神経みたいなもので「~感を感じる」「感じる~感」という表現に何ら抵抗や反応がないなら
あなたは「てかつか病」かも知れない。「てかつか病」とはすぐ「てか」「つか」などの言葉を頭に付けてしまうことだ。一度患ったらなかなか治らない「てかつか病」について解説する。対処法も書いておこう。
【気軽に転載してください】「言葉は時代で変わる論者」「言葉は生き物信者」の正体・実態のまとめ
当ブログで主張している考えをまとめた。もし、好ましい表現の提供に対して「言葉は時代で変わる」「言葉の本質は変化」「言葉は生き物」などと見苦しく反論する人間がいれば、積極的に転載してほしい。文言の細部はあなたの性格に合わせて修正していただきたい(例:奴→人)今後の日本を楽観視し、言語を蔑ろにする輩に反撃しよう。
世の男性を見ていて「もったいない」「惜しい」と思う言葉遣いが少なくない。そのひとつが「とか」を付ける癖。「えっ何かマズいの?」と思った男性は要注意。「とか」にどんなマイナス面があるのか、また「とか」をやめることで女性にどんな印象を与えるのかを解説する。
アネです。ブログやSNSで私個人が苦手というか、使うタイミングの分からない表現があります。語尾にwとか笑を使うタイミング。今では草を使う人も見かけるようになり…
目下のイベントにしか興味がないソーシャルゲームのアホプレイヤー共が「納金」の対義語であるはずの「課金」で上書きセーブをやらかしている。その上書きセーブのデータは各分野でコピーされ世間に蔓延した。その蔓延ぶりは手の付けられないところまできており、愛国心の塊のような桜井誠氏でさえ「納金」のことを「課金」と言っている始末。
大手新聞社やテレビ局といった企業、個人ブログ、まとめブログなどへ意見を届けた。しかし、その殆どが提案を受け入れることなく現在も活動している。防犯の知識を悪用した「可能性」の誤用に関しては惨敗だ。よって「実績」とは言い難い。私が不適切と感じる表現はこの他に多数ある。随時更新していくつもりだ。
「言葉を変えて何が悪い」とぬかすバカへ告ぐ。不完全なくせにこれ以上自由を望むな
既存の語義と用法で申し分ないほど自由な表現が可能にも関わらず、更なる自由と制限の解除を求める。これは人間に高い理性が「恒常的」にあるという条件を必要とする。しかし、そんなものは二千年以上前に否定されている。条件は満たされない。飽きっぽいから定義や基準を変えたがる。恒常的に高い理性を保てない奴らには土台無理な話だ。
言葉の正誤や好ましい表現について語る媒体は沢山あるだろう。しかし、当ブログと決定的な違いがある。それは「六つの視点」を持
「リベンジの誤用を擁護するお前たちを焼き殺してリベンジしてやる」と言っても罪に問われない理由
語義が多数派により置き換えられるという現象は相対化を経て新たに語義が絶対化されることを意味する。つまり、語義の変化は「相対化の絶対化」を繰り返し行う運動というわけだ。「いや、リベンジの語義を拡張しているのだから制圧じゃないだろ」「復讐、仇討、怨恨の意味も残しているのだから寧ろ合理的だろ」と考える人もいるだろう。だが、
日本語の「適応」を続けてきたのは良い風習、「良習」と捉えることができる。「適応」を「現実主義」「プラグマティズム」と認識している人も少なくないだろう。ただ言語に対して「適応」「現実主義」「プラグマティズム」を突き詰めるとどうなるか。何十世代後か何百年後かはわからないが、形だけで中身はスッカラカンな日本語らしき何かになる
よく「新年明けましておめでとう」という表現を見聞きする。これ書いているのは一月七日だが、改めて変な表現だなと感じた。変な表現の原因は「新年」の部分である。では、その理由について書いていこう。
俯瞰的な視点を持ち平衡感覚があると自負しているインテリ気取りの人間ですら「言葉は変化するんだ!」「言葉は生き物なんだ!」といった主張をするので、その時期は憤りすら感じていたものだ。だが、ようやく自分なりの論理を得たので言語化できるようになり、ブログで発信しようと思い立ったのである
確かに「かわいいは引力」よりも「かわいいは正義」の方が言葉としての面白みはあるが、見聞きする度にやはり「正義」と形容するのはおかしいなと感じてしまう。因みに的確な表現だなと私が思うのは「差別の当たり屋」と「パチンカス」だ。
こうやって書き出すと私も話し言葉では時折やらかしてしまう。だが、ブログ記事ではかなり慎重にチェックしている。と言いつつも、数カ月後に気付くこともあるのでやっかいだ。
「言葉は変化して構わない」と信じて疑わない人が気付かない矛盾
「言葉をできるだけ保守せよ」と主張する私に対して「言葉は変化して構わない」と反発されることが多い。ただ、ここで一つの疑問に突き当たる。
商品レビューかブログ記事は忘れたが「多少少ない」と書いている人がいた。何がなんだかさっぱりわからない状態だ。文意を汲み取らないお前が悪いと反論するのも結構だが、この稚拙さにも苦言を呈してもらいたい。
「普通においしい」「普通におもしろい」「普通にかわいい」などの言い回しは、田舎の小中学生のセンスに似ている。自転車にアッパーハンドルやバイクのフロントカウルなど、何でもかんでも好き放題に取り付けて喜ぶような。アホである。私も似たようなことをしていたので、未熟な彼らにはまだ可愛げを感じる。「普通に~」も不適合なパーツと同じ。
もし、保育所・幼稚園で保育士や教諭が「ワンオペ」と言っていたらどうだろう。良い気分にならないのが親として真っ当な心理なはず。その一方で、我が子との暮らしを「ワンオペ」と言ってのける親がいる。あなたがどう思うか訊きたいところだ。もし「ワンオペ」と言い放つ保育士や教諭に不快感を抱きながら、自身が「ワンオペ育児」と
習うより慣れろという訓は、まさにプラグマティズム、実践の中にあるのだからそれで話は終わり、とするのが、あるべき大人の態度なのかも知れない。それでも私は拭い去れない。「習うより慣れろだけで良いのだろうか」と。
【衝突語】「難易度が高い」高いのは難しさ?易しさ?一体どっちなのさ
「ご安全に」なる言葉がある。これは、製造業・建設業の現場での安全意識高揚のために掛け合う言葉だ。だが、この「ご安全に」は世間全体に浸透していない。あくまでも「製造・建設界隈」でキッチリ収まっている言葉である。他方「難易度」や「課金」は「ゲーム界隈」のみならず広い分野に浸透し、世間で当たり前の表現としてのさばっている。
「神~」をやたら遣う奴らを見ていてつくづく思う。「オナニー/自慰」だなと。「神回」「神曲」「神対応」などと発言することで、脳内から快感物質でも出ているのだろう。「神」でオナニーをしているというわけだ。これぞまさに「神オナニー」。ところ構わず「神~」を連呼し自慰に耽り絶頂する。これでは猿と大差ない。「神オナニー猿」とでも言っておこう。
あまり見かけない山鳩がいたょ。 羽の端々が赤いのが特徴なんだって。 連れ合いと単独行動をするから好きだと旦那氏は言ってた。 実際はこんなに距離を取られてたけどさ( ´艸`ちっさ) ちなみに群れる鳩は私も苦手だ 或るテレビ番組で一般人外国人が数人議論してたんですが 静かに主張...