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第1126話 出来ない自分を受け入れる~負けを認めて強くなる~
この記事では出来ない自分を受け入れる~負けを認めて強くなる~について書いております。 思うような結果が出せないままでいるとき、今のやり方が違うということ。しかしそれまでに費やした時間・労力を考えると今更引き返せないと思ってしまう。結果が出ないときは素直に負けを認めてしまうのが一番良い解決方法なのかも知れません
夏真っ盛り。子供たちは夏の宿題をちゃんとやってるでしょうか(笑)。 溜めてしまうと厄介です。 毎日ちょっとずつ片付けていくのが一番いい。 アタシの子供の時分、一度だけ「絵日記をつけろ」なんて夏休みの宿題が言われたことがありました。 今のようにネットはありませんから、昔は溜まっている新聞を見返して休み明けギリギリになって天気をつけたものです。 「ちゃんと毎日やったか」それが見られるポイントだという...
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この記事では必見‼人を操る話し方⁉について書いております。 自分の人生を過ごしやすくするためには、思い通りに相手を動かすことも必要。相手を動かすためには、理論的な会話よりも大切なことがあるのです
この記事では、何気ない口ぐせが人生を変えてしまうこともあるということを説明しています。特にネガティブな言葉はネガティブ思考をうみ、行動に制限がかかります。ネガティブ思考に陥らないためにはどうすればいいのか?
あなたは関係を進展させたいと思っている女性と話していてこう感じたことはないだろうか。「言葉の意味を間違ってるんだけどな」「その意見はちょっとおかしい」。受け流すのも一つの手だ。だが、どうしても訂正したくなったり、反論したくなったりすることもあるだろう。そんなときには次の方法を試してみてほしい。
「感」を多用する人ほど「感受性」が鈍い|「~感を感じる」という重言に何ら抵抗がないヘボライターは自害せよ
「~感を感じる」「感じる~感」といった表現を絶対に許せない神経でなければライターをやるべきではない。こんな無粋な重言に対して指摘されるまでもなく「あれ?」と思わない奴は間違いなく「鈍感」だからだ。これはスポーツ選手にとっての動体視力や反射神経みたいなもので「~感を感じる」「感じる~感」という表現に何ら抵抗や反応がないなら
どんな言葉選びをしていますか??子どもへの声掛けって大切だとよく耳にします‼子育てにポジティブな言葉を選べていますか?例えば、【身体】を作るのは食べ物ですよね♬では【思考】を作るのは普段からの受け取る言葉だと思うのです‼選ぶ言葉で子どもの思
自分で決めたことであれば 後悔はなく、少しの反省で次に進める。それを繰り返していくことで人生はより豊かになるハズ
普段使っている言葉を意識することで、なりたい自分になれる、そんな方法があるのです。現状から抜け出してなりたい自分になれる方法をしれば 誰にでも現状を抜け出すことができるのです
言葉というのは銛(もり)のようなものだ。 いったんはまってしまうと~フレッド・ホイルの言葉
にほんブログ村 言葉は時には人を傷つける道具となる、、、。 こんにちは夢を実現させるために常にあなたと向き合っていくコーチング Tête à tête(テタテ…
アネです。繊細なのか、小心者なのか。友人知人と楽しく話していて帰宅後にもしかしてあんなことこんなこと言って相手が不快に思わなかったかなとか余計な一言…
あなたは「てかつか病」かも知れない。「てかつか病」とはすぐ「てか」「つか」などの言葉を頭に付けてしまうことだ。一度患ったらなかなか治らない「てかつか病」について解説する。対処法も書いておこう。
人の気持ち人の気持ち [社会・政治・時事] 私のアメブロの詩を朗読しました。ちなみに詩はフィクションです。アメブロ「とりあえず詩集という...nico.ms…
【気軽に転載してください】「言葉は時代で変わる論者」「言葉は生き物信者」の正体・実態のまとめ
当ブログで主張している考えをまとめた。もし、好ましい表現の提供に対して「言葉は時代で変わる」「言葉の本質は変化」「言葉は生き物」などと見苦しく反論する人間がいれば、積極的に転載してほしい。文言の細部はあなたの性格に合わせて修正していただきたい(例:奴→人)今後の日本を楽観視し、言語を蔑ろにする輩に反撃しよう。
本当に「言葉の変化」を無批判に肯定して良いのか。「言葉の変化」を全肯定する人が多数を占める日本というのは好ましいのか。私はもちろん好ましくないという意見を持っている。変化を良きものとできたのはひとえに「ラッキー」だったからだ。
世の男性を見ていて「もったいない」「惜しい」と思う言葉遣いが少なくない。そのひとつが「とか」を付ける癖。「えっ何かマズいの?」と思った男性は要注意。「とか」にどんなマイナス面があるのか、また「とか」をやめることで女性にどんな印象を与えるのかを解説する。
鬼嫁のストレス発散のために夫はぐでたまなんだって(^-^;【こんな会話も我が夫婦のコミュニケーション(笑)】
↓いつも応援★ありがとうございます★ にほんブログ村 我が夫はぐでたまだ(-ω-)/ ~↓「夫は本性は…ぐでたまだった💧」はこちら↓~ https://plaza.rakuten.co.jp/ccpurin/diary/202112240000/ ★ぐでたま星人
こんにちは。ご訪問ありがとうございます(*^_^*)前回の記事を書いているときに途中まで書いて全部消え、最後まで書いて途中まで消える、という2度の失敗を犯してしまいました🌀もう、 ホンマどういうこと⁉️ って思った気持ちを共有させてください(苦笑)さてと。今回は仕事でイラッとした愚痴、です💦ワタシのお仕事。顧客対応をしたら毎回必ず報告書を作成し、顧客にも配信することになっています。そして今年度から毎月の報告...
「言葉は変化して構わない」と信じて疑わない人が気付かない矛盾
「言葉をできるだけ保守せよ」と主張する私に対して「言葉は変化して構わない」と反発されることが多い。ただ、ここで一つの疑問に突き当たる。
大手新聞社やテレビ局といった企業、個人ブログ、まとめブログなどへ意見を届けた。しかし、その殆どが提案を受け入れることなく現在も活動している。防犯の知識を悪用した「可能性」の誤用に関しては惨敗だ。よって「実績」とは言い難い。私が不適切と感じる表現はこの他に多数ある。随時更新していくつもりだ。
「普通においしいはOKだよ♡」平野啓一郎の正体は二枚目気取りの三枚目
平野啓一郎よ。各々が語義や用法をいじくり回して変化させるという多様性をお前は支持している。ならば「普遍」「普通」なるものにズレが生じ多様性に富むことを認めたことになる。では「普遍的に通じる」という論理は否定されるのではないのか?お前は、頭の中がバランバランに分裂した統合失調なのだ。
「言葉を変えて何が悪い」とぬかすバカへ告ぐ。不完全なくせにこれ以上自由を望むな
既存の語義と用法で申し分ないほど自由な表現が可能にも関わらず、更なる自由と制限の解除を求める。これは人間に高い理性が「恒常的」にあるという条件を必要とする。しかし、そんなものは二千年以上前に否定されている。条件は満たされない。飽きっぽいから定義や基準を変えたがる。恒常的に高い理性を保てない奴らには土台無理な話だ。
言葉の正誤や好ましい表現について語る媒体は沢山あるだろう。しかし、当ブログと決定的な違いがある。それは「六つの視点」を持
日本語の「適応」を続けてきたのは良い風習、「良習」と捉えることができる。「適応」を「現実主義」「プラグマティズム」と認識している人も少なくないだろう。ただ言語に対して「適応」「現実主義」「プラグマティズム」を突き詰めるとどうなるか。何十世代後か何百年後かはわからないが、形だけで中身はスッカラカンな日本語らしき何かになる
よく「新年明けましておめでとう」という表現を見聞きする。これ書いているのは一月七日だが、改めて変な表現だなと感じた。変な表現の原因は「新年」の部分である。では、その理由について書いていこう。
俯瞰的な視点を持ち平衡感覚があると自負しているインテリ気取りの人間ですら「言葉は変化するんだ!」「言葉は生き物なんだ!」といった主張をするので、その時期は憤りすら感じていたものだ。だが、ようやく自分なりの論理を得たので言語化できるようになり、ブログで発信しようと思い立ったのである
確かに「かわいいは引力」よりも「かわいいは正義」の方が言葉としての面白みはあるが、見聞きする度にやはり「正義」と形容するのはおかしいなと感じてしまう。因みに的確な表現だなと私が思うのは「差別の当たり屋」と「パチンカス」だ。
こうやって書き出すと私も話し言葉では時折やらかしてしまう。だが、ブログ記事ではかなり慎重にチェックしている。と言いつつも、数カ月後に気付くこともあるのでやっかいだ。
商品レビューかブログ記事は忘れたが「多少少ない」と書いている人がいた。何がなんだかさっぱりわからない状態だ。文意を汲み取らないお前が悪いと反論するのも結構だが、この稚拙さにも苦言を呈してもらいたい。
「普通においしい」「普通におもしろい」「普通にかわいい」などの言い回しは、田舎の小中学生のセンスに似ている。自転車にアッパーハンドルやバイクのフロントカウルなど、何でもかんでも好き放題に取り付けて喜ぶような。アホである。私も似たようなことをしていたので、未熟な彼らにはまだ可愛げを感じる。「普通に~」も不適合なパーツと同じ。
もし、保育所・幼稚園で保育士や教諭が「ワンオペ」と言っていたらどうだろう。良い気分にならないのが親として真っ当な心理なはず。その一方で、我が子との暮らしを「ワンオペ」と言ってのける親がいる。あなたがどう思うか訊きたいところだ。もし「ワンオペ」と言い放つ保育士や教諭に不快感を抱きながら、自身が「ワンオペ育児」と
習うより慣れろという訓は、まさにプラグマティズム、実践の中にあるのだからそれで話は終わり、とするのが、あるべき大人の態度なのかも知れない。それでも私は拭い去れない。「習うより慣れろだけで良いのだろうか」と。
【衝突語】「難易度が高い」高いのは難しさ?易しさ?一体どっちなのさ
「ご安全に」なる言葉がある。これは、製造業・建設業の現場での安全意識高揚のために掛け合う言葉だ。だが、この「ご安全に」は世間全体に浸透していない。あくまでも「製造・建設界隈」でキッチリ収まっている言葉である。他方「難易度」や「課金」は「ゲーム界隈」のみならず広い分野に浸透し、世間で当たり前の表現としてのさばっている。
「神~」をやたら遣う奴らを見ていてつくづく思う。「オナニー/自慰」だなと。「神回」「神曲」「神対応」などと発言することで、脳内から快感物質でも出ているのだろう。「神」でオナニーをしているというわけだ。これぞまさに「神オナニー」。ところ構わず「神~」を連呼し自慰に耽り絶頂する。これでは猿と大差ない。「神オナニー猿」とでも言っておこう。
一年生の息子の担任の先生は、授業中などに、静かになって欲しいとき、【しずちゃん】と名付けられた、カニの絵を黙って提示して、みんなが気が付いて静かになるのを待つのだそうです。しずちゃん×蟹で‥‥静かに!なんだかユーモアがあって、ほっこりします