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数週間前にカズレーザーさんの番組で「二重表現」というものを知りました。例えば「まず最初に」がそれです。”まず”自体に「最初に」の意味があるので、「最初に最初に」という意味になるという。厳密に言葉を使いたい勢としては見逃せないポイントだったの
友人のKはLINEスタンプで蛙化という単語を発見。その後職場に人に聞いて若手みんなが知っている事に驚き、タメである私に知っているかどうか確認してきたんでしょう笑。蛙化現象の名付け親は日本人の方です。名前はグルム童話「かえるの王様」に由来するのだそう。かえるの王
【意外に誤用しているかも?】国広哲弥『日本語誤用・慣用小辞典』
真面目な誤用の本だけどたまに面白い言葉をぶっこんでくるのがイイネ!!結構誤用表現は用いがちです、たぶん私もやらかしているに違いありません。人生がエラーだって?やかましか。
このブログでは、よく、「閑話休題」という言葉を表題に掲げている。お気付きの方も、居られると思うが、これは、明らかな誤用で、本来、こうした使い方はしない言葉である。 文章中に使う言葉なので、表題に持ってくること自体が、じつは、おかしく、脇道に逸れたときなどに、話を元の本題に持...
あなたは関係を進展させたいと思っている女性と話していてこう感じたことはないだろうか。「言葉の意味を間違ってるんだけどな」「その意見はちょっとおかしい」。受け流すのも一つの手だ。だが、どうしても訂正したくなったり、反論したくなったりすることもあるだろう。そんなときには次の方法を試してみてほしい。
「感」を多用する人ほど「感受性」が鈍い|「~感を感じる」という重言に何ら抵抗がないヘボライターは自害せよ
「~感を感じる」「感じる~感」といった表現を絶対に許せない神経でなければライターをやるべきではない。こんな無粋な重言に対して指摘されるまでもなく「あれ?」と思わない奴は間違いなく「鈍感」だからだ。これはスポーツ選手にとっての動体視力や反射神経みたいなもので「~感を感じる」「感じる~感」という表現に何ら抵抗や反応がないなら
アクセスがいまいちなので、なんとなく再公開。 初回公開:2022/7/20 11:00 武井壮氏の発言について ・・・は賛否あるでしょう。 ここでは語りません。 私が気になったのは、上の記事に対するネット上の匿名コメントのひとつです。 「成功者のパラドクスだね」 という...
【気軽に転載してください】「言葉は時代で変わる論者」「言葉は生き物信者」の正体・実態のまとめ
当ブログで主張している考えをまとめた。もし、好ましい表現の提供に対して「言葉は時代で変わる」「言葉の本質は変化」「言葉は生き物」などと見苦しく反論する人間がいれば、積極的に転載してほしい。文言の細部はあなたの性格に合わせて修正していただきたい(例:奴→人)今後の日本を楽観視し、言語を蔑ろにする輩に反撃しよう。
本日のキーワード : 隷従への道、左派、リベラル、誤用、隠れ蓑Breaking the Spell呪縛を解く ②The Holocaust: Myth and Reality, Overview of the book by Dr. Nicholas Kollerstromホロコースト : ニコラス・コラーストロム博士の著書 「神話と現実」 の概要Of Soap and Lampshades石鹸とランプシェードについて (一)Before diving into the inky abyss of the various technical strands of argument involving document...
【衝突語】「難易度が高い」高いのは難しさ?易しさ?一体どっちなのさ
「ご安全に」なる言葉がある。これは、製造業・建設業の現場での安全意識高揚のために掛け合う言葉だ。だが、この「ご安全に」は世間全体に浸透していない。あくまでも「製造・建設界隈」でキッチリ収まっている言葉である。他方「難易度」や「課金」は「ゲーム界隈」のみならず広い分野に浸透し、世間で当たり前の表現としてのさばっている。
「リベンジの誤用を擁護するお前たちを焼き殺してリベンジしてやる」と言っても罪に問われない理由
語義が多数派により置き換えられるという現象は相対化を経て新たに語義が絶対化されることを意味する。つまり、語義の変化は「相対化の絶対化」を繰り返し行う運動というわけだ。「いや、リベンジの語義を拡張しているのだから制圧じゃないだろ」「復讐、仇討、怨恨の意味も残しているのだから寧ろ合理的だろ」と考える人もいるだろう。だが、
日本語の「適応」を続けてきたのは良い風習、「良習」と捉えることができる。「適応」を「現実主義」「プラグマティズム」と認識している人も少なくないだろう。ただ言語に対して「適応」「現実主義」「プラグマティズム」を突き詰めるとどうなるか。何十世代後か何百年後かはわからないが、形だけで中身はスッカラカンな日本語らしき何かになる
俯瞰的な視点を持ち平衡感覚があると自負しているインテリ気取りの人間ですら「言葉は変化するんだ!」「言葉は生き物なんだ!」といった主張をするので、その時期は憤りすら感じていたものだ。だが、ようやく自分なりの論理を得たので言語化できるようになり、ブログで発信しようと思い立ったのである
商品レビューかブログ記事は忘れたが「多少少ない」と書いている人がいた。何がなんだかさっぱりわからない状態だ。文意を汲み取らないお前が悪いと反論するのも結構だが、この稚拙さにも苦言を呈してもらいたい。
こうやって書き出すと私も話し言葉では時折やらかしてしまう。だが、ブログ記事ではかなり慎重にチェックしている。と言いつつも、数カ月後に気付くこともあるのでやっかいだ。
「言葉は変化して構わない」と信じて疑わない人が気付かない矛盾
「言葉をできるだけ保守せよ」と主張する私に対して「言葉は変化して構わない」と反発されることが多い。ただ、ここで一つの疑問に突き当たる。
大手新聞社やテレビ局といった企業、個人ブログ、まとめブログなどへ意見を届けた。しかし、その殆どが提案を受け入れることなく現在も活動している。防犯の知識を悪用した「可能性」の誤用に関しては惨敗だ。よって「実績」とは言い難い。私が不適切と感じる表現はこの他に多数ある。随時更新していくつもりだ。
目下のイベントにしか興味がないソーシャルゲームのアホプレイヤー共が「納金」の対義語であるはずの「課金」で上書きセーブをやらかしている。その上書きセーブのデータは各分野でコピーされ世間に蔓延した。その蔓延ぶりは手の付けられないところまできており、愛国心の塊のような桜井誠氏でさえ「納金」のことを「課金」と言っている始末。
前項で例に出した表現に共通するのは、内(思考)と外(言葉)がバラバラな状態ということ。内と外がバラバラな状態を続けているとどうなるか。「徐々に無思考へと至る」のだ。「女子力」と「草」は既に「思考を放棄している域」に達している「無思考状態」なので救いようがない。まさに「一億総ボケ社会」だ。まったく、日本人は「再考」だぜ!!
言葉の正誤や好ましい表現について語る媒体は沢山あるだろう。しかし、当ブログと決定的な違いがある。それは「六つの視点」を持
褒め言葉として「クソ」を乱発する奴らを肥溜めに放り込んでやりたい
言語の観点からすれば、そいつらは現代的でも進歩的でも寛容でも無い。不寛容で古臭いと呼ばれるべきなのは本来そいつらである。何故なら「大衆の気分で選んだ価値判断は失敗だらけだった」という例を現代人は沢山知るっているはずだからだ。もし、それを知らないならば情報化社会に生きている現代人とは言えないただのパッパラパーである。