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「学校に望まれるレベルが高すぎて、ついていけない」~究極の親ガチャ時代②
1980年代に「新学力観」が示した目標は、 私の教え子たちには高すぎた。 私と子どもたちは、もっと下の方で悪戦苦闘している。 どうしてそんな乖離が起こったのだろう? という話。(写真:フォトAC) 【そもそも子どもを型にはめて何が悪い――と思っていた】 私にとって初等中等教育の学校というのは「子どもを型にはめる場」でした。なぜなら「教育基本法」の最初の部分に、こんなふうに書いてあるからです。(教育の目的)第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。 教育に関する憲法である「教育基本法」の…
「私には到底理解できない『新学力観』の話」~究極の親ガチャ時代①
今は死語と化した教育用語に「新学力観」がある。 知識・技能を偏重したかつての教育に対する反主題として、 かつて出された新たな学力観だ。 それが私にはまったく理解できなかったという話。(写真:フォトAC) 【謎の「新学力観」の話】 「新学力観」というのは1987年の教育課程審議会答申で提起され、1989年改訂の学習指導要領に採用された当時としては新しい学力観で、従来の知識や技能の習得に重点を置いた学力観から転換し、思考力や問題解決能力、変化への対応力を重視しようとするものを言います。 具体的には、以下の点が重視されることになりました。 思考力・問題解決能力――知識を活用し、論理的に考え、問題を解…