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「初心忘るべからず」この言葉、どこかで聞いたことがありますよね。室町時代、世阿弥が書に残したこの教えは、物事を始めた当初の謙虚さや真剣さを忘れてはいけないという戒めです。でも正直に言いましょう。この「初心を忘れない」というのが、実は想像以上に難しいんです。 なぜ私たちは「初心」を忘れてしまうのか 同じ毎日、同じ作業の繰り返し。慣れというのは恐ろしいもので、いつの間にか注意は散漫になり、最初の頃のような緊張感は消え去ります。「これなら絶対にできる」「もう何度もやったからわかっている」 この思い込みが、私たちの成成長を止めてしまうのです。 私も、ITの仕事を20年以上年続けてきて痛感します。技術の…
(sculpture/TheAngryBoy)子供の怒りは世の中にうまく順応できないことへの苛立ちからくることもある。産みの苦しさの表れであり、能の世界で謂うある種の「*披(ひら)き」かもしれない。学びなおし。年寄りになっても、吐きそうになりながら「披(ひら)き」をするはめになって怒りたくなるのもまた然りか。下記のような語録に意気地を貰いながら・・記*世阿弥が残した「初心忘れるべからず」は「始めた時の初々しい気持ちを忘れないように」という意味で理解されています。ただ、世阿弥は「折あるごとに古い自己を断ち切り、新たな自己として生まれ変わらなければならない」という意味で「初心」を用いました。「初心忘れるべからず」とは「恐れず変化し続けなさい」ということです。でも自ら進んで過去の自分を断ち切るなんて、なかなかで...子供ならぬ、爺さんも怒りたい。
こんにちは。かっこいい女を作る開運コーチ坂本ともこです。あなたの人生のピークはいつですか?20代?30代?いやいや、これからですよ。人間は今は苦しくても将来は…
「勝手な」と書いている通り、華道の素人の当方が、禅の教えから華道論を書いてみよう、という話である。何故ならば、世阿弥の教えに基づいて、6月6日は「芸事の日」だからである。本当なら、世阿弥の教えを見てみたいところだが、ちょっと手元に良いテキストがないので、別の資料を使って考えてみた。いはゆる、花もとより人のためにひらけず、月はじめより人のためにのぼらず、人これをみてもてあそびあいすること、ほかをわすれたり。道元禅師『参禅学道法語』このように、花は人のために開いているわけではないが、人は勝手にその花の様子に執着してしまい、没頭することがあると指摘されている。問題は、花は元々人のために開いているわけではないという、或る種の倫理性である。では、何のために開いているのか?普通であれば、花は花のために開いている、これ...勝手な禅華道論
【ブログ記事との向き合い方】「不易流行」「序破急」「守破離」 心構えを考える
< 「ブログ道」? いやいや そこまでのことを言えるような者ではござんせん 考えるだけです > もちろん、いろんな考え方があって、単にブログ記事を書くって言っても、その行為をする自分との向き合い方も人それぞれだと思います。 数いるブログ運営者の中には、記事を書き続けることに煮詰まってしまっていたり、最近ちょっと記事を書くことから遠ざかってしまっているなあっていう人も少なくないと思われます。 今回は、記事の書き方とか、記事ネタの見つけ方っていうことからはちょっと離れて、まあ、ブログに限らないんですけど、記事を書くにあたっての心構え、みたいなものを、昔の人に倣いながら考えてみたいと思います。 散文…
ごきげんさまです。あなたの断捨離を全力で応援するやましたひでこ公認 断捨離®️トレーナーたかはしよしこです。旧正月水瓶座新月を迎えた今日一日中とても佳い氣が流…
【奈良県桜井市】世阿弥作『三輪』の舞台になった『三輪山奥之院 玄賓菴密寺』
前回に続いて山の辺の道沿いにあるお寺をご紹介します。『三輪山奥之院 玄賓菴密寺(げんぴあんみつじ)』は桧原神社と弁才天社(龍王社)の間にあるお寺です。入っていいのか躊躇いましたが、「境内を散策される方はお心持をお納めください」と書かれた立て札があったので拝観料