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べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜第12回「俄(にわか)なる『明月余情』」
嬉しいけれど、ちょっと寂しく思った事。とうとう「尾身としのりを探せ」が終了してしまった事でしょうか。どんどん真ん中に出てくるなと思ったら、ど真ん中に来てしまいました。そろそろ来るなと覚悟していたので、ちょっと嬉しくもあったのですが・・・・だけど今までの答え合わせまでしてくれたのは、良かったですね。また俄祭りのすずめ踊りの大文字屋(伊藤淳史)と若木屋(本宮泰風)のバトルは、本当に面白かったですね。最初はどうなるのかって思ってしまいましたが、この熱い戦いが、むしろ祭りを盛り立てて、人々の楽しみに変わり、最後は争っていた二人ががっつりと組んで、感動的に祭りを閉めたのは、なんか流石だなと思ってしまいました。そして凄く気になってしまったのは、この祭りに乗じて、新之助とうつせみが再び門の外に消えて行ってしまった事でし...べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜第12回「俄(にわか)なる『明月余情』」
佐竹商店街から佐竹秋葉神社へ。佐竹秋葉神社は、秋田佐竹藩上屋敷跡地に、明治22年に秋葉神社の分霊を勧請して創建されたと伝わっています。秋葉神社 略縁起 当神社は現在、火之迦具土大神(ほのかぐつちのおおかみ)を御祭 とすする秋葉山本宮秋葉神社 (静岡県浜松市)を御本社とする火防・火伏せお社であります。 御神徳は火の幸を恵み、悪火を鎮め、諸厄諸病を祓い除く火防開運の神として火災消除・家内安全・厄除開運・商売繁盛...
再来年の大河,小栗上野介忠順になったそーで。 戦国→平安→江戸→戦国と来てるので,そろそろ幕末やってもいい頃ですよね〜。 次の豊臣秀長と共に,大河になってもいい人物だと思ってたので,ヨシ!って感じですぅ♪ ・・・主人公の最期が斬首なのは,近藤勇以来ですね〜。 あの時は,振り下ろされる刀からの旗(だったかな)への転換でthe Endとなりましたが・・・小栗上野介ではどうするのか,今から楽しみですわ♪ うーん。 ...
階段落ち,キタ━━━━━━(`▽´)━━━━━━ !!・・・蒲田行進曲へのオマージュでつか?(=゚ω゚)ノ 次は誰が落ちるのか,チーンΩ\ζ゜ 美坊主も,キタ━━━━━━(*`▽´*)━━━━━━ !! ・・・流石に今作では脱ぎはないだろーな〜(ノ∀`)イヤンЩе не вмерла УкраїнаBGM NOW中島みゆき/紅い河...
この記事では、2025年1月5日(日)開催の大河ドラマ「べらぼう」ゆかりの地・東京都台東区での『べらぼう~蔦重栄華之夢噺~』の初回放送パブリックビューイング&べらぼうトークショーin台東区について抽選に外れたので参加できなかった。オンエアが...
土スタ【べらぼう特集】井之脇海さん&小野花梨さん出演!新之助とうつせみの恋のゆくえは?
この記事では、2025年3月8日(土)に放送された「土曜スタジオパーク 『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』特集 ゲスト井之脇海さん&小野花梨さん」についてオンエアが見れなかった見逃し配信も見逃してしまった番組の内容やみどころを知りたいというあな...
東京都台東区に位置する佐竹商店街は、春日通りから清洲橋通りに至る全長330mの全蓋式アーケードの商店街で日本で、二番目に古い商店街といわれています。元々は秋田藩の江戸屋敷があった場所でしたが、1682年の火災で屋敷が消失。その後、町民によって復興され、見せ物小屋、寄席、飲食の屋台等が立ち並ぶ商店街へと発展しました。佐竹家上屋敷・佐竹っ原跡 江戸時代、この付近一帯は、出羽国久保田(秋田)藩の上屋敷があった地...
~「俄なる『明月余情』」~ 親なし、金なし、画才なし…ないない尽くしの生まれから “江戸のメディア王”として時代の寵児になった快男児・蔦屋重三郎。
アヴァンがビミョーに不穏でよろし。賢丸クン,表情演技がかなりうまくなりましたな〜。 さて。 前回いねサンが脅したり賺したりしてましたが・・・元花魁ということで,搾取される側から搾取する側へ・・・全然苦界から逃れられていない故の悩みってのがあるんでしょうな,と推察。 種蒔きが済んだところで,そろそろ一橋の治済サンが暗躍を始めたり? 前世が前世だけに(笑)源内先生,男色一筋。あの後どーするつもりだったですか...
よくいらしてますよね・・・って,そりゃ,あちこちにチラリホラリとねえ(笑) 今回は主人公の階段落ちですたか(爆笑) わーサービスショット,出た〜〜〜〜〜〜ッ♪ 見えない目で見据える演技,やっぱすごいわ。 女郎の涙に動く二人も男だけど・・・何もかも呑み込んだ鳥山検校も,男だねえ。 最後,その「男」で綺麗にまとめましたな・・・と思ったら,堅物デターーーーーーーーーッ wwwЩе не вмерла УкраїнаBGM NOWA Hundred Birds/Lo...
平賀源内は、1761(宝暦11)年から深川清住町の自宅で、長崎で手に入れたオランダ製のエレキテル(静電気発生機)を修理して復元し、度々実験を行いました。江東区清澄の読売江東ビルの敷地に「平賀源内電気実験の地」の石碑が立っています。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご協力お願いしますm(__)m歴女日記ランキング...
【歴史探偵】べらぼうコラボスペシャル~よみがえる大江戸~みどころレポート
2025年3月19日に放送されたNHK『歴史探偵 べらぼうコラボスペシャル~よみがえる大江戸~』についてオンエアが見れなかったどこで見れるのか知りたい番組の内容やみどころを知りたいというあなたに、お届けします。「歴史探偵」はのNHKオンデマ...
大河ドラマ『べらぼう』第11話は、”富本、仁義の馬面”。浄瑠璃の歌いと舞いの魅力がたっぷり、仁義と粋な「男」の心意気が満ちている回でした。そして、鳥山検校に嫁いだ瀬川改め瀬以との再会もありました。この記事では・11話を見逃してしまった・11...
浅草神社は、浅草寺の境内にある神社で、三社権現、三社様とも呼ばれ、5月17日の三社祭で有名です。土師真中知(はじのまなかち)、檜前浜成(ひのくまはまなり)・武成(たけなり)を主祭神とし、東照宮(徳川家康)・大国主命を合祀しています。社伝によれば、推古天皇36年(628年)、檜前浜成・武成の兄弟が宮戸川(現在の隅田川)で漁をしていたところ、網に人形の像がかかり、物知りだった土師真中知に相談した所、これは観音...
大河ドラマ『べらぼう』第11話は、”富本、仁義の馬面”。浄瑠璃の歌いと舞いの魅力がたっぷり、仁義と粋な「男」の心意気が満ちている回でした。そして、鳥山検校に嫁いだ瀬川改め瀬以との再会もありました。この記事では・11話を見逃してしまった・11...
【べらぼう】#11 蔦重の救世主・馬面太夫登場。ビジュアル万全なれど、江戸を魅了する「美声」に吹き替えの選択肢は無かったか
素人は、プロ中のプロには届かない NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」第11回「富本、仁義の馬面」が3/16に放送された。今回、いつものようにダラダラ書きたいところなれど、諸事情により短く終わります。ポンコツは確定申告のインパクトの前には恒例の病院行きは免れず、まあまあ回復したものの、パソコン前に座っていると家族の視線が痛い。 次の日曜日には1日がかりのちょっとしたイベントがある。そのどこかで倒れたら・・・また介護タクシーで帰ることになっては大変なので、今からの体力温存を家族から厳命されてしまった。 ではまず、公式サイトからあらすじを。 ≪あらすじ≫ 第11回「富本、仁義の馬面」 『…
以下、ライトアップされた夜の浅草寺です。仲見世通りのお店は、閉店後もシャッターの絵を楽しめます。仁王像も迫力を増しますね。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご協力お願いしますm(__)m歴女日記ランキング...
大河ドラマ『べらぼう』第11話「富本、仁義の馬面」の主要キャストを徹底解説します。この記事では・11話「富本、仁義の馬面」の主なキャストと役どころを知りたい。・「尾美としのり」さんはどこ?を知りたい・『べらぼう』再放送は?どこで見れる?全話...
本堂昭和33年(1958)10月、全国ご信徒のお力添えにより再建された現本堂は、鉄筋コンクリート、本瓦葺であり、昭和20年(1945)3月10日に惜しくも戦災で焼失した旧本堂(国宝、3代将軍徳川家光建立)と同形態である。 一見して感じる特徴は屋根の勾配が非常に急で、従って棟が他寺院と比較してすこぶる高く、相当遠方からでも望見できる。 お堂は南に面し、350坪の堂内は畳敷の内陣、コンクリート敷の外陣...
東京浅草の浅草寺の総門である雷門、最初の門は平公雅(たいらのきんまさ)によって42年(天慶5)に建てられました。雷門(風雷神門)表参道入口の門。切妻造の八脚門で向かって右の間に風神像、左の間に雷神像を安置することから正式には「風雷神門」というが「雷門」の通称で通っている。慶応元年(1865年)に焼失後は仮設の門が時折建てられていたが、1960年(昭和35年)に常設の門が鉄筋コンクリート造で再建された。実業家・...
【べらぼう】10話までの簡単まとめ!これから見る人&おさらいバッチリ【2025年3月】
2025年大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』は、江戸時代の出版業界の風雲児・蔦屋重三郎(蔦重)の波乱に満ちた生涯を描く物語です。この記事では、『べらぼう』の第1話~第10話(2025年1月~3月9日 瀬川が吉原を去る)までの内容を、①...
いよいよ日光東照宮の核心地といえる奥社へと進みます。坂下門から207段の階段を登らなければなりません。それくらい・・・と思っていたのですが、ここへ来るまでに既に結構歩いていたので、足がへとへと(汗)それでも小学生を追い越しながら駆け上がりました!やっと到着!ここが徳川家康の神柩である奥宮御宝塔です。江戸時代の元和2年4月17日(1616年6月1日)、徳川家康は駿府(現在の静岡市)で死去した。遺命によって遺骸は...
「べらぼう」ゆかりの地めぐりレポート!吉原編。耕書堂~エレキテル
2025年大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』では、江戸時代の出版プロデューサー・蔦屋重三郎(蔦重)の波乱万丈の生涯が描かれています。この記事では、蔦重が育った吉原・出版の拠点となった五十間道の「耕書堂」、そして蔦重に大きな影響を与えた...
江戸幕府の将軍あるいは大御所・大納言(将軍嫡子)が、東照大権現(徳川家康)を祀る日光東照宮へ参拝する日光社参は、江戸時代を通じて合計19回実施されました。特に徳川家光は、その数10回と歴代将軍の中で最多でした。将軍の日光社参には大名や旗本をはじめ、莫大な数の人馬が供奉し、安永5年(1776年)の10代徳川家治の社参では、行列の先頭が日光にあるとき、最後尾はまだ江戸にあったとも言われているほどの規模で、莫大な...
~「富本 仁義の馬面」~ 親なし、金なし、画才なし…ないない尽くしの生まれから “江戸のメディア王”として時代の寵児になった快男児・蔦屋重三郎。
【べらぼう】#10 瀬川の「おさらばえ」を笑って見送る蔦重。ふたりで見た夢をず~っと見続けると誓う
親父どもが本気出してる NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」第10回「『青楼美人』の見る夢は」が3/9に放送され、蔦重の「20年越しでようやく気付いた」思い人で幼なじみの花魁・五代目瀬川が、鳥山検校に身請けされ、吉原の大門を真っ白な花嫁衣装で出ていった。まずはあらすじを公式サイトから引用する。 ≪あらすじ≫ 第10回「『青楼美人』の見る夢は」 瀬川(小芝風花)の身請けが決まり、落ち込む蔦重(横浜流星)。そんな中、親父たちから瀬川最後の花魁道中に合わせて出す、錦絵の制作を依頼される。調査に出た蔦重は、自分の本が市中の本屋から取り扱い禁止になり、捨てられていることを知る。江戸城では、意次…
警察車両のカーナビ38台でNHK受信料を未払い 約644万円支払い って?
カーナビと個別に契約が必要になるっておかしなことで、それに国民の税金や罰金が使われるのはさらにおかしい
浅草の伝法院通りには、浅草らしいお店や看板がいっぱい!白波五人男や鼠男など、町のあちこちに潜んでいます。屋根の上にもこの通り!また、「べらぼう」のPRの幟も発見!マスコットキャラクターのつたいやん蔦屋と台東区と「伝える」を合わせた名前で、蔦屋重三郎をイメージさせる空飛ぶ黄表紙に乗り、桜のピンクと隅田川の水色と黄表紙の黄色で構成しているとのこと。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応...
「べらぼう」大河ドラマ館レポ!瀬川の花嫁衣裳&蔦重の世界にどっぷり【見どころ満載】
2025年大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』。江戸の出版界を舞台に、蔦屋重三郎(蔦重)が時代を変えた物語が描かれています。その世界観を体感できるのが「べらぼう江戸たいとう大河ドラマ館」!!2025年3月14日(金)に実際に訪れてみると...
墨田区の五柱稲荷神社の近くに「長谷川平蔵の旧邸」の案内板があります。付け火が元の明和9年(1772)の目黒行人坂の大火は、明暦の大火に次ぐものでしたが、その下手人を捕らえたのが、長谷川平蔵宣以の実父・長谷川平蔵宣雄です。この手柄で、同年秋に京都町奉行に出世しましたが、翌年の安永2年(1773)に客死していまい、家督を継いだ平蔵宣以は天明7年(1787)、42歳の時に火付盗賊改方の長官に就任。京都へ家族で移るまで住...
長谷川平蔵・遠山金四郎住居跡のモニュメンが、都営新宿線菊川駅からほど近い丸山歯科医院の前に建っています。この場所が、邸の東端にあたるそうです。長谷川平蔵は明和元年(1764)父の屋敷替えによって築地からこの地に移り住みました。当時の敷地面積は1,238坪(4,085)におよんだと言われています。平蔵は、寛政7年(1795)にこの地で亡くなり、後に屋敷替えとなって代わりに入ってきたのが、遠山金四郎でした。また、菊川駅の...
JUGEMテーマ:ハンドメイド雑貨のお店JUGEMテーマ:練馬区こんにちは。今日は昨日から一転、いい天気ですね(^^)さて、今年のNHK大河「べらぼう」は観ていらっしゃいますか?舞台となる吉原遊郭で蔦屋重三郎なる若者が吉原細見という女郎宿を
大河ドラマ『べらぼう』第10話は、”『青楼美人』の見る夢は”。華々しい瀬川の最後の花魁道中。そして花魁たちの普段を描いた『青楼美人合姿鏡(せいろうびじん あわせすがたかがみ)』が完成します。この記事では・10話を見逃してしまった・10話のみ...
大河ドラマ『べらぼう』第10話「『青楼美人』の見る夢は」の主要キャストを徹底解説します。気になる「尾美としのりさんはどこ?」についても、併せてどうぞ!この記事では・10話を見逃した。・「尾美としのり」さんはどこ?を知りたい・10話「『青楼美...
歌舞練場跡記念碑から島原住吉神社へと向かうと、大銀杏が見えてきます。島原住吉神社の旧境内地北端に植わっていたこの大銀杏は、明治維新後の廃仏毀釈により、社格株のない住吉神社が廃社になるも、神木として遺された。その後明治36年(1903)に神社は再興されたが、境内がこの大銀杏のところまで拡大されるには至らなかった。 昭和5年(1930)にこの樹の根元に弁財天が祀られることにより、さらに神木として崇められ、今で...
輪違屋から歩いてすぐのところに、島原歌舞練場跡の碑があります。島原歌舞練場は、1873年(明治6年)の開設当初は島原女紅場といい、青柳踊や温習会が上演されていました。1927年(昭和2年)に新築移転、島原の衰退により1996年(平成8年)に解体されました。歌舞練場跡碑島原歌舞練場は、明治6年(1873)上之町に島原女紅場として開設され、青柳踊や温習会が上演されていたが、同14年頃には衰微を極め、青柳踊等も頓挫した。その...
~「青楼美人の見る夢」~ 親なし、金なし、画才なし…ないない尽くしの生まれから “江戸のメディア王”として時代の寵児になった快男児・蔦屋重三郎。
島原で、現在も唯一営業を続ける「輪違屋」は、元禄年間(1688~1704)に創業。島原太夫を抱える置屋兼お茶屋として、置屋として創業当時の名は「養花楼」でした。お茶屋兼業は明治5年(1872年)より始まり、現在の建物は安政4年(1857年)に再建されたもので、明治4年(1871年)にほぼ現在の姿となったそうです。かつては芸妓等も抱えていましたが、現在は太夫のみを抱え、太夫の教育の場であり、また、宴席の場として営まれてい...
【べらぼう】#9 蔦重、20年越しに気づいた(遅すぎ!)初恋は破れ、瀬川は身請けを受け入れ。女郎の幸せは
鈍感蔦重にも効いた劇薬 NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」第9回「玉菊燈籠恋の地獄」が3/2に放送された。前回終わりに駿河屋市右衛門から階段落しを食らったベビーフェイスの地本問屋仲間代表・鶴屋喜右衛門は「吉原には一切関わらぬ」と、市中と吉原の絶縁を宣言した。 蔦重が「俺が細見作ろうが何作ろうが、市中にはもう売り広めてもらえねえってことに・・・」と案じるも、忘八どもは「何とかなんだろ」「そこをやってけるようにすんのがてめえの仕事じゃねえのか!」と取り合わない。その後が気になるが、今回のドラマでは蔦重と瀬川の叶わぬ恋物語が展開した。 まずは公式サイトからあらすじを引用する。 ≪あらすじ…
島原大門は、京都の花街である島原の東入口にあたる大門で、京都市の登録有形文化財として登録されています。島原は寛永17年(1640年)または寛永18年(1641年)六条三筋町から移転した日本初の幕府公認の遊女街。当初は東側の大門のみであったが、享保17年(1732年)に西門が設置された。大門は明和3年(1767年)に現在地に付け替えられ、慶応3年(1867年)に現在の門が建てられた。周囲を塀と堀で囲み、大門を一か所に設ける当初...
大河ドラマ【べらぼう】9話 ネタバレあらすじとみどころ”玉菊燈籠 恋の地獄”
大河ドラマ『べらぼう』第9話は”玉菊燈籠 恋の地獄”。お互いの気持ちが通い合ったのも束の間、蔦重と瀬川に吉原の厳しい現実が突きつけられます。二人の切ないシーンがいっぱいの9話でした。この記事では・9話を見逃してしまった・9話のみどころやあら...
現在、人形町の魚久本店~日本橋小学校のあるこのあたりは、江戸時代末期、姫路の殿様、酒井氏の屋敷がありました。そして、明治の初期、西郷隆盛が明治政府の参議となった頃、人形町から小網町、蛎殻町辺りに、西郷がおよそ二年間、書生15人、下男7人と住んでいました。魚久本店と日本橋小学校の前に説明板があります。魚久本店日本橋小学校西郷隆盛屋敷跡 明治初め、この地域には明治維新の元勲西郷隆盛(1827~1877)の屋敷が...
2025年大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』で、蔦重の妻の名前は「てい」です。演じるのは、橋本愛(はしもとあい)さんです。てい(橋本愛さん)は、謹厳実直で控えめな性格の持ち主。ていにとって吉原育ちの蔦重は最も苦手なタイプでしたが、本を...
人形町通り沿いにある玄冶店跡の碑玄冶店(げんやだな)の地名は、江戸時代、ここの医者岡本玄冶が住んだことに由来し、日本橋界隈の古くからの地名もしくは通りの名です。歌舞伎『与話情浮名横櫛』の源氏店のモデルとなりました。江戸時代の新和泉町、現在の東京都中央区日本橋人形町3丁目のあたりである。天保のころ、歌川国芳が玄冶店に住んでいた。岡本玄冶徳川家の御典医であった岡本玄冶の拝領屋敷跡一帯を指した。玄冶は3代...
人形町にある末廣神社は、吉原遊郭の跡地にあり宇賀之美多摩命や武甕槌命を祀る神社です。かつては元吉原で鎮守として信仰されていました。1657年の明暦の大火で吉原が移転した後も、難波町、高砂町、住吉町、新和泉町の4町の産土神として信仰されました。現在の社殿は、昭和22年に再建(総檜造り)されたものです。 末廣神社は、江戸時代の初期に吉原(当初葭原と称した)がこの地にあった当時(元和三年から明暦三年まで)その...