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九州の政治の中心であり、海外の交流拠点で、さらに軍事的にも重要な立場であった太宰府政庁跡=都府楼を訪問!! (遠の朝廷・太宰府) 大宰府政庁は、7世紀後半から奈良・平安時代にかけて九州の政治・文化の中心でした。また地理的要因から、中国や朝鮮半島のなど東アジアの国々との外交を行う国際的な都市としての立場や防衛の拠点として役割も担いました。太宰という名称が文献で始めて登場するのは「日本書紀」推古17年(609年)の筑紫大宰で、当時、太宰は、筑紫だけではなく東国・播磨・吉備・周防に置かれていました。しかし701年の大宝律令制定によって、筑紫太宰府以外は全ては廃止されました。(都と同じ造り) 古代大宰…