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後追いになるが、目次と内容についてまとめようと思う。 自分でも驚くくらいに長々と書き綴ってきたおかげで、自分でも何がどこに書かれているか確かめるのが難しくなりつつある。もし奇特な人がいて、『髑髏城』を再読する際にこの文章を読んでみようと思っても、いったい何がどうなっているのか分からなくなると思う。まだ、散策は完結していないのだが、書き継ぐ度に目次の方も書き足していく事にする。
第2章のアガサ・アリソンの回想を検討してきたが、次はアガサが執事のホフマンと運転手のフリッツに髑髏城の様子を見に行かせた顛末を語った部分になる。彼ら二人から聞いた伝聞だし、この直後にバンコランは直接ホフマンから話を聞く事になるので、そちらだけ取り上げればいいようだ。よって、アガサの回想はここで打ち切り、執事ホフマンの話を聞く事にしよう。ここから第3章になる。 バンコランはホフマンを探して、生…
アリソン邸にようやく到着したジェフ・マールは、執事のホフマンに案内されて2階にあるアガサ・アリソンの部屋に通される。ジェフより先にアリソン邸に逗留していたバンコランも待ち受けていた。二人を前にしてアガサは、二週間足らず前に起きた兄・マイロンが殺された夜の事を回想する。ポーカーの約束をして自室で女中と待っていたが、その夜、マイロンは中々姿を現さない。 (原文)[P.34-35] "I remember h…
小説としての、ミステリとしての『髑髏城』は、創元推理文庫から出版された旧訳(宇野利泰)と新訳(和爾桃子)とを立て続けに読む事で一段落ついた。感想も書いた。残ったのは原書だ。神保町の羊頭書房で見つけ出した『CASTLE SKULL』は、カーが最初に出版した1931年当時のものでは当然ながらなく、1947年にPOCKET BOOKSから出版されたもの。ほぼ日本の文庫サイズのペーパーバックは劣化していてボロボロだ。読み込もうとしたら崩…
手元には『髑髏城』の旧訳(宇野利泰)と新訳(和爾和子)があり、今回、この順に立て続けに読んでみた。宇野さんの訳は雑誌「探偵倶楽部」1956年1月号〜12月号に掲載されたものが元で、1958年に「世界大ロマン全集22」(東京創元社)に収められ、翌1959年に文庫化された。対して和爾さんの訳は2015年発行で、言ってみればおよそ60年ぶりの新訳という事になる。聞くところによると、ディクスン・カーの長編を、一部絶版状態ではある…
(今さらですが、今回は後半に犯行現場についての文章を細かく見ていきます。ネタバレもありますので、未読の方はエラリイ・クイーン「犯罪カレンダー」の「皇帝のダイス」を読んだ後にお読み下さい。) 前回同様、比較の際の色づけと下線の意味を説明しておく。 緑=翻訳の出来が素晴らしい 赤=誤…
途中から読む人はいないと思うが、とりあえず事情説明。 エラリイ・クイーンの短編集「犯罪カレンダー」の12編のうち4月の短編「皇帝のダイス」の原作と宇野利泰訳(ハヤカワ・ミステリ文庫版)とを比較している。目的は「なぜ宇野さんの訳は何故長くなるのか」を明らかにする事だったが、すでに判明しているように宇野訳のスゴさを明らかにする事に変質してきている。まあ、結論はもうちょっと先に延ばすとして、これまでのあ…
さっそく続き。なにしろエラリイ・クイーンの短編集「犯罪カレンダー」の「皇帝のダイス」の原文と宇野訳とを最後まで調べ尽くしてあるので、すべての労力を回収するまでは終われない。改めて、比較の際の色づけと下線の意味を説明しておく。 緑=翻訳の出来が素晴らしい 赤=誤訳あるいは訳に疑問がある
以前に、角川文庫版「Yの悲劇」(越前敏弥・訳)の書評を書いた際に、それまで愛読してきたハヤカワ・ミステリ文庫版(宇野利泰・訳)との比較をちょっとだけ試みた。というのも、ハヤカワ・ミステリ文庫の「Yの悲劇」は分厚い一冊というイメージだったのに、角川文庫のそれはかなりスリムな一冊に仕上がっていたからだ。一頁あたりの文字数…