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見性成仏(けんしょうじょうぶつ) 仏教の言葉です。 私がこの言葉から連想するのが息子。 見性成仏の意味を解説すると、 見るというのは、 自覚する、 そのものになりきる、 一体となるということ。 性は仏性のこと。 仏教ではすべての生きとし生けるものに 仏性=仏の心が宿っていると言われています。 見ると性を合わせた見性とは、 自分が仏であると自覚し、 仏になりきることです。 成仏は、死ぬことではなく、 仏陀=覚者=覚り・悟りを開いた者になること。 見性成仏とは、 自分は本来、仏であると自覚し、 悟りを開いた人になること。 自分は未熟だから修行をして 仏のように悟りを開くのではなく、 そもそも自分は…
〔『正法眼蔵』本文と読解〕 『しるべし、真箇の「用弁」は「声色 ショウシキ 」の即現にあらず、真箇の「説法」は「無其形 ムゴギョウ 」なり。 『 知るがよい、本物の「言葉を使うこと」は「五感」のそのままが現われることではなく、本物の「説法」は「その形が無い」のである。 尊者か...
なかなか探し出せないのでうろ覚えで書くのですが、文鮮明先生がこんなことを言はれたことがあります。 私にもし罪があるとするなら、それは「神を知つた」といふ罪だ。 どういふ文脈で言はれたのか詳らかではなく、その真意を明らかにすることは私にはできない。ただ、相当に底の深い述懐だといふことだけは何となく感じます。 おそらく文先生とはだいぶ...