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北海道で稲作が可能に:石狩川・捷水路工事(大正7~)
北の大地にコメが実るまで ~石狩川・捷水路(しょうすいろ)工事~ ※引用 北海道の太平洋側は米作りの気候ではなかった。夏は霧が多く北東の冷風が吹き寄せ、気温は上昇しなかった。釧路の7月の平均気温は16度、8月でも17度しかなかった。この厳しい低温の壁は稲の品種改良で乗り越えられるものではなかった。 それに比べ西の日本海側では米がどうにか作れた。冬の雪は多かったが夏は晴天が多く、気温も比較的上昇した...
#開拓史
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