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静岡大河ドラマ館の中を進んで行きます。次は、メインキャストの衣装展示です。今川氏真役:溝端淳平さんの衣装徳川家康(松平元康)と瀬名の婚礼衣装今川義元の衣装続いて、メインキャストの紹介です。徳川家康と瀬名織田信長本多正信、松平信康、今川氏真静岡浅間神社の模型古くから駿河国総社として歴代幕府の崇敬を受けて信仰され、竹千代(家康)が元服式を行ったことから、江戸時代には特に徳川氏の崇敬を受けました。神部(か...
臨済寺の特別拝観の日に、静岡大河ドラマ館も見学してきました。これで、岡崎、浜松、静岡の三つの大河ドラマ館を制覇したことになります\(^o^)/静岡大河ドラマ館は、徳川家康が元服式を行った静岡浅間神社の境内に建てられています。では、記念すべき第1回に登場した小物を振り返ってみましょう!実際撮影で使用したものもあれば、同等品の展示もあり。「次郎三郎元信と瀬名を結ぶウサギと騎馬の人形」「瀬名が口づけした弓懸」...
回廊を通って、客殿に向かいます。客殿寛永14年(1637)、十三世日渕の代に建立され、安永2年(1773)二十五世日義の代に再建されました。桁行十間・梁間八間の寄棟造りで、前面に桟瓦葺きの向拝がつき、側面に濡縁が巡らされています。比較的古式な客殿ですが、江戸時代の特徴をよく示しています。平成23年度から24年度に行われた保存修理工事に伴い、本茅葺きから茅葺き型鋼板葺きに変更されました。(駒札より) 句碑 星野立...
徳川家康の側室であった西郡局(にしのこおりのつぼね)は、三河国宝飯郡の武家・鵜殿氏の出身で、西郡の方ともいいました。永禄5年(1562年)に上ノ郷鵜殿氏は徳川家康に攻め滅ぼされましたが、他の鵜殿氏支流は徳川氏に服しました。西郡局は、柏原鵜殿長忠の娘という身分で徳川家康の側室となり、永禄8年(1565年)家康の次女督姫(北条氏直室、のち池田輝政室)を産みました。湖西市鷲津にある本興寺は、永徳3年(1383)日乗上...
8月29日に「秀吉時代の遺構が残る竹生島の宝厳寺」の記事を掲載しましたが、社殿修復前の2011年訪問時の褪せた色の社殿の画像でした。先日、滋賀県在住の友人が、竹生島を訪問し、宝厳寺の修復後の画像を送ってくれましたので、改めて鮮やかな色彩の宝厳寺の記事をアップします。竹生島宝厳寺は、神亀元年(724年)聖武天皇が、夢枕に立った天照皇大神より、「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立...
今回、父が記憶する中で、大河で初めて描かれたのが、小牧長久手の戦い後に起きた大地震でした。 この地震は、特に豊臣方に大きな被害を与え、それにより、秀吉がすぐさま家康討伐の軍勢を差し向けることができなくなったとのことでした。 実は、この史実については、先週、先々週と、「ど...
9月4日の「鶴瓶の家族に乾杯」で、於愛の方を演じている広瀬アリスさんが掛川を訪問し、事任八幡宮が登場しましたので、過去の記事より「事任八幡宮」を再掲します。事任八幡宮(ことのままはちまんぐう)は、静岡県掛川市八坂、旧東海道沿いの、日坂宿(にっさかしゅく)および小夜の中山の西の入口、宮村にある神社です。 式内社で遠江国一宮。創建時期は定かではありませんが、大同2年(807年)、坂上田村麻呂が東征の折、桓武...
金山神社は、天正年間(1573年〜1593年)、徳川家康が浜松に城を構えるにあたり、釘鎹(くぎかすがい)・蝶番(ちょうつがい)・飾り金具を金銀銅鉄で鋳造するため、場内三の丸に鍛冶衆を常駐させ、同時に美濃国の南宮大社よりご分霊を勧請して祀ったことに始まるとされています。元和元年には、浜松城拡張工事のため、徳川秀忠の産土神たる五社神社を城外に、現在地の常寒山に遷座させ、それに伴い、当社も清水谷入り口へ鍛冶衆と...
浜松の心造寺は、徳川家康が、1580(天正8)年7月に徳川秀忠の産土神(うぶすながみ)として五社神社を浜松城内から常寒山(とこさむやま)へと移し、その北側の隣接地に開いたお寺です。開山は讃誉智眼(さんよちげん)上人、開基は秀忠の母である西郷局(於愛の方)。西郷局が奉納した鉄灯篭は、戦災で片方が失われ、現在は1つだけ残されています。西郷局(さいごうのつぼね)父は戸塚忠春。通称は於愛の方。徳川家康の側室であ...
静岡県掛川市上西郷は、於愛の方(西郷局)の生誕地とされています。西郷局といえば、徳川家康の側室で、二代将軍・徳川秀忠を生んだ女性です。上西郷の構江公民館は、西郷十八士の一人・戸塚五郎太夫忠春の居館跡で、案内板と標柱が立っています。戸塚忠春の娘が、お愛、後の西郷局です。(西郷局の出生については諸説あり)西郷ノ局の生誕地 二代将軍、徳川秀忠公の生母、西郷ノ局は、幼名をお愛といい、父・戸塚五郎太夫忠春、...
前回の補遺なんすけど・・・昌幸サンがやってるのが囲碁でよかったぁ。あれが双六だったら・・・gkbr;;; 数正サン改め吉輝サン,組織の窮地に敢えて悪役になって・・・のは,銀英伝のムライ中将を思い出させますな。この方向をはっきりと描いてたら,対話場面で左衛門尉サンが『歴史はきっとおまえさんのことを悪く言うよ』的なセリフ吐いてたり?(→第8巻のアッテンボロー) では,今回について。 戦略的な負けを認めずずっと拗ねてる...
石川数正は、徳川家康の片腕として酒井忠次とともに活躍しましたが、小牧・長久手の戦いの後に突如出奔、豊臣秀吉に臣従しました。出奔の理由は、「豊臣家との和睦派として家中で孤立を余儀なくされた」「秀吉に調略された」「松平信康の後見人を務めていたため、天正7年(1579年)の信康切腹事件を契機に家康と不仲になっていた」「徳川家のために犠牲となった形で投降したふりをした」など諸説ありますが、はっきりした理由はわ...
【どうする家康】#33 瀬名への誓いに縛られた家康に、自分の言葉を届けるための数正出奔
出奔理由、ドラマの数正の感情で言えば一択 NHK大河ドラマ「どうする家康」の第33回「裏切り者」が8/27に放送された。第33回か・・・「おんな城主直虎」では鶴こと小野但馬が磔となり、直虎が止めを刺したんだった・・・と妄想がシュポーンと飛んでいきそうなところで止めておく。「直虎」も「どう家」も、パートナー的立ち位置の重要人物が主人公のもとを去る回ではあった。 では、「裏切り者」のあらすじを公式サイトから引用させていただく。 家康(松本潤)は小牧長久手で秀吉(ムロツヨシ)に大勝。しかし秀吉は織田信雄(浜野謙太)を抱き込んで和議を迫り、さらに人質を求めてくる。そのうえ、秀吉が関白に叙せられたという…
天正14年(1586年)に入ると、豊臣秀吉は織田信雄を通じて徳川家康の懐柔を試み、妹の旭姫を正室として岡崎城に送りました。 しかし、一向に上洛の気配を見せない家康に対し、今度は母の大政所を旭姫の見舞いとして、岡崎に送りました。さすがの家康も上洛に応じざるを得ず、ついに重い腰を上げ、浜松を出立し、大坂に向かうことに。 この間、岡崎では、鬼作左と呼ばれた本多作左衛門重次が、大政所の世話役を務めました。剛毅...
静岡浅間神社から5分ほど北に行ったところに瑞龍寺というお寺があります。1560年(永禄3年)、能屋梵藝によって開山され、徳川家康が居城を駿府城に定めた際に寺領が与えられました。天下取りを目指した豊臣秀吉は、家康と同盟関係を築くため、天正1586(14)年、自分の妹である旭姫を、夫の佐治日向守(さじひゅうがのかみ)離縁させ、 築山御前の死後、正室を持たなかった家康に嫁がせました。同年、旭姫は、家康と共に浜松城から...
天正地震は、天正13年11月29日に日本の中部地方で発生した巨大地震です。震源や地震の規模には諸説ありますが、揺れの範囲などから見てM8.0級の巨大地震だった可能性もあり、近江の長浜城や美濃の大垣城は全壊、尾張の清洲城も半壊するなどの被害に遭いました。これにより、豊臣秀吉方は、大きな被害を受け、計画していた徳川討伐の計画を取りやめることになり、徳川方と講和への方向に傾いていきます。秀吉は、妹の旭姫を家康...
今回は、重臣、石川数正の出奔を描きました。この場面については、大河ドラマ「徳川家康」でも描かれており、父的には「どうする家康」でも当然大きく描かれるのだろうと思っていました。 徳川家康で、石川数正役を演じたのは江原真二郎さん。もう、40年近く前ですので、内容的にはうろ覚えなの...
お万の方は、知立神社の神主家・永見貞英と刈谷城主水野忠政の女の間に生まれた娘で、徳川家康の正室・築山殿に仕えたとされています。後に、双子の子を授かり、家康の側室となって、双子のうちひとりの永見貞愛(ながみ さだちか)は、知立神社の神主となりますが、31歳の若さで病死しています。(『柳営婦女伝系』などでは、秀康は双子で誕生し、弟はすぐに亡くなったとされている)もう一人の結城秀康は、羽柴秀吉の養子として羽柴...
なんと不穏なアヴァンアニメ;;; 「断じてない!」って言い切っちゃって・・・やっぱりまだポンコツが抜けきってないne!どーする家康(苦笑) お万チャン,於義丸クンとどこでどーしてたのよ。この辺はちゃんと描いといて欲しかったなあ。芯の通った女人となった姿だけに,もったいない・・・うわー趣味悪い大坂城〜〜〜〜〜〜〜っ;;; 15分でお公家化。前から後からの兄弟の連携圧がええわぁ。 ま,それより寧々サンの言葉の方が効い...
愛知県の知立はかつて東海道五十三次の宿場町でした。池鯉鮒宿(ちりゅうしゅく)は品川より数えて39番目の宿駅で、知立神社への参拝や馬市、木綿市などでにぎわったと言われています。宿には、宿駅業務を行う問屋場、大名・公家等が休泊する本陣のほか、庶民向けの旅籠・茶屋などが軒を連ね、池鯉鮒宿には、本陣、脇本陣が各一軒置かれていました。本陣の敷地は約二千九百坪、建坪約三百坪と広大な面積を有していましたが、明治8...
2011年9月に滋賀県長浜市の竹生島を訪問しました。長浜港から竹生島クルーズで30分で到着。この日は、朝から雨が降ったりやんだりのあいにくの天気でした。晴れていたら、もっとくっきりと琵琶湖が見渡せたでしょう。「延喜式」式内社の都久夫須麻神社(竹生島神社)と西国三十三所観音霊場第30番札所・宝厳寺があります。明治時代初期の神仏分離までは、宝厳寺が都久夫須麻神社の別当をつとめていました。船着場から祈りの階段と...
大阪城は、天正11年(1583)、石山本願寺跡に豊臣秀吉によって築かれ、豊臣氏の本拠となりました。豊臣氏滅亡後は、徳川幕府によって再建され、現在は、「大坂城跡」として国の特別史跡に指定されています。豊臣時代の大天守は、外観5層で、鯱瓦や飾り瓦、軒丸瓦、軒平瓦などに黄金をふんだんに用い、奥御殿の内部もまた金銀の装飾に溢れ、大坂城を訪れた大友宗麟は、あまりの豪華さに驚き、「三国無双の城である」と称えたといいま...
【どうする家康】#32 四天王が勇躍、小牧長久手で会心の一撃の徳川軍。でもね?
天下人織田家の看板、変わりつつあるのに NHK大河ドラマ「どうする家康」の第32回「小牧長久手の激闘」が8/20に放送された。公式サイトからあらすじを引用する。 家康(松本潤)は秀吉(ムロツヨシ)10万の大軍に対し、あえて前進し、小牧山城に兵を集めた。互いにどう動くか探り合いが続く中、康政(杉野遙亮)は秀吉の悪口を書き連ねた立札をばらまいて秀吉を揺さぶる一方で、城の周辺に謎の堀を作り始める。徳川軍が守りに入ったと考えた池田恒興(徳重聡)は、秀吉に、家康を引っ張り出すため岡崎城を攻撃するという策を献上。進軍を開始するが、まさにそれこそが家康の狙いだった。(これまでのあらすじ 大河ドラマ「どう…
浜松秋葉神社は、徳川家康が永禄十三(1570)年正月浜松城入場の際、秋葉寺第二十五代別当、叶坊光幡を浜松城下へ引具し、叶坊の願いを聞きいれ、天竜区春野町の秋葉権現堂を勧請したことがはじまりです。御前崎市から湖西市に至る地域一帯の秋葉信仰の中心としての役割を担い、家康が勧請した神社として、以後歴代の浜松城主の崇敬も厚く、多くの灯篭が寄進されています。三州西尾城主松平和泉守源乗寛年号 文化七年(1811)の灯籠こ...
蟹江城合戦の舞台となった蟹江城址は、JR関西本線蟹江駅下車徒歩15分ほどのところにあります。蟹江城は、永享年間(1429~1440)に北条時任により築城されました。戦国時代には、本丸、二の丸、三の丸の三郭(さんかく)があり、大野、下市場、前田の三つの支城がありましたが、天正12年(1584)の蟹江合戦において、織田・徳川連合軍により落城、翌年の大地震で壊滅し、今は石碑と井戸を残すのみです。蟹江城合戦(蟹江合戦)とは、...
久岳山安昌寺は、小牧・長久手の戦いの後、雲山和尚が戦死者を手厚く供養したことから、後に尾張藩主をはじめ多くの藩士が当寺を訪れ、合戦にまつわる各種の書付を残しました。また丹羽氏次の田畑寄進状などの文書やうわばみという大蛇の説話絵馬など美術工芸品も伝わります。8月10日、観音堂の九万九千日の祭りには多くの人で賑います。天正12年(1584)小牧・長久手合戦がこの地で終戦となったので、首塚・耳塚が残っています。...
大河ドラマ『どうする家康』で輝くお市の方~戦国時代の女性の活躍に迫る
『小谷殿 <お市の方>』ぬ女っ気が無いなここ~ ・・・と思ったので織田信長(おだのぶなが)の妹で、美人で有名な小谷殿(おだにどの)にご登場戴きました~この方…
■徳川の屋台骨を創った老臣石川数正は徳川家康が竹千代を名乗る幼少の頃より近侍し、長じて家康嫡男の岡崎信康を助けた功臣です。まだ家康が松平元康を名乗ったころ、今…
鬼武蔵と呼ばれた男、森長可。武士に価値を見出さなかった猛将の胸中。
■どうする家康にまた屈指のイケメン武将が♪ 令和5年(2023)NHK大河ドラマ「どうする家康」を見ていたら、またイケメン武将が登場しました。イケメンの…
現在、血の池公園となっているところは、小牧・長久手の戦いの時、徳川家康方の家臣・渡辺守綱らが血のついた槍や刀を洗った池がありました。この池には「毎年、合戦のあった4月9日に池の水が赤くなる。」という伝説が残り、「血の池」と呼ばれていました。この池を埋め立て、整備されたのが、「血の池公園」で、住民の憩いの場になっています。現在は池はありませんが、公園の中の低くなっているのが、池の名残りです。公園の奥に...
天正12(1584)年に徳川家康と羽柴秀吉が激烈な戦いを繰り広げた小牧・長久手の戦いの長久手の主戦場跡地は、現在、「古戦場公園」として整備され、国の史跡に指定されています。園内には小牧・長久手の戦いで戦死した池田恒興、元助親子の塚や郷土資料室があります。古戦場公園郷土資料室で、レンタサイクルを借りて、長久手古戦場の史跡巡りをしてきました。勝入塚勝入塚は、池田恒興(勝入)が戦死した場所と伝えられています。尖っ...
【NHK大河ドラマ】「どうする家康」第32話ネタバレ!小牧長久手の戦い!徳川四天王が活躍!
松本潤主演のNHK大河ドラマ「どうする家康」第32回のネタバレありのあらすじ・感想です。小牧長久手の戦いが始まる!徳川四天王とは?
愛知県春日井市にある太清寺(たいせいじ)。かつては醍醐山龍源寺と呼ばれ、徳川家康の逸話が伝えられていることで知られます。天正12年(1584)の小牧・長久手の戦いで、徳川家康が小牧山から長久手に向かう折、当地の阿弥陀堂で休憩しました。家康が「ここは何という所か」と尋ねたため、庄屋の長谷川甚助が「勝川村にございます」と申し上げたところ、「勝川とな、これは吉祥、縁起のいい名だ」と喜びました。また、そこで牡丹餅を...
岩崎城の築城年代ははっきりしていませんが、織田信長の父である織田信秀により築城され、属将・荒川頼宗が守備していたとされます。この地「岩崎」は、尾張、三河間を往来する街道の要衝地でした。享禄2年(1529)徳川家康の祖父・松平清康が攻め落としましたが、天文4年(1535)に清康が陣中で家臣に暗殺される事件(森山崩れ)が起こると、代わって、本郷城(日進市)の丹羽氏清が同城に移り住み、以後、丹羽氏が4代にわたって岩崎城主...
小幡城(おばたじょう)は、名古屋市守山区西城付近にあった城です。小牧・長久手の戦いでは、徳川家康が、小幡城を修築し、池田恒興・森長可率いる豊臣方の別働隊を破った後、小幡城に入城しました。現在は宅地となっていて、明瞭な遺構は残っていませんが、駐車場に「小幡城跡」の案内板が設置されています。 小幡城跡大永2年(1522)岡田重篤が築城したといわれ、東西約200メートル、南北約70メートルであった。重篤は織田敏信、...
アヴァンのトーキチローが,スッゲェ生き生きしてたんですけど〜? そんなに兎狩りが楽しみだったのねえ(違) トーキチローと池田ドンのやりとりが,怖すぎるわ。 背後に控える長可クン,セリフは少ないけど,ええ感じですな。なのに二人とも伝令死に・・・ちょっと見せ場,っちゅーか最期の場面が欲しかったな〜モッタイナイ。秀長ドンが頼もしい感じだな〜。 神君からポンコツが取れたら,信雄チンに転移しちゃったのねえ。この後,見事に足を引っ張...
山頂の小牧市歴史館を目指してさらに登っていきます。史跡小牧山主郭地区~織田信長が築いた小牧山城~ 永禄期大手道の石積 大手道から頂上の主郭(曲輪001)に至る主郭地区の史跡整備に向けて、遺構の遺存状況を確認するため、平成16~19年度にわたり4次の試掘調査を実施しました。 大手道の調査では、山側(この説明板の後ろ)の土塁が、小牧・長久手の合戦(天正期)の折に城の防御を固めるため、徳川家康によっ...
【どうする家康】#31 ヒゲ家康の覚悟、秀吉との大戦へ家臣を動かす
老けメイクでロボ感が増した家康公 NHK大河ドラマ「どうする家康」第31回「史上最大の決戦」が8/13に放送され、主人公の神君家康公がいきなり髭付きになり、ビジュアルが変化した。 数え43歳になり、それなりの老け顔にしたらしい。お市の方に死なれたのがあまりにもショックで、外見に影響したという設定か。しかし、42歳から43歳のたった1年で、見た目にギャップがありすぎやしないか。 視聴者向けに、家康公がヒゲを蓄えるようになった理由ぐらい於愛あたりがセリフで語ってくれないかな・・・。ついでに、家康だけでなく家臣たちの衣装もいつの間にかレベルアップしている。本多忠勝の大数珠も登場した。 大河を見ている…
愛知県小牧市にある標高86mの小牧山には、かつて織田信長が美濃攻めの拠点として築城した小牧山城がありました。築城から4年後、永禄10(1567)年に信長が岐阜に居城を移したことで小牧山城は廃城となり、家臣団や城下に住む多くの商工業者が城下町を去りましたが、一部の住人はこの地に残り、小規模な町場が存続しました。小牧山城が廃城されて17年後の天正12年(1584年)、織田信雄・徳川家康連合軍と羽柴秀吉軍との間で小牧・長...
NHK大河ドラマ「どうする家康」の全国巡回展がNHK大阪放送局で開催されているので行きました。6月にはNHK神戸放送局にも行ったので2回目の巡回展です。神戸の巡回展と何か変わっているところはあるのかなと思い行きました。会場はNHK大阪放送局の前の広いロビーです。平日でしたが多くの人が来ていました。神戸と同じく徳川家康(松本潤)、織田信長(岡田准一)、豊臣秀吉(ムロツヨシ)の3人の全身パネルがありました。ただ神戸...
小牧市の玉林寺は、元々は小牧山の麗にありましたが、元和9年(1623年)に現在地に移転しました。本尊として祀られている如意輪観世音菩薩像は、1584年(天正12年)の小牧・長久手の戦いで小牧山に陣を張った徳川家康が、山の周囲に堀を造らせたところ、地中から見つかったとされています。本堂観音像毘沙門堂庫裏にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログラ...
小牧市大字の岩崎山砦跡は、天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いで、羽柴秀吉方が築いた砦跡で、稲葉一鉄・貞通親子らが4千の兵を率いて布陣したといいます。砦は、岩崎山の頂上や熊野神社境内にあったと言われています。熊野神社裏の巨石群は、縄文時代の祭事跡ともいわれ、名前の付いた岩がごろごろとあります。中でも有名なのが、県指定天然記念物の花崗岩の巨岩「五枚岩」です。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加...
【どうする家康】第26話ネタバレあらすじ「ぶらり富士遊覧」再放送は?どこで見る?【おんな城主直虎】と比較してみました。
2023年大河ドラマ「どうする家康」第26話は、すっかり変わってしまった家康が信長を富士遊覧で接待します。殿の本心がつかめず戸惑う家臣団。第26話「ぶらり富士遊覧」は、ちょうど2017年大河ドラマ「おんな城主直虎」第47話”決戦は高天神”と
大河ドラマ【篤姫】再放送は?見逃し配信はどこで見れる?1話から無料で見る方法。女の道は一本道。主演:宮崎あおいさん、みどころは?
2008年の大河ドラマ『篤姫』は、大河ドラマ『龍馬伝』、『西郷どん』と同じ幕末が舞台です。主演は宮崎あおいさんです。この記事でわかること1.「篤姫」再放送は?見逃し配信はどこで見られる?2.「篤姫」を実質無料で見る方法は?3.「篤姫」あらす
大河ドラマ【いだてん〜東京オリムピック噺(ばなし)〜】再放送は?どこで見れる?動画を1話から全話無料で見る方法。
この記事では、2019年に放送された大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺(ばなし)〜』についてこの記事でわかること1.『いだてん』再放送は?見逃し配信はどこで見られる?2.『いだてん』を実質無料で見る方法は?3.『いだてん』あらすじ、キ
大河ドラマ【八重の桜】再放送は?動画はどこで見れる?全話を無料で見る方法。主演は綾瀬はるかさん
2013年の大河ドラマ「八重の桜」は、「龍馬」「西郷どん」「篤姫」と同じ幕末。そして昭和初期が舞台の大河ドラマです。主演は綾瀬はるかさんです。この記事でわかること1.「八重の桜」再放送は?見逃し配信はどこで見られる?2.「八重の桜」を実質無
【どうする家康】第27話ネタバレあらすじ「安土城の決闘」再放送は?どこで見れる?
2023年大河ドラマ「どうする家康」第27話では、26話の最後に「信長を殺して、天下を取る」と家臣に宣言した家康(松本潤さん)が、安土で信長(岡田准一さん)と本気で向き合います。この記事では・27話を見逃した。・27話の動画を視聴したい。「
大河ドラマ【義経】再放送は?どこで見れる?動画を1話から全話無料で見る方法。主演は滝沢秀明さん!
この記事では、2005年に放送された、滝沢秀明さん主演の大河ドラマ『義経』についてこの記事でわかること1.『義経』再放送は?見逃し配信はどこで見られる?2.『義経』を実質無料で見る方法は?3.『義経』あらすじ、キャスト、見どころは?について
大河ドラマ【北条時宗】再放送は?総集編と完全版の配信は?動画はどこで見れる?全話を無料で見る方法。
2001年の大河ドラマ「北条時宗」は、鎌倉中期を描いた大河ドラマです。主演は狂言師・和泉元彌さんです。この記事でわかること1.「北条時宗」再放送は?見逃し配信はどこで見られる?2.「北条時宗」総集編と完全版を実質0円で見る方法は?3.「北条