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室町時代に創建された本能寺は当初、京都の高辻通りにありましたが、移転を重ねた末に、天文11年(1542)四条西洞院に第4次の伽藍が建立されました。しかし本能寺の変で焼失し、天正17年(1589)現在の場所に移されました。 本能寺の「能」の字は「䏻」という俗字になっているのは、本能寺が度重なって焼き討ちに遭っているため、「『ヒ』(火)が『去』る」という意味で字形を変えているといわれています。本堂信長公廟本能寺の変...
【どうする家康】#27 サイコパスじゃない岡田信長、蓄積疲労で限界だった模様
瀬名ロスです NHK大河ドラマ「どうする家康」第27回「安土城の決闘」が7/16に放送された。タイトルは「決闘」だけれど、物理的に乱闘があった訳でもなく(7/22「土スタ」出演の岡田准一によると、脚本上は相撲を取る設定だったらしい)・・・狸の化けの皮が剥がれた子どもっぽい家康が、疲れ切った信長に「告白」された話だった。そこからの「国譲り」みたいな。 テンション低めですみませんね・・・瀬名ロスですよ、どっぷりと。 オープニングでは、主役の家康直後のヒロイン席「瀬名 有村架純」がぽっかり空いていて、これまで瀬名推しで見ていたこちらとしては大層悲しかった😢於愛の広瀬アリスの表記はもう少し後ろの方で、…
天正10年(1582年)5月29日、織田信長は備中高松城包囲中の羽柴秀吉を救援するため、小姓を中心とする僅かのお供を連れて安土城を発ち、京都の本能寺に入ります。その頃、信長の嫡男・織田信忠は5月21日にすでに京都の妙覚寺に入っていました。妙覚寺の山門本堂京都に城を持たない信長は、かつては妙覚寺を寄宿先としていましたが、1580年以降はかつての宿所であった本能寺を寄宿先に戻し、代わりに信忠が妙覚寺を寄宿先として使用す...
南宗寺の塔頭・天慶院の門前に、山上宗二の一会塚があります。山上 宗二は、千利休の高弟であり、茶匠としては豊臣秀吉に仕えていましたが、天正12年(1584年)に暴言を吐き、秀吉の怒りを買い、浪人に。この時に前田利家に仕えるようになりますが天正14年(1586年)にも再び秀吉を怒らせて高野山へ逃れました。その後は小田原に下って北条氏に仕えました。天正18年(1590年)の秀吉の小田原攻めの際には、利休の計らいで秀吉との...
南宗寺は、大阪府堺市堺区にある臨済宗大徳寺派の寺院で、弘治3年(1557年)三好長慶が父元長の菩提を弔うために、大林宗套(だいりんそうとう)を迎え開山しました。本尊は釈迦三尊。茶人の武野紹鴎、千利休が修行をした寺院です。(画像提供:めりい)三好長慶の像(画像提供:めりい)天正2年(1574年)の松永久秀の兵火で焼け、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣による焼失後、当時の住職であった沢庵宗彭よって現在の場所に移転して再興さ...
堺は、戦国時代には環濠都市となり、自治的な都市運営が行われ、堺の有徳者(有力商人)で構成される会合衆が町を治めました。 1550年、宣教師フランシスコ=ザビエルが堺を訪れ、布教の許可を得るため、堺を拠点としました。戎公園は、ザビエルが天文19年(1550年)、堺に立ち寄った際に、手厚くもてなしたとされる豪商日比屋了慶の屋敷跡付近に開設されました。「聖フランシスコ・ザヴィエル芳躅」碑 (画像:Wikipediaより)当...
ひるメシは、明太子ご飯を・・・・・ 玄米を、焚く分だけ精米して、真空鍋でたきます。もちろん、昨秋、手刈りで天日干したお米です。 オクヤマの朝。気温18....
安土城南西麓の百々橋口から下街道を越え、南に数分行くと、セミナリオ史跡公園があります。この地の小字名「大臼」(だいうす)は、ラテン語で神を意味するデウス(Devs)の転訛と考えられ、セミナリオ跡は、織田信長の庇護を受けたイタリア人宣教師オルガンチノによって天正9年(1581年)に創建された目本最初のキリシタン神学校の跡とされています。現在は 安土城の外濠沿いに公園として整備されています。ここは、安土城天主から...
書に囲まれた御寝所で死ぬというのは,読書人としては・・・♪(違) 前回の繰り返しで,ポンコツ神君の虚無に捉われたとも見えるお顔がなんともよき。始まった時はどうかと思ったけど,主役の演技,どうしてどうして・・・ ・・・光秀サンの役回りを代行してたら,計算が狂ったというパターンでつか。と思ったら,光秀サンが余計なことを提案していて,逆鱗に触れちゃったのねえ。どこまでもヒールな描かれ方(苦笑)於愛チャンは,知らず...
二の丸へと進んでいきます。二の丸址二の丸跡には、豊臣秀吉が建立した織田信長本廟があります。ここからは、立ち入り禁止。ズームで撮ります。織田信雄四代供養塔次は本丸に進みます。本丸跡本丸は、礎石などから、京都御所の清涼殿と似た構造であったことが判明しており、天皇の行幸を想定した建物と考えられています。 本丸跡 天主台を眼前に仰ぐこの場所は千畳敷と呼ばれ、安土城本丸御殿の跡と伝えられてきました。東西...
【どうする家康】#26 狸と狼の化かし合い、絶品海老すくいで切り抜ける
アイドル松潤家康、面目躍如の舞 NHK大河ドラマ「どうする家康」第26回「ぶらり富士遊覧」が先週7/9に放送され、アイドル松本潤はやっぱり伊達じゃなかったと感嘆するしかないキラキラの「海老すくい」を見せて頂いた。今回はこれが白眉。 上半身を真っ直ぐに、舞台上にスススと滑るように進み出るブレない姿は、古いけど「徳川慶喜」本木雅弘が禁中で走る姿を思い出した。それでいて腰を曲げて跳ねる時の軽やかさ。よろけそうもないバランスの良さ。上品だな~これは絶品って言うべきでしょう。 松潤の「嵐」としてのダンスはいつが最後だったのだろう。彼が踊るのはそれ以来じゃないのか。お宝ダンスだったかな。 それに、後編突入…
天正10年(1582年)5月21日、徳川家康は、駿河拝領の礼のため、織田信長の招きに応じて降伏した穴山梅雪とともに居城・安土城を訪れ、大接待を受けました。安土駅から自転車で10分ほどで安土城に到着。登城ルートは、大手口から天守台を目指し、大手口に戻るルートです。大手口には、かつて大手門と東西2つの虎口が構えられていました。大手口駐車場近くに無料休憩所があり、その中に安土城の模型が飾られています。レンタサイクル...
数年前安土を訪ねました。安土のシンボルといえば、駅前の織田信長の銅像です!銅像の横には、「織田桜」があります。地下道を通って、駅の裏側に行くと、安土駅の南広場に「相撲やぐら」があります。元亀元(1750)年に織田信長が常楽寺で催した相撲興業が近代相撲の発祥と言われており、それを記念して昭和63年に建てられました。信長の相撲好きは有名で、安土城下で1500人もの力士を集めた大相撲大会を開催し、勝者へ優遇したこと...
近鉄長島駅より徒歩約10分、長島城跡に向かいました。長島城は、寛元3年、藤原道家が館を築いた後、長島一向一揆の本城、長島藩の居城を経て、現在は長島中部小学校・中学校となっています。また、校内の「長島の大松」は、クロマツの大樹で、樹齢300年以上と推定され、天然記念物、市の指定文化財になっています。長島城があった当時は本丸の西南にありました。現在は長島中部小学校のシンボルとなっています。長島城の起源は、寛...
長島一向一揆は、1570年ごろから1574年にかけての石山合戦に伴い、伊勢長島(三重県桑名市長島町)を中心とした地域で、本願寺門徒らが蜂起した一向一揆で、織田信長との間で大きく分けて三度に渡る激しい合戦が起こりました。歌川芳員『太平記長嶋合戦』濃尾三川(のうびさんせん)と呼ばれた木曾川・長良川・揖斐(いび)川の下流域は輪中地帯として知られ、15世紀中頃から一向宗の勢力が増し、長島の願証寺がその拠点となっていまし...
作品紹介国を失い、父を亡くし、母と離れ、孤独な少年・竹千代は、今川家の人質として、ひっそりと生涯を終えると思っていた。しかし…三河(みかわ)武士の熱意に動かされ、弱小国の主(あるじ)として生きる運命を受け入れ、織田信長、武田信玄という化け物
作品紹介国を失い、父を亡くし、母と離れ、孤独な少年・竹千代は、今川家の人質として、ひっそりと生涯を終えると思っていた。しかし…三河(みかわ)武士の熱意に動かされ、弱小国の主(あるじ)として生きる運命を受け入れ、織田信長、武田信玄という化け物
どうする家康 #12「氏真」今川氏真と徳川家康・兄弟同然の2人の最終決戦
作品紹介国を失い、父を亡くし、母と離れ、孤独な少年・竹千代は、今川家の人質として、ひっそりと生涯を終えると思っていた。しかし…三河(みかわ)武士の熱意に動かされ、弱小国の主(あるじ)として生きる運命を受け入れ、織田信長、武田信玄という化け物
現在の報土寺がある静岡市葵区宮ヶ崎辺りに、新婚時代の徳川家康(松平元信)と瀬名(築山殿)が住んだ屋敷があったと伝わっています。駿府城の西側、浅間神社の南側にあたるエリアです。報土寺HPによると「開創当初は今川家の時代であり、京都から駿府に来ていた公家で歌人の冷泉為和が、度々報土寺で歌会を催していた記録が残っています。江戸時代になると、徳川家康公が政治の実権を秀忠公に譲り駿府に隠居したため、しばしば家康公...
今日から後半・・・皆さんも髪型が変わったねえ。 でも,よく考えたら,瀬名サン亡き後のここからヒロインはいない・・・よね? 岡部サン・・・アヴァンで最期;;; ト-キチローとの対談が,ビミョーに剣呑でよろしい。「なんでも力になりますで」ってのが一番信用できんわ(爆笑) 勝頼クン・・・いい男じゃ。でも,何か足りないものがあったのねえ。 ヒールな光秀サン,いいねいいね。榊原と本多がいつの間にか意気投合してるwww 茶屋サン,...
武田攻めを終えた織田信長は安土城へ向かう途中、富士山などの名所を見物しながら、駿河に寄りました。徳川家康はこの接待のために莫大な私財を投じて街道を整備し、本栖湖の近くに宿所を建て、信長を迎えました。(これは、数年前、私が本栖湖の芝桜を見に出かけた時の画像です。 もちろん信長の見た景色とは大きく異なります(^^ゞ)富士山本宮浅間大社の境内に仮の宿泊所を建て、わずか一泊のために、家康は金銀をちりばめた豪...
武田勝頼ゆかりの韮崎市と甲州市を訪ねる予定が、「武田氏滅亡」が描かれる回に間に合わなかっため、今回は「韮崎市観光協会」と「甲州市観光協会」から画像をお借りしました。●韮崎市長篠の戦いで、織田信長と徳川家康の連合軍に大敗を喫し、高天神城が陥落したことで、武田氏の威信は急落。領国の立て直しを決断した武田勝頼は、府中移転を計画し、天正9年(1581)、現在の山梨県韮崎市の七里岩の台地に新府城を築城。新府城跡写真...
JR清水駅から徒歩10分、静岡県清水区江尻の江浄寺は、東海道五十三次、江尻宿の中心に位置する古刹です。永正元年(1509)、浄土宗大本山 光明寺(鎌倉市)の第九世 長蓮社観譽祐崇(ちょうれんじゃ かんよ ゆうそう)上人が開山で、当時は旧東海道沿い(清水区秋吉町付近)に創建されました。その後、徳川幕府の東海道整備に伴い、慶安四年(1651)現在の地へ移転しました。境内には、松平信康の遺髪を納めた五輪塔があります。江...
有村架純を再登板させる手は NHK大河ドラマ「どうする家康」の第25回「はるかに遠い夢」は、7/2に放送され、ここまでドラマを引っ張ってきた家康の正室・瀬名が、いわゆる「築山殿事件」にて残念ながら最期を迎えるに至った。 公式サイトからあらすじを引用させていただこう。 武田勝頼(眞栄田郷敦)の手で暴かれた、瀬名(有村架純)と信康(細田佳央太)の計画。それはやがて信長(岡田准一)の知るところとなる。2人の始末をつけなければ織田と戦になる。それでも家康(松本潤)は信長の目を欺き、妻子を逃がそうと決意する。一方、瀬名は五徳(久保史緒里)に、姑は悪女だと訴える手紙を信長に宛てて書かせ、全ての責任を負おう…
東京都新宿区若葉二丁目の西念寺は、服部半蔵正成が開基した寺として知られています。徳川氏が江戸に入封して間もない文禄3年(1594)に、正成が江戸麹町の清水谷(現在の千代田区紀尾井町清水谷公園付近)にその前身である庵(安養院)を創建したことに始まります。正成は、松平信康の慰霊のために出家入道して西念と号し、安養院に供養塔を建て、遠州以来奉持していた信康の遺髪を埋めてその菩提を弔いつつ余生を過ごしました。そ...
「韓」の訓読みが元々「カラ」だったとの説も存在します。三韓の内、弁韓がその後伽耶諸国に移行しますが、伽耶の当時の読みは「カラ(加羅、伽羅など)」だった事…
岡崎市若宮町にある根石寺(旧根石観音堂)を訪ねました。現在、信康の首塚がある若宮八幡宮の境内にあった根石原観音は、明治維新の神仏分離によって、若宮八幡宮の北側に移転し、現在は根石寺となっています。根石原観音の由緒について、「おかまいり」のHPによると、和銅元年(708)に悪病が流行したことから、43代元明天皇が悪疫を絶やすよう行基法師に祈祷を依頼すると、行基は自ら六体の観音菩薩を彫り、そのうちの二体を根石...
松平信康は、堀江城からさらに遠江国豊田郡二俣(現在の浜松市天竜区二俣町二俣)二俣城に移されました。二俣の地は、天竜川と二俣川との合流点にあり、水運に恵まれた地で、、武田信玄・勝頼親子と徳川家康がこの城を巡って激しい攻防を繰り広げました。また、信康が悲劇の切腹をとげた城としても知られています。この急な階段を上っていきます。当時、武田軍が急な坂道で手こずったというのがうなづけます。まだまだ続く階段(..;...
大河ドラマ【鎌倉殿の13人】どこで見れる?1話~最終話まで無料で見る方法。
2022年放送の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」について、この記事でわかること1.鎌倉殿の13人 ~どこで見られる?2.「鎌倉殿の13人」を実質無料で見逃しが見られる方法3.「鎌倉殿の13人」あらすじ、キャスト、見どころは?についてまとめました
【どうする家康】第24話ネタバレあらすじ「築山へ集え!」再放送は?どこで見る?
2023年大河ドラマ「どうする家康」第24話は、瀬名のいる築山に色んな人が吸い寄せられていく回でした。武田勝頼は、信康と瀬名を凋落するつもりだったのが、重臣の穴山と千代が瀬名の不思議な求心力に傾いていきます。この記事では・24話を見逃した。
【鎌倉殿の13人】見逃しイッキ見にはTSUTAYA DISCAS(ツタヤディスカス)!無料おためし登録方法と使い方。
『鎌倉殿の13人』は、NHKオンデマンドでの配信が2023年7月01日 23:59で終了しました。これから『鎌倉殿の13人』を見逃しイッキ見したい場合、宅配レンタルサービスのTSUTAYA DISCASが圧倒的にオススメです。大河ドラマ「鎌
【どうする家康】第25話ネタバレあらすじ「はるかに遠い夢」再放送は?どこで見る?【おんな城主直虎】と比較してみました。
2023年大河ドラマ「どうする家康」第25話は、瀬名と信繁の衝撃的なラストが描かれました。ちょうど2017年大河ドラマ「おんな城主直虎」45話”魔王のいけにえ”46話”悪女について”と同じ時間軸が描かれていますので、この記事では・25話を見
【鎌倉殿の13人】DVD総集編と完全版の違いは?再放送は?どこで見れる?1話から全部無料でレンタルする方法は?
この記事では2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』について、この記事でわかること・「鎌倉殿の13人」総集編と完全版の違いは?・総集編、完全版とも、1話から全話を無料で見る方法は?・実際のレンタル方法は?・総集編2巻に収録されている、特典映像
天正7年(1579)8月9日、小姓5人を付き添わせ、松平信康は、大浜から遠江の浜名湖半にある堀江城へと移っていきました。その翌日、徳川家康は、三河衆から信康に内通しないことを誓約する起請文を提出させたといいます。13日、家康は浜松城に帰還し、岡崎城には本多重次を派遣して城代に据えました。堀江城は、鎌倉時代、藤原氏の血を引く大沢基久が築城したと伝えられています。 戦国時代も大沢氏が城主を務めますが、今川氏の勢力...
命をかけるというのは,そういう意味だったの・・・?と思わざるを得ませんが,史料類では一面的に描かれている人物たちを見事に引っくり返して,壮大な仕掛けまでして見せてくれたから,いっか。十三人に続いて,「メタ表現」やってくれましたな。 史実もあって前々回あたりから着地点が見えてたので,「神回」というわけにはいきませんが,「天晴回」に認定します。 兎を返されたポンコツ神君が今後どうレベルアップするのか...
岡崎市両町にある祐伝寺を訪ねました。祐伝寺の由緒根石山と号し真宗高田派。もと妙源寺末。本尊阿弥陀如来。天正7年(1579)柴田新四郎正親が投町に創建。正親の次男六郎は遊伝坊了慶と称して一寺を建てた。後家康が神明宮別当を命じたという(コトバンクより)築山殿の首は、織田信長に送られ、首実検にかけられた後、岡崎城代であった石川数正がその首を持ち帰り、祐伝寺に葬ったといいます。江戸時代になると八柱神社(やはしら...
第3章 地理-13.済州道 ハ道では全羅道に含まれますが、在日韓国・朝鮮人社会に於いて消しても有り余る存在感を無視出来ないので、済州島にひとコマ割い…
D236.シェアハウス熱愛史?(韓国ドラマ コッソンビ イファウォンニ花院の秘密)
第7章 韓国ドラマ映画 236.韓国ドラマ コッソンビ イファウォン(ニ花院)の秘密レビューzero 久しぶりにNHK BSプレミアム日曜日夜9時からの…
浜松市南区高塚にある護法山地蔵院は明徳元年(1390)に元道円密和尚により創建されました。元道円密和尚は、後醍醐天皇の子 宗良親王と共に遠州に入った公家出身の武士であり、親王が元中二年(1385)に亡くなると出家して当地高塚に庵を結んだとされています。本堂約250年前に建立されました当時は茅葺きでしたが大正時代に瓦に葺き替えられたそうです。ご本尊は延命地蔵菩薩位牌堂には築山御前ゆかりの腹籠り地蔵も祀られてい...
どうする家康 #10「側室をどうする!」於大の方、瀬名主導での家康の側室選び
作品紹介国を失い、父を亡くし、母と離れ、孤独な少年・竹千代は、今川家の人質として、ひっそりと生涯を終えると思っていた。しかし…三河(みかわ)武士の熱意に動かされ、弱小国の主(あるじ)として生きる運命を受け入れ、織田信長、武田信玄という化け物
どうする家康 #9「守るべきもの」敵の軍師は本多正信(松山ケンイチ)信じるか?斬るか?
作品紹介国を失い、父を亡くし、母と離れ、孤独な少年・竹千代は、今川家の人質として、ひっそりと生涯を終えると思っていた。しかし…三河(みかわ)武士の熱意に動かされ、弱小国の主(あるじ)として生きる運命を受け入れ、織田信長、武田信玄という化け物
岡崎で息子の松平信康夫婦と暮らしていた築山殿は、信康の妻・徳姫が二人の姫を産んでもいまだ男児を産まないことを気にかけ、元武田家の家臣で後に徳川家の家臣となっていた浅原昌時の娘および日向時昌の娘など部屋子をしていた女性を、信康の側室に迎えさせました。天正7年(1579年)、徳姫は、築山殿が徳姫に関する讒言を信康にしたこと、築山御前と唐人医師・減敬との密通があったこと、武田家との内通があったことなど、12か...
酒井忠次以下、家臣団は優秀なのに殿は NHK大河ドラマ「どうする家康」第24回「築山へ集え!」が6/25に放送された。まずは公式サイトからあらすじを引用させていただく。 瀬名(有村架純)と信康(細田佳央太)が各地に密書を送り、武田方をはじめ多くの者が築山を訪ねていることを知った家康(松本潤)。これが信長(岡田准一)に伝われば、命より大事な妻子を失うことになる。苦悶の末、家康は数正(松重豊)らと共に築山へと踏み込む。だが瀬名は、家康が来るのを待ち構えていた。瀬名は、内々に進めていた途方もない計画を明かし・・・。(これまでのあらすじ 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK) 家康、「苦悶の末」…
松平信康が大浜へ追放された後、天正7年(1579)、8月5日、徳川家康は、松平信忠らの軍勢を率いて、吉良西尾城に赴きました。西尾城周辺には大きな河川があり、下流の湿地帯には野鳥が多く生息し、この地で織田信長や豊臣秀吉、徳川家康の三英傑が、吉良荘(きらのしょう)で鷹狩りを楽しんだという記録が残っています。(西尾歴史散策MAPより)特に家康は、その生涯で1000回以上も鷹狩りを楽しんだそうで、この年表を見ても、信康事件の...
1579年8月4日、松平信康は、岡崎城から三河大浜城に移されました。そんな信康の軌跡を追って、愛知県碧南市大浜を訪ねました。碧南市には、三英傑のゆかりの地があり、各所にこの幟がはためいています。この地区は、古くから海運の町として栄え、多くの寺社が建てられました。特に大浜てらまち地区は、南北1.2kmほどの狭い地区に、宗派を異にする10軒のお寺があります。「竹千代」命名の寺「称名寺」は、暦応2年(1339)に新田氏一...
松平信康は、永禄2年(1559年)3月6日、松平元康(後の徳川家康)の嫡男として駿府で誕生。今川氏の人質として幼少期を駿府で過ごしましたが、桶狭間の戦いの後に徳川軍の捕虜となった鵜殿氏長・氏次との人質交換により岡崎城に移りました。元亀1年(1570)、家康が遠江に進出し、引馬(浜松)を居城とする際、三河岡崎城が与えられ、岡崎次郎三郎信康と称しました。信康は性剛直で武勇に優れ、よく家康を助けたといいます。天正3年(1...
揺らいじゃった千代サン。 真相が今もってよーわからん悲劇だけに,どう料理するかが腕の見せ所ではありますが,これはまた大掛かりな・・・前半の総仕上げってところですかね。 久松サン,まだ頑張ってた〜。氏真クン&糸サンも〜(喜) 太守サマの路線から瀬名サンの出した方向性は,正しくはあるんだけどね・・・結果的に徳川幕府が成就したものの,それが確立するにはポンコツ神君の代だけじゃ無理だったのよね。 そして,未だに世界ス...
【どうする家康】第12話ネタバレあらすじ「氏真」溝端淳平さん熱演!再放送は?どこで見る?
2023年大河ドラマ「どうする家康」第12話。とうとう、家康が氏真との直接対決を迎えることになりました。・12話を見逃した・12話「氏真」のみどころを知りたい方に向けて、ネタバレあらすじと感想をお届けします。大河ドラマ「どうする家康」の再放
【どうする家康】第11話ネタバレあらすじ「信玄との密約」再放送は?どこで見る?
2023年大河ドラマ「どうする家康」。第11話では家康は三河国主となり「松平」から「徳川」に改名します。かたや武田信玄は今川方を凋落済みで、今川の駿府が陥落するのは時間の問題でした。信玄との談判に臨んだ家康は、互いに今川領を攻めて、切り取り
大河ドラマ【麒麟がくる】1話から全部無料で見る方法。主人公の明智光秀は長谷川博己さん。今こそ イッキ見!
松本潤さん主演の「どうする家康」が注目を集める中、同時代の大河ドラマを見たくなります。この記事では、2020~21年に放送された大河ドラマ59作目「麒麟がくる」のあらすじと感想、考察、長谷川博己さん演じる主人公の明智光秀の描かれ方、どこで見