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3年連続で福岡空港経由で山口県まで、行かなくてよくなりました。
一昨年の夏に山口県在住の夫の母が亡くなり、一昨年と昨年は法事で 新千歳から直行便が無い山口県まで福岡空港経由で行きました。 今年は、三回忌になるので当初は、夫だけでも行く予…
籌勝院の御朱印情報|遊撃隊の本陣が置かれたお寺(山口県岩国市)
所在地山口県岩国市小瀬264宗 派曹洞宗札 所中国地蔵尊霊場 第13番由 緒1545~1619年、安芸香川氏の一族で毛利氏・吉川氏の家臣だった香川春継が先祖の菩提を弔うために建立したお寺といわれています。1866年、第二次長州征伐(四境戦争
建立寺の御朱印情報|平安時代後期作の薬師如来立像を安置・・・とのこと(山口県岩国市)
所在地山口県岩国市本郷町本郷1470宗 派浄土宗由 緒創建年は不詳。もともと安養院と呼ばれていたそうですが、1662年に建立寺と号したという。寺には毛利氏の歴代の合同位牌があり、かつては毛利氏の菩提寺として栄えたそうです。山門●境内入口岩国
岩倉寺の御朱印情報|岩国南八十八霊場 第15番・第25番札所(山口県岩国市)
所在地山口県岩国市新港町5丁目3−47宗 派真言宗御室派札 所岩国南八十八霊場 第15番・第25番由 緒不明。境内入口・参道・手水舎・鐘楼●境内入口岩国南八十八霊場の第15番・第25番札所であります岩倉寺を参拝することに。岩倉寺へは...
桜地蔵院の御朱印情報|桜はないけど満開のお寺(山口県岩国市)
所在地山口県岩国市室の木町3丁目19−6宗 派真言宗醍醐派札 所岩国南八十八霊場 第34番由 緒不明。鐘楼と多宝塔と本堂●本堂と多宝塔岩国南八十八霊場の第34番札所であります桜地蔵院に到着。桜地蔵院と書いてさくらじぞういんと読みます...
一の滝寺の御朱印|岩国南八十八霊場 第7番札所(山口県岩国市)
所在地山口県岩国市室の木町3丁目5−48宗 派真言宗醍醐派札 所岩国南八十八霊場 第7番由 緒1921年、岩国市の錦見に錦見教会を開設したのが始まり。その後、1931年に現在地へ移転。そして1971年に不動堂を建立し、一の滝寺と改称したそう
所在地山口県岩国市周東町上久原1957宗 派黄檗宗由 緒807年、弘法大師が唐から帰国した際、この地に立ち寄り24坊を建立したのが始まり。1624〜1644年頃まで真言宗でしたが、幾度か火災に遭い一時、曹洞宗の寺院となったそうです。その後、
護聖寺(根笠岩屋観音)の御朱印情報|木造仏が石化!国の天然記念物・岩屋観音窟(山口県岩国市)
所在地山口県岩国市美川町根笠宗 派曹洞宗由 緒平安時代、弘法大師がこの地を訪れた際、観音像を刻んで鍾乳洞の中に安置したのが始まりという。その後、1000年以上の間、鍾乳洞の天井から落ちる水滴をうけた木造・観音像は、石仏になったそうです。江戸
二井寺山 極楽寺の御朱印|天狗伝説が残る古寺(山口県岩国市)
所在地山口県岩国市周東町用田866宗 派真言宗御室派札 所・周防国三十三観音霊場 第1番・山陽花の寺二十四か寺 第2番・山口県十八不動・三十六童子霊場 第14番・熊毛王国 極楽巡り(大元帥明王)由 緒744年、玖珂の大領・秦皆足が十一面観音
所在地山口県岩国市横山1丁目10−31宗 派曹洞宗札 所岩国南八十八霊場 第12番由 緒1450年、安芸国の国人・吉川経信が芸州新庄(現・広島県山県郡北広島町)に盤目山 洞仙寺を創建したのが始まり。1600年、関ヶ原の戦いの後、毛利家が防長
安禅寺の御朱印情報|四境戦争・芸州口の戦いゆかりの寺(山口県玖珂郡)
所在地山口県玖珂郡和木町和木1丁目6−18宗 派曹洞宗由 緒1331〜1333年、和木村山ノ下に創建したのが始まり。創建当初は天台宗寺院で黙養寺と称していたそうです。その後、1398年に現在地へ移転し、臨済宗に改宗。そして法昌寺と改称したそ
渓月院の御朱印|中国四十九薬師霊場 第23番札所(山口県光市)
所在地山口県光市小周防新宮2175宗 派曹洞宗札 所中国四十九薬師霊場 第23番由 緒1444~1448年に創建。曹洞宗金剛派四道場の1つで、防州五刹に数えられる名刹です。室町時代〜戦国時代、大内氏と毛利氏の庇護を受けて繁栄し、最盛期には1
法瀧院の御朱印|中国四十九薬師霊場 第24番札所(山口県周南市)
所在地山口県周南市皿山町7−45宗 派金峯山修験本宗札 所中国四十九薬師霊場 第24番由 緒昭和時代、戦後の動乱期に無常を感じた高塚覚道師が吉野山に修行の場を求めて入峯。そして霊験を得て一宇を購入したのが始まりといいます。HPブログを始めま
漢陽寺の御朱印|重森三玲が作庭した6つの庭園(山口県周南市)
所在地山口県周南市鹿野上2872宗 派臨済宗南禅寺派札 所・中国三十三観音霊場 第15番・山陽花の寺二十四か寺 第4番由 緒1374年、大内家11代当主・大内盛見が用堂明機禅師を招いて開山したお寺といいます。明治時代初期まで臨済宗用堂派の本
覚天寺の御朱印|中国四十九薬師霊場 第30番札所(山口県山陽小野田市)
所在地山口県山陽小野田市有帆1867宗 派曹洞宗札 所中国四十九薬師霊場 第30番由 緒1428年、瑞松庵の4代住職・仲翁守邦大和尚が隠居所として創建したのが始まり。創建当初は大休庵という寺号だったそうです。その後、火災で焼失しますが、16
宗隣寺の御朱印|山口県最古の庭園|宇部領主・福原氏の菩提寺(山口県宇部市)
所在地山口県宇部市小串210宗 派臨済宗東福寺派札 所・中国三十三観音霊場 第18番・山陽花の寺二十四か寺 第7番由 緒777年、唐より来朝した為光和尚が松江山 普済寺を創建したのが始まりといいます。その後、戦国時代末期に廃絶の憂目に遭いま
護国寺の御朱印|つぶやき系俳人・種田山頭火の墓所(山口県防府市)
所在地山口県防府市本橋町2−11宗 派曹洞宗札 所防府霊場八十八ヶ所 第79番・第80番札所由 緒創建年は不詳。1644〜1648年、一亭存臺和尚が中興し、雲巌寺第5世・永歓和尚を開山に招いて雲巌寺の末寺になったそうです。1740年までは宝
周防国分寺の御朱印|全国的にも珍しい!創建当初と同じ場所にある国分寺|(山口県防府市)
所在地山口県防府市国分寺町2−67宗 派高野山真言宗寺 格別格本山由 緒741年、聖武天皇の発願のもと全国に建立された国分寺の1つ。正確な創建年は不明ですが、756年の続日本紀に記述があることから、遅くとも756年以前には存在していたお寺と
法光寺の御朱印|東大寺・仁王像の兄弟仏|重源上人ゆかりの寺|(山口県山口市徳地)
所在地山口県山口市徳地鯖河内1444宗 派曹洞宗由 緒1186年、奈良・東大寺再建のために資材を求めてこの地を訪れた重源上人が安養寺を建立。それがこのお寺の始まりといいます。重源上人は安養寺を拠点とし、用材の切り出し作業を行っていたそうです
月輪寺の御朱印|重源上人が再建した山口県最古の木造建造物|(山口県山口市徳地)
所在地山口県山口市徳地上村572宗 派曹洞宗札 所中国四十九薬師霊場 第25番由 緒1189年、奈良・東大寺再建のために資材を求めてこの地を訪れた重源上人が、九条兼実の協力を得て創建したお寺です。九条兼実が月輪関白と呼ばれていたことから、月
浄福寺の御朱印|圧巻!紅頗梨色阿弥陀如来坐像|密教版・阿弥陀如来を見仏|(山口県山口市)
所在地山口県山口市嘉川265宗 派高野山真言宗札 所山口十八不動三十六童子霊場 第11番由 緒701年、役小角が開創したお寺といいます。創建当初は青冷山 長福寺 成就院と呼ばれていたそうです。その後の由緒は不明ですが、1394~1427年に
戒定院の御朱印|秋穂八十八ヶ所霊場 第78番|(山口県山口市)
所在地山口県山口市秋穂二島上田729宗 派真言宗御室派札 所秋穂八十八ヶ所霊場 第78番由 緒創建年は不詳。創建当初は仁光寺という寺号だったそうです。1223~1311年、仁和寺菩提院の僧・了遍が中興開山。その後、一時衰退して無住のお寺にな
所在地山口県山口市秋穂西1987宗 派真言宗御室派札 所秋穂八十八ヶ所霊場 第6・7・8番由 緒746年、行基が開基したのが始まり。その後、長らく荒廃していましたが、1486年に行順和尚が復興。そして1492年に堂宇を再建したそうです。しか
遍明院の御朱印|日本最古の写し四国・秋穂八十八ヶ所を開創した性海法印|(山口県山口市)
所在地山口県山口市秋穂東下村6534宗 派高野山真言宗札 所秋穂八十八ヶ所霊場 第28番由 緒1562年、豪族・秋穂盛治が大内氏の菩提を弔うために創建。1783年、遍明院の第8世住職・性海法印が弟子とともに四国八十八ヶ所を巡礼。そして各札所
真照院の御朱印|秋穂八十八ヶ所の創始者・性海法印が住職を務めたお寺|(山口県山口市)
所在地山口県山口市秋穂二島惣在所5106宗 派真言宗御室派札 所秋穂八十八ヶ所霊場 第54・58・64・69番由 緒896年、近江国・石山寺の僧・観賢が開創。 創建当初は正観寺 千光院という寺号で、七堂伽藍を有する真言秘密伝法灌頂の道場だっ
長徳寺の御朱印|室町時代作の薬師如来像を拝観|(山口県山口市)
所在地山口県山口市秋穂東中野7052宗 派曹洞宗札 所・中国四十九薬師霊場 第29番・中国地蔵尊霊場 第17番・秋穂八十八ヶ所 第15・43・44・45番由 緒創建年は不詳。創建当初は胎蔵寺という寺号だったそうです。その後、1615~162
大師寺の御朱印情報|日本最古の写し四国・秋穂八十八ヶ所霊場の第1番札所|(山口県山口市)
所在地山口県山口市秋穂西120宗 派真言宗御室派札 所秋穂八十八ヶ所霊場 第1番由 緒1783年、遍明院 第8世・性海法印が弟子とともに四国八十八ヶ所を巡り、各札所から御符と敷地の土砂を受けて帰郷したそうです。そして、霊域を定めてそれぞれの