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今日は4月9日なので、「四苦」の話をしてみたい。ところで、明治期より前の日本仏教で、例えば釈尊の教えがどのように語られていたかを見ていくと、現在我々が知っているような様子では無いことが分かる。縁起説や四諦八正道などは、ハッキリ言ってほとんど無いと言って良い。結局の所、大乗仏教まで含めて釈尊の直説だと思われていたのだが、そうなると阿含教系の教えは、初心者、或いは声聞向けだと判断されて、大乗仏教国となった中国や日本で積極的に採り上げる理由が無かったのである。そのような意味で、「四苦」という用語について調べてみると、おそらく道元禅師は用いておられない。ただし、関連する概念が全く無いということではない。例えば、以下の一節はどうか?三乗一者声聞乗四諦によりて得道す。四諦といふは、苦諦・集諦・滅諦・道諦なり。これをき...四苦の話(令和6年度版)
ちょっとした考察である。曹洞宗には「洞雲寺」という呼称の寺院(拙寺に関係している寺院にも同名の寺院がある)があるのだが、この由来が気になった。それで、禅語を調べてみたけれども、特に無い。例えば、以下の一節は見出した。却って将に諸仏諸祖、徳山臨済曹洞雲門、真実の頓悟見性法門をもって建立すると為す。『大慧普覚禅師宗門武庫』ここで、「曹洞・雲門」を並べた時に「洞雲」という表記になるが、これは特定の意味を持った言葉ではない。その意味では、中国曹洞宗の宏智正覚禅師が、以下のように述べている。・洞雲、雨を成すなり。『宏智広録』巻4・石牛哮吼して、洞雲白を生ず。同巻8こうなると、「洞雲」は雨などを生じる雲の位置付けになる。それで、どうやら「洞雲」という用語は、山の洞窟から沸き上がる雲であり、更には仙境にかかる雲という意...洞雲寺という寺院の名称に関する一考
今日は、3月10日である。昨日まで、日付に従った記事を書いていたのだが、今日も懲りずに語呂合わせ的記事を書いてみたい。主として大乗仏教で広く用いられる「三世十方」という言葉がある。意味としては、過去・現在・未来の三世、そして、上下・八方を総じて十方となる語句を組み合わせ、あらゆる時間・空間を意味する言葉である。この言葉が用いられる背景としては、結局は存在する全ての事象に、特定の「法」が適用されることを示すものである。例えば、こういう一文だと理解しやすいのでは無かろうか。しかあれども、最後身の菩薩、すでにいまし道場に坐し、成道せんとするとき、まづ袈裟を洗浣し、つぎに身心を澡浴す。これ三世十方の諸仏の威儀なり。最後身の菩薩と余類と、諸事みなおなじからず。『正法眼蔵』「洗面」巻この文意は、最後身の菩薩というのは...「三世十方」のお話
今日3月9日は、語呂合わせで「サンキューの日」、転じて「ありがとうの日」である。「ありがたい」という気持ちがあれば、自ずとそれは我々にとって貴重な想いを抱かせ、感謝や尊敬の念を生むものである。ところで、曹洞宗の『修証義』、つまり「四大綱領」には「行持報恩」という項目がある。行持を行うことで、報恩となることだが、『修証義』では、次のような故事をもって報恩の重要性を明らかにしている。・利行というは貴賎の衆生に於きて利益の善巧を廻らすなり、窮亀を見病雀を見しとき、彼が報謝を求めず、唯単えに利行に催おさるるなり。「第四章・発願利生」・病雀尚お恩を忘れず三府の環能く報謝あり、窮亀尚お恩を忘れず、余不の印能く報謝あり、畜類尚お恩を報ず、人類争か恩を知らざらん。「第五章・行持報恩」これらに共通するのは、「病雀三府環」「...今日3月9日は「ありがとうの日」(令和6年版)
そもそも、日本には「五節句」があり、1月7日の「人日(じんじつ)」、3月3日の「上巳(じょうし・じょうみ)」、5月5日の「端午(たんご)」、7月7日の「七夕(たなばた)」、9月9日の「重陽(ちょうよう)」である。この内、重陽の節句は現在ではほとんど儀礼としては無くなっている印象だが、他はだいたいまだ行われている。節句は平安時代の貴族の間では、それぞれ季節の節目に自分自身もリフレッシュするという意味があるとされた。さて、3月3日、「桃の節句」の由来についてだが、「上巳」とも呼ばれ、これは「上旬の巳の日」という意味である。つまり、元々は3月上旬の巳の日に行っていたが、室町時代ごろに3月3日に固定的に行われるようになったという。さらに、旧暦の3月3日は桃の花が咲く時期であることから、「桃の節句」とも呼称された。...今日は桃の節句(令和6年版)
以前から、一部の宗派や寺院で「在家得度」という表現があることが気になっていた。この「在家得度」が、良く分からない。いや、悪い意味で言っているのではないのだが、ちょっと今回は突っ込んで考えていきたいので、敢えて申し上げるが、分からないのである。さらに、これは言葉的な問題もある。一応「得度」とは、中村元先生『仏教語大辞典』では③として「僧となること。在家から仏門に入ること。出家に同じ」となっていて、その語意の出典に『禅苑清規』と『日本霊異記』を挙げている。だとすれば、おそらく禅宗だけのことではあるまい。したがって、「在家得度」とは語義矛盾している可能性がある。なお、「得度」という言葉について、おそらく意味としては「度牒(戒牒)」を受けるという意味があるのだろうし、その意味では「受戒した人」という意味になるのだ...宗門に於ける「得度」の位置付けに関する一考察
色々とあって、最近、『正法眼蔵』「安居」巻を参究していた。無論、何度も拝読している。だが、参究というのは、参学眼を通して、正法眼で本文に自己を没却させていく作業である。こちらが読むのではなくて、本文に読ませてもらう。その時、自己は忘れているが、かえって仏道は学ばれていく。まさしく、「仏道をならうというは・・・」という「現成公案」である。さて、「安居」について以下の一節を参究してみたい。九十日為一夏は、我箇裏の調度なりといへども、仏祖のみづからはじめてなせるにあらざるがゆえに、仏仏祖祖嫡嫡正稟して今日にいたれり。しかあれば、夏安居にあふは、諸仏諸祖にあふなり、夏安居にあふは、見仏見祖なり、夏安居、ひさしく作仏祖せるなり。「安居」巻我々は、仏祖が安居をするものだと思っている。だが、実は逆で、先に「安居」がある...「安居」のシステム論的考察
実世界にも先行研究があるところなので、これはあくまでも拙僧なりの備忘録である。拙僧の想いはここまで進んだが、これは道元禅師の教えを見るに付け混乱に変わったのである。確かに、仏と祖師を分けること、これ自体は特記すべき優位性がない考えだが、しかし用いなくて良いとも限らないし、晩年の道元禅師は「仏祖一体論」から「祖師の自覚」へと論点を変更したように思われる。しかあれば六神通は明明百草頭、明明仏祖意なりと参究することなかれ。『正法眼蔵』「仏性」巻この一文が何故道元禅師独自の「仏祖一体論」になる理由だが、ここで引用されている「明明百草頭、明明仏祖意」は龐居士の言葉であるとされ、しかも本来は「明明百草頭、明明祖師意」なのである。しかし道元禅師は祖師を敢えて「仏祖」と書き直した。こうすることで、祖仏一体を明らかにしよう...道元禅師に於ける仏祖の一体論と各別論
今日は、道元禅師の『正法眼蔵』の最後の一巻とされる「八大人覚」巻を学ぶ日と(勝手に)定めている。理由は、以下の事柄を学びつつ紹介しておきたい。建長四年、今夏之比より微疾まします。最後之教誨は正法眼蔵八大人覚の巻也。此教誨は仏の遺教経をもととして遺言也と見ゑたり。『建撕記』(『曹洞宗全書』「史伝(下)」巻所収本を参照)を参照しつつ、カナをかなに改める。以下、同じ。これは、『建撕記』でのコメントであるため、普通に考えれば永平寺14世・建撕禅師のお言葉かと思う。なお、建撕禅師がご参考になさった見解は、「八大人覚」巻の奥書に、懐奘禅師が記された事柄であろうと思われる。二代奘和尚云、右本は、先師開山和尚最後の御病中の御草也。仰者、以前所撰仮名正法眼蔵等皆書改、并新草具都廬壹百巻可撰之云々。既に御草案始め此巻当第十二...『正法眼蔵』「八大人覚」巻を学ぶ(令和6年度版)
曹洞宗の大本山永平寺を開かれた道元禅師の『正法眼蔵』は何度読んでも、その都度学びがあるのが不思議というか、自分自身の学びの不足を恥じるしかないが、今回は以下の言葉を学んでみたい。長沙いはく、尽十方界、真実人体。尽十方界、自己光明裏。かくのごとくの道取、いまの大宋国の諸方の長老等、およそ参学すべき道理と、なほしらず、いはんや参学せんや。もし挙しきたりしかば、ただ赤面、無言するのみなり。『正法眼蔵』「諸法実相」巻これは、道元禅師が、中国禅宗の長沙景岑禅師の言葉を採り上げたところである。長沙は、「尽十方界、真実人体」といい、「尽十方界、自己光明裏」と道取された。前者は、まさに我々の生きるこの世界そのものが、如来の身体、法身そのものだという意味である。後者は、我々の生きるこの世界そのものが、我が光明の内にあるとい...ただ赤面、無言のみなり
この一節をご覧いただきたい。洗面は、西天竺国よりつたはれて、東震旦国に流布せり。諸部の律にあきらかなりといふとも、なほ仏祖の伝持これ正嫡なるべし。数百歳の仏仏祖祖おこなひきたれるのみにあらず、億千万劫の前後に流通せり。ただ垢膩をのぞくのみにあらず、仏祖の命脈なり。『正法眼蔵』「洗面」巻道元禅師が、単純な「テキスト至上主義」では無かったことを示す一文として理解されたい。これは、どういうことかというと、道元禅師が「洗面法」について言及する中で、この作法は西天竺国=インドから伝わって、東震旦国=中国に流布したのだが、作法の内容については、諸部(インド仏教の各部派)がまとめた『律』に明らかだけれども、ところが、実際には「仏祖の伝持」こそが正嫡であるという。この正嫡という言葉は、決して生やさしい意味では無く、正しく...道元禅師の『律』に対する考え方
以前から、【『禅苑清規』「斎僧儀」に学ぶ】という記事で、道元禅師が30代後半に僧侶の善し悪しを測ることを諫めていることを紹介したが、比較的晩年も同じ見解を持っておられた、という話をしておきたい。寮中清浄大海衆、乃し凡、乃し聖、誰か測度する者ならんや。然れば則ち面を見て人を測る者は、痴の甚はだしきなり。〈中略〉況んや像末の澆運、唯だ結縁を貴ぶのみ。何ぞ人を軽んずる者ならんや。衣綴零落し、道具旧損するとも、凡眼を以て観ること莫れ。忽諸にすべからず。古来の有道の人、衣服を華らず、唯だ道具を実にす。卑族軽んずべからず、初学笑うべからず。縦い笑わるるとも瞋恨すること莫れ。況んや復た下下の人に上上の智有り、上上の人に没意智有るをや。但だ四河の海に入りて復た本名無く、四姓出家して同じく釈氏を称するの仏語を念うべし。『永...僧侶の善し悪しは測度不可
※修証義しゅしょうぎ曹洞宗の信仰指導書の一。1890年(明治23年)成立。道元の「正法眼蔵しようぼうげんぞう」より文章を選び、五章三一節に整理したもの。(大辞林) (修証義 総序)冒頭の言葉を引用させて頂きます。生を明らめ 死を明きらむるは 仏家一大事
仏と菩薩、仏教に於ける宗教的価値は当然異なっていて、その名を冠する戒の「仏戒」と「菩薩戒」についても、意味合いが違うのか?と思うのは、当然であると思うが、小生が習ってきた限りでは、同じ意味なのだという。それを前提に幾つか考えてみると、例えば道元禅師には『正法眼蔵』に於いて、両語について以下のような用例がある。【仏戒】・居士、あるとき仏印禅師了元和尚と相見するに、仏印さづくるに法衣・仏戒等をもてす。「渓声山色」巻・在家の男女、なほ仏戒を受持せんは、五条・七条・九条の袈裟を著すべし。「伝衣」巻・もし諸仏いまだ聴許しましまさざるには、鬚髪剃除せられず、袈裟覆体せられず、仏戒受得せられざるなり。「出家」巻・正法眼蔵を正伝する祖師、かならず仏戒を受持するなり。仏戒を受持せざる仏祖、あるべからざるなり。・いま仏仏祖祖...仏戒と菩薩戒について
道元禅師は、こんな言葉を遺しておられる。しかあればすなはち、いま道著する画餅といふは、一切の糊餅・菜餅・乳餅・焼餅・糍餅等、みなこれ画図より現成するなり。しるべし、画等、餅等、法等なり。『正法眼蔵』「画餅」巻或いは以下の御垂示もある。般若波羅蜜十二枚、これ十二入なり。また十八枚の般若あり、眼・耳・鼻・舌・身・意、色・声・香・味・触・法、および眼・耳・鼻・舌・身・意識等なり。また四枚の般若あり、苦・集・滅・道なり。また六枚の般若あり、布施・浄戒・安忍・精進・静慮・般若なり。また一枚の般若波羅蜜、而今現成せり、阿耨多羅三藐三菩提なり。また般若波羅蜜三枚あり、過去・現在・末来なり。また般若六枚あり、地・水・火・風・空・識なり。また四枚の般若、よのつねにおこなはる、行・住・坐・臥なり。『正法眼蔵』「摩訶般若波羅蜜...なんか「餅」「枚」の意味が分かった気がする・・・
「廻向」という言葉がある。開くと「廻らし向ける」という意味である。良く、我々自身が行う修行の過程でこの語を用いる場合には、我々が読経などの善行を行い、積んだ功徳を、仏・菩薩などに「廻らし向ける」時「廻向」という。或いは、自らの行いとして、行為の方向を変えていくこと、「振り向ける」事を「廻向」といったりする。以下のような用例はどうか。釈迦牟尼仏、すでに十二年中頂戴して、さしおきましまさざるなり。その遠孫として、これを学すべし。いたづらに名利のために天を拝し、神を拝し、王を拝し、臣を拝する頂門を、いま仏衣頂戴に迴向せん、よろこぶべき大慶なり。『正法眼蔵』「伝衣」巻これは、「伝衣」巻にある一節であることからもお分かりいただけるように、「御袈裟」について述べている。つまり、釈迦牟尼仏は、出家してからというもの、十...頭を下げる先を廻向してみる
今日、11月8日は語呂合わせから「いい歯の日」とされる。さて、今回のタイトル「「いい歯の日」と『弁道法』」だが、おそらく日本の僧侶で、「歯磨き」について、詳細な説示を行ったのは、曹洞宗の高祖であり大本山永平寺を開いた道元禅師(1200~53)が最初であろうと思われる。主著とされる『正法眼蔵』には、「洗面」巻があり、「洗面」と歯磨きについて書かれたものである。同巻では歯磨き法について、以下のような記述が見られる。よくかみて、はのうへ、はのうら、みがくがごとくとぎあらふべし。たびたびとぎみがき、あらひすすぐべし。はのもとのししのうへ、よくみがきあらふべし。はのあひだ、よくかきそろえ、きよくあらふべし。漱口たびたびすれば、すすぎきよめらる。しかうしてのち、したをこそぐべし。『正法眼蔵』「洗面」巻当時の誰に対して...「いい歯の日」と『弁道法』
朝食は、豚小間唐揚げの具でホットサンドと、自家製豆乳ヨーグルト。 昼食は、久しぶりのサイゼリヤで。1年ぶりくらいに酒をちょっと飲んだ。 ゆっくり食べながら聴く、今日のmp3は澤木老師提唱「八大人覚」何度も聴いてるが、何度聴いてもいい。沢木興道
今日は目の愛護デーらしい。一〇月一〇日、この「一〇」を縦にすると、眉毛と目に見えるので、「目の愛護デー」になったとのこと。一一〇〇こんな感じ。以前なら、この日に「体育の日」もあったが、「ハッピーマンデー」になり、更には「スポーツの日」になり、ということで、大分変わってしまった。そのため、今日に残った「目の愛護デー」を記事にしようと思う。早速、以下の一節をご覧いただきたい。五葉華開けて六葉を重ぬ、青天白日明無きに似たり、若し人我れに問わん何色を看ると、此れは是れ瞿曇の老眼睛。道元禅師『永平広録』巻10-偈頌88、雪頌六首の一つ五葉の華というのは、五つの葉っぱがある華、という意味ではなくて、五つの花弁を持つ花の意味であり、梅華などに譬えられる。そして、仏法の悟りにも譬えられる。達磨大師の伝法偈に「一華開五葉」...10月10日「目の愛護デー」
道元禅師に、次のような教えがある。曩祖道、我説法汝尚不聞、何況無情説法也。これは、高祖、たちまちに証上になほ証契を証しもてゆく現成を、曩祖、ちなみに開襟して、父祖の骨髄を印証するなり。なんぢなほ我説に不聞なり。これ凡流の然にあらず、無情説法たとひ万端なりとも、為慮あるべからず、と証明するなり。このときの嗣続、まことに秘要なり。凡聖の境界、たやすくおよびうかがふべきにあらず。『正法眼蔵』「無情説法」巻この「曩祖」というのは、中国曹洞宗の先駆的立場としてある雲巖曇晟禅師のことである。その雲巖禅師が、洞山良价禅師と「無情説法」について問答をした際の言葉について、道元禅師が提唱されたのが上記一節である。それで、この一節とは無情説法そのものよりも、それをどのようにして「得聞」するかが問われている。そもそも無情説法と...十月二日『正法眼蔵』「無情説法」巻参究(令和5年度版)
我々が檀信徒法要などで主に読誦する場合が多い『修証義』について、以下のような文脈がある。彼の三時の悪業報必ず感ずべしと雖も、懺悔するが如きは重きを転じて軽受せしむ、又滅罪清浄ならしむるなり。「第二章懺悔滅罪」今日問題にしたいのは、この「軽受」の読み方である。我々が習った読み方だとこれは「きょうじゅ」と読むべきだということであった。ところが、近年、同語を「けいじゅ」と読む人が増えてきているように思う。これはどういうことなのだろうか?そこで、何が正しい読み方なのかを、調べてみることにした。まず、宗門の公式見解、要するに、出版部で出している経本の読み方をチェックしてみようと思う。まずは、『曹洞宗日課勤行聖典』や、檀信徒に配布する場合が多い『洋本修証義』では、みな「きょうじゅ」とルビが振られている。流石にこのルビ...「軽受」の読み方について
今日は9月10日、語呂合わせで「弓(9)道(10)の日」らしい。弓道って、全国組織があったのか?と思って調べたら、大阪にある有限会社猪飼弓具店という会社の代表取締役の方が定めたらしい。・弓道の日(有限会社猪飼弓具店)それで、弓道と聞くと思い出すことがある。ゆえいかんとなれば、菩提心をおこし、仏道修行におもむくのちよりは、難行をねんごろにおこなふとき、おこなふといへども百行に一当なし。しかあれども、或従知識・或従経巻して、やうやくあたることをうるなり。いまの一当は、むかしの百不当のちからなり、百不当の一老なり。聞教・修道・得証、みなかくのごとし。きのふの説心説性は百不当なりといへども、きのふの説心説性の百不当、たちまちに今日の一当なり。行仏道の初心のとき、未練にして通達せざればとて、仏道をすてて余道をへて仏...今日は「弓道の日」(令和5年度版)
備忘録的に記事にしておきたい。現在、道元禅師の『正法眼蔵』「嗣書」巻には「草案本」「修訂本」の2系統があると知られている。ほとんどの内容は一緒だが、例えば個人的にその違いに注目している一節がある。・いまわが洞山門下に嗣書をかけるは、臨済等にかけるにはことなり。「修訂本」・いまわが洞山宗門にかける、臨済等にかけるにことなり。「草案本」前者であれば、法系としての洞山門下を強調しているように見えるが、後者は「洞山宗門」とあって、どこか「洞山宗」というべき宗派意識の表出のように感じてしまうのである。もちろん、「仏道」巻などで、曹洞宗を含めた全ての宗派名の名のりを批判することはよく知られているから、違うという意見もあると思うが、道元禅師は『正法眼蔵』各巻で第一とする発想が異なるので、宗門と名乗っても問題無いように思...懐奘禅師による『正法眼蔵』「嗣書」巻の書写について
以前に二度ほどアップした記事だが、再改訂する必要が出て来たので、今日はそういう内容である。そこで、最大の問題は、拙僧自身、「施食会」と「盂蘭盆会」との違いが良く分かっていなかったということがいえる。また、「施食会」やその作法に関する参究も進めて、原典や歴史的経緯なども明らかになってきた。現在では、「盂蘭盆会」の季節になると、曹洞宗では「施食会」という儀式が一緒に行われる。「施食会」とは、古来から「施餓鬼会」「水陸会」「冥陽会」などと呼ばれた儀式で、餓鬼道にあって苦しむ一切の衆生に食べ物を施して供養し、そして現当二世の福徳を祈るという内容である。そもそも餓鬼道とは「生前に嫉妬深かったり、物惜しみやむさぼる行為が甚だしかった者が赴く場所である」とされるか、ヒンドゥー教では死後1年経つと祖霊の仲間入りをするが、...施食会と盂蘭盆会(再改訂版・令和5年度「裏盆」の学び1)
8月11日、今日は「山の日」である。この日は、2014年に制定されており、祝日としては新しいものである。そして、祝日について定めた祝日法を見ていくと、「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」という趣旨であると分かる。とはいえ、由来などは書いていないため、何となく「お盆休み」の日付を増やす方便だったのでは?という感じもしてしまうが、仏教的にはありがたいというべきなのかもしれない。そこで、今日は「山」に因んだ祖師方の教えを学んでみたい。山は、超古超今より大聖の所居なり。賢人・聖人、ともに山を堂奥とせり、山を身心とせり。賢人・聖人によりて、山は現成せるなり。おほよそ、山は、いくそばくの大聖・大賢いりあつまれるらんとおぼゆれども、山は、いりぬるよりこのかたは、一人にあふ一人もなきなり、ただ山の活計の現成するの...8月11日今日は「山の日」(令和5年度版)
もう、何も言うことは無いと思うが、今日8月7日は語呂合わせの関係で「鼻の日」である。よって、今日はそれに因んだ話を見ておきたい。以下の一節などはどうか?撫州石鞏慧蔵禅師、西堂智蔵禅師に問う、汝、還た虚空を捉得することを解すや。西堂曰わく、捉得することを解す。師曰わく、你、作麼生か捉う。西堂、手を以て虚空に撮す。師曰わく、你、虚空を捉うることを解さず。西堂曰わく、師兄、作麼生か捉う。師、西堂の鼻孔を捉えて拽く。西堂、忍痛の声を作して曰わく、太殺人、人の鼻孔を拽いて、直に脱去することを得るや。師曰く、直に須らく恁地に把捉して始めて得てん。『正法眼蔵』「虚空」巻ともに、馬祖道一禅師の法嗣とされる慧蔵禅師と、西堂智蔵禅師による問答である。さて、意味するところは、石鞏禅師が西堂禅師に、「そなたは、虚空を捉えることを...今日は「鼻の日」(令和5年度版)
以前、【道元禅師の直弟子達が語る三学論】という記事をアップしたのだが、他にも見ておくべき文脈があるため、今日はそれを確認しておきたい。雖無諸法生滅而有戒定慧と云は、是修証はなきにあらず、染汚することゑじと云義にあたるべし、生滅とこそ云ねども、戒ぞ定ぞ慧ぞ云へば、是こそ生滅の法と聞ゆれどもしかにはあらず、一戒光明金剛法戒と云程にこそ戒をも心得れ、只戒と云へば制止と許心得、断悪修善とのみは不可心得、又、戒はふね・いかだ也と云時は生滅法に似たれども、雖無生滅の道理は今の般若と談ずる所、戒定慧等なり、敬礼これなり、施設可得と云は是もほどこしまうけてうべくば生滅の法に似たり、然而今施設は可得とつかふ、戒定慧にて可心得、戒定慧已下至度有情類、施設可得なるなり、『正法眼蔵抄』「摩訶般若波羅蜜」篇、カナをかなにするなど見...道元禅師の直弟子達が語る三学論(2)
加賀大乘寺山内の行持作法を定めた『椙樹林清規』について、以前から気になる一節があったので、探っておきたい。具体的には、毎月3回行われる、「宣読箴規」についてである。そもそも、『椙樹林清規』は、大乘寺25世・月舟宗胡禅師、26世・卍山道白禅師による『瑩山清規』研究などが前提となって編まれているものだが、そのためか、「宣読箴規」についても、以下の通り定められている。飯後坐禅板鳴て、知客、衆寮本尊前に就て、亀鏡文を読む、其の式は、止静の魚声を聞て、衆寮前の版、打すること三通、時に禅堂外堂、同列に衆寮に赴く、大衆普同三拝して、具上に坐す、知客、本尊前に進て、炷香、文を香に薫じて、具上にして之を読む、大衆諦聴す、読了て普同三拝、結制の中は、必行茶あり、副寮等之を弁ず、行茶了て大衆帰堂、各おの被位に倚て坐禅す、清規に...『椙樹林清規』に見る『正法眼蔵』講義について
三学とは、戒定慧学のことである。曹洞宗では一般的に、三学一等などともいわれ、その典拠として道元禅師『弁道話』、瑩山紹瑾禅師『坐禅用心記』などが参照されるけれども、もちろん、それだけが三学への態度ではない。例えば、以下の一節などはどうか。凡仏道に戒定慧三学あり、戒は業道を滅すれども凡悩を不断也、但仏戒と云時こそ無残所道理なれ、ゆへに菩薩戒仏戒尤可心得也、定は凡悩を断ず、又定多慧小あるべし、慧多定小あるべし、定はさき慧は後といふことあり、今の定慧等学明見仏性といはれは、これらにひとしからざる也、『正法眼蔵聞書』「仏性」篇、カナをかなにするなど見易く改めるこちらは、道元禅師の直弟子の1人である永興詮慧禅師によって書かれたとされる『正法眼蔵聞書』の一節である。いわゆる、75巻本『正法眼蔵』最初の註釈である。そして...道元禅師の直弟子達が語る三学論
なんとも凄い話だが、インド人は二桁×二桁の暗算を容易にこなすそうである。やはり、数字について、暗算で扱えるレベルが違っているのだろう。それとも、訓練の成果だろうか?そこで、道元禅師の説法に見える「かけ算」について見ていきたいと思う。冬至小参に云く。古徳道く「九九八十一、人の能く算の解する無し。両箇五百文、元来是れ壱貫」と。『永平広録』巻8-小参4このように、引用文ではあるが、9×9=81という計算を明らかに説法に利用されている(多くの禅語録には、五五二十五、六六三十六、七七四十九、他がある)。これは、“掛け合わされる”ということが、縁起の様子で「思った以上に数字が増えても、実はその内容は同じ」様子を明らかにしている。かけ算はあくまでも法の様子であり、この世の諸現象は、様々な変異があるけれども、それは諸法実...道元禅師の説法に見える「かけ算」
流石に令和の時代まで来ると、周囲でも用いている人は多くないけれども、当方は以前であれば『本山版縮刷正法眼蔵(全)』(鴻盟社)を使用していた。最近は、大久保道舟先生編『古本校定正法眼蔵(全)』(筑摩書房)か、『本山版訂補正法眼蔵』(大法輪閣)を用いている。三者に共通するのは、一冊でほぼ全ての『正法眼蔵』を拝読可能であり、只管に読むためには優れていると思う。さて、最初に紹介した鴻盟社版が「縮刷」で発刊されるに到ったのは、明治時代のことであり、大内青巒居士の編集が大きいとされている(現在鴻盟社より刊行されているのは、この明治期の改訂再刊本であり、昭和27年の道元禅師700回大遠忌を記念した事業であった。当方の手元には明治18年に発刊された初版本もあるが、現行本と初版本の決定的な違いは、初版本には当時未発見であっ...『正法眼蔵』の売り文句
今日、6月10日は「時の記念日」とされる。『日本書紀』の記述から、日本で初めて「時の鐘」が打たれたことに由来するという。夏四月丁卯朔辛卯(25日)に、漏剋を新台に置き、始めて時を候い鍾鼓を動かし打ち、始めて漏剋を用ゆ。此の漏剋とは、天皇、皇太子為りし時、始めて親しく製造する所なり、云々。『日本書紀』巻27「天智天皇十年四月辛卯」条この時の時計は、「漏刻(漏剋)」といって、水時計であった。なお、上記の記述の通りであれば、この漏刻は天智天皇がまだ、中大兄皇子(皇太子)だった頃に、自ら製造されたものであったという。エンジニア気質をお持ちだったということだろうか。なお、上記一節より1ヶ月ほど前には、「黄書造本実、水臬を献ず」ともあって、この「水臬」とは現在でいうところの「水準器(水はかり)」であったというから、こ...今日は時の記念日(令和5年度版)
「勝手な」と書いている通り、華道の素人の当方が、禅の教えから華道論を書いてみよう、という話である。何故ならば、世阿弥の教えに基づいて、6月6日は「芸事の日」だからである。本当なら、世阿弥の教えを見てみたいところだが、ちょっと手元に良いテキストがないので、別の資料を使って考えてみた。いはゆる、花もとより人のためにひらけず、月はじめより人のためにのぼらず、人これをみてもてあそびあいすること、ほかをわすれたり。道元禅師『参禅学道法語』このように、花は人のために開いているわけではないが、人は勝手にその花の様子に執着してしまい、没頭することがあると指摘されている。問題は、花は元々人のために開いているわけではないという、或る種の倫理性である。では、何のために開いているのか?普通であれば、花は花のために開いている、これ...勝手な禅華道論
本日は、次の一文を学んでみたいと思う。聖教のなかに、在家成仏の説あれど、正伝にあらず、女身成仏の説あれど、またこれ正伝にあらず、仏祖正伝するは、出家成仏なり。『正法眼蔵』「出家功徳」巻ここから、晩年の道元禅師が女性差別に至り、女性の成仏を否定したという発想をする人(戸頃重基氏など)もおられるのだが、初期永平寺僧団の様子を拝察すると、道元禅師の御真意は女性の成仏の否定にあるのではないと思われる。女性が女性ながら救われるというのではなくて、出家者だけが成仏可能だといいたいのである。そして、差別だというのであれば、例えば女性の出家が認められていなかった、というのならまだ分かるが、道元禅師御自身は、女性に出家する許可を出していることは、次の一文から明らかである。釈迦牟尼仏、五百大願の中の〈中略〉第一百三十八願、「...女身成仏と出家成仏について
今日は「みどりの日」である。拙僧が生まれた頃にはまだ、5月4日は休みじゃなかったはずである。その後、5月3日と5日に挟まれている関係で、休日となり、そして、一時的に4月29日に配されていた「みどりの日」が、今日へと変更されたという流れだったはずである。そこで、「みどりの日」の趣旨を確認しておきたい。みどりの日五月四日自然にしたしむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ。「国民の祝日に関する法律(e-Gov)」そこで、自然にしたしむ、恩恵に感謝、豊かな心と、いくつか気になるキータームがあったので、この辺から記事にしていこうか。そもそも、「自然」という時、我々が思うのは、人工物ではない存在ということになるだろう。例えば山、或いは川、或いは海。ところが、実際には、林は人間の植林の結果だったり、川だって、日...「みどりの日」と仏法の自然(令和5年度版)
仏教には「懺悔滅罪」という概念がある。例えば、以下のような文章が参照可能である。かの三時の悪業報、かならず感ずべしといへども、懺悔するがごときは、重を転じて軽受せしむ、また滅罪清浄ならしむるなり。道元禅師『正法眼蔵』「(六十巻本系)三時業」巻懺悔されれば、重罪も軽受となり、更に、滅罪清浄になるというのである。そこで、今日は、この「懺悔滅罪」について、詳しく論じられた文章を学んでみたい。十三懺悔に罪のほろぶる事問云、懺悔に罪のほろぶるとは、いかやうなる事ぞや、答云、懺悔に二つ候、一つには、朝暮十悪を作り候、其十悪と申すは、ものゝ命をころし、物をぬすみ、男は女を思ひ女は男を思ひ候、これ身に三つのとがあり、そら事をいひ言ふまじき事を云ひ、たはぶれ、人をあしく云ひ、なか事を云ふ、是れ口に四つのとがあり、生れつきた...仏教に於ける「懺悔滅罪」の話