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辰巳和弘氏は平凡社刊『日本の地名静岡県』における「渭伊神社」の項は誤りで、事実は逆であると言います。『日本の地名静岡県』は、現龍潭寺の地にあった井伊氏の氏神「八幡宮」が、享禄のころ、もともと現在地にあった「渭伊神社」の地に移遷してきたというものです。移遷時期はともかく、場所に関しては風土記伝ほか多くが同じ説です。辰巳氏が引用したのは「平井文書」だと言います。この文書は未見ですが、同説は「兵頭文書」・『井伊家伝記』も述べています。『日本の地名静岡県』は「山本文書」を参考にしていると考えられます。幕末から明治にかけて活躍した山本金木には「井伊八幡宮御遷座記・龍潭寺建立記」なる文書があります。それには「十二代将軍足利義晴の享禄(1528~1532),天文初メ(1532)八幡宮を殿村(現神宮寺)の薬師山に遷座成シ奉りぬ...井伊谷渭伊神社と(正)八幡宮(1)