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【最期は日本で】桐島聡容疑者が聴取 鎌倉で入院中 70年代指名手配
1974年から75年にかけて発生した連続企業爆破事件に関連し、桐島聡容疑者(70)が警視庁公安部によって発見されたことが26日、捜査関係者の取材で明らかになった。桐島容疑者は、過激派組織「東アジア反日武装戦線」の「さそり」グループのメンバーとして、75年4月の東京都中央区銀座での手製爆弾事件を含む一連の爆破事件に関与したとして指名手配されていた。
パリのルーブル美術館にある ダヴィンチのモナリザに スープをかけて汚そうとした 自称環境活動家 無差別爆破テロをして 49年間逃げ続けた自称革命家 彼らはどんな思想を持って行動を したのだろうか、何だか 彼らの思想は似ているような 気がします 日本の未来を憂えて世界の未来を 憂えて 正義の為に闘った、、もしくは 闘っていると思い込んで いるのだろうか、自分の理想の 実現の為には暴力も厭わず 人類…
「親族が遺体の引き取り拒否」ここ数日、世間を騒がせている桐島聡のこと。辛い人生を余儀なくされた身内としては、当たり前のような気がする。本人は自分の思想を貫いて、多数の死者を出した上、逃走。50年以上もの年月を全くの他人として生きてきたわけだ。その間、殺人
1974~1975年に起きた連続企業爆破事件の容疑者、桐島聡(70)と名乗る男が、神奈川県藤沢市の土木会社に数十年間住み込みで働いていたことが明らかになった。この男は「内田洋」と名乗っていたが、実際に桐島容疑者であるかどうかは警視庁公安部がDNA鑑定で確認中だ。
この事件が起きたのは筆者が大学生になる頃の1972~75年。三菱重工ビル爆破事件などが相次いで起きていた。75年桐島聡は20歳で指名手配される。筆者はひとつ下の当時19歳。京都に下宿していた。近くの銭湯に彼の手配写真が初めてのせられたのがその頃だ。覚えている。あの笑
1: 2022/10/29(土) 16:53:57.691 ID:vPhutI+80NIKU 逃亡生活3年→8年4ヵ月収監 特定されない範囲 4: 2022/10/29(土) 16:56:43.191
朝の通勤は決まった時間に出る人が多いのでいつもの人に会う確率は高い。 駅へ向かうバス。バス停では60代の太ったおじさんと40代のO Lとぼくの3人が決まったメンバーだ。おじさんとは稀に挨拶をするが「暑いですね」「寒いですね」それ以上の言葉はない。女性は何度か駅前のスーパーで見かけたことがある。お菓子コーナーでチョコビを買っていたので小さな子供がいるのだろう。 電車の中。始発駅の3人がけの右端がぼくのポジションだ。少し遅れていつもアディダスを履いている40前後の女性が左端に座る。スタンスミスだけで数種類持っているほどのアディダス好きだ。職業柄なのだろうか?ひと駅進むと若い男性が間に座る。この若い…