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その子とジュンの言い合いが聞こえてくる。「なんだ、それ。俺に刃向かう気か!」「ジンはいいだろ!」けっ、とツバを吐く。「お前は、いつもそいつと一緒だよな」「仲良しだもん」「仲良しでも裏切ることはあるぜ」その言葉にジュンは叫んでいる。「ジンはそういうことしない!」「分からんぞ。それに、お前の親はどこかに逃げたって」「ダディは逃げてない!」苛つきながら、その子は言葉を選んでいるみたいだ。「クリニックのボ...
ジュンは習い事が楽しく、火曜日は料理教室で作り皆と一緒に食べる。水曜と木曜日はジュンヤのブティックで語学の勉強をしているが、そこで寝る時もある。金曜日の夕方から日曜日にかけてはマサの所に行くので、色々と準備が大変だ。なにしろ、土曜日は料理教室、日曜日は水泳教室に行くからだ。ジュンにとって一番、打ち解けるところは意外にもブティックをしているジュンヤのところだ。マサのところではなかった。ジュンはジュン...
それから1年。あの味が忘れられないスズメは少しでも近づけるようにとの思いで料理していく。試食はマサとジュンヤだが、今日はサトルの所に持って行く。「なんだ、頼んだ覚えはないぞ」「食べて感想くれ」「試食か・・・・・・」ため息が出ていたサトルにスズメは半べそかいている。「あいつらはアテにならないし」「なんで、そこまで必死になるんだ?」「味の改良だよ」その言葉で分かったので、サトルは笑いながら言ってやる。「マサ...
時間が、朝と夜のすきまに見せる色が好きだ。夜が明けきるまえの薄い青、陽が沈んで闇に覆われるまえのはかない橙。まぶしい朝、てらされる昼、真っ暗な夜、雨音(あまね)は地軸が揺らぐように自分の居場所を見失うから。ベッドのなかで青がだんだんと光に浸食される時間、雨音の肺はしだいに金属でできているかのように呼吸がむずかしくなる。このまま光に溶けてしまいたい、という物思いすら容赦なく照らされて消えてはくれな...
ジュンは立ち上がる。「そろそろ片付けるね」スズメはすかさず口を挟む。「持ち帰るからな」「本気なの?」「もちろん」でも、持ち帰り用の容器なんてなかった筈と小声で呟いている。その声が聞こえたのだろう。スズメは立ち上がる。「店に行ってテイクアウト用の入れ物を持ってくる」それに答えたのはマサだ。「3分あれば戻ってこれる距離だしね」「そうそう」「じゃぁ、他の食器を先に片付ける」「ジュン、手伝うよ」「今日は、...
僕が「薄荷」と呼ぶものを、彼は「ミント」と呼ぶ。犬派の僕と愛猫家の彼。なにもかも相容れないのに、接点が恋心だというのはいったいどうしたことだろう。作哉が一億万回は考えたことをまた脳内でこねくりまわしていると、ミントで猫派の作哉の彼氏、学人が本屋の紙袋(いちばんサイズがでかいやつだ)を提げて休日昼間のごった返したフードコートに戻ってきた。「また本を増やす……」 作哉の視線に学人はうへへと笑った。「学...
スズメはこれだ。 「ファッションモデルにレッドカーペットってなに?」 「ミラノのファッションショーだよ」 GPボスは私が医学部だという事は知らない。いや、すっかり忘れているみたいだ。ちょうどいいのでスズメに戻してやる。 「GPボス、このスズメは中国で中華店をしていたみたいですが、彼の食事はいかがですか?」 GPボスは言いにくそうだ。 「あんまり食べないからな・・・・・・」 これは失敗したかもと思うと、違う話題...
「よう、」 一応ドアをノックして、だけど返事を待たずに部屋に入る。鍵はかかっていない。そもそも鍵なんてついてすらいない。「けーとさん、」 俺の姿を認めて、 室内にいた男は、ふわりと笑う。見慣れた笑顔。曇りのない、表情。どうしてなのか、驚いた様子は無い。連絡もしないで訪問したのにな。 窓辺の空気が僅かに揺れた。思わず向けてしまった視線をそこからずらす為に「最近肩凝るんだよなぁ」と独りごちながらそのまま首を左右に動かす俺。不自然じゃないよな。 その奥にある大きな窓から入ってくる柔らかな陽の光で室内は明るい。バルコニーがついているんだっけ? 室内はパイン材の白いフローリング。全体的に新しい匂いがする…
指で指し示した先はジュンヤしかいない。マサは訝しげな表情をしている。「ジュンヤ?」ジュンヤは、してやったりとほくそ笑みながら言ってやる。「ブティックだけだとやっていけないからね。火曜、水曜、木曜は割と暇で教えてる」その言葉にマサは分かったのだろう。「だから、今日の招待」「そういうこと」スズメの口調が変わる。「ジュンヤは何を知っている?」「今、話さなくてもいいだろ」「いいけど。その口ぶりでは色々と知...
不気味なぐらいにスズメの声が響いてくる。何のことだろうとドキドキする。「何?」「夜、どこで何をしている?」「なんで知りたいの?」「小学生が遅い時間まで何をしているのかなと思って」「マサから聞いてるでしょ?」「金土日だけな」マサは口を挟んでくる。「火曜日も知ってるからね」「あ、そうだっけ。でも、他の日は知らない」ジュンは食い下がる。「知ったらどうするの?」「危険にさらしたくないんだ」「スズメは、僕の...
たしかに別腹だ。ジュンの持ってきたデザートは、抹茶味の杏仁豆腐に薄くスライスしたレモンを載せている。一口食べると、レモンの風味でアッサリ感が増す。ジュンヤは本当に幸せそうな表情だ。「んー、最高」マサはこれだ。「小学生でこれだよ。スズメ、改良の余地、大ありだな」スズメは何も言えないでいる。これ、好きな味だ。教えたのはボスだな。ボスには昔っから叶わなかった。近くにボスはいないが、ジュンは確実に血を引い...
首都カリアリから国道で北へ約1時間。古代の火山地帯であるモンテ・アラジン自然保護区の看板が見えてくる。ハイキングや自然観察が楽しめるスポットであり、決して大きな町ではないが観光地としての人気は高い。だが、まだ時刻は商店やカフェがオープンする前で。人通りの少ない町の景観だけを楽しみ、ハインリヒが運転する車はさらに北上する。そうして直線が続く国道を20分ほど走った頃。オレンジ色の屋根の家々が見えてきた。...
「あぁ、天使か…」ぽつり、と。欠伸交じりの声が聞こえ、夢現の場所を彷徨っていたアルフレードはまだ重たい瞼を押し上げた。ふわり、と舞う白いレースカーテンが視界の端に入る。と同時に見えたのは、半身を起こし、気だるげに前髪を掻き上げているハインリヒの横顔。くぁ、と狼や獅子のように大きく口を開けて欠伸をしている無防備な姿に思わず笑む。普段は気配に聡い人だが、見られていることに気付いていない。朝陽に促されて...
好奇心を選んだ猫はどうなったのか。9つある命を全て使い切ってしまったか、それとも、満足感に生き返ったか。前者が教訓として語られることが多い諺だが、どちらかと言えば後者の気分だなとアルフレードはそっと口端を緩めた。過ぎる快感は、身体にとっては負担にしかならない。そもそも受け入れる構造になっていない身体を開く行為なのだから、無理が生じるのは当然のこと。関節も腰も鈍く重たい。酷い熱を出したときのように全...
マサは聞いていた。「持ち帰って、明日の食事にするの?」スズメは即答だ。「違う! ジュンに食べて貰うように味を研究するためだ。食べてくれるまでな!」ジュンは一言だ。「試食は嫌だ」その言葉にスズメは即答だ。「マサとジュンヤ。お前らが試食組だ」名指しされたマサとジュンヤは嫌そうな表情だ。「嫌だなぁ・・・・・・」どうにかして、この空気を変えたい。そう思ったジュンは無いものに気がついた。「デザートがあるんだ。持っ...
ジュンは本当に嬉しそうだ。その表情が少し曇る。「あのね、スズメが嫌いで会いたくない訳じゃないんだ。会えば、僕は酷いことを言いそうで会わないようにしていたんだ」スズメは分かっていたので、こう応じる。「分かってるよ。本当に嫌ならドア越しでも話はしないもんだ」「ダディには話してないから」「何もかも全部を話さなくて良いよ。話したくなったら話せば良いんだ」「ごめんなさい・・・・・・」「でも、ジュンがここまで作るこ...
目覚める直前、意識が浮上しきるその前に髪を撫ぜられているのを感じた。心地よい。このまままぶたを落としていよう、と決めるその一瞬前に目を開けてしまう。青に染まった部屋に、目覚ましはまだなっていないことを悟る。「かず」 啓仁に名前を呼ばれる。この人は自分の恋人だと和沙が思う前に、鼓膜が恋人の声だと認識してしまうような声音で。身じろぎすると「どうしたの」と落ち着いた声で問われた。「うなされてたし……泣い...
食堂の広さに目が行く。スズメとマサは目を見張り、呟きが出る。「喫茶より広い」その声にGPボスは応じてくれる。「ドイツ風だからな」ジュンヤはテーブルを指さす。「テーブルセッティングしてあるよ」4人が席に座ると、奥からシェフが出てくる。ワゴンには鍋が載っている。「最初にスープです」そう言うと、それぞれにスープを注ぐ。そして、空席になっている席のスープ椀にも注ぎ入れる。それはタマゴを散らしたコンソメスープ...
地中海の中央部に位置する島、サルデーニャ島。現在はイタリア領となっているが、その何千年もの歴史は実に複雑だ。様々な勢力に支配されたことでこの島にしかない独自の伝統や習慣が今も根付いており、20世紀初頭のイギリス文化における重要な人物の1人に数えられているD.H.ローレンスはこう言い表した。「この地は他のどこにも似ているところがない」、と。彼のその言葉はサルデーニャ島を世の中に広く知らしめるきっかけとなり...
波の音。それは、幼い頃を過ごしたあの美しい港町の音。朝の爽やかな潮風は遠い記憶を引き寄せる。瞼の裏に感じる陽光の気配は、「おはよう」と髪を撫でてくれた母の手の温もりを、「よく眠れたようだね」と抱き上げてくれた父の腕の優しさを呼び起こした。まだ眠気はあるが、睡魔にしがみつきたいほどのものではなく。アルフレードはぬくく柔らかな記憶に包まれた多幸感の中で、手足を伸ばした。全身に感じる微かな倦怠感は、情交...
空腹、とは違う。だが、限りなくそれに近い感覚が消えない。胃よりももっと、ずっと下。そして、もっと奥。そこが、足りない。胃が固形物を求めているせいだと言い聞かせて果物を食べたが、一度自覚してしまったそれはなかなか頑固で。身体の奥にじわじわと熱が溜まっていき、同時に不足感が募っていく。臍の下辺りを掌で摩りながら、アルフレードはプールサイドに置かれている椅子に腰掛けて空を仰いだ。そこには雲ひとつない突き...
ローテーブルに整然と並べられた白い封筒が10枚。宛名も封蝋もされていない、無地のそれ。一体これは何だろう、と首を傾げながらアルフレードはコーヒーカップを両手に持ったままハインリヒの姿を探した。と、バルコニーへ続く窓が開いていることに気付く。風が吹き込み、カーテンがふわりと揺れる。その拍子にハインリヒの後ろ姿が見え、風に乗って彼の声が聞こえてきた。話している内容までは聞き取れなかったが、口調と声音は穏...
「次の休日は朝から遊びに行こうか」アルフレードがハインリヒにそう誘われたのが先週のこと。いよいよ明日がその日だ、といつもよりも早い時間に鳴るようにアラームをセットして。気分が高揚して寝付けないなんて子供のようだ、と笑って。それでもいつもより早い時間に眠りについた。そして、朝。身支度を済ませて早々に家を出た2人は市内のカフェで軽い朝食をとり、「どこに行くの?」「まだ秘密だ」というやり取りを何度か繰り...
3年ぶりに見るジュン。こう言うと失礼にあたるが、会えるのが楽しみでもある。ラフな服しか持っていないが、少しお洒落をして行こう。選んだ服は紺色のカッターシャツとチノパン。同色のブレザーを羽織り、ブレザーの胸ポケットにはクリーム色のハンカチーフを挿す。そんなスズメを見てマサは笑う。「なにそれ。お洒落だこと」「なにしろGPボスの家には初めて行くからな」「そうなんだ」スズメの紺に対し、マサは淡いクリーム色...
油っこいと言われ、スズメはこう応じるしかなかった。「たしかに中華は油を使うが」GPボスの表情と声からは悪気が感じられない。「トモの作る中華はアッサリなんだ。だから私はトモの作る中華は好きでよく食べていた」マサはこんなことを言ってくる。「スズメ、料理の改良をしないといけないね」その言葉に反論できないでいた。いや、しかしこれでは立つ瀬がない。なんとかして、ジュンに会わないと。でも、口から出た言葉はこれ...
中庭の畑に行ってみると、たしかに色々とある。誰かが引き抜いた跡もある。「まさか、おチビの食材はここか」「毎月、お金が振り込まれてるはずだよ。お店で買うこともできるしね」「誰が、ここを管理してるのだろう」その呟きに答えるように違う声が答えてくる。「私だ」振り向くとGPボスが腕を組み立ちはだかっている。「ここで何をしている?」「畑に何があるのかなと思って見ていただけです」「私が食べている」その言葉にマ...
違う声が割って入ってくる。「チャーハンやおにぎりって一番美味しいですよね」その声のしたほうに振り向くと優君がサトルと一緒に食べに来た。サトルは優君に話しかけながら椅子に座る。「優介が私の所に来た当初は、白米やチャーハンばかり食べていたな」「そっちの方がほどよく甘くて美味しかったから」「父親とは何を食べていたんだ?」「うーん・・・・・・、おにぎり、チャーハン、ヤキソバ、炊き込みご飯! これらが多かったよ。...
タクシーの後部座席におさまった恋人を眺めながら、助手席の夏生(なつき)はさっきから「ひとり多い」話を思い出している。 遠足の引率をしていた小学校教師が行きかえりの点呼で人数が違うことに気がつくとか、山で遭難した四人組が肩たたきゲームをしてからくも難を逃れるが、のちになってそのゲームが四人では成り立たないことに気がつくとか、そういった類の怪談話だ。小さなころに好きでよく読んでいた怖い話ばかりを集め...
ようやく泣き止んだスズメはマサに愚痴る。「犬って飼ってるのか?」「毎週金曜日にやってきて、日曜日は私の所から水泳教室に通って、一緒に夕食を食べて家に帰ってるよ。時間が遅いから、私がここまで送ってくる。本人は大丈夫だよと言ってるが、まだ小学生だからね」「それを聞いて安心した」半分、泣き顔になっているスズメを見て苦笑する。「でも、他の曜日は知らない」「ちなみに、料理教室は何曜日?」「夜の部は火曜日で、...