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糖度高めなオリジナルBL小説(短篇~長篇)を扱っています。 ドイツ人広告代理店社長×イタリア人家具デザイナーが美味しいもの食べたり困難を乗り越えたりいちゃついたりする日々の物語。 #溺愛攻め #トラウマ持ち受け

受け溺愛主義かつ強火担の攻めが何が何でもハピエンにします。

あざさ
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2011/01/01

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  • ベローナが祝ぐ日まで 10

    悪夢に魘されて飛び起きるのでもなく、浅い眠りのままぼんやりと覚醒するのでもなく。瞼越しに感じる光が徐々に身体を包み、日向の中で、穏やかな気持ちで、目を覚ます。溜め息から始まるのではなく、清々しい気持ちで迎えた朝。しっかりと休息を得た身体は軽く、心も弾む。思考もクリアで、アルフレードは早々にベッドに別れを告げた。ぐーっと両腕を上げて身体を伸ばし、夜着の上に薄手のカーディガンを羽織る。寝室を出る足取り...

  • ベローナが祝ぐ日まで 9

    国境を越え、いくつかの都市を抜けて。アウトバーンからの景色を楽しみながら、ウィーンからミュンヘンまでのおよそ4時間30分の道程をたっぷりと堪能して。美しいオレンジ色の屋根が建ち並ぶ中に聳え立つ近代的な高層がビルが見えてきた頃には、すっかり陽が暮れていた。ミュンヘンの空が夕日に染まる頃には帰り着いている予定だったが、つい寄り道を繰り返してしまったな、とフルアは口端をそっと緩めた。助手席には、先ほどから...

  • ベローナが祝ぐ日まで 8

    身体に染み込んだ習慣から呼吸のように自然に後部座席のドアを開ければ、不思議そうな眼差しを向けられる。ドアを開けられることなど初めてではないだろうにどうしたのだろう、とフルアも疑問を滲ませた視線をアルフレードに向けた。「アル君?」「えっと、前じゃダメですか?」「はい?」助手席に、とおずおずと指を差され、そこでようやく合点がいく。彼を乗せるときはプライベートな感情が優先されるとはいえ、上司であるハイン...

  • ベローナが祝ぐ日まで 7

    ヒュッと、息を飲む引き攣った音は悲鳴に似ていて。ハインリヒは足を止め、その音の先を見た。瞳は見開かれているが、その焦点は虚ろで。頭で考えよりも先にハインリヒは呼吸を忘れて微動だにしないアルフレードの肩を抱き寄せた。搭乗ゲートへ急ぐ者、次の目的地に向かう者、長旅を終えて帰って来た者たちが入り混じる国際空港のコンコースは鉄道の最終便が迫る時刻であっても賑わっている。大きなキャリーを引く者たちが訝しそう...

  • ベローナが祝ぐ日まで 6

    “魂の殺人”。それは、狂気と悪意によって身体も心も凌辱されることを意味する。一方的な暴力によって人としての尊厳を踏み躙られ、否定され、日常の全てを変えられてしまう。傷の痛みは簡単に消えるものではなく、酷い凍傷のように皮膚の下に残り続ける。想像してみてほしい。「また明日」と笑顔で別れた友と昨日のように笑い合うことができなくなり、昨日まで楽しみだったテレビ番組を見ることもできなくなり、あれほど心待ちにし...

  • 甘くとける恋はいかがですか

    大人が抱えても腕が回りきらないサイズの大きなテディベア。ふわふわと柔らかな毛並みは蜂蜜色、真ん丸の瞳はチョコレート色。あれはいつだったか、お前に似ていると思ったら買っていた、と言ってそれを脇に抱えて帰って来たその人は、今。ぐったりとソファに沈んで大きな溜め息を吐き出している。オートクチュールの上等なスーツが皺になることも構わずに横に脱ぎ捨て、首元でだらしなく緩めたネクタイを乱暴に抜き取って放り投げ...

  • ベローナが祝ぐ日まで 5

    何故、彼ばかりが。何故、と繰り返し溢れてくる言葉をハインリヒは奥歯で噛み殺した。骨が軋む嫌な音が頭に響いたが、それには構わずにベッドの縁に腰を下ろして拳を握りしめる。いっそ感情のまま喚き散らかし、壁か床に叩きつけてしまおうか、とその拳を振り上げた。歯痒さやもどかしさは焦燥と苛立ちを伴い、すでに冷静ではない。引き結んだ唇を解けば、そこから怒りや憎しみが止め処なく溢れそうになる。水が沸くようにふつふつ...

  • ベローナが祝ぐ日まで 4

    果たして危惧は危惧で終わったのか。いつもの夜が過ぎ、いつもの朝を迎え、いつもの日常が過ぎて行く。すでに2週間。アルフレードが「憂鬱なニュースを見てしまった」と引き攣った苦笑を見せたあの日から、2週間が経った。あの日、彼を1人にしてしまうことに不安が拭えずにダイトの医院に出向くように仕向けて。違和感に気付いたフルアに問い詰められ、彼から状況を聞いたグラースが慌てて執務室に飛び込んできて。自分たちもアル...

  • ベローナが祝ぐ日まで 3

    ペーパーレスの時代とは一体なんなのか。積み重なっていく書類の山を前にうんざりした顔で溜め息を吐きながらも、黙々とそれを崩していた上司の手が止まったことに気付いたフルアはボトルグリーンの瞳を探るように細めた。淹れたてのコーヒーを彼の手元に置き、その端整な顔を窺い見る。世界的な大企業の最高執行責任者。実質のトップというその肩書きは誰もが羨む。白を黒にすることも容易い力を持ち、名声と金も思うまま…と、他...

  • ベローナが祝ぐ日まで 2

    肌にシーツが触れる。ミュンヘンの街が深い雪に覆われていようともセントラルヒーティングによって全ての部屋は1年中適温に保たれており、寝室の空気も穏やかで。しかし、深夜特有の独特な凛とした静かさにアルフレードの肩が小さく跳ねた。それに気付いたハインリヒが毛布を引き上げ、2人でその中に入り込む。「寒くないか?」「うん、大丈夫だよ。こんなにもあったかい」子供のようにぎゅうと抱き着いてくるアルフレードにハイン...

  • ベローナが祝ぐ日まで 1

    ほのかに甘く、日向のような優しい香りが鼻孔を擽る。ネクタイを首から引き抜き、ソファの背に身体を預けたハインリヒは大きく息を吐き出した。両肩に圧し掛かっていた息が詰まるほどの重たさは、大仰な肩書きに伴う責任と覚悟の質量。用意されたたった1つの椅子が置かれているのは、目が眩むほど高い場所で。そこで味わう孤独は、まるで上下さえ分からなくなるほどの闇の中に取り残される感覚に似ている。どこに進むべきか、そも...

  • レヴァントリの下で

    窓の向こうに広がるのは、白銀の世界。木々も家々も雪に覆われ、そこにあるはずの色を覆い隠している。動物の気配もなく、シンと静寂に包まれた夜はどこかもの哀しい。だが、星の明りに照らされて淡く輝いているその光景にアルフレードは瞳を煌めかせた。美しい、と思う。凛と静謐な空気と頭上に広がる満天の星空、そして、暖炉の中で薪がパチパチと爆ぜる音。そのどれもが完璧な芸術作品のように存在している。心が、弾む。自然と...

  • 㤅を知る

    至急対応して欲しい案件がある、と秘書のフルアから連絡を受けたのは1時間前のこと。担当部署からの報告書に目を通し、いくつかのメールに返信し、やるべきことに片を付けたハインリヒはふぅと小さく息を吐き出した。身体を伸ばし、そのままソファの背に体重を預ける。ラップトップの画面を埋め尽くしている小さな文字や数字がぼんやりと滲み、疲労が蓄積された目頭を解そうと手を伸ばす。と、その指先が眼鏡のブリッジに当たった...

  • ストレリチアが蕾む頃 12

    地中海に浮かぶ5つの島々からなる、マルタ共和国。マルタストーンと呼ばれる蜂蜜色の石灰岩で造られた建築物が立ち並び、中世の息吹が今も感じられる美しい国だ。「ガラリア」と呼ばれる通りに突き出た特徴的なバルコニーは赤や黄、青や緑に彩色され、マルタストーンとの鮮やかなコントラストは見る者の足を止めるほど壮麗で。“ルネッサンスの理想都市”と謳われたかつての栄華に感嘆を零すだろう。近代では1989年12月3日に44年続い...

  • ストレリチアが蕾む頃 11

    地中海の中央に位置し、様々な歴史と文化が入り混じった島国マルタ共和国。色とりどりな船が港に持ち帰ってきた新鮮な魚介類は島民の生活を支えるだけではなく、世界中から訪れる観光客の胃袋も満たす。調理法は隣国のイタリアの影響が強く、トマトやオリーブオイルを使ったものが多いが、アラブから運ばれたスパイスや調味料も多用される。文化が交わる島らしい料理の数々に、ハインリヒは感嘆もポーカーフェイスも忘れてエプロン...

  • ストレリチアが蕾む頃 10

    そより、と頬を撫でたのは夏の匂い。微かに潮の香りが混じるそれは、幼い頃を過ごしたイタリアの港町ラヴェンナを思い起こさせる。そこは、哀しみと寂しさを置き去りにした町。喪ってしまった日常や奪われたいくつかの未来を直視することができず、遺されたアルバムを開くこともできなかった。だが、今は違う。彼らと共に過ごせた時間は決して多くはなかったけれど。惜しみない愛情を与えられ、無条件の優しさに包まれ、幸せだった...

  • ストレリチアが蕾む頃 9

    ベッドヘッドに積まれたクッションに顔を埋めるように倒れ込んだアルフレードの髪を梳き、ハインリヒは深く息を吐き出した。それに気付いたアルフレードが埋めていた顔を上げて、微苦笑する。「ふふ、お腹いっぱい。食べ過ぎちゃったね」「あぁ。さすがは卿の行きつけの店だったな」マルタ島の伝統的な料理を出すレストランは個人が経営する小さなものだったが、地元の人々が集うその空間には柔らかな時間が流れていた。財界人や著...

  • ストレリチアが蕾む頃 8

    断片が、繋がる。「おしまい」と結ばれたはずのいくつかの物語が。舞台を変え、主人公を代え、全く違う景色を描きながら。延長線上に、新しい物語を紡ぎ出す。誰かの祈りが、誰かの願いが、織り込まれていく。昨日が、明日へと。たとえ途切れてしまったとしても、そこで終わりではないのだ。そこからまた、こうして始まる。始められる、とハインリヒは己自身とロザリオを重ねた。このロザリオが見届けてきた時間はそれこそ人間には...

  • ストレリチアが蕾む頃 7

    「みっともないところを見せたね」そう言って微苦笑するパスクァーレに促され、ハインリヒは絨毯についていた片膝を上げた。そして、場所を変えてもいいだろうかと問う彼にアルフレードと共に頷き、杖を手にソファから腰を上げた彼に続く。部屋から出ると席を外していた執事のエリゼオがこちらに戻ってくるところで、主であるパスクァーレに慌てて駆け寄って来た。それもそうだろう。長く仕えている主の瞳に涙の跡があれば誰だって...

  • ストレリチアが蕾む頃 6

    ロザリオとは、カトリックにおいて祈りの際に使用される数珠状の道具だ。大珠6個と小珠53個が繋がれており、この珠を手で繰りながら「アヴェ・マリア」と呼ばれる祈りを繰り返し唱える。こうすることによって何回祈りを唱えたか正しく把握することができるのだ。そう、故にロザリオは装飾品ではない。だが、アルフレードは幼い頃から「お守り」として首から下げて身に着けていた。夏らしいリネンのシャツの下から取り出したそれを...

  • ストレリチアが蕾む頃 5

    足に擦り寄ってきた三毛猫が一度涼やかに鳴き、崩れたレンガの山を颯爽と登っていく姿を見送る。これで何匹目だろうか、とハインリヒと顔を見合わせたアルフレードは笑みを乗せた。「マルタは“猫の島”っていうのは本当だったね」「あぁ、島中どこにでもいるな。どの猫も毛並が良いが、基本は野良なのだろう?」「ほとんどそうみたいだね。でも、みんなちゃんと去勢手術もされているんだって」マルタ島の人口は42万弱。それに対して...

  • ストレリチアが蕾む頃 4

    ふと目が覚めて、肩に触れる温もりに視線を向ければ。眠っていると思っていたその人の瞳もこちらを見ていて、ぱちりと交わった視線にどちらからともなく小さく笑う。「ふふ、ハインも目が覚めちゃった?」「あぁ、アルもか。まだ暗いようだが…今何時だ?」「んー、まだ4時前だね」夜明け前か、と呟いて横になったまま前髪を無雑作に掻き上げるハインリヒにアルフレードは瞳を細めた。彼のこんな無防備な姿を見ることができるのは世...

  • ストレリチアが蕾む頃 3

    ハニーストーンと呼ばれる優しい色合いの石灰石で造られた建物が並ぶ首都バレッタの街並み。この街は島の北東に位置する岩山に築かれたもので、街そのものが世界遺産に指定されている。高低差が激しく、それ故に複雑に建物が折り重なる光景は圧巻の一言だ。古代から戦いの要塞となり、多くの民族や文明、勢力がこの場所で衝突し、時に交わっては重なり、複雑に絡み合ってきた。そうして生まれた唯一無二の存在は、その背景にある歴...

  • ストレリチアが蕾む頃 2

    耳を澄ませば、馬の嘶きが聞こえてくるような。ふと振り返れば、回廊の奥から甲冑を身に纏った騎士たちが歩いて来るような。目を閉じれば、砲撃の煤けた匂いや炎の熱を感じるような錯覚さえ受けた。重厚な門扉を抜けた先にあった光景はそれほどに、かつての姿のままそこにあった。アルフレードのデザイナーとしての才能を見い出し、今はパトロンとしてその活動を支えているパスクァーレの招待で訪れたマルタ島。個人的に所有してい...

  • ストレリチアが蕾む頃 1

    空と海の間にあるはずの境界線がない世界を見たことがあるだろうか。見事に溶け合ったコバルトブルーの眩しさに、ハインリヒは胸元のポケットに差していたサングラスを手に取った。執務室という閉鎖された空間で過ごすことに慣れた身体はどこまでも広がる夏の景色に圧倒され、蛍光灯とは比べ物にならない光量に瞳を細める。しかし、ふわりと頬を撫でた潮風は柔らかなもので。痛いほど強い日差しにじりじりと肌は焼かれるが、それを...

  • 鋼玉石にとける

    世界に名を馳せるブランドの服、それ1つで資産になり得る腕時計、発表されたばかりの新車。つらつらと並べられる単語を前に、アルフレードはゆっくりと首を横に振った。何か与えたい、という彼の気持ちが分からないわけではない。その気持ち自体はやはり嬉しい。だが、それらは自分の身の丈に合わない、と高級ブランドの名前を指折り挙げていたハインリヒにアルフレードはきっぱりと言う。「時計も靴もスーツも全部もうハインが贈...

  • Side car

    滅多に取材のアポイントが取れないことで有名だった大手広告代理店のCOOが、いつの頃からかインタビューの依頼を断らなくなった。もちろん受けるべき記事の内容は取捨選択され、悪意あるゴシップ誌の記者は近寄ることさえできない。だが、基本的には出版社の規模に問わず、地域誌のアマチュア記者であっても望めばその門扉は開けられるようになった。経済誌ならともかく娯楽誌にまで受け入れるようになった理由を、正直に言えば人...

  • 誰かの何かであるためのオブリージュ 12

    彼らがその関係を公にしたとき、世間の声は歓迎と批判に二分した。そして、それは圧倒的に後者に軍配が上がっていた。嘆く声もあれば、汚らわしいと侮蔑する声もあった。悪だ罪だと蔑み、憎悪を露わにした者もいた。ハインリヒがCOOの椅子に就く企業株は一時的とは言え大幅に値を下げ、その年の株主総会では彼を引責辞任させるべきだという声が挙がり荒れに荒れたという。社内でも実質のトップである男が同性をパートナーに選んだ...

  • 誰かの何かであるためのオブリージュ 11

    11世紀、カトリックを信仰するヨーロッパの貴族たちは巡礼者の宿泊と医療奉仕のために整地エルサレムに修道会を作った。聖ヨハネ騎士団と呼ばれた彼らは信仰や人種を問わずに医療奉仕を続け、十字軍に派遣された際も多くの兵士の治療にあたったという。その後、地中海のマルタ島に拠点を移したことで“マルタ騎士団”と呼ばれるようになる。しかし、ナポレオン軍の侵攻によってこのマルタ島に置いた本拠と地中海に有していたいくつか...

  • 誰かの何かであるためのオブリージュ 10

    花が咲くように笑う、とはよく言ったもので。太陽に愛された国に産まれ育った青年は光の下がよく似合う、とフルアはボトルグリーンの瞳を和らげた。初夏というには少し早いが、イタリアの穏やかな陽光を食んだ白いシャツが眩しい。濃灰色のボトムは動きやすいストレッチ素材のもので、アンクル丈の裾から細い足首が見えた。決して派手な服装ではない。むしろどんな景色にも埋没してしまうようなシンプルな出で立ち。だというのに、...

  • 誰かの何かであるためのオブリージュ 9

    ギリシア神話の主神にして全知全能の存在であるゼウスは、増え過ぎた人口を調整するために大戦を起こして人類の大半を死に至らしめることにした。それが、ペロポネソス半島の都市ミケーネを中心に栄えたアカイア人による遠征戦争である。ギリシア神話において“トロイア戦争”と記述されたそれには数々の神も関わり、攻め入られた都市イリオスは滅ぼされた。だが、1人の武将が焼け落ちるイリオスから地中海に浮かぶ半島に逃げ延びた...

  • 誰かの何かであるためのオブリージュ 8

    君の胸に秘めたままにしてほしい、と言ってグラスを空にしたパスクァーレの言葉が重たくないと言えば嘘になる。だが、決して胸に痞えるような重みではない。何故なら、「今はまだ」と小さく付け加えられた一言がひどく穏やかな音をしていたから。(いつか真相を知ったとき、お前はどんな顔をするのだろうな)案内されたゲストルームのベッドにアルフレードをそっと寝かせ、その枕元に腰を下ろして彼の前髪を指先で払う。彼にとって...

  • 誰かの何かであるためのオブリージュ 7

    あぁ、美しい花を咲かせてくれた。そう感慨に浸りながらパスクァーレは目許の皺を深くした。まだ小さな若葉だったそれは2人の手によって清らかな水を与えられ、光を与えられ、優しさと慈しみによって育まれて。そうして、今。晴々と咲き誇っている“愛”という形の何と眩いことか。ミラノのホテルでハインリヒと初めて会ったあの日。緊張した面持ちで、しかし怯まずに自分を真っ直ぐに見つめて彼は許しを請うた。己にはアルフレード...

  • 誰かの何かであるためのオブリージュ 6

    イタリア第二の都市と謳われる、ミラノ。かつてこの地はヴィスコンティ家とスフォルツァ家により統治され、“スフォルツェスコ城”は有名な観光スポットであると同時に当時の面影を垣間見ることができる貴重な歴史遺産である。ルネサンス時代にはレオナルド・ダ・ヴィンチが20年以上滞在し、彼が描いた世紀の大傑作“最後の晩餐”は誰もが知る存在だろう。そのレオナルドが当時の実質的な支配者であったミラノ公国ルドヴィーコ・スフォ...

  • 誰かの何かであるためのオブリージュ 5

    その青年と初めて言葉を交わしたのは、彼がまだ大人の庇護を必要とする少年だった頃。一時は命も危ぶまれた怪我を負い、長い入院生活を余儀なくされていた。「また明日」と別れた友と会うこともできず、当たり前に過ごしていた日常は遠ざかるばかりで。まだ16歳の少年にとって、その現実はあまりにも過酷だっただろう。だが、彼は決して足を止めることはなかった。その歩みは人よりも遅々としたものだったが、それでも1歩を諦める...

  • 誰かの何かであるためのオブリージュ 4

    「なるほど、それで会いに来てくれたのかい」丁子色の瞳を細めて微笑むパスクァーレに、ハインリヒは首肯で返した。1人掛けのソファにゆったりと腰掛けている彼の姿はリラックスしたもので、しかし、隙のない佇まいに小さく息を飲む。自身の唯一の上司に当たるCEOのケイルと対峙した際にも感じる、絶対的な権力者の威厳。人の頂点に立つ存在としての、圧倒的な存在感。老いてなお、いや、丁寧に時間を重ねてきた者にしか手に入れる...

  • 誰かの何かであるためのオブリージュ 3

    “永遠の都”、ローマ。イタリア半島の中央部に位置し、国内最大の人口を有する世界都市。およそ2500年の歴史の中で異民族による支配と占領が繰り返され、搾取と凌辱を受けながらもルネサンス時代には文化の中心地として華々しく栄えた。また、稀に見る大帝国を建設し、かつそれを比類ない長い年月の間維持発展させた事実は世界史上において特別な位置付けがなされている。そして、「すべての道はローマに通ず」という諺が象徴してい...

  • 誰かの何かであるためのオブリージュ 2

    「現在から出発して過去を理解しなければならず、過去の光に照らして現在を理解しなければならない」。歴史家マルク・ブロックは歴史学者としての責任と義務をそう語った。過去の出来事の重層的な積み重ねこそが“今”であり、それが所謂、“歴史”であるとしたとき。それを理解しようとするならば、客観的にそれらの事実を受け入れ、さらに現在の事柄に対して無関心になってはいけない。ひたすら過去の世界に没入し、夢想し続けること...

  • 誰かの何かであるためのオブリージュ 1

    紙と、インクと、コーヒーの匂い。その部屋に入った途端に鼻腔を擽ったそれは、懐かしさを感じさせるものだった。分厚い本を机の上に置く音、ページを捲る音、万年筆が紙の上を走る軽快な音。そして、まだ字が読めなかった幼い自分にその内容を読み聞かせる優しい声。古い本を日光から守るためにその部屋はいつも薄暗かったが、語られる物語はいつだってキラキラと輝いていた。紀元前の吟遊詩人が残したとされるギリシア神話の英雄...

  • それは、ある日常の「物語」 #30

    (旧約聖書におけるイスラエルの失われた12支族:「ガド」の紋章は“天幕(テント)”/2022年9月)マッチでオイルランタンに火を着ける。それは「ハリケーンランタン」とも呼ばれるもので、風や寒さに強く、軍用や船舶用として古くから重宝されてきた道具だ。LEDライトなどの現代的な便利さはなく、光量も決して多いとは言えない。だが、炎の力強くもゆらゆらと揺れる温みのある光は独特で。デザインも豊富なため、コレクションする...

  • それは、ある日常の「物語」 #29

    (旧約聖書におけるイスラエルの失われた12支族:「ユダ」の紋章は“獅子”/2022年5月)たとえば、百合は「純潔」を。たとえば、犬は「忠誠」を。特定のモチーフが、社会的あるいは宗教的なメッセージを表すことがある。それらは絵画や彫刻などの美術表現として多く用いられ、その意味や由来について研究する学問を図像学という。この図像学において、獅子は「聖マルコ」を意味する。「これは聖マルコを獅子の姿で描いたことが由来な...

  • それは、ある日常の「物語」 #28

    (旧約聖書におけるイスラエルの失われた12支族:「ナフタリ」の紋章は“雌鹿”/2022年1月)ドイツ南西部の高原地帯を縦断するファンタスティック街道。古城の街ハイデルベルクを拠点に、かの宗教会議が行われた歴史ある街コンスタンツまでを繋ぐおよそ400kmに及ぶ街道である。神秘的な森が広がり、古代ローマ帝国より利用されてきた温泉や温暖な気候の湖、郷土料理やワインなどの魅力に溢れ、ヘッセやシラーなど多くの詩人を生み出...

  • アルノルフォの行進(おまけ)

    『ヘンゼルとグレーテル』、『赤ずきん』、『ブレーメンの音楽隊』、『白雪姫』、『ラプンツェル』。誰もが一度は耳にしたことのある御伽話はドイツに古くから語り継がれてきた民間伝承である。それを聞き集めてまとめられたのが、ヤーコプとヴィルヘルムという名前の兄弟だった。それは後に『グリム童話集』と呼ばれるようになるもので、1812年に初版が刷られてから今日に至るまで170以上の言語に翻訳されている。これは世界で最...

  • アルノルフォの行進

    「カーニバル」。その語源は、ラテン語で“肉を取り除く”を意味する「Carnem levare」。謝肉祭、とも訳されるそれはカトリック文化圏を中心に行われる通俗的な行事である。ブラジルの華やかなサンバカーニバルも中世のドレスや仮面を身に付けた人々がパレードをするベネツィアのカーニバルも、本来は重要な宗教行事。カーニバルはただのイベントではなく、カトリックにおいて四旬節と呼ばれる重要な期間の始まりを告げる“祝祭”なの...

  • それは、ある日常の「物語」 #27

    (記念日シリーズ「アルとグラースが出会った日」/2021年9月)それは、直属の上司の代理として赴いていたニューヨークから帰国してすぐのこと。護られる側の立場でありながら、護衛も付けずに平然と外出するその上司には慣れたもので。その日も、当たり前のように1人で地下駐車場に向かった彼を追った。「私用だ」と社用車ではなく個人の車に乗り込もうとする彼から何とか鍵を譲り受け、そうして通い慣れた様子で告げられた目的地...

  • それは、ある日常の「物語」 #26

    (記念日シリーズ:「始点」(初めて作品が売れた日)/2021年5月)デザインナイフを使い、丸くなった鉛筆の先を慎重に削っていく。使い込んだそれはあまりにも短くなり、今では鉛筆ホルダーに入れなければ手に握ることもできなくなってしまった。見た目はどこにでも売っている、ごくごく普通の鉛筆。同じものを近所の文具店で見かけたこともある。もう鉛筆としての役割は十分に果たしており、そこまで拘る必要はないだろう、と人は...

  • それは、ある日常の「物語」 #24

    (十二直シリーズ:成(なる)/2020年9月)世界中で猛威を振るうウイルスの勢いは衰えることを知らず、不自由な生活に終わりはまだ見えない。焦りや苛立ちに心乱すことに誰もが疲れ、行き場のない怒りや戸惑いが彷徨っている。良心による自粛と法による規制のバランスは危うく、ドイツ国内でも政府の対策に抗議する大規模なデモが起きたばかりだ。確かに、物理的な距離を取る措置は徐々に緩和されてきている。だが、世界的にはまだ...

  • それは、ある日常の「物語」 #25

    (記念日シリーズ:「極秘計画」/2021年1月)眼下に広がるのは、朝陽を浴びるミュンヘンの壮麗な街並み。フィックス窓から燦々と差し込む白い光もまた美しく。主の留守を守る静寂に、アルフレードはそっと身を委ねた。執務机の上には、デスクトップのパソコンが2台とノートパソコンが1台。左右の壁には天井まである書架に分厚いファイルや書籍がぎっしりと詰まっている。豪華な調度品や絵画はなく、内装も置いてあるものも限りなく...

  • それは、ある日常の「物語」 #23

    (十二直シリーズ:定(さだん)/5月)「深淵をのぞくとき、深淵もまたこちらをのぞいている」。とある小説家の言葉だが、これ以上に的確なものはないと思う。例えば、狂気に立ち向かうとき。例えば、悪意と向き合うとき。それらと対峙するということはつまり、それらに喰われる可能性があるということ。狂気に怯めば、それは容赦なく牙を剥くだろう。悪意に怖じければ、それは躊躇なく刃を突き立ててくるだろう。圧倒的な負の感情...

  • それは、ある日常の「物語」 #22

    (十二直シリーズ:建(たつ)/2020年1月)ゲンを担ぐ、という言葉ある。たとえば。大切な試験の日、たまたま左足から靴を履いたら結果が良かったとか。大事な商談がある日、普段は食べない玉子サンドをランチに食べたら大成功したとか。いつもと違う行動や行為をしたときに、良い結果が出たとする。それは、たまたまかもしれない。靴をどちらの足から履こうが、ランチに何を食べようが、結果は変わらなかったかもしれない。良い結...

  • それは、ある日常の「物語」 #21

    (12色相環シリーズ:青/9月)テンプル部分に装飾があるわけでも、フレームが特異な形をしているわけでもない。むしろ、量産品によくあるシンプルなデザインだ。細いシルバーのフレームに嵌るレンズも透明で、特別変わったものでもない。けれど、それが彼の顏にあるとどうしてこうも特別なものに見えるのだろう。(フルアさんのとはまた違うし、先生がたまに使っているのとも違う…)海外の経済新聞を読んでいる彼の横顔を盗み見な...

  • それは、ある日常の「物語」 #20

    (12色相環シリーズ:黄緑/5月)冷静を表す「青」と興奮を表す「赤」の中間にある、“黄緑色”。春の新芽や若葉を連想させるこの色を好む人は、平等性や安定を重視するという。それ故に周りからは安心感を持たれ、一緒に居てリラックスできる存在というイメージを持たれる傾向がある、とも。青でも緑でも黄色でもない、その色。どこか懐かしく、それでいて新鮮な気持ちにさせる不思議な色。「ソファに宝石を使うとは、随分と大胆なデ...

  • あしたが熾る(おまけ)

    歯を入れた瞬間に肉汁が溢れるヴルスト、揚げたじゃがいもとリンゴのムースが絶妙なライプクーヘン、にんにくソースをたっぷり絡めた大粒のマッシュルーム、燻したサーモンのフラムラクス、タルタルソースとの相性が抜群のバックフィッシュ、風味と甘味を楽しめる揚げたカリフラワーのフリティエルテブールメンコール。ドイツのクリスマスマーケットの屋台の定番グルメは挙げればキリがない。気候柄、ドイツの食文化は他の欧州国家...

  • あしたが熾る

    ドイツ南西部に位置する大都市シュトゥットガルト近郊にある古都、エスリンゲン。市民や観光客で賑わうマルクト広場の周辺には木組みの家が建ち並び、中世の面影を今も色濃く残している。1328年に造られたドイツ最古の民家や街の中心を走るロスネッカー運河に架かるアグネス橋はシンボルとしても愛され、風情ある運河地区は“小ヴェニス”とも呼ばれている。また、スパークリングワイン「ゼクト」の発祥の地でもあり、ドイツ最古のゼ...

  • Kiss of Fire

    オニキスのように艶やかに輝く車体を前に、アルフレードは感嘆の声を零した。ボンネットには産まれ故郷のミュンヘンの市旗に使われている青と白をモチーフにしたエンブレムが誇らしげに飾られ、特徴的なキドニーグリルはもはやブランドの象徴とも言える。最新モデルのそれは近代的なデザインだが、柔らかな流線型は長い歴史の中で培われてきたブランドのプライドやポリシーが確かに見て取れた。革新を恐れず、臆せずに。しかし同時...

  • Scorpion

    白く滑らかな肌、すっと通った鼻梁、頬に影を作るほど長い睫、瑞々しい唇、絹のような金糸の髪。そして、強烈な存在感と生命感を放つ鳶色の瞳。熟練の職人が生み出したビスクドールのような端正な顔立ちはどこを切り取っても美しい。擦れ違う人が思わず足を止め、彼を目で追う姿を何度見たことか。陽光の下で咲くあどけない笑み、腕の中で見せる艶やかな笑み、ふとした瞬間に刷くたおやかな笑み。その表情は豊かなもので、一秒たり...

  • Cool Banana

    熟した甘い香りが鼻腔を擽り、ハインリヒはタブレットから顔を上げた。人工的ではないそれを辿れば、アルフレードの鳶色の瞳と出会う。「今日もお疲れ様でした。はい、どうぞ」「あぁ、ありがとう」「何読んでいたの?お仕事の?」「いや、ただのニュースだ」「くっついてもいい?」「もちろんだ。おいで」2人で並んで腰かけてもまだ余裕のあるソファは数年前にアルフレードがデザインしたもので。隣に座るのだろう、と左側にスペ...

  • Carol

    「おかえりなさい」いつもと変わらない笑顔、いつもと変わらない言葉と声音。いつもと変わらない様子で出迎えたアルフレードに僅かな違和感を覚えたのは、一瞬のことで。気のせいか、とハインリヒは促されるままリビングに向かった。どうせクリーニングに出すのだからと脱ぎ捨てようとしたジャケットとネクタイはアルフレードに回収され、ダイニングチェアの背に丁寧に掛けられる。そのテーブルの上に置かれているのは、明日の朝食...

  • Old Pal

    疑似的だとしても。気休めにすらならないとしても。理不尽に奪われ、不条理に失ってしまったものを少しでもその手に戻してやれるならば何だってしたい。それが独り善がりだとしても、と微苦笑を口端に乗せたまま肩を竦めた息子の姿を思い出しながら、マリアンネは隣でじゃがいもの皮を手慣れた様子で剥いているアルフレードを見やった。柔らかな金糸の髪が映える滑らかな白い肌と長い睫に縁取られた穏やかな瞳を持つこの青年のこと...

  • Gimlet

    「何か迷っていることがあるんですか?」どこか確信を持った穏やかなその声音にグラースは息を飲んだ。真っ直ぐな眼差しは優しく、しかし、何もかもを見透かすような力強さがある。ビスクドールのような端正な容貌に人間らしい温度を与えるその鳶色の瞳から視線を逸らせるはずがなかった。何故、この青年には分かってしまうのか。己の上司であるハインリヒが「彼には一生敵わない」と言っていたが、つくづく頷くしかない。許すよう...

  • エンジェルラダーの下で

    見上げた先には、鈍色の雲。畑の畝のようにいくつも折り重なり、その向こう側にあるはずの青空を覆い隠している。大きな雲を千切って散りばめたようにひとつひとつの雲の境界線は曖昧で、メリハリがないためか重たそうにも見えた。思わず口端から零れたため息も暗く、足元に落ちて転がる。それを目敏く見つけたハインリヒは手にしていたカップをソーサーに戻し、その手をアルフレードの薄い肩に伸ばした。「どうした、アル」「今日...

  • そうして、ヴァルハラに至る 16

    耳朶に触れたのは、優しい旋律。頬に触れたのは、温かい感触。鼻を掠めたのは、甘い香り。陽だまりで転寝をしているかのような心地の良い微睡みの中で、このまま1日を過ごせたらどんなに幸せだろう、と思う。だが、乾いた大地を潤す雨粒のように心に沁み渡る声が聞こえ、ハインリヒは重たい瞼を押し上げた。そこに、光を見る。太陽のように強烈なものではないが、月明かりよりは皓々と眩い光。反射的に手を翳し、ハインリヒは瞳を...

  • 愛にリボンを

    時刻は街もすっかり眠りに落ちた深夜2時。耳鳴りがするほどの静寂の中に、玄関のロックが解除される小さな音が響いた。その音は自室で小説を読んでいたアルフレードの耳にも届き、ストーリーの核心を語り始めた主人公の台詞の間に栞を挟む。椅子の背もたれに掛けてあったカーディガンを羽織り、逸る気持ちを抑えながら廊下に出ればひんやりとした空気が頬に触れた。ドイツの夏は短く、秋はもっと足早で。今年も訪れた冬は、春が長...

  • そして、ヴァルハラに至る 15

    産まれておいでと望んでくれた人がいた。ありったけの愛情で育ててくれた人がいた。捨ててしまおうとしたこの命を決して諦めない人がいた。そして、今。共に生きたいと願ってくれる人がいる。意味も目的も価値も見失い、汚れてしまったそれに嫌悪すらしたけれど。たくさんの想いや祈りの中で、愛情や優しさや慈しみに守られ、支えられて。生かされたこの命を、生きたいと心から願えるようになった。あぁ、そう思えるようになったの...

  • そうして、ヴァルハラに至る 14

    シュテルン広場や辺境伯オペラハウスからほど近く、バイロイトの中心地にそのホテルはある。窓の向こうにはバイロイト宮殿の明かりも見え、アルフレードは感嘆を零した。「すごいね、まるで物語の中にいるみたい!」金糸の長い睫に縁取られた鳶色の瞳を煌めかせ、白く滑らかな頬に笑みを浮かべている横顔を見つめていたハインリヒもまたほぅっと溜め息を零す。普段は自由に遊ばせている金糸の髪を丁寧に撫でつけ、上等な夜会服を纏...

  • そうして、ヴァルハラに至る 13

    パステルカラーの壁紙に合わせた、淡い桃色のやや小振りな長椅子。「猫脚」とも呼ばれる柔らかなS字の曲線を持つカブリオールレッグや背面に施されたアカンサスの葉と貝のモチーフの彫刻は緻密なもので。脇に置かれた丸テーブルも貝と象嵌で装飾されており、チェストには寄木細工が施されている。装飾そのものは実に繊細で優美なものだが、全体的にコンパクトにまとめられ、派手さはない。それは、18世紀のルイ14世時代末からルイ1...

  • そうして、ヴァルハラに至る 12

    一見するとブラックに見えるが、陽の下では限りなくミッドナイトブルーに近い拝絹地でつくられたピークドラペルのジャケットと側章が1本入ったスラックス。そこに合わせるのは、白無地のウイングカラーのプリーツシャツと黒色のボウタイとオペラパンプス。ジャケットの中には、U型のウエストコート。袖口のカフスは艶やかなオニキスで、胸元には上質なシルクのチーフ。それは、最も格式の高い礼装である“ホワイトタイ”を簡略化した...

  • そうして、ヴァルハラに至る 11

    バイエルン州北部フランケン地方にある小さな都市、バイロイト。街の歴史は古く、1194年に記された文書の中にその名前が初めて言及されている。はじめは「村」と呼ばれていたが、1231年の文献では「都市」と記され、1260年にはかのドイツ騎士団の血を繋ぐプロイセン王国を創国したホーエンツォレルン家一門のニュルンベルク城伯がこの土地を治めた。その後、神聖ローマ帝国の皇帝カール4世により貨幣鋳造権を与えられたことでバイ...

  • そうして、ヴァルハラに至る

    身体を開かれる、という感覚。本来受け入れるための器官ではない場所を他者に開け渡すことに躊躇がないと言えば嘘になる。自分ですら触れたことのない身体の奥を暴かれるのだ。半ば強制的に与えられる快感は恐怖にも近い。しかし、身も心も委ねることで得られる歓びを一度知ってしまえば。本能的な恐怖など容易く服従させられる、とアルフレードは両腕をハインリヒに伸ばした。「ハイン」自分だけが呼ぶことを許されている愛称を紡...

  • そうして、ヴァルハラに至る8

    たっぷりと時間をかけてタオルドライした金糸の髪は上等な蜂蜜を思わせるほど艶やかで。甘いそれを左右にふわふわと揺らしながら軽やかなメロディーを口ずさむアルフレードの後ろ姿が微笑ましく、ハインリヒは口端を緩めたまま氷が浮かぶグラスを差し出した。「お疲れ、アル」「ありがとう。ハインもお疲れ様」隣に腰掛ければ、ソファに預けていた身体を自然に委ねてきたアルフレードの甘える仕草にハインリヒの頬は緩むばかりで。...

  • そうして、ヴァルハラに至る 7

    普段は足を踏み入れることのない応接室の内装や調度品に気を取られる余裕もなく。何とか一度も書き損じることなく全ての書類にサインを終えたアルフレードは、ふぅと妙な達成感を噛み締めながら息を吐き出した。そして、手元にあった革張りの手帳をハインリヒに返す。「手帳ありがとう。大事なページを使っちゃってごめんね」「アルの字は綺麗だな」「え?」「このページは大切に残しておこう」名前を書く練習をしたい、とねだられ...

  • そうして、ヴァルハラに至る 6

    良い出来事が続くときがあれば、悪い出来事が続くときもある。あらゆる物事が順調に続いていたというのに、ある日突然何をしても上手くいかなくなるのだ。そういうとき、人はどうしたって辛く苦しい状況に打ちのめされる。昨日までは上手くいっていたのに、と俯く。だが、エネルギーというものはそもそも続かないもので。良い出来事が永遠に続くことなどありえない。つまり、悪い出来事も続くことはない。(そう思えるようになった...

  • そうして、ヴァルハラに至る 5

    天板が可動するワークテーブルは既製品ではなく、私室として与えられた部屋に合わせて作られた特注品。インクが零れても拭き取りやすく、カッターやナイフの傷も目立ちにくい特殊な材質で作られている。天板の角度も細かく調整でき、作業効率や使い心地も考え抜かれたテーブルだ。文具やノートパソコンを置く場所も確保されており、そのテーブルの横には床から天井まである本棚が側面から背後を囲うように壁に備え付けられている。...

  • そうして、ヴァルハラに至る 4

    ミュンヘン旧市街地の中心に位置するマリエン広場から伸びるノイハウザー通りはショッピングストリートにもなっており、多くの市民や観光客で常に賑わっている。古いレンガの建物と新しいブランドの看板、古い石畳と新しいファッション、古い文化と新しい価値観。どちらかが存在を誇示するのでも競い合うのでもなく、見事に融合した美しい街並みはまさに歴史と共に生きていると言うべきだろう。14世紀に要塞の一部として建てられた...

  • そうして、ヴァルハラに至る 3

    いつも通りの時間に玄関で見送ったその人は笑顔で。しかし、いつもより幾分か遅い時間に再び玄関で出迎えたその人の顔には酷い疲労の色があった。忙殺されるような日々に慣れているとはいえ、疲れることもあるだろう。だが、彼がそれをここまで顕著に曝け出すのは珍しい。アルフレードは反射的に腕を広げてその身体を抱きしめた。濃い煙草の苦い匂いに噎せそうになる。「おかえりなさい、ハイン」「…ただいま」いつも通りの言葉が...

  • そうして、ヴァルハラに至る 2

    明るいリビングに用意された、温かい料理。今日1日について楽しげに語る、愛しい人の声。上等なワインを傾けながら会話を弾ませる、優しい時間。それは、膨大な情報と数字に追われて荒み疲れ切った身体と心を癒す。あまりにも穏やかなそのひと時に、睡魔が肩を叩いた。しかし、それよりも魅力的な存在が目の前に居てどうして抗わずにいられるだろうか。食後のコーヒーもそこそこに、欲望を隠しもしないで「寝室へ」とハインリヒは...

  • そうして、ヴァルハラに至る 1

    「君たち、新しいものを創りたまえ」。これは、“楽劇王”の別名で知られるリヒャルト・ワーグナーの言葉である。演劇を「最高の芸術」とした彼は19世紀のドイツにおいてロマン派歌劇の頂点に立ち、作曲のみならず自ら指揮を揮った。その作品のほとんどの台本を単独執筆した文筆家の顔も併せ持ち、思想家や理論家としてもヨーロッパに広く影響を及ぼした文化人の1人である。父は警察で書記を務める下級官吏であったがフランス語に堪...

  • そうして、ヴァルハラに至る 10

    大地に轟く稲妻のような重たく低い音が遠くに聞こえた。それは近付くことなく、その場に留まって緩やかに上り詰めていく。風が止み、雨が上がり、雲が切れるように。美しく、壮大で、壮麗で。深い夜のどこか寂しく物哀しい光景を思わせる旋律。そこに、力強くも優しい歌声が重なる。最初は囁くように、徐々に語りかけるように、最後は情熱的に希うように。その祈るような切実な声に促され、街を覆い隠していた重たい夜の帳がゆっく...

  • 光咲く

    その湖の名前は、ボーデン湖。ドイツ、スイス、オーストリアの3ヵ国に囲まれており、ヨーロッパでも有数の温暖なリゾート地として世界中から多くの観光客が訪れる。日本最大の面積と貯水量を持つ淡水湖と肩を並べるほど広大な面積を持つ湖はもはや海のようで、夏になると短くも眩しいその季節を謳歌する人々の姿で賑わう。古都コンスタンツは、その湖の西端に位置している。4世紀半ばにローマ皇帝コンスタンス・クローレによって築...

  • トリステの正しい場所 11

    試験で良い成績を取ることも、試合で最高の結果を出すことも。「当たり前」だと人々は口にした。だが、どうして彼らはそれを出来て当然だと思ったのだろう。確かに、はじめから何でも出来てしまう人も居る。僅かな努力や練習で卒なくこなしてしまう人だって居る。しかし、そんな人は極僅かだ。自分がその数パーセントの人だと言った覚えもなければ、自負できるだけの器用さもない。にも関わらず、他人は一方的に決めつける。「当た...

  • トリステの正しい場所 10

    防具を鞄に詰め、ケースに入れた剣を右肩に担ぐ。もう何年も触れていなかったというのに、その重みは身体に馴染んだもので。疲労感はあるが、爽快感を伴うそれに足取りは自然と軽くなる。試合中は危険だからとコンタクトレンズにしているが、やはり眼鏡の方が落ち着くな、とブリッジを人差し指でくいっと上げたフルアはそのまま更衣室を出た。互いの健闘を称え合い、談笑する選手たちを横目にエントランスに向かう。過去に何度も訪...

  • トリステの正しい場所 9

    その人は、安全装置。たとえば、エレベーターは各階の全ての扉が閉じなければカゴが移動しないようになっている。鉄道車両も同様で、左右全ての扉が閉じなければ発車できない。ボイラーは燃料や水位が低いときには燃焼を始めず、高度な医療機器は幾つもの手順を踏まなくては作動しない造りになっている。ある操作を行うときに、特定の条件が満たされない限りその動きが制御されるのだ。機器の起動状況、扉の開閉状況、圧力、液面、...

  • トリステの正しい場所 8

    「それで?」「はい?」「また始めたのか、フェンシング」サインを終えた書類を受け取り、フルアは上司に視線を向けた。短くなった煙草を灰皿に捩じ込み、重厚なデスクチェアに背中を預けたハインリヒが紫煙を吐き出す。その眼差しは一見すると射抜くような鋭さと冷たさを持っているが、冬の海の色を宿したそれが存外に温かいものだと知っている。今も純粋な好奇心を浮かべたハインリヒの双眸に、フルアはそれと辛うじて分かる程度...

  • トリステの正しい場所 7

    サッカーやラグビーなどのスポーツ競技で自軍のゴールを守備する役割を担う選手やポジションの名称“defence”の意味は、「防御」。この言葉を由来に持つのが、「柵」や「囲い」を意味する“fence”。隣家との境界を守る塀、家畜を外界から守る囲い、車から人を守る歩道の柵。それらは全て、フェンスと呼ばれている。つまり、「防御」の意味を持つ“defence”から生まれた“fence”には、「守る」という意味もあるのだ。自分自身の身を守...

  • トリステの正しい場所 6

    エレベーターが目的地に着き、静かにドアが開く。最上階に位置するそこから望むミュンヘンの夜景は壮観だが、見慣れたそれに感慨があるはずもなく。ハインリヒは書類が詰め込まれた重たいビジネスバックを片手に、長い廊下へと足を向けた。どうしようもなく気が急くのは、その先に「会いたい」と望む人が居るからに他ならず。今朝別れたその人の顔ばかりが思い浮かぶ。24時間常駐しているコンシェルジュが最上階の住民のために活け...

  • トリステの正しい場所 5

    ファストフードの代名詞とも言える世界的に有名なハンバーガーショップの出店数が世界で第4位のドイツには、様々なファストフードが存在する。それらの店は総称して“インビス”と呼ばれ、街中に限らず駅構内や市場の中にも多く見られる。ドイツの代名詞ともいえるヴルストや国内ではポメスと呼ばれているフライドポテトのインビスは、それこそ歩いていれば必ず見つけられるほど。アジア系の店では焼きそばやフォーが人気で、トルコ...

  • トリステの正しい場所 4

    上司が会議室に入るのを見送り、フルアは公用車ではなく自家用車のキーを手にした。そして向かったのは、街の小さな個人医院。時間は午後の診察時間に入る少し前で、ドアにはまだ「休憩中」の札が掛かっていた。緊急の際はベルを鳴らすように書かれているその札を横目に、フルアは勝手知ったるとばかりの足取りで裏口に回った。小さな庭へと続くレンガの道を進めば、声が聞こえてくる。1人はこの医院の医師のもの。そして、もう1人...

  • トリステの正しい場所 3

    人形のようだ、とこの人を揶揄していたのは誰だったか。1人や2人ではなく、大多数が眉を顰めながらそう囁くのだ。感情がない、だの。だから人の心が理解できないのだ、だのと。その者たちに見せてやりたい、とグラースは思った。一体どんな顔をするだろう。きっと驚きの余り口をぽかんと開けたまま立ち竦むだろう。あまりにも衝撃な光景に我が目を疑うかもしれない。行き場を失った手を彷徨わせながら、グラースはそんなことを考え...

  • トリステの正しい場所 2

    「そういえば、もう辞めちゃったんですか?」「…何を、でしょうか?」「フェンシングです」両手でカップを持つ姿は小動物が木の実を食べているようだな、と微笑ましく見守っていたフルアはアルフレードのその唐突な問いかけに反応が遅れた。こてんと首を傾げるアルフレードの真っ直ぐな瞳に思わずたじろいでしまったのは。その瞳がビスクドールのような端正な顔立ちに人間らしい強烈な熱量を持たせていたからか。綺麗なものだけを...

  • トリステの正しい場所 1

    紀元前の頃よりその歴史が始まったといわれる、フェンシング。古代ローマ帝国の時代にその原型は作られ、度重なる革命や戦争の中で磨かれてきた。やがて火砲などの武器が発展したのちもフランスでは騎士の嗜みとして文化の中で生き続け、1896年には第1回近代オリンピックに競技として採用されることになる。元は戦うための技術。欧州の長い争いの歴史の中でそれはより鋭利に研がれ、より美しく研磨されてきた。しかし、その語源は...

  • 光が告げる、始まり。5

    助けてと声が枯れるまで叫んでも、助けはない。心を蹂躙された激痛は、消えない。忘れることのできない記憶が、悪夢となって襲いかかってくる。救いなどどこにもなく、現実はいつだって残酷だ。希望などない、と叫ぶことにも疲れて。絶望を嘆くことにも、疲れて。それでも。「先生がね、生きろと願ってくれた」「……」「先生が諦めずにいてくれたから、オレもあと少しって思えて…」「……」「あと少し…もう少しだけって思いながら、今...

  • 光が告げる、始まり。4

    それは、16歳のときの出来事。酷い凍傷のように焼き付いてしまった忌々しい記憶と傷。聞いて欲しいことがある、とそう語り出したアルフレードの声に耳を傾けながら、ハインリヒは殺意とはこうして芽生えるものなのかと思った。人が人を殺す正当な理由などない。どんな訳や原因があったとしても、人が人の命を蹂躙することなどあってはならない。だが、それでも。もし、大切な人が理不尽に傷付けられたら。もし、愛しい人が不条理に...

  • 光が告げる、始まり。3

    しまった、と思ったのは空になったベッドを見たとき。いつの間にかベッドに凭れて眠ってしまっていたことに気付き、ハインリヒは慌てて寝室を飛び出した。反射的に見た腕時計の針は4時を指し示している。睡眠薬で眠らされたアルフレードが目を覚ますには早過ぎる時間だ。だが、そこで眠っていたはずのベッドは空で。トイレに行っているのかもしれない。しかし、そうではないと己の勘は言う。(…あそこか)自然と足が向かうのは、リ...

  • 光が告げる、始まり。2

    1日中パソコンと書類に向き合って凝り固まった身体の痛みを感じながら、ようやく帰り着いた自宅のドアを開けたとき。空気を切り裂くような悲鳴が聞こえ、ハインリヒは持っていた鞄を玄関に放り投げて廊下を走った。声が聞こえてきたのは寝室からで。ドアを勢いよく開け、ベッドに駆け寄る。「アルフレード!?」明かりのない寝室の中央に置かれたベッドの上。胸を掻き抱きながら蹲っている青年を、そこに見つける。形振りなど構っ...

  • 光が告げる、始まり。1

    ※ご注意※この作品は2011年に公開のちに非公開になっていた『光が告げる、世界の終わりと今日の始まり』の改題・修正版です。アルフレードの告白篇としてもう一度丁寧に描きたいと思い、当時とは一部大幅に内容を加筆修正して再公開しました。いつもの長篇より短めですが、彼らにとってはひとつの「大きな起点となった物語」として読んで頂けましたら嬉しいです。なお、この1話には過激な暴力シーンを含みますのでご注意ください。...

  • Morning Glory Fizz

    「後は荷解きだけだな」「うん、手伝ってくれてありがとう」「重たいものは無理に持つなよ」ラフなシャツの袖を捲ったハインリヒがデザイン用の資料が詰まっている段ボール箱を叩く。他にもサンプルの布や木材もあり、怪我をしたらいけないと続けた彼の過保護な一面に微苦笑を重ねる。俺のところにおいで、と差し出された手を取ったのは今から1週間前。不用な家具の処分も転居の手続きも全て任せてくれていいと言われたが、そうは...

  • いとおいしい時間

    熟練した職人によって丁寧に縫い上げられたそのシャツは世界最高峰と称され、“着る芸術品”とも謳われる。ナポリの伝統を守りながら長い歴史に驕ることなく真摯に人体と向き合い、徹底的に研究されたそれは袖を通した全ての人に最高の着心地をもたらすのだ。衿の形は、世界でもっとも美しいセミワイドカラーシャツと誉れ高い“ルチアーノ”。ナポリシャツならではの高めの衿腰、上着のラペルから跳ねない衿羽根、ノットの収まりが良い...

  • Mojito

    不意に肩に落ちてきた重みにアルフレードはそちらに視線を向け、ふっと頬を緩めた。普段は後ろに撫でつけている黒髪は洗いざらしのままで額を隠し、強烈な印象と鮮烈な存在感を与える瞳も今は瞼の向こう側。存外に長い睫が薄い影を作っている容貌はどこかあどけなくも見え、ハインリヒのその穏やかな寝顔にアルフレードは眦を下げる。首筋を擽る吐息もまた穏やかで。その優しさに思わず泣きそうになるのは、王で在れと己を律して生...

  • 25,dicembra

    許容量を遥かに超えた色彩に、目が眩む。ローテーブルの上に山を成す色鮮やかなそれらを、ハインリヒは未知の物体でも見るかのようにじっと見つめた。手を伸ばすことを躊躇してしまうのは、それらが見慣れない物だからか。それとも、己が生きてきた世界から掛け離れた異物だからか。(ヴァイナハテン、か…)イエス・キリストの降誕を記念する日。そして、その日のために飾られるそれら。用途を知らないわけではない。目にする機会...

  • Uriel

    「…はぁ、あんなところにいたら窒息する」凍てつく夜風に晒されるのも厭わずに。むしろ、あの窮屈な空間で無駄な時間を過ごすよりは余程マシだと言わんばかりに息を吐き出す。開け放たれたままになっている扉の向こうから、まるで少年を呼び戻そうとするかのように聖歌隊の讃美歌が彼を追ってくる。しかし、美しい旋律も彼の興味を引くことはできなかったようだ。少年は背中を叩くそれを拒むように厚手のコートのポケットに両手を...

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