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BL小説『いつか君を恋と呼べたら』連載中です。13年越しの恋。ゆれながら、戸惑いながら、ふたつの心がたどり着く場所は。

『ありえない設定』⇒『影遺失者』と『保護監視官』、『廃園設計士』や『対町対話士』(coming soon!)など。…ですが、現在は日常ものを書いております。ご足労いただけるとうれしいです。

砂凪
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2014/08/13

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  • いつか君を恋と呼べたら #29

    うそだった。ぜんぶうそだった。生絹の母親の恋人だと名乗った和夏さんも、「碧生だけがいればいいんだ」と言った生絹もうそつきばっかりだ。知っていたはずの現実がとけるように見えなくなっていく。わからなくなっていく。 頭のなかで整理しようと糸を引っ張ると余計に絡まっていくので、碧生は思考を放棄した。 左手首の火傷の痕がひどく疼いた。秋の夕暮れの弱い光が碧生を照らしている。泣きながら路肩にへたり込んでいる...

  • いつか君を恋と呼べたら #28

    漠然と、灰色がかった雲のような予感が胸に広がる。だいじょうぶ、だいじょうぶ、すこし寄り道して帰るだけなんだ。なにに対してだいじょうぶと言い聞かせているのかもわからず、碧生は必死にそう思った。 ゆっくりと先を歩くふたりはとても仲良さそうになにか話している。この先を見てはいけない、ここから先は見たくないと思いながらも、碧生の足は自然に和夏さんと生絹を追いかけてしまう。 生絹の名を呼べばいい。わかって...

  • いつか君を恋と呼べたら #27

    生絹の新しい父親になる和夏さんは、週に二回くらいのペースで生絹を学校まで迎えに来る。 シフト制勤務の会社に勤めていると語り、「生絹くんとふたりで話す時間がほしくて」と言う正門のまえの所在なさげな姿が、むしろ碧生たちよりおさない生きもののように思えた。けれど、生絹くん!と呼ぶよく通る涼やかな声も、碧生に対する丁寧な挨拶もにこやかな接しかたも、いつもはじめて会ったときの礼儀正しくておだやかな印象を崩...

  • いつか君を恋と呼べたら #26

    きっと、碧生は呆けたような顔で生絹を見ていたことだろう。ちょっと笑った生絹は手を伸ばして、碧生の左手首に指先でそっと触れた。ほっそりした指先がたどる、生絹がつけた碧生のちいさな火傷の痕。碧生が生絹といっしょにいるための傷。生涯消えない傷は、どんな約束より強固な絆に思えた。「なんだってできるよ、俺たちふたりなら。進学しても、就職しても、いっしょにいような。碧生と俺でいろんなことをしよう」 碧生を覗...

  • いつか君を恋と呼べたら #25

    第一回の進路希望調査票が配られたのはその翌日だった。生殺与奪の権をたった一枚の紙に握られた気分になる。理不尽だ。これから数か月、答えのない迷いに悩まされるのかと思うと一気に憂鬱になってしまう。自分の行く道なんていったいどうやって決めればいいんだろうか。この紙切れ一枚に書く内容で、人生が変わってしまうなんて。 生絹に「進路のことを考えるとお腹痛くなりそう」と碧生がこぼすと軽やかな笑い声が降ってきた...

  • いつか君を恋と呼べたら #24

    「生絹くんから碧生くんの名前はよく聞いてます。いつも生絹くんがお世話になってます。それで、えーっと……」 生絹が『和夏さん』と呼んだ男性の笑顔が、すこし照れたようなものになった。「僕は生絹くんのお母さんの恋人で婚約者です。村岡和夏といいます」 丁寧でおだやかな物腰が、どことなく相手を安心させる人だった。こんな人があたらしく生絹の家族になるのなら、それはとてもいいことだと思えるような。碧生は和夏さんに...

  • いつか君を恋と呼べたら #23

    和夏(わか)さんをはじめて見かけたのは、二年に進級したばかりの春先、碧生が生絹と連れ立って帰ろうとしていたときのことだった。示し合わせたわけでもなく、入学当初から生絹も碧生も部活動の類には属していない。青春めいたものを部活動に求める気持ちがふたりとも薄かったからだ。 春の夕暮れの淡い光のなかで正門前にどこか不安そうにたたずんでいた、高校生といっても通じそうなくらい細くて小柄な男性が彼だった。また...

  • いつか君を恋と呼べたら #22

    生絹とは二年生に進級したときにもおなじクラスになった。心のどこかでそうなるような気がしていたから、とくに驚きもしなかった。クラス分けが張り出されている掲示板のまえで前後になったふたりの名前を見つけたとき、生絹とはこうして一生そばにいるのかなぁとひどくしずかに凪いだ気持ちで思った。それでも、春の光のなかで、おだやかな湯にたゆたうような幸福を覚えた。 生絹。傍らで「またおなじクラスだな」と言ってうれ...

  • いつか君を恋と呼べたら #21

    担任のその提案に当初は、子どもっぽいとか、その程度で大学受験を乗り越えられるのなら苦労しないとか、高二の同窓会ってなにか意味があるのかなとか、ぜんぜん乗り気でない意見ばかりが目立った。至極もっともだ、と碧生も思った。手紙を書こうにも三年後という微妙なタイムラグはどうなんだろう、と。 けれど、つぎの週のロングホームルームで担任が便箋と封筒の束を抱えて教壇に立ったとき、なぜか全員が厳粛といっても差し...

  • いつか君を恋と呼べたら #20

    寒風の吹き抜けるグラウンドの片隅には長机が置かれ、そのまわりを高校二年生のときにおなじクラスだった男女が取り囲んでいる。ほとんど全員の視線が長机のうえの一抱えはあろうかというぼろぼろのごつい金属の箱にむけられている。碧生たちのタイムカプセルだ。13年間ものあいだ、漂流し続けていた17歳の自分たちのかけら。 もうずっと長いことその存在すら忘れていたのも関わらず、碧生の心はそわそわと落ち着かない。「それ...

  • いつか君を恋と呼べたら #19

    「ねぇ、どうして?」 やっと絞り出したふるえる声で碧生は訊ねた。傷つけられたのは碧生のはずなのに、なぜか生絹がひどく傷ついている気がした。「どうして……どうして、こんなことするの?」「な、これで、碧生はいつだって左手を見れば俺を思い出せるんだよ」「こんなこと、しなくても……忘れたりしないのに」「言葉だけの約束は弱いんだ。ちゃんと物理的に残しておかないと。俺には碧生以上に大切なやつがいないんだから。碧生...

  • いつか君を恋と呼べたら #18

    うたうような調子で、楽しげに生絹が碧生の名を呼ぶ。その声が魂がここにないようなまなざしとひどくちぐはぐで、碧生の背を悪寒が這いあがった。どうしたの?訊きたいそのひと言が、どうしても出ない。「碧生、手を貸して」 悪い魔法というのは、ああいうふうなものなのだろうか。碧生はうっすらといやな予感を覚えながらも、催眠術にでもかかったように生絹の手のひらにゆらりと手をゆだねた。 つぎの瞬間、脳天まで貫くよう...

  • いつか君を恋と呼べたら #17

    生絹が「化学室に参考書を忘れたからいっしょに取りに行こう」と碧生を誘ったのは、高校一年生の秋、碧生が生絹と出会ってもう半年以上がすぎようとしていたころの放課後のことだった。 面倒だなぁとすこしだけ思いながらも、ところどころが欠けているすのこをがたがた言わせながら渡り廊下を連れ立って歩いて、化学室のある第三校舎までむかう。もうすぐ陽が落ちようとしていた。燃え立つようなオレンジ色の陽はすべてをあま...

  • いつか君を恋と呼べたら #16

    バスのアナウンスがのどかな声でつぎは高校前、と告げる。バスのなかの泡のようなざわめきがひときわ大きくなるとともに、碧生はふっと冬枯れの木々が空に梢を伸ばす景色に引き戻された。また回想にふけっていたことに気がついて、しっかりしろと自分に言い聞かせる。 それなのに、心のなかで厳重に封をして、閉じ込めて押し込めて普段は忘れたふりをしている数々の記憶の蓋が、丘野と言葉を交わしたのを皮切りにつぎからつぎへ...

  • いつか君を恋と呼べたら #15

    けれど、碧生はどれだけの理不尽な束縛を受けようと、生絹のそばにいたかった。そばにいられさえすれば、ほかの級友たちの目も気にならない。クラスで孤立してもいい。ふたりぼっちでいい。 自分でももう、どうしてなのかわからなかった。二重底になった心の奥では、芽生えはじめていた自分の本音の帯びる熱に気づいていたのかもしれないけれど。ただそのときは、親愛からも友愛からもかけ離れたところで、「碧生だけがいればい...

  • いつか君を恋と呼べたら #14

    たとえば。 生絹といつものように碧生の席であちこちとピンポン玉みたいに話題を変えながらだらだらと喋っていたら「おーい、園田」と呼ばれて振り返った。クラスメイトで読書が好きだという男子が、二週間ほどまえに生絹に黙って碧生が貸した本を片手に歩み寄ってくるところだった。 たったそれだけで生絹の切れ味のよい不機嫌の気配を感じて、胸の奥がひんやりする。 いつも寡黙で教室でひとり本を読んでいるのがうそのよう...

  • いつか君を恋と呼べたら #13

    生絹の碧生に対する束縛の例をあげつらえば、それはもうきりがなかった。 たとえば、週明けの月曜日。「おはよう」と声をかけた瞬間から生絹の機嫌がひどく悪いので、おそるおそる「どうかした?」と訊ねた。針のような声が碧生の心に突き刺さった。「碧生、お前、きのう井上たちとみどり町のショッピングセンターにいただろ」 碧生と目を合わせようともせずに生絹は言う。背中をひやりと、とてもつめたいものが這った。 たし...

  • いつか君を恋と呼べたら #12

    ひとりぼっちの生絹。人付き合いの苦手な生絹。けれど、それでも碧生を選んでくれた。 そう思えば思うほど、びっくりするほど賢いのにうまく立ち振る舞えない不器用な生絹がいとおしかった。そばにいたいと思った。 生意気、気取ってる。ひそひそとささやかれる、あるいは聞こえよがしな生絹への反感を耳にするたびに、「だいじょうぶだよ」と視線だけで碧生は生絹に伝えた。その視線にこたえて、生絹はいつもかすかに笑って...

  • いつか君を恋と呼べたら #11

    生絹はまるで口癖のように気負いない口調で言う。「碧生がいれば俺はそれでいいから」と。 勇気を最後の最後まで振り絞るような女子からの告白をあっさり断ってしまうとき、口さがないクラスメイトの「瀬尾って生意気じゃね?」という言葉を偶然聞いてしまったとき、「碧生だけがいればいいんだ」とむしろ碧生を安心させるように繰りかえしそう口にする。 まるで選ばれた人間だけが聴ける福音のような言葉だと碧生は思った。生...

  • いつか君を恋と呼べたら #10

    ほかのクラスメイトのまえではいつも涼しげな顔をして、つねに他と一定の距離を保っている生絹が、碧生にだけ笑顔や不機嫌な顔を見せるようになるのに時間はかからなかった。その笑顔に、ぶすっとした顔に、特別な友達だと言外に言われているようでただうれしかった。いまだに、碧生のどこが彼のお気に入りだったのかはわからないけれど。 碧生のほうもすぐに生絹に夢中になった。 ユーモアと怜悧さを兼ね備えた生絹と話すのは...

  • いつか君を恋と呼べたら #9

    ふっと回想から我に返ると、バスのなかはなんとなく聞き覚えのある名前を呼びあう声と「ひさしぶり!」「元気だったか?」などというやりとりに満ちていた。乗車時には気がつかなかっただけで、碧生をふくめ、地元組ではない元クラスメイトがほとんど、同級会会場に指定されている母校にむかうこのバスに乗り合わせているようだった。丘野も通路を挟んでむこうの栗色の髪の女子となにやら熱心に話し込んでいる。 にぎやかな車内...

  • いつか君を恋と呼べたら #8

    なんとか笑いの波を飲み込んだらしい彼は、それでもまだ声をふるわせながら言った。「頼む。『もめん』はやめてくれ。俺、瀬尾もめんなんて名前いやだよ」「……じゃあ、これ、名前なの?」「そう。これで『すずし』って読む」 変わった名前、とちいさくつぶやく。声を拾っただろうに、生絹は気分を害するふうでもなく「だろ?」と笑って「4年前に死んだ父親が絹織物を扱う仕事しててな。そこにちなんでるんだ。生絹ってのは生糸...

  • いつか君を恋と呼べたら #7

    瀬尾生絹(すずし)と出会ったのは、碧生が高校一年になったばかりの春だった。 大なり小なりの差はあれど、みんな鋭意作成中というふうなおさなさの残る顔立ちをしていたなか、生絹は同い年とは思えないくらいに完成度の高い、むしろすこし怖いくらいに整った目鼻立ちをしていた。ほっそりした背中をいつもまっすぐに伸ばしていた。入学してすぐのころは、女子たちが川のなかの小魚のようにさわさわと騒ぎながら、彼を遠巻きに...

  • いつか君を恋と呼べたら #6

    こちらを見る瞳に軽く首を振った。「いや、普通に大学に進学して、最初は一般企業に入社したくらいだよ」 碧生が答えると、「すごいね、13年もあればなんにだってなれるってことだよね」と丘野はくりくりした瞳を瞬かせて真顔でうなずいた。碧生は自分をそんなたいそうに考えていないので、若干の戸惑いを覚える。 なにやらひとり納得しているようすの丘野は楽しげに言う。「けど、むかしから園田くんってものすごくきっちり...

  • いつか君を恋と呼べたら #5

    「ありがと、わたしひとりだったらきっと落っこちちゃってたよ」 そう言って笑って碧生を見上げた母親は、赤ん坊をあやしながら「川瀬美星です、覚えてる?」と言った。 聞き覚えのない名前に首をかしげると「あっ、ごめんね。旧姓は丘野。丘野美星」と軽やかに訂正が入った。なんとなく天体観測を彷彿とさせるこちらの名前の記憶はあったので、「覚えてるよ。図書委員で一緒だったね」と答える。 結婚してもう7年経つからつい...

  • いつか君を恋と呼べたら #4

    ふるさとの地を踏むのは高校卒業以来はじめてだった。なつかしさを覚えるより足元がざわざわと落ち着かないような奇妙な感覚だ。ふと間違った世界に入り込んでしまったような。 山間の鄙びた温泉街は町を出たときとほとんどなにも変わらないように思える。駅前に並んで三軒あったはずの土産物屋が一軒減っているところをみると、どうやら衰退の方向になだらかにゆるゆると下っていっているのかもしれないけれど。 ぼんやりと駅...

  • いつか君を恋と呼べたら #3

    「見つかった、のか」 ふたたびのひとり言とともに見あげる、アイボリーホワイトの天井のシーリングファンを埃がうっすら覆っていた。めんどうだ。また掃除をしなければ。 そんなことをつらつらと思いながらも、碧生の心ははるかむかしの高校時代に飛んでいる。 古い校舎の廊下に反響する上履きが床にこすれる音、チョークと埃の混ざりあったような教室のにおい、休み時間ともなれば学校中を覆ったはじけるような笑い声、配られ...

  • いつか君を恋と呼べたら #2

    その風変わりな同級会の開催を知らせるはがきを見つけたのは、たまたまのことだった。 仕事先でもらってきたラングドシャを食べようと紅茶を淹れてカップをソファーテーブルに置いた。その拍子に、郵便受けから抜き出してきてそのままテーブルの端に置いてあった郵便物の小山がばらっと崩れた。 ダイレクトメールやチラシ、公共料金の引き落としの連絡票にまざって妙に目を引いたのは、そのなかに一枚だけあったなんの変哲もな...

  • いつか君を恋と呼べたら #1

    ときどき見る夢がある。真っ白で、真っ黒な凍りついた悪夢。 夢の景色はこうだ。 小雪のちらつくなか、広い雪原にたたずんでいる。すこし離れたところから、ブレザーを着た端正な顔立ちの男子高校生が黙ってこちらを見返している。表情に浮かんでいるものを読み取ろうとするけれど、うまくいかない。 上着を着ていないのが寒そうで、上履きを履いた足がとてもつめたそうで、歩み寄り手を取ってこちらに引き寄せようとする。あ...

  • 箱庭に降る音の名は 《最終話》

    「それでいいの?」と小窪がすこし笑った。緊張がゆるんだのか、おさない笑顔だった。すこしだけ、と僕は言う。「すこしだけなら、怖くない?」小窪がうなずく。あらためて向き合うかたちで座りなおして、その唇に唇を重ねた。ただ重ねるだけのキスだったのに、とても気持ちがよかった。これ以上のあれやこれやはもっともっと気持ちいいんだろうなぁという煩悩がよぎりはしたものの、実行には至らなかった。ただ、小窪をこわがらせ...

  • 箱庭に降る音の名は #29

    からめた指先でゆるく手をつないだまま玄関ドアをくぐる。背後のドアの閉まる音がいつになく大きく聞こえた。指を離して施錠し、上がり框で小窪を抱きしめた。指先まで心臓になったみたいに鼓動がうるさい。小窪がそろそろと僕の背に腕を回す。なにも言わずに抱きしめあったままで、お互いのにぎやかな鼓動をそっと交換した。ほんとうのところ、女の子じゃない身体を感じたら、小窪も僕も淡い夢から目覚めるように「これじゃないな...

  • 箱庭に降る音の名は #28

    僕の手をそっと離すと、小窪は「僕にはいま、榎並くんしかいない」とまっすぐな目で言った。ちょっと怖いくらい、直線的なまなざしだった。「夏休み、毎日ピアノを聴いてくれて……しかも、わざわざ聴きにきてくれた日もいくつもあって、話を聞いてくれて、じいちゃんが倒れて混乱しているときに優しくて。言葉が足りない僕のことをちゃんとわかってくれる榎並くんが、僕には必要だよ。榎並くんがくれる気持ちにこたえたいし、僕だっ...

  • 箱庭に降る音の名は #27

    そのピアノの旋律が耳に入ってきたのは、駅のロータリーに差し掛かったときだった。スピッツの『スターゲイザー』だ。あっ、と思いふわふわとした足取りのまま駆け出す。躓きそうになりながらも駅前広場に辿りつけば、案の定、小窪がピアノに向かっている。両手の指がいっさい迷うことなく鍵を押し、メロディを奏でている。「小窪!」名を呼ぶと、旋律がやんだ。榎並くん、と振り返った小窪はただにこにこ笑っていて、しあわせそう...

  • 箱庭に降る音の名は #26

    はじめてLINEの小窪とのトークルームにふきだしが浮かんだのがその一週間後の金曜日の夜だった。驚いたことにトークはじめてのメッセージは小窪からだった。漫画雑誌を読んでいた僕の頭から、おもしろいと思っていたはずのストーリーが瞬時に吹き飛んでいく。『あした、12時に駅ピアノのところで待ってる』急に走り出したせいでひっくり返りそうな心臓をもてあましながら、みじかいメッセージをなんども読み返す。これは、返事をさ...

  • 箱庭に降る音の名は #25

    翌日からも小窪は屈託なく僕に笑いかけ、話しかけてくれた。昼食の弁当を一緒に開くようにもなった。僕のとなりでひろげられる小窪の弁当は彩りがきれいで、大事につくられているのがよくわかる。こんなふうに育てられたんだろうなぁと、勝手に弁当から生い立ちを思った。天高く馬肥ゆる、という感じの秋晴れの昼休みだった。あいかわらずきれいな色彩の弁当を食べながら小窪が言った。「そうだ。高校卒業したら弟子入りする人が決...

  • 箱庭に降る音の名は #24

    高校の最寄り駅まで並んで歩き、改札を抜けて電車に乗ると小窪はちいさく息をついた。「どうなっちゃうのかな」うん、とうなずく。小窪の祖父が師として彼を導けなくなったあと、小窪はだれを頼りに箱庭の木を植え、花を咲かせ、うつくしい庭を保てばいいのだろう。「じいちゃんの伝手で、弟子入りさせてくれそうな人をあたってみてはいるんだけど」えっ、と小さくつぶやく。この地域にそうそう調律師を生業としている人はいそうに...

  • 箱庭に降る音の名は #23

    言葉を尽くして伝えながら、強く思った。花が盛りを終えて散って、若葉が芽生えて生い茂り、花が咲いていたことすら忘れるまえに、やがてすべてが失われるまえに、小窪に想いを伝えられてよかった。ほんとうによかった。どきどきと速い脈を心臓に隠して、意識して口角を持ち上げる。気持ち悪かったらごめんな、と小窪に視線を合わせて笑ってみせると、まなざしは意外にも逸らされなかった。「榎並くん」生真面目な声で小窪が言った...

  • 箱庭に降る音の名は #22

    「混乱しているときに、いきなりごめんな。でも、伝えたかったんだ。小窪が将来、どうしたらいいか考えたかったら、僕がいっしょに考える。ほんとうに逃げたいんだったら、どこへでも連れて行く。小窪のことが、好きだからだよ」重ねて言うと、血の気の失せた小窪の表情にようやく徐々に赤みがさしていく。ゆらゆらと所在なげに視線がぶれる。「榎並くん」とつぶやいて、恥ずかしそうに僕のシャツから手を離す。離した手は膝の上に...

  • 箱庭に降る音の名は #21

    ゆるゆると髪を撫ぜてやりながら、僕は小窪の壊れてしまった箱庭に想いを馳せる。きっと居心地のいい、日当たりのいい、やさしい場所だったんだろう。その居心地の良さや日当たり、やさしさが小窪には窮屈に思えたにちがいない。ちがうものを見てみたくて、あたたかな場所ばかりじゃない現実の厳しい側面も目にしたくて、大学に行きたいとか、この町を出たいとか、口にしていたのだろう。小窪の生真面目さをこんなときなのにいとお...

  • 箱庭に降る音の名は #20

    ほんとうにこのまま小窪とどこかに逃げてしまいたい熱情のような衝動は、でもほんの一瞬だった。小窪の声が、しずかに揺れていたから。小窪にゆっくりゆっくり歩み寄ると「どうした?」と顔を覗き込む。うつむいた小窪の眼からぽたん、ぽたんと涙が落ちる。涙腺ではなくて、心が直接泣いているみたいな痛ましい泣きかただった。「じいちゃんが、入院したんだ。もう家には帰ってこられないかもしれない」「……そう、なんだ」「どうし...

  • 箱庭に降る音の名は #19

    残暑がひさしぶりにぶり返した放課後だった。小窪のピアノを聴きたいなぁと思いながら、地学室に置き忘れたノートを取りに第三校舎までむかった。座っていた席から無事にノートを回収して教室の外に出る。ぽろぽろと三階にある音楽室から旋律が聞こえた。メロディを聴きながらついにまぼろしを聴けるほどになったかと思っていたけれど、旋律がスピッツのあの曲になったとたん、ノート片手に階段を駆け上っていた。小窪が、僕を呼ん...

  • 箱庭に降る音の名は #18

    二学期の滑り出しは上々だった。将来をしっかり見定めている小窪の影響で夏休みのあいだになんとなく勉強に熱が入っていたので、実力テストで思った以上の点数がとれた。それよりなにより、小窪の顔を見て「おはよう」と言えるのがうれしかった。小窪にとってそれが何ら特別ではない言葉にしても。新学期初日、おそるおそる「おはよう」と小窪に声をかけると、それはそれはうれしそうに挨拶が返ってきて、不毛な片想いが勝手にとき...

  • 箱庭に降る音の名は #17

    夏の終わり、小窪の言葉がしずかに、余すことなく心の隅々までいきわたる。小窪にとってもかけがえのない時間だったのだと思うと、僕の独りよがりじゃなくて本当によかったと胸を撫ぜ下ろしたい気分だった。たとえ最後に芽生えたものが、不毛な片想いだったにせよ。連れ立って帰り道を歩きながら、小窪も僕もなんとなく言葉少なだった。分かれ道に辿りつくと、小窪はちょっと笑って「じゃあね、またあした」と言った。ひらりと手が...

  • 箱庭に降る音の名は #16

    僕に、大人びているのに子どもっぽい、ふしぎなまなざしを向けながら小窪が言う。「こうやって演奏するのも、榎並くんが聴きに来てくれるのも、きょうが最後だから」小窪がふっと目を伏せて「楽しかったよ」とつづけた。榎並くんが好きそうな曲を探して、ここで弾くのがすごく楽しかった。そんな、そんな些細な(僕にとっては些細ではないのだけれど)夏休みの日々をとても大事なことのように言う小窪のつむじをじっと見つめた。あ...

  • 箱庭に降る音の名は #15

    それからも、部活帰りに小窪の演奏を聴いて一緒に帰ったり、わざわざ駅前広場まで聴きに行ったりして夏休みを過ごした。小窪の演奏曲のなかにスピッツの曲をちらほら耳にするたびに、胸が高鳴った。小窪の指先の奏でる音楽に、どんな形であれ、少なからず影響を及ぼしている自分が誇らしかった。そして、これは僕のために弾いてくれているのかな、と思うともうどうしようもなく、心を内側からごく弱い力で引っかかれているようなく...

  • 箱庭に降る音の名は #14

    それだけ、と言う小窪は、でも何かほかのことを言いかけたのではないかと思ったけれど、深追いするのはよくなさそうだったので「彼女なんかいないよ」と事実を述べた。疑わしそうに小窪がこちらを見てくるので「ほんとだって。小窪こそピアノっていう大技があるんだし、見た目も整っているし、彼女のひとりやふたり、あっという間だって」と言い聞かせた。言い聞かせながら、そんな日が来たら、たったいま登録されたばかりの僕のLI...

  • 箱庭に降る音の名は #13

    僕は首をかしげる。明るい、と言われたことはあまりないのだけれど。「そんなに陽キャじゃないよ、僕。小窪とそう変わらないって」「そんなことない。クラスで自分がどう思われているかくらい、よくわかってる」小窪はうつむいて、「あんまり取り柄がなくて、ぼうっとしていて、静かでなに考えてんのかわかんないって思われてることくらいはわかってる」とむしろおだやかな声で言った。あきらめているのだろうか、もうそれを軌道修...

  • 箱庭に降る音の名は #12

    翌日、部活が終わるのももどかしく急いで駅に向かった。小窪の奏でるピアノの旋律が聴こえてくると小走りになる。駅前広場のグランドピアノのまえで小窪は初日に弾いていたのとおなじ曲を楽しげに演奏していた。ラストのサビまで弾きおわり曲の余韻が消えると、小窪はきょろきょろして僕に目をとめてかすかに笑った。改めて鍵盤にむきなおった小窪が手をなめらかに動かすと、僕がきのう好きだと言った曲が流れだす。うつくしい、演...

  • 箱庭に降る音の名は #11

    結局、僕のほうはなんとなくそわそわしつつ、夕方になるまでとりとめのない話をしながら過ごした。スターバックスを出て駅の反対側に回り、三日連続で同じ道を歩く。もう日が沈むというのに、まだ身体にまとわりつくような暑さで、小窪に訊いてみた。「暑いの得意?」「好きではないけど、寒いよりましだと思うな……」あぁ、なんとなくそんな感じ、と言葉に出さずに胸のうちだけで思う。小窪はどこか、寒いとすぐ風邪をひいてしまい...

  • 箱庭に降る音の名は #10

    「小窪がこのあたり一帯を箱庭だって言い切っただろ。あれからずっと考えていたけどたしかにそうだな」僕がそう切り出すと、小窪の目が揺れた。実は、と言っていったん言葉を切り、話し出す。「実は、きのう、じいちゃんに大学の話をしてみたんだ。ここは閉鎖的すぎて僕には息が苦しいから、外に出てちがうものをみたいって。そうするのも調律の糧になるんじゃないかって」「そしたら?」「うーん、若気の至りって言われて、それだ...

  • 箱庭に降る音の名は #9

    つぎの日。部活の練習は休みだったけれど、なんとなく家を出て駅のほうにむかってしまった。猛暑のなか、ばかみたいに外に出たのは、ひとえに小窪に会いたかったからだ。歩を進めながら小窪が演奏しているといいなぁと思っていたら、しっとりとしたピアノのバラードが聴こえてきて思わず足を速めた。駅前広場のピアノに静かに目を落とし、きのうまでとは違う雰囲気の流行りの歌を奏でる小窪がいた。ギャラリーはきのうとおなじくら...

  • 箱庭に降る音の名は #8

    きのうのコピーみたいな日差しのなかを、ふたり連れ立って歩く。「じいちゃんに、高校卒業したら弟子入りしろって言われててさ」小窪はぽつりと言葉を落とした。「ほんとは大学に行きたいんだけど、言い出せなくて」それは相当、圧が重い。小窪の横顔をちらっと見た。「なぁ、小窪はどうして進学したいの?」「すこしでいいんだ、箱庭から外に出たい」箱庭?と僕が問うと、小窪はすこしうなって言葉をたぐり寄せるように言う。「こ...

  • 箱庭に降る音の名は #7

    翌日の部活帰り、駅ピアノの音がしないかと実のところ期待していた。だから、きのうとはちがう流行りのポップスが聴こえてきたときには小走りに駅前広場にむかっていた。広場に据えられたピアノのまえで小窪は心底楽しそうに、鍵盤に指を滑らせている。ピアノを囲むギャラリーはこころなしか、きのうより多いような気がした。最後の音が天井にこだましながら消えると、これまたきのうより熱心な拍手が起きた。小窪の名を呼んで手を...

  • 箱庭に降る音の名は #6

    小窪に触発されてというわけではないけれど(いや、そうなのか?)、ちゃんと帰宅後は高校生らしく小論文の課題を終わらせた。しごくささやかな、けれど、ちかりと光る達成感を胸に榎並家の夕食の席に着くと、一応、両親に尋ねてみた。「あのさ、僕に将来なってほしいものとかってある?」「……はぁ?」母親のいぶかしむような声にくじけずにおなじ質問を繰り返す。「いまさら言われてもねぇ。ひとりっ子だから期待したかったところ...

  • 箱庭に降る音の名は #5

    「ばあちゃんはともかく、じいちゃんがなぁ……」小窪はどこか遠い声で言う。おとなしそうな小窪。でも、おじいちゃんとなにか確執があるのだろうか。思って訊くと、「確執っていうか、師弟関係?」と返ってくる。『シテイカンケイ』を漢字変換するのに時間がかかった。暑さのあまりに頭がわるくなっているのかもしれない。「……師弟って、なんの?」僕の疑問に小窪が足をとめたので、僕もつられて立ち止まる。足元の黒い影のうえに汗...

  • 箱庭に降る音の名は #4

    「でも、小窪もああいう音楽を聴くんだな」「ああいうって?」「ノリのいい、大衆受けするタイプの曲」どちらかというと、小窪は自分の好きなアーティストをじっくり掘り下げていそう、と思ったから言った。もちろん、それがほんとうがどうか推し量れるほど僕と小窪が親しくないにしても。「うーん……、聴くってほどには聴いてない。さっき、スーパーのBGMで流れててわりと好きな感じだったから」「えっ?じゃあ、耳コピの即興演奏...

  • 箱庭に降る音の名は #3

    僕はいまだに気まずそうな、それでいてどこか警戒するようなまなざしを解かない小窪に笑いかけた。「すごいな、小窪。こんな特技があったんだ」小窪はぶんぶんと顔のまえで手を振る。小動物が大慌てするような仕草にちょっと噴きだしそうになる。「たいしたことじゃないよ、趣味の延長だから、ほんとに」「それにしたって、人前で演奏するなんて意外とお前、度胸あんのな」小窪の白い頬にぱあっと赤みがさして、消え入ってしまいた...

  • 箱庭に降る音の名は #2

    部活の練習が終わった夏休みの学校帰り、改札を抜けたところでピアノの旋律が聞こえてきた。だから、「あっ」と「おっ」が入り混じった気持ちで駅ピアノのほうについつい早足になりながら歩いていった。十数人のギャラリーに見守られながら心底楽しそうにピアノを弾いている演奏者を見た瞬間、目を疑った。いつも教室のなんとなく隅っこのほうで観葉植物然としている小窪史幌(こくぼしほろ)が、突然植物が踊ることを覚えたかのよ...

  • 箱庭に降る音の名は #1

    僕の住む郊外の町の駅に、駅ピアノが設置されたのは去年の春のことだった。駅近くのピアノ教室の先生が教室をたたむにあたって、市だか県だかに寄贈したらしいけれど、噂の真偽のほどは定かではない。とにかく、その駅ピアノはぴかぴかに黒光りしていて、なんだかうらぶれた郊外の駅にはいくらなんでも立派すぎた。ピアノをちらちらと遠巻きに眺める人たちの気持ちは痛いほどにわかる。なにせ僕もまったくの共感、もじもじするよう...

  • インディゴ 《最終話》

    僕の名を呼ぶ葉の声が聞こえる。呼び声に答えるように目をあけると、視線が奇妙に低かった。まばたきをしても地面すれすれに視界が広がっている。いったいどうしたっていうんだろうか。葉を見上げて「どうしたんだろう」と言ったはずなのに、僕の口からはニィ、という声がこぼれ落ちる。驚いて葉の名を呼ぶと、出てきたのは、またニィ、という声。「インディゴ、猫になったんだよ。君、生まれ変わって、子猫になったんだ」言いなが...

  • インディゴ #31

    「今夜、迎えに来る」それだけ、しずかに光るようなその言葉だけが、はっきり聞き取れて重いまぶたを引きあげた。どうやって?迎えに来てくれて、葉と僕はどこに行くの?聞きたいことは山ほどあったけれど、口にできたのは「待ってる」という言葉だけだった。「……けるから、ぜったいに……ィゴをたす……から」葉の真剣なまなざしをぼんやりと受け止めながら、なぜか深い安堵が心に広がっていった。夜になると、すこし意識がはっきりす...

  • インディゴ #30

    日に日に、眠るように過ごす時間が増えていった。山科さんのリヤカーに乗っても、すぐに眠くなってしまう。葉がいる時間だけふっと目が覚めるのが、自分でも正直すぎるなぁとすこし笑ってしまう。「……インディゴ、すごく具合がわるそう」その葉が僕の目を覗きこんで気づかわしげに言う。自責と、後悔のたくさん詰まった口調になんとか笑い返した。「僕、きっと消えちゃうんだね」しばらく間をおいて、「うん」と葉がうなずいて言う...

  • インディゴ #29

    そんな日々のなか、僕の異変に最初に気がついたのはやっぱり山科のおじさんだった。「インディゴ、どうした?ひどくぼんやりしていることが増えたね」リヤカーに腰かけている僕は、はっとして目をしばたたかせた。時間の経過の感覚がまったくない。いつの間にか周囲が淡い夕焼けに包まれている。一日が眠るように過ぎてしまうと言っていたマリー姉さん。「マリー姉さんみたいに消えてしまうのって……、どういう感じなのかな」僕がち...

  • インディゴ #28

    それからしばらくのあいだ、『恋』という単語を口のなかで転がして過ごした。わからないなぁという気持ちと、ひょっとしたらという思いが半々くらいだ。葉は学校帰りに墓地にやってきては、そのたびに安堵の表情を浮かべる。「インディゴが消えてしまっているんじゃないかって、毎日ひやひやしながら授業を受けてる」僕のとなりに座った葉が遠くに視線を投げたままで言う。残酷だよね、と。「僕ら、もし想いが通じあっていたら永遠...

  • インディゴ #27

    葉の言葉から連想するように、『恋をしてはいけないよ』という山科のおじさんの言葉を思い出して、そして消えてしまったマリー姉さんのことを思った。心がゆれる。急に不安をいっぱいに湛えたコップのようになってしまったかのような心持ちだった。「どうしよう。僕、葉のことが好きだったら、恋として好きだったら」短い時間のなかで、葉の瞳をとても複雑な感情が行き来した。歓喜、不安、期待、そして絶望。もし、僕が葉の気持ち...

  • インディゴ #26

    自分の死の理由を知ってからというもの元気のない僕に、葉はどうやって接しようか悩んでいるようすだった。毎日、墓石のまえに並んで腰かけて黙っていることが増えた。その沈黙は目の粗い布でざらざらと皮膚を撫ぜられているようで、ひどく居心地が悪いのにどうしてみようもない。「インディゴ、元気を出して」とうとう葉がそう口にしたのは、僕の死因の発覚からひと月ほどが経とうとしているころだった。葉のあたたかい手が僕の背...

  • インディゴ #25

    葉は僕が死んでしまった理由についてそれ以降、触れることはしなかった。けれど、僕に対する態度がさらにやわらかく、やさしくなって、あぁ、気を遣わせてしまっているんだなと歯がゆかった。僕はいつも葉から受け取るばかりで、なにひとつ返せない。山科のおじさんは驚いたことに僕の生前のことを知っていた。ニュースになってしばらくして、自死した少年にそっくりな顔立ちの僕がここに現れて、あの子はこの墓地に来たのかと思っ...

  • インディゴ #24

    それでも、葉のことが心配だった。いつだったか、僕のことを何も知らないころ、葉が言ったみたいにふわふわと学校まで漂っていって葉のようすを見ることができたらいいのに、と思った。葉のために、なにもできない自分が歯がゆかった。無力な自分に腹を立てていたけれど、ふっと気がついて葉に尋ねた。「これ……、ずっと調べていてくれたの?」葉がすこしためらったのち、うなずいた。「前にあんまりしあわせな最期ではなかったかも...

  • インディゴ #23

    ひろげられた紙面のコピーには、僕の顔写真と『県立高校二年生 いじめを苦に自殺か』という見出しがある。まるで他人事のように記事に目を通した。県立高校に通う男子高校生が学校の屋上から飛び降り死亡、部屋からは遺書のようなものが発見されたと報じられている。遺書にはいじめを受けていた旨の文言が綴られていたという。「これ、ほんとうに僕の話なのかな?写真は僕みたいだけど」ぽつりと言葉が洩れた。葉は気づかわしげに...

  • インディゴ #22

    その日の夕方になってやってきた葉は僕の表情を見て、マリー姉さんがいなくなったことを察したのか「ごめんね」と謝った。「インディゴの大事なお姉さんのために何かできたらと思っていたんだけど……」首を横に振る。頼りない動きだと自分でもわかっていた。葉の顔を見たとたん、ぽろぽろと涙が頬を伝った。マリー姉さんの口癖や、髪を梳くのが好きだった後ろ姿を思い出せば、いくらでも涙があふれた。葉は泣くなとも泣けとも言わず...

  • インディゴ #21

    葉がうーん、と言って両腕に顎をうずめた。「僕、自分がずっとままならない恋に振り回されてきたから、幽霊になってまで恋に悲劇がついて回るなんて信じたくないなぁ」うん、とうなずいて葉の目を見つめた。僕のことを好きだと言ってくれる葉。僕も『ままならない』の一部なのだろう。「真剣に考えてくれて、ほんとうにありがとう。マリー姉さんが消えてしまっても、葉がいてくれるのなら何とかだいじょうぶでいられる気がする」葉...

  • インディゴ #20

    その日やってきた葉はすぐ、僕の元気がないことを察してくれた。葉のこういうところがすごいと思うし、本当に尊敬する。細やかさは、逆に葉の繊細さなのだろうか。「どうしたの、インディゴ。どこか具合が悪いの?」心配そうに僕をのぞきこむ葉にしがみついて泣き出したかった。子どもみたいに泣いて、心の負荷をすこしでも軽くしたかった。でも、マリー姉さんを認識できない葉にそんな風には甘えられない。かわりに、ぽつんと言っ...

  • インディゴ #19

    草取りの手をとめている山科のおじさんに背を向けて、マリー姉さんの住む区画へ走り出した。ぴかぴかに磨かれた墓石のうえでマリー姉さんはご機嫌で髪を梳いている。鼻歌が聞こえる。呼びかけると、「どうしたの、インディゴ。顔色が真っ青」と言った。どう訊いていいのかわからない僕の口から飛び出したのは結局、とても直截的な問いかけだった。「姉さんはオリーブさんのことが好きなの?」マリー姉さんの頬がみるみる赤く染まっ...

  • インディゴ #18

    ほんとうに、ほんとうになにげない台詞だったのに、山科のおじさんの顔がみるみる曇っていく。いつも僕を安心させてくれる思慮深さとはまた違った翳りだった。つられて僕も真顔になる。「インディゴ、それはほんとうなのか?マリーちゃんが恋をしているというのは」「うん、マリー姉さんに確かめたわけじゃないから、まだわからないけれど。でも姉さんのようすを見ていればわかるよ」山科のおじさんははびこる雑草を取る手をとめて...

  • インディゴ #17

    その日もやってきた葉にその話をした。僕のような幽霊がどうして存在するのか。胸が不穏な感じにどきどきしている。「それで、僕みたいに幽霊になっちゃうのは、しあわせな死にかたをしなかった人間なんだって」葉がすこし考えて「なんとなく、考えかたとしてはわかる」とひどく言いにくそうに言った。「未練とか心残りとかがあると死んでからも現世にとどまってしまうっていうのはよく言うよ」「……そう、なんだ」でも、と明るい口...

  • インディゴ #16

    マリー姉さんの区画にあたらしく男性の幽霊がやってきたのは、それから三日後のことだった。姉さんとおなじくらいの年恰好で、すこし葉に似たきれいな顔立ちをしていた。「こんにちは」僕が挨拶をしに行くと、すこし疲れたような顔をほどいて「こんにちは。君がインディゴか」とかすかに笑った。「俺、なんていう名前なんだろう。生きていたころの名前も住所も思い出せないんだ」と焦った声で言う。彼のかたわらにしゃがみこんで、...

  • インディゴ #15

    秘密、秘密と胸のうちで猛然と転がしながら、夏の夕暮れがだんだん夜になっていくのを眺める。オレンジから紫、濃紺へと空が変化していく。空の色さえ甘やかに見えた。なんとなく、生きていたころはこんなふうにきれいな空を眺めることもしなかったような気がする。いや、空を見たってきれいだと思うことがなかったのかもしれない。きっと幽霊になるのも悪いことばっかりじゃない。空を見上げることを、忘れていなくてよかった。ふ...

  • インディゴ #14

    ひと言発するごとに考えているような喋りかたで、葉が言う。「たとえばさ、たいていの人は……僕の学校のクラスメイトみたいに……男性が好きな男っていうと気味悪がるけど、インディゴはすこしも気持ち悪がらなかった。自分に好意が向けられているのに」「嫌われるより、好かれる方がずっといいに決まってる」「まぁ、そうだよね。そうではあるよね」葉が二重の目を細めて笑った。かすかにうなずいている。「だから、学校での居場所が...

  • インディゴ #13

    葉が、男性を好きになる男。告げられた言葉を頭のなかで繰りかえした。もちろん、そういう人がいることは知っていた。いじめに遭っているというのは、なるほど、そういう事情だったのか。「そうだったんだ」という僕に、葉は大人びた声で言った。「インディゴにこたえてほしいと思っているわけじゃなくって、ただ伝えておきたかったんだ。わかるかな。僕は、インディゴのことが好き」「うん、わかる。ありがとう」僕がこたえると、...

  • インディゴ #12

    葉がやってくるようになってからも、日中の僕の過ごしかたはだいたい変わらない。山科さんのリヤカーに座って歌を歌ったり、しゃべったり、マリー姉さんと外界と墓地を隔てるブロック塀の隙間から外を眺めたりして過ごした。葉がやってくる時間になると、自分のねぐらの墓石のところに腰かけて、待つ。葉が顔を輝かせて駆け寄ってくるのを、心待ちにして。雨が降っていると葉があまりここにいられないので、晴れが好きだったぼくは...

  • インディゴ #11

    僕の言葉に、葉はとても弱々しく笑った。「そうだねぇ、できるといいね」とちいさく、どこか投げやりな声で言う。まるで他人事のような口調に、心の奥底がひやっとした。僕が思っているより、きっとずっと深く、葉は悩んでいる。毎日、話し相手のいない場所に行くのが苦痛なことくらい容易に想像がつく。マリー姉さんと山科さんのいない墓地より、きっとつらい。想像する以上の痛みなのかもしれない。けれど、葉はがんばって負けま...

  • インディゴ #10

    その日の夕方も葉はやってきた。ねぐらのまえで待っていた僕を見るなり、顔を輝かせて駆け寄ってくる。所作や喋りかたの大人っぽい葉だけれど、そのときはまるで子犬のような喜びようだった。「インディゴ!待っていてくれたの?」「葉が来てくれるといいな、って思っていたところ」くすぐったい気持ちで僕は答える。葉が笑っていてくれることが彼の生きる支えになれば。「ふわふわって学校まで迎えにきてくれればいいのにな」と僕...

  • インディゴ #9

    「人間の友達ができた!葉はいいやつだよ」僕の息せききった報告に、ゆっくりと振り返ったマリー姉さんがおだやかにコメントした。「そうね、そうみたいね」一見、無関心なように自分の髪を梳いているマリー姉さんが実は心配そうにこちらを見ていたのを知っている。だから、「心配いらないよ」と言うと、マリー姉さんが目をしばたたかせた。「インディゴがそんな風に心を許すなんて、意外だな」「どうして?僕、そんなに心が狭そう...

  • インディゴ #8

    その日は主に葉が家族のこと、勉強のことをしゃべった。僕が教えてほしいとせがんだのだ。葉がいじめに遭っているのが心配なだけ、葉の暮らしぶりが知りたかった。両親と三歳離れた妹がひとり、犬が一匹の家族構成で、得意科目は英語と化学。ここから電車で二駅の私立高校に通っている一年生。中学二年生のとき、この墓地近くに造成された、海にも山にも近いという謳い文句のニュータウンに引っ越してきた。順序立てて、やわらかな...

  • インディゴ #7

    「インディゴが話ができるっていう山科さんって、あの人?」葉の視線を追う。おじさんがリヤカーの把手を置いてタオルで額の汗をぬぐっているところだった。「そうだよ」肯定して、山科さんについて補足する。「山科さんはおだやかで思慮深くて、決して人の悪口を言わない人。僕、もしも死ななかったのなら山科さんみたいな大人になりたかったな」葉が嘆息する。学校の先生にもそういうあこがれの対象になるような人がいればなぁ、...

  • インディゴ #6

    僕をやさしく案じてくれる山科のおじさんの言葉を噛みしめて、すこし考えて言ってみた。「きっと、幽霊が珍しいんじゃないかな」「それにしたって、わざわざ会いに来なければいけないだろ。学校に行けばいくらでも人間の友達がいるだろうに」「それもそうか」ふたりで考えていたけれど、納得のいく答えは見あたらない。心の隅に引っかかった綿毛みたいに気になったので、その日は山科のおじさんのリヤカーに乗ってあちこち墓地を移...

  • インディゴ #5

    優しげなまなざしのまま、そっと訊かれる。生卵を両手でくるんで運ぶような喋りかただった。「名前はなんていうの?」「インディゴ。生きていたころはちがう名前だったような気がするけど」「そうなんだ」会話が成立することに安心したように少年はかすかにうなずいた。おだやかさのむこうに聡明さが垣間見える。「僕は葉(よう)。葉っぱの葉で、よう」葉、と呼ぶとまたうなずく。葉の顔をじっと見た。もちろん、失礼にならない程...

  • インディゴ #4

    僕を見下ろすマリー姉さんがあきれたように言う。長い栗色の髪に触れながら、すこし笑っている。「インディゴ、なにびっくりしてるの」「いや、マリー姉さんのほうから僕のところにくるのが珍しいなぁって」マリー姉さんはきれいな顔立ちのほっそりした女性だ。印象としては、幽霊だということを抜きにしても、ごく淡いシャープペンシルで輪郭を描いたような人。山科のおじさんは「薄幸の佳人」と言っていたけれど、どういう意味か...

  • インディゴ #3

    飛び起きて、リヤカーを押す山科さんに大慌てで謝った。「ごめんなさい、山科さん。僕、うつらうつらしちゃって」「起こさないようにしたつもりだったけど、目が覚めたかい」おだやかに言った山科さんは僕がねぐらにしている墓石まで僕を送り届けると、「退勤の時間だから帰るな、またあした」と言ってリヤカーを押して去っていった。山科さんの背中を見送ってから、墓石の足元にうずくまった。夜の間だけ、僕はふわふわと宙を漂う...

  • インディゴ #2

    果敢にも墓石の隙間から顔をのぞかせている雑草に手を伸ばした。もちろん、触れられない、つかめない。僕の生前の名前のように。山科のおじさんがちいさく笑った。「ごめんね。手伝いたいのはやまやまなんだけど」「かまわんよ。インディゴがしゃべってくれるから退屈しない」「もうすぐまた人がいっぱい来るからね。山科さんの仕事もたくさん」「まあ、なぁ。お盆だからな。インディゴが好きな花いっぱいの景色になるぞ」僕は笑う...

  • インディゴ #1

    幽霊になって、インディゴ、と呼ばれるようになってから何年経つのかはよくわからない。気がついたら僕に対する周囲の呼びかけはそうなっていたから。周囲というのは、毎日、僕の暮らす墓地の清掃にきてくれる山科のおじさんやここの隣の区画にいるマリー姉さんのことだ。いまのところ、僕をインディゴと呼ぶのはこのふたりだけ。僕が話をすることができるのもこのふたりだ。なんてせまい世界なんだろう、とときどき思うけれど、こ...

  • あなたの声のそばにいる 《最終話》

    昼過ぎには遠木の実家を辞した。また来ることはあるだろうか。未来のことはわからない。なにひとつとして。駅までの道をふたたび並んで歩きながら、遠木がほっとした声を出した。すこし笑いながら言う。「極の勝算とやらの『お手紙作戦』があんなにうまくいくとはなぁ」「遠木と僕の歳月の力じゃないかな」笑いながら返すと、軽やかに遠木が笑った。思えば長く恋をしていた。恋をしている。そしてこれからもずっと、恋をしていく。...

  • あなたの声のそばにいる #19

    「僕の存在が乃生くんのご両親にとって不本意なものであることは承知しています」ふるえだしそうな足にしっかりしろ、と言い聞かせる。「でも、これを読んでください。乃生くんが、アフリカにいたあいだ僕にくれた手紙と、大学進学直前に書き残してくれた手紙です」これ以上はないだろうという渋面をした遠木の父親と不安そうな表情の母親は、不承不承といったていで読みはじめる。隣で遠木はじっとしている。どれくらいの時間が流...

  • あなたの声のそばにいる #18

    思い返せば、遠木と大きな喧嘩をした記憶がない。僕が我慢することもないし、遠木もおなじだと思いたい。呼吸をするように、お互いがお互いの酸素であるかのように互いを必要としている。言葉に出さずとも考えや思いが的確に伝わることがあるし、12年も離れていたのに不思議なくらいだ。 * * *遠木が浮かない顔で僕の部屋にやってきたのは、帰国から一年半が過ぎようとする夏のはじめごろのことだった。「どうした?しょん...

  • あなたの声のそばにいる #17

    それからしばらく経っても、遠木の両親からは特になにを言ってくる様子でもなかったので「しぶしぶ黙認ってことなのかな」と遠木は言った。僕はそう甘くはないんじゃないかと思ったけれど、遠木を不安にさせる必要もないのでそっと黙っていた。「極はいいの?結婚しろとか言われない?」「基本的に父さんも母さんもそこは放任主義というか、したかったらすればいいっていうスタンスだと思う」そっか、という遠木の横顔が淡くやわら...

  • あなたの声のそばにいる #16

    解放されたのは夕方の陽がまもなく落ちようというころだった。オレンジ色の陽がすべてをあまねく照らしだし、遠木と僕の影も長く伸びている。長時間の緊張のあまりに背骨がぎしぎしと軋んでいた。「遠木、僕、うまくやれてた?」「うん、極はよくやったと思うよ。俺より緊張したろ。わかってるんだ。ありがとな」遠木は微笑んで、僕のほうを見た。茄子色の髪がやわらかに風に揺れる。「どうなんだろう。遠木のお父さん、苦虫を10...

  • あなたの声のそばにいる #15

    「それで、乃生」遠木の父親は息子を見据えるようにして苦々しげに言う。「お前たちはその、最近テレビでときどき見る同性愛者ってやつなのか」問いかけに、遠木も僕もしばらく考えこんだ。どうなんだろう。僕は、小さなころからあんまりにも遠木の上にばかり関心があったものだから、遠木以外には考えられなかったのだけれど。「わからないんだ。俺は極しか好きになったことがないから、改めて訊かれると……どうなんだろう」どうや...

  • あなたの声のそばにいる #14

    「楠原極と申します。乃生くんとおつきあいさせていただいています」名乗り、僕にできうる限り丁寧に頭を下げた。大事なのは第一印象だ。傍らに立っている遠木がたじろぐのがわかった。僕が『乃生くん』と彼を呼んだせいだろう。遠木を『乃生くん』と呼ぶと、無性に泣きたくなるのはなぜだろう。「あぁ、えーっと、つまり……それじゃあ、君が乃生の恋人だというわけだな」「そうです」「そうか……そういうわけだったのか、いつまでた...

  • あなたの声のそばにいる #13

    ひさしぶりに訪れる遠木の家は相変わらず瀟洒だった。けれど、玄関先の階段に手すりがとりつけられていて、遠木の両親が年齢を重ねていることが垣間見える。門柱のところのインターフォンで「母さん?俺だけど」と話しかける遠木のふるえる声を聞いた瞬間、手のひらにどっと汗をかいた。玄関の扉を開けて、家のなかに入る。キッチンから出てきた遠木の母親は遠木を見て、それから僕を見た瞬間、怪訝そうな顔になった。「乃生?あな...

  • あなたの声のそばにいる #12

    僕の顔色を見て取るなり、「ちがうんだ、極、ちがうんだって」と遠木は慌てたように言う。「好きなやつはいるけど、結婚するつもりはないって言ったら……連れてくるだけ連れてきなさいって言われてさ。親にもさんざん心配かけたから、俺も強く出られなくて」繰りかえしなぞっていたカップの持ち手から指を離した遠木は僕をまっすぐ見て言った。「俺の実家にいっしょに来てくれないか」一瞬、時が止まった。こういうときってほんとう...

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