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BL小説『いつか君に咲く色へ』連載中です。人の感情を色で把握できるDKとその色をもたない同級生のおはなし。ゆっくり恋になっていきます。

『ありえない設定』⇒『影遺失者』と『保護監視官』、『廃園設計士』や『対町対話士』(coming soon!)など。…ですが、現在は日常ものを書いております。ご足労いただけるとうれしいです。

風埜なぎさ
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2014/08/13

  • あしたがいい日でありますように #32

    優羽の三度目の射精と、智伸が優羽のなかに飛沫を散らすのが同時だった。 どろりと内腑に智伸の吐きだしたものを感じたとたんに、優羽はまたひどく興奮した。性器をなかから引き抜こうとする智伸に荒い息のすきまから思わず口走る。自分でもびっくりするくらい鼻にかかった甘ったるい声だった。「やぁ、……や、まだ、抜かないで」 なかばで止まった智伸のものがみるみる硬度を増していくので、とっさに口走ったこととはいえ、さ...

  • あしたがいい日でありますように #31

    「ごめんな、お前、いったばっかりでちょっとしんどいかもしれないけど」 しばらく堪えていた智伸のものが一気に奥まで届いたとき、優羽はすがっていた背中にぎゅっと力を込めた。すこし乱暴なほどの快感が走る。荒い呼吸をそのままに優羽にキスをして、深い場所でつながったまま、智伸がもどかしげに言う。「俺とこうしたこと、ずっと覚えていて……気持ちよかったなって、ときどき思い出して」 優羽の目じりからぽろぽろと涙がこ...

  • あしたがいい日でありますように #30

    目を閉じる。智伸の荒い息遣いが聞こえるのに、ひどく興奮した。耳からの刺激にあっという間に絶頂が近くなる。「あ、……っ、あっ、や、だめ、出る……いく、から」「俺も、いきそ……っ、ん」 二人分の白濁を手のひらに受けて、あわただしく智伸が優羽の腰の下に浴衣をあてがった。そのせわしなさにすこし笑いそうになる。 忘れない。忘れることなんてできない。夕方の光が仄明るいなかで、カーテンも閉めずにこんなふうに智伸と肌...

  • あしたがいい日でありますように #29

    ぎゅっと一瞬だけ強く握った手をすぐに離して、智伸が横顔で淡く笑った。はっと胸を衝かれるような、寂しげでうつろな笑顔だった。こんなにがらんどうな笑顔を、ひとはできるものなのか。「お前が好きだよ、優羽。俺がお前を好きだったこと、思い出してくれたらやっぱりうれしい」 風に紛れて聞こえないような声で智伸が言う。馬鹿、と声には出さずに思う。 ぜんぶ覚えておくと言っただろう。つらくないわけじゃない、悲しくな...

  • あしたがいい日でありますように #28

    ふたりが食べ終わっても店の外には順番待ちの人たちがひしめくように立っていたため、ふたりは早々に店をあとにした。海までの坂道をゆっくりと下っていく。 目のまえを行く男女が仲睦まじげに手をつないで、顔を寄せあってなにごとかささやきあっている姿を、優羽は幾重にも胸がよじれるような思いで見つめた。 こうして智伸と自分が歩いていても、だれもふたりが恋人どうしだとは思わないだろう。 智伸がいなくなったあとに...

  • あしたがいい日でありますように #27

    花火?と首をかしげた智伸はスマートフォンで何やら検索をはじめる。ややあって、「あぁ、これか。海上花火大会」とつぶやいて画面を優羽のほうに差し出した。 智伸のスマホを受け取って目を走らせる。どうやらこの土地では季節にかかわりなく頻繁に花火が上がっているらしい。「どうする?見に行くか?」 智伸に選択権とともにスマホを手渡す。携帯の画面を眺めながらすこし考えた智伸が「きれいだけど、行かなくていいかな」...

  • あしたがいい日でありますように #26

    「強くならなきゃ」とちいさくもう一度声にすると、ゆるゆると智伸が首を横に振る。「そのままでいいよ、強くなくていいよ、優羽。俺が好きになったのは、いまの優羽だから。好きなんだよ。弱いとことか、いっぱいいっぱいまで溜め込んで、爆発しちゃうとことか」 自分はどうしたらいいのだろう、と考える。こんなふうに存在を肯定されて、変わらなくていいと言われて。智伸がしずかに目を閉じた。「ずっと、優羽のそばにいたか...

  • あしたがいい日でありますように #25

    「なぁ」 智伸に呼びかけた。ゆっくりと相手がこちらを見る気配がする。「お前、怖くないの。その……病気のこと、死んじゃうとか、だんだん身体が動かなくなるとか。俺だったらもっと取り乱して、泣き喚いていると思う。平静じゃいられない」 優羽の言葉に智伸はすこし考えこむそぶりを見せた。しばらく黙ったあと、すこしずつ紡ぐように言葉を口にする。「『怖い』の第一波は乗り越えたのかもしれない。また怖くなったり、夜眠れ...

  • あしたがいい日でありますように #24

    「ほんとだから、怖かった。こんなにしあわせなことがあるはずがないって思った。優羽もなにか言うわけじゃないから、確かめたら終わりみたいな気がして、なんにも言えないまま卒業して。大学入ってから後悔したよ、伝えておけばよかったなって。だから社会人になってまた距離が縮んだときは、今度こそうまくやろうって思って、」 智伸の声が途切れる。その矢先に病気のことが発覚したのだろう。つくづくタイミングを逃してばかり...

  • あしたがいい日でありますように #23

    来てみたのはいいものの、さほど智伸にとって興味を惹かれる展示がなかったようで、早々に美術館をあとにした。 来たときと反対車線のバスに乗って急坂を駅前まで下りていく。ビー玉を落としたら延々と海まで転がっていきそうな街だな、と優羽は妙な感慨を覚えた。そのすこしばかげた物思いを智伸に伝えようとしたけれど、窓の外を見ている横顔のしずけさに口をつぐんだ。 駅前まで戻って、路線バスを乗り換えて温泉宿へ帰る。...

  • あしたがいい日でありますように #22

    優羽は智伸の頬に手を伸ばした。その手をそっとつかんで、智伸が指先で手のひらの輪郭をなぞる。覚えておけたらなぁ、とちいさな声で言う。「なにを?」「なにもかも。優羽のことはもちろん、大事なことをなにもかも」 ごめんな、という声とともに手が自由になる。智伸の指先の感覚が残る手をぎゅっと握りしめた。ちいさく息を吸い、みじかく言った。「忘れていいよ。だいじょうぶだから」「えっ?」 虚を突かれたような顔にふ...

  • あしたがいい日でありますように #21

    その晩はひたすら互いを貪った。脚を肩に抱えあげられて、智伸の身体のうえに乗り上げて、さまざまに体位を変えながら。 何回いかされたか優羽は覚えていない。なんど出されたかも。ただ、身体の満足だけを追っているあいだは智伸のこれからを考えずにすんだ。それだけがわかっていた。 明け方、みじかい眠りにつくまえに、智伸がやさしく優羽の肩を撫ぜながら「あしたがいい日でありますように」とつぶやくのが聞こえた。もう...

  • あしたがいい日でありますように #20

    智伸の指の抜き差しがはっきりと暴く動きに変わった。ひっきりなしの快感に翻弄されて、優羽の心身から羞恥や遠慮が消しゴムをかけるように薄れていく。いきそう、と訴える。「や……あっ、……あぁん、あぁっ、……いく、おれ、いっちゃ……っ!」 はしたなく喘ぎながら優羽がのけぞった身をふるわせて射精すると、智伸は片手で白濁を受けた。「ごめんな、これ、使わせて」 智伸は自分の性器に優羽が放ったものをまぶすと、優羽のなか...

  • あしたがいい日でありますように #19

    もう恥ずかしがっていてもしかたないので、関節の許す限りいっぱいに大きく両脚をひらいた。さらされる感覚に、ぞくぞくした。 智伸の指が後孔をうかがう。ふちをなぞるように円を描いて、ときどき入口にぴったり指を押し当ててくる。はしたなくこぼしているもののせいで、そのまわりが潤っているのがわかった。 内腑にごく浅く侵入してきた指を、優羽の身体は拒まなかった。むしろ、その呑むような動きに智伸が驚いたように尋...

  • あしたがいい日でありますように #18

    その問いかけに、気持ちを確かめる疑問符に、智伸の喉がかすかに鳴った。それが答えだという気がしたから、優羽のほうから唇をあわせた。 ついばむような口づけが、ほどくのも難しいような深いものにかわるのにさして時間はかからなかった。智伸は優羽の座る椅子に半分乗り上げるようにして、優羽の唇を、舌を貪った。優羽は智伸の背に両腕をまわして、与えられるがままにキスを受けた。「優羽、抱いてもいいか?俺、いなくなっ...

  • あしたがいい日でありますように #17

    窓際にしつらえられた椅子に腰かけていた優羽は、軽やかな音とともに洗面台で歯を磨いている智伸を見遣った。「なぁ、智伸」 口をすすいでいる智伸が軽く振り返りちょっと待って、というジェスチャーを返してくる。コップに歯ブラシを立てて、「なに?」とやわらかに問うてくる。「あしたがいい日でありますように」「……え?」「このまえから俺にそう言ってくれるだろ。優しく光っているみたいな祈りの言葉。これってなんなの?...

  • あしたがいい日でありますように #16

    智伸が居心地悪そうに身じろぎした。湯がゆれる音が立つ。「なんだよ、人の顔見てにやにやして」「いや、智伸のこと無理やり連れだした気がしてたけど、やっぱり来てよかったなって」「……いやだったら来ないよ」 ぽつんと落ちた言葉が浴場に響いた気がした。 ふたりでのぼせる直前まで湯につかって、のんびりと浴衣に着替えて部屋に戻る。智伸がしごくゆったりと言う。「気持ちよかったー……。ふやけるかと思った」 白湯を飲み...

  • あしたがいい日でありますように #15

    目的地には快適に到着した。スマートフォンを改札にかざして駅前のロータリーに出る。かなりの人出ですくなからず驚いた。温泉宿へのバスに乗り込む。いきなりのジェットコースターみたいな急坂にやや気圧されつつも、隣に座った智伸に話しかける。「きょうは冷え込んでいるから、温泉が楽しみだな。想像するだけでぽかぽかになりそう」 智伸はバスのフロントガラス越しに坂を眺めていたけれど、優羽のほうを向いて楽しそうに笑...

  • あしたがいい日でありますように #14

    気持ちを切り替えるためだけに、話題を振った。この先のこと、みじかい未来の話を。「智伸、お前、着いたらどうする?とりあえず、宿に行くか?」「そうだなぁ、時間はいっぱいあるから、まずは温泉でゆるっとしたいな」「わかった」 話しているあいだにも、新幹線がやってきてふたりして乗り込む。なんとなく窓際の席に智伸を座らせると、かすかに笑った。「なんだよー」と言うと「なんでもない」と笑ったままの答えが返ってく...

  • あしたがいい日でありますように #13

    翌日の朝、新幹線の出発時刻15分前に在来線と新幹線が相互乗り入れをしている駅に到着した智伸と優羽は、並んで新幹線ホームにむかいながらキャリーケースを転がしていた。先だって、優羽の荷物が大きすぎると智伸は会うなり声をあげて笑った。そう言う智伸の荷物はコンパクトすぎて、優羽は心配になるのだけれど。「俺、旅行に行くのなんて何年ぶりだろう」 優羽が感慨深げに言うと、智伸が「俺は修学旅行の引率以外の旅行に...

  • あしたがいい日でありますように #12

    「いいな、熱海。海にも山にも近いし。っていうか、海で、山だし。なんで今まで行かなかったんだろう」「俺はともかく、智伸は学校の仕事でそれどころじゃなかっただろ」 優羽はじっと智伸の目を見た。あきらめるために。ここからはじまる、なんて思っちゃいけない。ここから終わらせていくための旅なのだ。目を見つめたままで言う。「旅じまいに、温泉満喫しような」 智伸の目がかすかに揺らいだ。こくりとうなずく仕草がやけに...

  • あしたがいい日でありますように #11

    ゆうべの肌寒さは放射冷却によるものだったらしく、翌日は秋晴れのよい日和になった。すこん、と抜けたような青空のもとを部屋から最寄りのバス停まで歩いた。 やってきたバスで駅前まで出て、約束したドトールに優羽が到着すると、智伸はもう席についていて「優羽!」と軽く片手を挙げた。病気だなんてうそみたいな自然な笑顔だった。 いつもそうだった、と優羽は思う。きっちり約束通りの時間に赴くと、智伸がいつも自分を待...

  • あしたがいい日でありますように #10

    『優羽』 優羽の提案にしばし黙り込んだ智伸が、しずかな声で言う。『思い出作りのためだったらやめたほうがいい。あとから余計に苦しくなるから』「なにもできないほうがいやなんだ。こんなことになったのに、離ればなれで日常を送るほうがいやなんだ。俺の気持ちに気づいているんだろ?だったらわかるだろ?」『ほんとうに俺のこと、好きでいてくれているの?』 こんなときなのに、とても甘い問いかけに聞こえた。「ああ」と短...

  • あしたがいい日でありますように #9

    つぎつぎにあふれだしてくるものを思いを、考えてもしかたない、と首を打ち振った。考えたところで、智伸を蝕む病気の進行が遅くなるわけじゃないのだ。病気が、消えるわけじゃないのだ。深い悲しみに、両足をとられる。 ふと、別れ際の智伸の声がよみがえる。やわらかい、すこしかすれた声。「あしたがいい日でありますように」。 ふざけんなよ、と唐突な怒りがわいてきた。勝手に病気を打ち明けて、優羽の気持ちを知っていた...

  • あしたがいい日でありますように #8

    どうやってアパートの部屋に帰りついたのか覚えていない。ほんとうにそんなことがあるんだ、と思った。 気がつけば優羽は自分の部屋のベッドに仰向けに横になり、なにをするでもなくスマートフォンのニュースサイトを眺めていた。現実からはじき出された心が、いつも通りの行動をとることで、現実に戻ろうとしているみたいだった。 我に返って、目を閉じる。「泣くなんてずるい」と言っただれかの声がよみがえる。そうだ、あれ...

  • あしたがいい日でありますように #7

    最悪の、最悪の、最悪の一日。店に入るまでのふわふわと高揚した気持ちはいったいどこへ消し飛んでしまったのだろう。 男性店員の「ありがとうございました!」を無防備に背中に受けて、優羽はぼんやりと空を仰ぐ。晩秋の、透き通った夜空に星がまばらに散っている。「優羽」 智伸の気づかわしげな声が聞こえた。声にむきなおり、小刻みに震える声で優羽は智伸に言う。「悪い夢だって言って。お願いだから、ぜんぶ冗談だって言...

  • あしたがいい日でありますように #6

    いくら考えても、どんな思いかたをしても、理不尽だとしか思えなかった。こんなのってない。こんなのってないよ。 どれだけ優羽が智伸を好きでも、智伸とはいずれどうしようもなく枝分かれした道を行くはずで。でも、それはこんなにはやくないはずで。こんなに突然のことでもないはずで。 つらいのは俺じゃないだろうが、と優羽は自分の心を抑えつけようとした。けれど、ひび割れのすきまから水が漏れてくるように、ひんやりと...

  • あしたがいい日でありますように #5

    入院先は?という問いに、近くの基幹病院の名を挙げる智伸の目を覗きこんで優羽は問うた。「どのくらいのあいだ?」 智伸がこんどこそ言い淀んだ。優羽の背中にぞわっと鳥肌が立つ。知らないだれかのつめたい手が、ひたりと張り付いたみたいだった。よくない返答がある、そう確信する。海老を口に運びながら、智伸は「すこし良くない病気が見つかってな」と返答になっていない言葉をごく軽い口調で並べてみせた。「……がん、とか...

  • あしたがいい日でありますように #4

    麻婆茄子とエビチリが運ばれてくると、急に空腹を覚えた。おなかすいた、とこんなふうに思うのは何か月ぶりだろう。智伸が取り分けてくれた皿を受け取り、「いただきます」と手を合わせて笑いあう。とても和やかな気持ちだった。 優羽は智伸の好みの食べものも、きれいな箸の持ちかたもよく知っている。それとおなじくらい、智伸が自分のことを知っていればいいと思う。ちょうど、ぴったり真ん中でつりあった天秤みたいに。 け...

  • あしたがいい日でありますように #3

    「優羽、なに食いたい?」 スマートフォンで周辺の飲食店を検索しているのであろう智伸の横顔が、人工のあかりに仄青くぼんやり浮かんで見えた。肉?魚?というせわしない問いかけに、智伸とだったらなんでもいいよ、と答えたいのを飲み込む。「中華料理って選択肢はあり?」「ありありのあり!」 優羽にむけて屈託なく笑う優しげな顔を留めておきたいと思う。心のなかにしか、この恋は留めておくことができないから。想う気持ち...

  • あしたがいい日でありますように #2

    「優羽、どうしたの?背中が疲れてる」 あかるい声がすこし曇って、怪訝そうな色合いを帯びる。振り返って見遣ると、ブレーキ音の主はやはり、高校時代からの友人、仙田智伸(せんだしのぶ)だった。お互い25歳になるから、もう10年来のつきあいになる。 スーツ姿でかばんを前かごに突っ込み、自転車に乗っているところを見ると、どうやら勤務している中学校からの帰路だろう。優羽の頬が軽く緩む。ほんのわずかに。決して悟...

  • あしたがいい日でありますように #1

    最悪の、最悪の一日だった。 残された最後の気力をぞうきんみたいにぎゅうぎゅうに振り絞って「お疲れさまです。お先に失礼します」と全方位的に退勤のあいさつをし、バックヤードと外気とを隔てる扉を閉めた。とたん、優羽(ゆうは)は重く、長いため息をつく。反動で身体がぺちゃんこになりそうだ。 ほんとうに心底ついていない一日だった。勤務中、優羽が接客したテーブルに最低値でも三組、こまごまとしたクレームをつけて...

  • いつか君を恋と呼べたら 《最終話》

    そろりと生絹の背中に腕をまわして抱きしめかえした。黒いコートの背中をぎゅっと握る。生地が碧生の手のなかでやわらかにたわむ。生絹の心を丸ごと手で握ってしまったような気がした。「愛してるよ、碧生。愛してる。俺のそばにいてくれてありがとう。あのころも、いまも」 ほろほろと生絹にかけられた傷の呪いが解けていくのを手のなかで感じながら、碧生は何度もうなずいた。碧生がほしいという熱を帯びた生絹に抱きしめられ...

  • いつか君を恋と呼べたら #74

    夕方まで箱根をぶらぶら散策して、さて帰ろうかとコインパーキングで車に乗り込もうとしていたときだった。 碧生、ととてもやわらかに名前を呼ばれてドアから手を離した。どこかほかに行きたいところでもあったのかな、と振り返って生絹を見あげるとなんの前触れもなく抱きしめられた。 背中にまわる生絹の腕。生絹のにおい。五感のぜんぶで驚いて思わず身じろぐと、ますます腕に力がこもる。夕暮れの光のなかできつく抱きすく...

  • いつか君を恋と呼べたら #73

    箱根旅行に出かける当日は、よく晴れた朝を迎えた。生絹と出かけるときはたいてい晴れている。ひょっとして晴れ男なのかな、などとつらつら思いながら早朝の駅前で生絹の車を待っていた。首に巻いた濃い灰色のマフラーは生絹が以前くれたものだ。 なめらかに駅前ロータリーに滑り込んできた車の助手席に乗ると、車内はいつものように清潔に整えられている。そう、こういう几帳面なところも知った。 いろいろなことがあったよね...

  • いつか君を恋と呼べたら #72

    月に一度か二度、生絹と予定をすり合わせて外出するようになった。 生絹は碧生を車で迎えに来る過程がよほどうれしいらしく、たいてい碧生の部屋の最寄りの駅まで黒いヴィッツを走らせてやってくる。いろいろなところに出かけた。夏の緑あふれる自然公園や、マイナスイオンが目に見えそうなほど涼しい谷底の渓流、色鮮やかに燃え立つような木々を眺めた紅葉狩り。 生絹はどこへ行っても楽しそうにしている。それは碧生もおなじ...

  • いつか君を恋と呼べたら #71

    「うちに……うちに泊まればいい」 ゆっくりと、しごくゆっくりとそう言う声が、それでも振り払えないかすかな迷いを帯びていて、申し出を断ればひどく生絹を傷つけてしまうだろうことがわかった。碧生自身もきっと傷つくことも。だから碧生はスマートフォンをかばんにしまい、生絹に微笑んでみせた。「じゃあ、お言葉に甘えようかな」 生絹の頬のこわばりがかすかに緩んだ。 俺がソファーで寝るから碧生はちゃんとベッドで寝て、...

  • いつか君を恋と呼べたら #70

    「ごめんな」という生絹のその言葉を潮に、碧生の目から涙があふれた。感情の波に揺られたというよりは、謝らせたことが情けなかった。 滲んだ視界のなかで、涙がほとほととソファーに落ちていく。迷うように握ったり開いたりしていた生絹の手のふるえる指が碧生の頬に触れる。すっと涙をぬぐわれると、悲しいのにうれしかった。 ごちゃ混ぜになった気持ちのまま、生絹の肩に顔をうずめた。碧生の涙が生絹のシャツをすこしずつ...

  • いつか君を恋と呼べたら #69

    「……これ、なんで『E.T.』?」「俺、この映画好きなんだよ。小5のとき、父親と最後に観た映画だからかな」 言いながら、生絹は画面から碧生のほうに視線を移した。「碧生とは、はじめて一緒に観る映画だな。いつか、俺んちで碧生と映画を観てみたかった、ずっと。夢がかなったよ。わがままにつきあってくれてありがとう」 ひと言ひと言刻むような言いかたに、碧生ははっと身じろぎした。 夢をかなえること。わがままを言うこと...

  • いつか君を恋と呼べたら #68

    生絹に告げるべき言葉を探して碧生が考え込んでいると、ふいに生絹が口を開いた。「なぁ、碧生。いまから俺んち来るか?」「えっ!?」 素っ頓狂な碧生の声に、生絹が肩をふるわせて笑った。ひどい、と碧生は冗談半分、もう残りの半分は本気で抗議する。生絹はしばらく笑ったあと、一転してひどくまじめな顔で碧生を見て、口をひらいた。ふたりのあいだを、すこし強い春の夜風が抜けていった。「俺は、がんばって碧生に触れられ...

  • いつか君を恋と呼べたら #67

    東京で5度目に生絹と会ったのは、桜のつぼみがやわらかくほころびだすころの土曜日のことだった。 夕方から少し早い花見をふたりで楽しんだあと、碧生が予約した桜並木を望む居酒屋でのんびり飲んだ。 居酒屋を出て生絹がちいさく歌う鼻歌が、ご機嫌に酔ったときの癖なのだと碧生はもう知っている。なんという歌なのかは教えてもらえなかったけれど、碧生ももうおなじメロディーをなぞることができる。 あてどなく並んで歩き...

  • いつか君を恋と呼べたら #66

    それからも生絹は碧生にちょこちょこと連絡をよこした。他愛もないやりとりがうれしくて仕事の合間にスマートフォンを確認するのが癖になった。 きょう昼ご飯を食べた蕎麦屋がめちゃくちゃおいしかったから今度いっしょに行こうな。あしたは雪が降るんだって、楽しみなような、嫌なような複雑な気持ちだな。けさ、ひさしぶりに野良猫を見たんだけど、猫さま効果かな、仕事を定時であがれたんだ。 日々のなんということもない文...

  • いつか君を恋と呼べたら #65

    透明にきらきらと光る水面でしずかに波は寄せて返している。後悔が繰り返し胸のなかで行きつ戻りつするように。いつか潮が引いたとき、その向こうへとわたることはできるだろうか。その先にはなにがあるんだろう。「腹が減ったな」 物思いに耽りながらぼんやり海を眺めていると、ふいに生絹が言った。時計を見るとお昼どきを過ぎている。急に空腹を覚えた。 昼めし食いに行くか、という生絹にうなずいて立ちあがり、護岸ブロッ...

  • いつか君を恋と呼べたら #64

    「きれいだな」 ふっと洩れたような生絹の言葉に碧生はうなずいた。「大人になっても、きれいなものをきれいと言える人でいたかったんだ」 かすかに肩を揺らした生絹がぽつんと言葉を落とす。碧生から視線を外して、海を見遣った。俺、さんざん汚いことしたけどな、と言って軽く笑う。 碧生はちらりと海を映すその目を見た。すこし苦しそうな灰色がかった瞳がきれいだと思う。 まっすぐ海を見たままの生絹に碧生は問うた。「……...

  • いつか君を恋と呼べたら #63

    車を発進させた生絹に「どこへ行くの?」と訊ねると「海にでも行くか」と返ってきた。 あぶなげなく車を走らせながら、生絹は楽しそうに話している。アスファルトが白っぽく光を跳ね返して、その先へと生絹は車を進めていく。「碧生とこんなふうに出かけられるなんてな」「そうだね」「返信読んだとき、うれしかったよ」 碧生が首をかしげると「『会えるよ』じゃなくって『会いたいな』って送ってくれたろ。俺のこと、好きでい...

  • いつか君を恋と呼べたら #62

    薄手の白いニットと細身のジーンズ、黒いスニーカーのうえにコートを着て、つぎの日の昼前に自宅の最寄り駅で生絹を待っていた。よく晴れた日で、頬に冬の風が痛いくらいだった。 駅前では、たくさんの人待ち顔のコートやジャケットがそれぞれの相手を探している。 生絹は約束の10時半ぴったりに、黒いヴィッツを慣れた様子で碧生のまえに停めた。助手席側のドアを開けて「碧生、待ったか?」と言う。「ちょっとだけ。僕がはや...

  • いつか君を恋と呼べたら #61

    生絹からLINEのメッセージが届いたのは、東京に帰って二週間後の土曜日の朝のことだった。一日の仕事にとりかかろうと背もたれに寄りかかって背伸びをしていたところで、スマホがふるえた。 『あした会えないかな?碧生の都合がついたらでいいんだけど』という文面に素直に心が躍った。すこし考え、シンプルに『会いたいな』と返信して、急いで頭のなかで仕事の予定を組みなおす。きょうを詰めてがんばれば、あしたは一日ゆっく...

  • いつか君を恋と呼べたら #60

    ふるさとを発つ電車に乗ったのは、翌日の朝早くのことだった。生まれたばかりの朝の光がプラットホームに降り注いでいる。 コートの裾をつめたい風に煽られながら碧生はちいさくため息をついた。 後ろ髪を引かれる。もっとこの地で生絹と話をしてみたかった。おなじ東京住まいだと聞いたから会えないわけではないだろう。むしろ、連絡をくれると言っていた。 けれど、生絹が、碧生が、それぞれ傷を負ったこの土地で話すことに...

  • いつか君を恋と呼べたら #59

    生絹の告白が耳に心地いい。けれど。手紙を手にしたまま、ぎゅっと握った碧生のこぶしがひざの上でさらにきつく握りこまれた。単純に喜びに身をゆだねるのはまだ早い。重ねて訊ねる。それなら、と切り出した声がみっともなく掠れた。「いまなら、僕への気持ちを恋って呼べる?和夏さんとのこと、すこしは薄れた?」「正直に答えていい?」 うなずくと、生絹は考え考え、まるで散らばった細かいビーズに糸を通していくように、き...

  • いつか君を恋と呼べたら #58

    途中から、手紙を持つ碧生の手はふるえた。悪い魔法のからくりを教えてもらったようだった。和夏さんとのことが、生絹をこんなに縛りつけていたなんて。そして。「僕たち、ちゃんと通じ合っていたんだね」 碧生の口からほろりと砂糖菓子のような言葉がこぼれた。 碧生の一方的なはじめての深い片想いなのだと思っていた。けれど、こんなに想っていてもらえていただなんて。 もう一度目を通そうとすると、伸びてきた生絹の手に...

  • いつか君を恋と呼べたら #57

    『でも、正直なところ、金はどうでもいいんだ。たぶん、なんとかはなっているんだろうし。 いま気になっているのは、碧生のこと。二十歳の碧生は、俺のそばにいてくれているか。そばで笑っているか。 いまの俺は碧生を大事にしたいけれど、うまくできないでいる。たくさん、数え切れないほどたくさん傷つけて、それでも碧生が俺から離れていかないのを見て安心してる。何様だよって俺自身思うのに、碧生がひと言も責めないからこ...

  • いつか君を恋と呼べたら #56

    つたない手紙に思わず笑みがこぼれる。17歳とはこんなにやわらかな生きものなのか。 なんどか繰り返して読むうちに、けさ、ふるさとに帰ってきてから今夜ここまで、とてつもなく長い旅をしてきたような錯覚に陥った。ふと見遣ると、生絹も自分の手紙から顔をあげていて視線がかちあった。「碧生の手紙、読みたい。よかったら、読ませてくれないか」 生絹の言葉に手のなかの17歳の想いを差し出した。タイムカプセルが見つからな...

  • いつか君を恋と呼べたら #55

    食事をとりながら碧生は昼間受け取った封筒の存在を思い出した。かばんから、ひょんなことから過去の自分から届いた手紙を取り出す。血の通わない封筒が、ほのかにあたたかい気がした。「そうだ。生絹、手紙。まださっきの手紙を持ってる?」 うなずいた生絹が端が黄色っぽく褪せた封筒を碧生とおなじようにかばんから取り出した。まだ読んでないんだけど、と言いながら碧生のものよりほんのすこし厚い封筒を照明に翳すようにし...

  • いつか君を恋と呼べたら #54

    「僕にはずっと生絹がまぶしくて、ずっと生絹の言葉がうれしかった。ほかにどんな出会いがあったとしても生絹だけがほしかったと思うよ」生絹が戸惑ったようなまばたきをふたつする。「まぶしくて……ってどうして」「生絹はいつだって僕の気持ちを軽くさせてくれた。大切な約束をしてくれた。生絹が好きだから、ひとつひとつがすごくうれしかったんだよ。きっとなにもかも、生絹といっしょにいれば叶う気がした」 ともにあれば、ど...

  • いつか君を恋と呼べたら #53

    「ありがとう。……変わったな、生絹」「いやー、17歳のころの俺のまんま、なんにも変わってなかったら相当やばくない?」「そうかな……そうかも」 碧生がすこし笑うと、日本酒を口に運んでいた生絹はくらりと真顔になった。そのまま、杯を置きすっと碧生に頭を下げてくる。「あのころ、ほんとに碧生だけが俺の支えだった。出会ってすぐわかったよ。碧生は健やかで優しくてまっすぐな若木みたいなやつだって。そばにいたら俺まで正し...

  • いつか君を恋と呼べたら #52

    黙り込んだ碧生を生絹が「現在進行形で腹減ってねえ?冷めるまえに食おう」と促した。箸をつけると、たしかに海鮮の味が活きた料理はおいしくて、ふたりしてしばらく食事に没頭した。えびの天ぷらを口に運びつつ、生絹が訊ねる。「そうだ、そういや碧生、インテリアコーディネーターの仕事やってるんだって?有名だよな。ときどき雑誌で顔を見ることがあるよ」 碧生にとって働くことは帰りたい家を探すようなものだった。 ああ...

  • いつか君を恋と呼べたら #51

    生絹の戸惑ったような沈黙に「合わないって、実の親子にもあるんだね」と苦笑交じりに言った。そう、笑える。これはもう、笑ってしまってもいいことなんだ。もう遠い昔に過ぎ去ったこと。望まないと決めたこと。 幼少期、食事も睡眠も充分に与えられた。暴行を加えられることも、罵られることもなかった。 けれど、抱きしめられたり、愛情を示す言葉をかけてもらったりしたこともない。みんなが親に手をつないでもらっていた幼...

  • いつか君を恋と呼べたら #50

    「碧生だけがいればいいんだ、って何回も言いつづけてくれただろ。それがすごくうれしかった。それでかな、生絹のことを特別に想うようになっていったのは。そのあと、進路希望調査票が配られて僕が悩んでいたときに、将来はふたりで、大学に行くよりもっとおもしろいことをするって……なんだってできるって、生絹が言ったんだ。そのときはっきり自覚した。生絹に恋をしているって。一生この気持ちを抱えていくんだろうな、って。生...

  • いつか君を恋と呼べたら #49

    「恋愛という意味では、これっぽっちも好きじゃなかったよ。だけど、ずいぶんと間違ってはいたけど、すごく優しい人だったとは思う。やりかたが根本からまずかったけど、俺のこと、それでもちゃんと大事にしてくれたしな。正しい人ではなかったけど、あのころの俺はなにをしてでも、正しい大人より優しい大人にそばにいてほしかった。そう、うん、優しい人だったよ、すごく」「そっ、かぁ……」 吐き出した相槌が淡く溶ける。 和...

  • いつか君を恋と呼べたら #48

    料理が運ばれてくるまでのあいだ、ぽつぽつと近況を報告しあう。 生絹も碧生とおなじく東京暮らしで、大学卒業後は都心にある企業で働いているらしい。高校生のときに大幅にまっとうな軌道から逸れた生絹の人生が、どんどん脱線していかなかったことに碧生は胸を撫で下ろした。 踏みとどまったのは、生絹の努力と忍耐のたまものだろう。そのなかで、どれだけつらい思いをしてきただろう。きっと碧生には想像も及ばないものなの...

  • いつか君を恋と呼べたら #47

    スマホの振動は、生絹からのメッセージの着信を伝えるものだった。 『連絡が遅くなってごめんな。駅前で待ってる。気をつけてこいよ』 生絹からのメッセージに急いで返信しながら、「ちょっと出てくる。遅くなるかも」とリビングに短く声をかけた。玄関を出るとき、リビングから聞こえるか聞こえないかの声量で届いた「……ほんっと、かわいげのない子」という声が、ちくりとちいさな針のように背中に刺さった。 バス停に着いた...

  • いつか君を恋と呼べたら #46

    同級会が終わって、バスで実家へとむかった。ちいさな門をくぐる。薄闇に沈んでいる真冬のいまはからっぽの植木鉢に埋め尽くされた庭も、すこしくすんだ白い外壁も、駅前以上になにも変わっていないように思えた。玄関ポーチの照明が碧生を察知し、ぽうっと灯る。 玄関の扉を開けて、碧生は一瞬だけ言葉に詰まった。それでもすぐに、あたりさわりのない「ただいま」を投げかけるとキッチンから「おかえりなさい」と返ってきた。...

  • いつか君を恋と呼べたら #45

    「汚い手で触るな!」 最後に生絹に浴びせてしまった言葉を悔やんでも悔やみきれない。どうして、どうしてよりによって。 せめてもう一度会いたい。謝りたい。いままでありがとうと言いたい。好きだったと、大切だったと伝えたい。叶わない願いが碧生の後悔を深めていく。まるで、暗くて深い洞窟の中にふらふらとさまよいこんでいくような後悔だった。明けない夜はある。 取り返しのつかない後悔を抱えて、碧生はそれでも生き...

  • いつか君を恋と呼べたら #44

    事件のあと、碧生にとっては地獄のようだった冬休みがあけると、碧生たちの高校は異様としか言いようのない雰囲気に包まれていた。 生絹の名はタブー視され、みんなが「あいつ」とか「あの子」とか遠回しな言いかたをしながら、それでも校内のあらゆるところが事件のうわさ話で持ちきりだった。生絹の名前からどうやって出身校にまで辿りついたのか、学校のホームページのメールフォームや掲示板には『風紀の乱れた高校』とか『...

  • いつか君を恋と呼べたら #43

    どれくらいのあいだうねる感情の渦に互いに心をゆだねていただろう。 ぶつけるようなまなざしになっているに違いない、生絹を見つめる。探すまでもなくいくつもの面影を見出すことができる、相変わらず整った顔立ち。 「会いたかった」ともう一度、言葉にしようとしたそのとき、生絹の我に返ったような声にはっとした。「いっけねぇ!俺、仕事相手を待たせてるんだった」「えっ、あっ、ごめん」「碧生、スマホ出して。LINE交換...

  • いつか君を恋と呼べたら #42

    「……はい、はい、すみません。すぐにもど、うわっ!」 碧生が黒いコートの背中を掴んだ瞬間、おどろいた声をあげて生絹が通話中だったスマートフォンを取り落とした。すぐに拾い上げて「すみません。戻ったら現在の状況の説明をいたしますのでいましばらくお待ちください」と言う。 通話を切って、ぱっと振り返った生絹が碧生を見て笑いだした。碧生の好きなあの透き通った笑いかただった。いたって普通に、まるであのころ冗談を...

  • いつか君を恋と呼べたら #41

    「園田くん!園田碧生くん、いますかー?」 楽しげな声が自分を呼ぶ声にはっとする。封筒をひらひらさせながら幹事の男が碧生の名を呼んでいる。 軽く片手を挙げると前に進み出て、過去からの、生絹と口論になった翌日の自分からの手紙を受け取った。かさりと右手のなかで、想像を裏切ってそれはとても軽かった。自分の気持ちのすべてを込めて生絹宛てに書いたはずなのに、こんなに軽いなんてあり得るんだろうか。「つぎは、えー...

  • いつか君を恋と呼べたら #40

    報道を目にしながらほろほろと涙をこぼす碧生をいちばん打ち据えたのは高校二年の春……まだ書かれてから一年も経っていない、ついこのあいだ過ぎ去った季節……のこの記述だった。『aoと大学に行く約束をした。母親の婚約者に相談したら、好きなときにもっと抱かせてくれるんだったら学費を出してあげると言われた。そのくらいのことでaoとの約束を守れるならべつにかまわないと思う。大学を卒業したらaoともっとおもしろいことをた...

  • いつか君を恋と呼べたら #39

    生絹の、清らかな水の流れのような清冽な文字で記された心情や事実は、けれど目を逸らしたくなるくらい残虐で凄惨だった。『殴りかえそうと思えばできる、でもそれをしてしまったら自分の何かが壊れる気がする。きっともう、殴られるほうが殴るより楽なんだと思う』『給食のない冬休みはほんとうにつらい。空腹と寒さで死にそうになる』『勝手に炊飯器をつかったのがばれた。もう二週間も家で食べものを口にしていない』 そんな...

  • いつか君を恋と呼べたら #38

    事件はすぐにテレビで取り上げられるようになった。 和夏さんと生絹は警察が生絹の家に踏み込んだ際、蒼白な顔で立ち尽くす母親の目のまえ、生絹の部屋のベッドのうえで一糸まとわぬ姿だったという。話題性には充分すぎた。 大仰なコメントや性的マイノリティがどうのという専門家の見解、未成年者でしかも婚約者の息子に手を出した和夏さんへの因果応報だという糾弾。 第一報で報じられてしまった生絹の名前は一応伏せられて...

  • いつか君を恋と呼べたら #37

    口論のあと、生絹はいっさい碧生に話しかけなくなった。それでもよかった。生絹のあんなふうに傷ついた瞳を二度と見なくてすむのなら。ぞっとするような、底冷えのする心持ちにならなくてすむのなら。 生絹を失ってひとりぼっちになった教室がつらくて、実験棟や図書館に逃げ込んで時間をやり過ごすことが増えた。生絹と碧生を断絶に追い込んだ言い争いの翌日に書き、タイムカプセルに託した手紙がだれ宛てなのかという話題で盛...

  • いつか君を恋と呼べたら #36

    周囲が急にざわつき、長い長い回想から碧生は引き戻される。まるで海からひきあげられるグロテスクな深海魚のように。きょうの幹事の男女がタイムカプセルの蓋に手をかけたところだった。「では、開けまーす!」 凛とした声が冷え込んだグラウンドに響き、碧生は急いであたりを見渡す。そうだ、生絹を探さなければ。この同窓会に来た理由は、もう一度生絹に会いたいという、ただそれだけなのだから。こんなふうに記憶に溺れてい...

  • いつか君を恋と呼べたら #35

    「そっか、わかった」 ふっ、とみじかく息を吐き、かばんを掴むと生絹が教室を出ていく。毅然とした背中に、碧生より先に出ていくのが生絹なりの矜持の保ちかたなのだとわかったとたん、碧生はその場にうずくまってこぶしで床を叩いた。 もっとほかにやりかたはあっただろう、と思う。よくないことだと諭すとか、やめなよと忠告するとか。こともあろうに僕が選んだのは最悪のやりかただった。 かたかたとふるえる手が痛い。そう...

  • いつか君を恋と呼べたら #34

    なんて言ったの?と促すように生絹は碧生を見ている。おだやかに話そうと思うのに、だんだん語気が荒くなるのをどうしようもない。「最低って言ったんだよ。そもそも和夏さんは生絹のお母さんの恋人じゃないのかよ」 あぁ、と生絹がさらりとうなずいた。あいかわらず、薄い笑みを浮かべて。「そうだよ。和夏さんは俺の母親の恋人で婚約者。だけど、和夏さんはいま、俺のことのほうが母親より好きみたいだね」「なに、それ……なに...

  • いつか君を恋と呼べたら #33

    射貫かれた、碧生の心のいちばんやさしい場所が血を流している。生絹への純粋な恋情のある場所。それなのに、こんなに痛いのに、碧生の口からはすらすらと言葉が紡がれる。まるで事実にすぎない言葉を読み上げる機械のように。「いちどだけ、生絹に用事があって和夏さんといっしょに帰るところを追いかけたんだ。飲み屋街の端っこのホテルに入っていくのを見た」 無表情のままだった生絹がかすかに唇の両端を持ち上げ、うっすら...

  • いつか君を恋と呼べたら #32

    ついに決定的な言い争いをしてしまったのは、窓の外に細かな雪がちらつく、凍てつくほどに寒い日の放課後のことだった。この冬一番の冷え込みだといって朝からテレビがにぎやかに騒いでいたあの日。 教室に最後までふたり居残って、碧生の家で売り出されたばかりのゲームソフトで遊ぼうと攻略法を話し合っていた。生絹はいつになくよく笑っていた。めずらしく生絹が見せた年相応の子どもっぽい笑顔が碧生にはうれしかった。 教...

  • いつか君を恋と呼べたら #31

    和夏さんとのことが日常茶飯事だということ、そしてふたりがつきあっていることを碧生が知っていることに生絹は気がついてもいないこと、さらには碧生の気持ちにのほうには生絹が気がついていることをすこしずつ碧生は察していった。 放課後に和夏さんと帰っていく生絹の背中から、生絹の言葉の隙間から、態度にちらちら垣間見えるものから、自分にむけられるまなざしから。生絹の言動のあいだからそっと生絹の心をうかがってい...

  • いつか君を恋と呼べたら #30

    冷たく細い雨の降っていた翌日、生絹と顔を合わせるのが怖かった。もし、もしも、生絹の碧生に対する態度がなにかしら変わっていたらと思うと、胸の底で無数の羽虫が羽ばたくように不穏な、そわそわと落ち着かない気持ちがする。 たくさんの傘の花の咲く正門まえでは会えないまま、教室まで行っても生絹はいなかった。めずらしいな、と思いながらCDを手のなかでもてあそんでいた。 予鈴が鳴る。遅刻ぎりぎりで教室に滑り込んで...

  • いつか君を恋と呼べたら #29

    うそだった。ぜんぶうそだった。生絹の母親の恋人だと名乗った和夏さんも、「碧生だけがいればいいんだ」と言った生絹もうそつきばっかりだ。知っていたはずの現実がとけるように見えなくなっていく。わからなくなっていく。 頭のなかで整理しようと糸を引っ張ると余計に絡まっていくので、碧生は思考を放棄した。 左手首の火傷の痕がひどく疼いた。秋の夕暮れの弱い光が碧生を照らしている。泣きながら路肩にへたり込んでいる...

  • いつか君を恋と呼べたら #28

    漠然と、灰色がかった雲のような予感が胸に広がる。だいじょうぶ、だいじょうぶ、すこし寄り道して帰るだけなんだ。なにに対してだいじょうぶと言い聞かせているのかもわからず、碧生は必死にそう思った。 ゆっくりと先を歩くふたりはとても仲良さそうになにか話している。この先を見てはいけない、ここから先は見たくないと思いながらも、碧生の足は自然に和夏さんと生絹を追いかけてしまう。 生絹の名を呼べばいい。わかって...

  • いつか君を恋と呼べたら #27

    生絹の新しい父親になる和夏さんは、週に二回くらいのペースで生絹を学校まで迎えに来る。 シフト制勤務の会社に勤めていると語り、「生絹くんとふたりで話す時間がほしくて」と言う正門のまえの所在なさげな姿が、むしろ碧生たちよりおさない生きもののように思えた。けれど、生絹くん!と呼ぶよく通る涼やかな声も、碧生に対する丁寧な挨拶もにこやかな接しかたも、いつもはじめて会ったときの礼儀正しくておだやかな印象を崩...

  • いつか君を恋と呼べたら #26

    きっと、碧生は呆けたような顔で生絹を見ていたことだろう。ちょっと笑った生絹は手を伸ばして、碧生の左手首に指先でそっと触れた。ほっそりした指先がたどる、生絹がつけた碧生のちいさな火傷の痕。碧生が生絹といっしょにいるための傷。生涯消えない傷は、どんな約束より強固な絆に思えた。「なんだってできるよ、俺たちふたりなら。進学しても、就職しても、いっしょにいような。碧生と俺でいろんなことをしよう」 碧生を覗...

  • いつか君を恋と呼べたら #25

    第一回の進路希望調査票が配られたのはその翌日だった。生殺与奪の権をたった一枚の紙に握られた気分になる。理不尽だ。これから数か月、答えのない迷いに悩まされるのかと思うと一気に憂鬱になってしまう。自分の行く道なんていったいどうやって決めればいいんだろうか。この紙切れ一枚に書く内容で、人生が変わってしまうなんて。 生絹に「進路のことを考えるとお腹痛くなりそう」と碧生がこぼすと軽やかな笑い声が降ってきた...

  • いつか君を恋と呼べたら #24

    「生絹くんから碧生くんの名前はよく聞いてます。いつも生絹くんがお世話になってます。それで、えーっと……」 生絹が『和夏さん』と呼んだ男性の笑顔が、すこし照れたようなものになった。「僕は生絹くんのお母さんの恋人で婚約者です。村岡和夏といいます」 丁寧でおだやかな物腰が、どことなく相手を安心させる人だった。こんな人があたらしく生絹の家族になるのなら、それはとてもいいことだと思えるような。碧生は和夏さんに...

  • いつか君を恋と呼べたら #23

    和夏(わか)さんをはじめて見かけたのは、二年に進級したばかりの春先、碧生が生絹と連れ立って帰ろうとしていたときのことだった。示し合わせたわけでもなく、入学当初から生絹も碧生も部活動の類には属していない。青春めいたものを部活動に求める気持ちがふたりとも薄かったからだ。 春の夕暮れの淡い光のなかで正門前にどこか不安そうにたたずんでいた、高校生といっても通じそうなくらい細くて小柄な男性が彼だった。また...

  • いつか君を恋と呼べたら #22

    生絹とは二年生に進級したときにもおなじクラスになった。心のどこかでそうなるような気がしていたから、とくに驚きもしなかった。クラス分けが張り出されている掲示板のまえで前後になったふたりの名前を見つけたとき、生絹とはこうして一生そばにいるのかなぁとひどくしずかに凪いだ気持ちで思った。それでも、春の光のなかで、おだやかな湯にたゆたうような幸福を覚えた。 生絹。傍らで「またおなじクラスだな」と言ってうれ...

  • いつか君を恋と呼べたら #21

    担任のその提案に当初は、子どもっぽいとか、その程度で大学受験を乗り越えられるのなら苦労しないとか、高二の同窓会ってなにか意味があるのかなとか、ぜんぜん乗り気でない意見ばかりが目立った。至極もっともだ、と碧生も思った。手紙を書こうにも三年後という微妙なタイムラグはどうなんだろう、と。 けれど、つぎの週のロングホームルームで担任が便箋と封筒の束を抱えて教壇に立ったとき、なぜか全員が厳粛といっても差し...

  • いつか君を恋と呼べたら #20

    寒風の吹き抜けるグラウンドの片隅には長机が置かれ、そのまわりを高校二年生のときにおなじクラスだった男女が取り囲んでいる。ほとんど全員の視線が長机のうえの一抱えはあろうかというぼろぼろのごつい金属の箱にむけられている。碧生たちのタイムカプセルだ。13年間ものあいだ、漂流し続けていた17歳の自分たちのかけら。 もうずっと長いことその存在すら忘れていたのも関わらず、碧生の心はそわそわと落ち着かない。「それ...

  • いつか君を恋と呼べたら #19

    「ねぇ、どうして?」 やっと絞り出したふるえる声で碧生は訊ねた。傷つけられたのは碧生のはずなのに、なぜか生絹がひどく傷ついている気がした。「どうして……どうして、こんなことするの?」「な、これで、碧生はいつだって左手を見れば俺を思い出せるんだよ」「こんなこと、しなくても……忘れたりしないのに」「言葉だけの約束は弱いんだ。ちゃんと物理的に残しておかないと。俺には碧生以上に大切なやつがいないんだから。碧生...

  • いつか君を恋と呼べたら #18

    うたうような調子で、楽しげに生絹が碧生の名を呼ぶ。その声が魂がここにないようなまなざしとひどくちぐはぐで、碧生の背を悪寒が這いあがった。どうしたの?訊きたいそのひと言が、どうしても出ない。「碧生、手を貸して」 悪い魔法というのは、ああいうふうなものなのだろうか。碧生はうっすらといやな予感を覚えながらも、催眠術にでもかかったように生絹の手のひらにゆらりと手をゆだねた。 つぎの瞬間、脳天まで貫くよう...

  • いつか君を恋と呼べたら #17

    生絹が「化学室に参考書を忘れたからいっしょに取りに行こう」と碧生を誘ったのは、高校一年生の秋、碧生が生絹と出会ってもう半年以上がすぎようとしていたころの放課後のことだった。 面倒だなぁとすこしだけ思いながらも、ところどころが欠けているすのこをがたがた言わせながら渡り廊下を連れ立って歩いて、化学室のある第三校舎までむかう。もうすぐ陽が落ちようとしていた。燃え立つようなオレンジ色の陽はすべてをあま...

  • いつか君を恋と呼べたら #16

    バスのアナウンスがのどかな声でつぎは高校前、と告げる。バスのなかの泡のようなざわめきがひときわ大きくなるとともに、碧生はふっと冬枯れの木々が空に梢を伸ばす景色に引き戻された。また回想にふけっていたことに気がついて、しっかりしろと自分に言い聞かせる。 それなのに、心のなかで厳重に封をして、閉じ込めて押し込めて普段は忘れたふりをしている数々の記憶の蓋が、丘野と言葉を交わしたのを皮切りにつぎからつぎへ...

  • いつか君を恋と呼べたら #15

    けれど、碧生はどれだけの理不尽な束縛を受けようと、生絹のそばにいたかった。そばにいられさえすれば、ほかの級友たちの目も気にならない。クラスで孤立してもいい。ふたりぼっちでいい。 自分でももう、どうしてなのかわからなかった。二重底になった心の奥では、芽生えはじめていた自分の本音の帯びる熱に気づいていたのかもしれないけれど。ただそのときは、親愛からも友愛からもかけ離れたところで、「碧生だけがいればい...

  • いつか君を恋と呼べたら #14

    たとえば。 生絹といつものように碧生の席であちこちとピンポン玉みたいに話題を変えながらだらだらと喋っていたら「おーい、園田」と呼ばれて振り返った。クラスメイトで読書が好きだという男子が、二週間ほどまえに生絹に黙って碧生が貸した本を片手に歩み寄ってくるところだった。 たったそれだけで生絹の切れ味のよい不機嫌の気配を感じて、胸の奥がひんやりする。 いつも寡黙で教室でひとり本を読んでいるのがうそのよう...

  • いつか君を恋と呼べたら #13

    生絹の碧生に対する束縛の例をあげつらえば、それはもうきりがなかった。 たとえば、週明けの月曜日。「おはよう」と声をかけた瞬間から生絹の機嫌がひどく悪いので、おそるおそる「どうかした?」と訊ねた。針のような声が碧生の心に突き刺さった。「碧生、お前、きのう井上たちとみどり町のショッピングセンターにいただろ」 碧生と目を合わせようともせずに生絹は言う。背中をひやりと、とてもつめたいものが這った。 たし...

  • いつか君を恋と呼べたら #12

    ひとりぼっちの生絹。人付き合いの苦手な生絹。けれど、それでも碧生を選んでくれた。 そう思えば思うほど、びっくりするほど賢いのにうまく立ち振る舞えない不器用な生絹がいとおしかった。そばにいたいと思った。 生意気、気取ってる。ひそひそとささやかれる、あるいは聞こえよがしな生絹への反感を耳にするたびに、「だいじょうぶだよ」と視線だけで碧生は生絹に伝えた。その視線にこたえて、生絹はいつもかすかに笑って...

  • いつか君を恋と呼べたら #11

    生絹はまるで口癖のように気負いない口調で言う。「碧生がいれば俺はそれでいいから」と。 勇気を最後の最後まで振り絞るような女子からの告白をあっさり断ってしまうとき、口さがないクラスメイトの「瀬尾って生意気じゃね?」という言葉を偶然聞いてしまったとき、「碧生だけがいればいいんだ」とむしろ碧生を安心させるように繰りかえしそう口にする。 まるで選ばれた人間だけが聴ける福音のような言葉だと碧生は思った。生...

  • いつか君を恋と呼べたら #10

    ほかのクラスメイトのまえではいつも涼しげな顔をして、つねに他と一定の距離を保っている生絹が、碧生にだけ笑顔や不機嫌な顔を見せるようになるのに時間はかからなかった。その笑顔に、ぶすっとした顔に、特別な友達だと言外に言われているようでただうれしかった。いまだに、碧生のどこが彼のお気に入りだったのかはわからないけれど。 碧生のほうもすぐに生絹に夢中になった。 ユーモアと怜悧さを兼ね備えた生絹と話すのは...

  • いつか君を恋と呼べたら #9

    ふっと回想から我に返ると、バスのなかはなんとなく聞き覚えのある名前を呼びあう声と「ひさしぶり!」「元気だったか?」などというやりとりに満ちていた。乗車時には気がつかなかっただけで、碧生をふくめ、地元組ではない元クラスメイトがほとんど、同級会会場に指定されている母校にむかうこのバスに乗り合わせているようだった。丘野も通路を挟んでむこうの栗色の髪の女子となにやら熱心に話し込んでいる。 にぎやかな車内...

  • いつか君を恋と呼べたら #8

    なんとか笑いの波を飲み込んだらしい彼は、それでもまだ声をふるわせながら言った。「頼む。『もめん』はやめてくれ。俺、瀬尾もめんなんて名前いやだよ」「……じゃあ、これ、名前なの?」「そう。これで『すずし』って読む」 変わった名前、とちいさくつぶやく。声を拾っただろうに、生絹は気分を害するふうでもなく「だろ?」と笑って「4年前に死んだ父親が絹織物を扱う仕事しててな。そこにちなんでるんだ。生絹ってのは生糸...

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