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きもっ玉母さんタイプの女性スタッフ まずは僕たちが支援している人たちが不登校やひきこもりになった原因というものは、同級生とのコミニュケーションが取りづらくて、仲間外れにされたり、不安が強くなって登校できなくなったタイプの人たちがほとんどです。 だったら、同級生とのコミニュケーションが取れる様にすることが周りで支援する人たちが第一に考えるべきことです。 フリースクールでも通信高校でもなんでもいいんですけれど、その点を考えた上での支援があるかどうかです。 それが最も大切なことなのですから。 コミニュケーションを取れる様にする支援があるかないかを調べて、なければそんな支援をしてくれる団体を探すしかな…
青木の写真はこれしかないです 何度も同じことを書いています。 でも大切なことなので書きます。 URUHOME(ウルホーム)を運営する株式会社ドリームプランニングが〈小中学校の不登校に関する調査〉をおこないました。 その中に「もし我が子が不登校になったらどうしますか?」という項目がありました。 その質問に対する上位3つの答えが 1、「フリースクールを含めて転校を検討する。」 2、「学校に行く代わりの勉強をさせる。」 3、「原因の徹底究明&解決に務める。」 でした。 同世代から遅れてしまわない様にと、学校に行く代わりの勉強をさせることは大切なことです。 転校を検討するということは、いじめに対してす…
やり切ったと自分が思うまでやりましょうよ!! あのう、私お邪魔じゃないですか? 1人だけ蚊帳の外な私です。 中学から不登校で、通信制高校を出た後ひきこもってしまった少年は、フィリピンに来て、日本では外すことができなかった、サングラスとマスクを外したまま過ごしました。 そして、ボクシングやジムで体を鍛えたい。 サーフィンもやってとても楽しかった。 朝から夜まで英語漬け。 そして秋からフィリピンの学校に挑戦するということらしいです。 すごいな。 青年は6年間一人暮らしをしていたアパートから出られずに、カーテンを引いたままにして、そっと息を殺して生活していました。 ブログで私や東大さんの頑張りを見て…
50代でフィリピンの大学に入学しました。 僕も青木も、ヒロさんも、テルさんも支援したすべての人たちが、学校に戻りたかった。 みんながいる場所に戻りたかった。 「学校に行けなくなってせいせいした。」なんて発言35年間の支援で一度も聞いたことがない僕たちです。 みんながいる場所に戻りたかった。 フリースクールとフリースペースにも行ったことがあるヒロさんは、「悪くはなかったけれど、なんか違うんだよね。」と言っていました。 言い換えれは、そこにはみんなはいないからでしょうか? 「集団行動でのやり方やクラスの同級生とどの様に会話すれば良いのか? そんなことがわかっていれば、みんなからいじめられはしなかっ…
不登校だった2人があちらこちらで講演会をしました 東大で不登校って聞いたことないのではないですか? 東大までいきながらしかも優秀な成績だったのに不登校になった。 不登校というと普通は小学校や中学校の期間のことを想像しますよね。 東大を出た後に進んだ東大大学院で不登校って・・・・。 だれも想像すらできないでしょうね。 だから余計にはずかしてく仕方がなかった僕です。 東大大学院の研究室でまわりの研究生仲間から、毎日の様に責められつづけれていた僕です。 日が経つにつれて彼らの言動が激しさを増してきました。 とうとう怖くなって大学に通えなくなった僕です。 だからといって僕は東大を恨んではいません。 当…
僕は東大を卒業した後、東大大学院に進みました。 そこで研究をしはじめたのです。 研究室で光合成に関する研究に取り組んでいました。 その研究の先には、食糧難に対する答えが見つかるはずだと研究室の全員が日々とても高いモチベーションで研究にのぞんでいました。 研究は1人の天才の力で成し得るものではありません。 その影にはたくさんの人たちの協力があるのです。 研究に必要なのは協力なのですから。 研究に必要なのは協力体制。 1人の研究員は自分の研究はもちろんのこと、他の研究員のことを考えながら、時には研究室全体のことも考えなくてなりません。 と書いて・・・。 それは僕には無理だったということ。 今なら、…
インターナショナルハイスクール入学前に映画に出たことも良かった!! ヒロさんは服を破られたり、教科書をどぶ川に捨てられたり、机の引き出しの中に動物の死骸をいれられたりしたそうです。 それでも彼は小学校に行き続けました。 学校が楽しかったそうです。 こんな目にあわせられても? 「だれかがギャグを言って、みんなが一斉に笑う。あの瞬間は最高だ。」と僕に話してくれたことがありました。 そんなヒロさんも集団暴行を受け怪我をしたことから、学校に行けなくなりました。 中学ならいじめられないかなと思ったヒロさんです。 高校ではいじめはないだろうと希望を持ったヒロさんです。 結局彼は「死んでも学校なんか行くもの…
3月度 不登校・ひきこもり・英語留学相談会 下記の日程で無料相談会をおこないます。 日時 3月15日(土) 10:00〜21:00 3月16日(日) 10:00〜21:00 場所 品川プリンスホテルNタワーラウンジ (JR品川駅下車高輪口方面徒歩2分) 1人2時間以内でお願いします。 費用 無料です。 相談内容 〈不登校〉〈ひきこもり〉〈発達障害〉〈留学〉に関することでしたらなんでも ・4月から進路が決まっていないお子さんの進路先として英語留学を考えてみませんか。 ・今学校に行けていない人へ オンラインで英語の勉強をしませんか。 現在5名の方がオンラインで英語の勉強に励んでいます。 ※ 海外留…
7年前の僕です ということです。 36年間の支援活動で1000人近くの不登校やひきこもりの人たちと関わってきた僕たちです。 関わった彼らは親を憎んではいないのです。 相談会でよく耳にするのが、苦しんでいる子どもに何もやってやれなかったというご両親の後悔です。 きっと子どもは親を憎んでいるに違いないと悲しんでいる親御さんの姿を目にします。 それで、元不登校で30年間ひきこもった当事者の僕が言います。 親を恨んでいる子どもにあったことはまずないです。 もちろん不登校やひきこもっている子どもが親に対してフレンドリーな態度を取る人もまずいないということです。 結論としては、そんなことを心配する必要はな…
ひきこもりから回復して、30年ぶりに訪問できました 不登校やひきこもりの原因が、他者とのコミニュケーションがうまく取れないことと僕は昨日のブログで書きました。 もちろん僕たちが36年間の支援で関わってきた1000人近くの人たちを見てそう思ったのです。 文科省の調査では無気力・不安が原因の半数以上とのことです。 確かに僕をはじめ、支援したきた人たち全員無気力で不安になやまされていました。 どうして無気力や不安になるのかは、同級生とうまく関われないからです。 関われなくても学校に行く必要があるので不安になるのです。 みんなが行くという学校に自分は行けなくなる。 その後私はどうすればいいのだと不安は…
小・中・高といじめられ続けて不登校。でもフィリピンで大学を卒業しました 無理ですよ。 学校が不登校の問題に取り組むなんて無理なことなんです。 不登校の割合は、小学校で60人に1人、中学校では17人に1人が不登校です。 (文部科学省(2023)「令和4年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について」から) 中学校では不登校が1クラスに約2人いるという現状。 担任がその2人のために費やせる時間はどのくらいあるのか? 不登校の2人の生徒も大事ですが、他の生徒も同じく大事なのです。 それと不登校の原因とを絡めて考えるといまの体制で学校が不登校児童・生徒に関わる余裕はないの…
規則正しいリズムで生活できる様になりました。 今30歳の青年。 大学卒業後就職したが、まわりとコミニュケーションをとることがとても苦手だった青年。 だんだんと自信のなさから不安が大きくなりとうとう退社してしまった青年。 支援団体に助けを求めた彼は、一生懸命に資格を取った。 そして障害者枠で就職した。 仕事は大変だったが、働ける喜びを感じて一生懸命働いた。 雇用契約期間を全うした後、退社した。 そしてひきこもった。 職場の人たちはとても優しかった。 しかし、障害者枠での採用はどこかでお客様みたいに思われていることを感じて寂しかった。 再び社会に戻るだけのエネルギーはなかった。 そしてひきこもった…
学校に行くことが怖くなって行けなくなりました。 病院にかかったら「しばらく静養しなさい。じっとしているのではなく、体を適度に動かした方が良いです。」と医師からアドバイスをもらいました。 それからあっという間に30年近くが過ぎてしまいました。 今思うと一体30年間何をしていたんだろうと思うのです。 30年近くひきこもっていたことが自分でも信じられないのです。 大学院の方は、母親が学校に何度も掛け合ってくれて、そして色々と手をつくしてくれて、終了となりました。 大学側そして教授には頭があがりません。 しかし、僕は30年という時間を無駄にしてしまったのです。 30年もひきこもった。 35年間ひきこも…
僕は東大の大学院で不登校となってしまった。 理由は周りとうまく関われなくなって、不安が大きくなり行けなくなったのです。 実は小、中、高と不登校になりそうな時はあったのです。 やはり、集団行動が苦手だったり。 図画工作や美術の時間がとても苦手だったり。 恐ろしく不器用なので。 グループ分けでの活動も思い返すととても嫌でした。 でも僕は、小、中、高と不登校ではなかったです。 それはすば抜けて成績がよかったからです。 先生ウケはとても良くて、何かというとエコ贔屓されていました。 そこが僕の学校での居場所でしたね。 みんなからも一目置かれていましたから。 しかし、東大に入りますと、そうはいきません。 …
どうりでセブ市に日本人がいないわけだ 20代の青年の支援が始まります。 もちろん、個人が特定されるような情報を出すことはできません。 彼は20代前半で、中学から不登校でした。 義務教育終了後は、選択肢が通信制高校しかなくてそこに進みました。 週に数日の登校で通信制高校を卒業した後はひきこもってしまいました。 私たちのブログを当事者が見て、ここなら今の自分でも支援してもらえて、社会に戻ることができるかもと感じたそうです。 医療にはかかっていましたが、本人は効果がないと思っていました。 12月に3週間に渡って彼と共同生活をして様子を見ました。 5人のスタッフも同時に様子を見たのです。 その結果、私…
さよなら不登校 さよならひきこもり 誤解しないでください。 人として生まれてきたからには、仕事ができるとか、できないとか。 お金が多く稼げるとか、稼げないとか。 そんなことで人としての価値が決まるわけではないのです。 人として生まれてきた以上、その人の存在は尊いのです。 僕は小学校から不登校、通信制高校は卒業したけれどひきこもったままでしたよ。 なんとか力を振り絞って会社の面接に行ったとして、雇ってもらえると思いますか? そんな状況で社会に出られると思いますか? あなたが会社の社長なら、こんな経歴の僕を雇いますか? 僕なら雇いません。 会社に必要のない人だからです。 会社の目的の一つに利益を追…
学校に行くのが怖かった 僕は小学校から不登校でした。 僕はみんなと違うということを感じていました。 学校生活に恐怖を感じていました。 クラスの中に溶け込めなかった。 授業も早くてついていけなかった。 給食当番も掃除もみんながテキパキとできるのに僕はできなかった。 日々過ごしていくうちにみんなと自分の間に大きな溝があると感じ始めた。 遠足ではグループわけが怖かった。 すぐに仲の良い子同士がグループになったのに、僕はもじもじしていて1人だけ蚊帳の外。 確か何かの行事で女子と男子が1組になることがあった時、僕の相手が「私テルが嫌い。」とあからさまに言われた記憶がある。 そのあとその子泣いたんですよ。…
食べることは好きですが、食べるのが苦手です。 あのう、私変なんですね。 私は変人だということが少しずつわかってきました。 青木さんや支援者の人たちから色々とアドバイスを受けてきました。 色々と話を聞いていくうちに、私はみなさんとは違うのだと言うことがわかってきました。 支援者さんと一緒の家に住んでいるのですから家族同様です。 朝から夜寝るまでずっーと、アドバイスづけなんです。 でも、正直言いますと、支援者の人たちが言っていることがよくわからないんです。 人前でオナラをしてはいけない。 っていうこと。 10年近くずーっと支援者から言われてきました。 でも私は生理現象だから良いんだと思っていました…
仲間はずれにされるのがとても怖かった 僕は小学校から学校に行けなくなりました。 想い出したくないのに、思い出してしまう記憶。 なんだか呪いをかけられている様な。 それでも、その時のことをついこの間まで覚えていたはずなのに。 今はところどころ記憶が消えかかっています。 周りのみんながやたら大人びて見えました。 学校のスピードも自分からしたらとても早くて、ついていけませんでした。 算数が終わったら、国語、そして理科。 給食の準備があって掃除があって、先生からの連絡があって。 ついていけなかったな。 おまけに放課の時間にみんな好きな子どうし集まる。 僕はどこのグループに入れば良いのかわからなくて、席…
日本でダメでも外に出たら大丈夫 遅くなりましたが、2025年今年もよろしくお願いします。 さて、僕はと言いますと大変忙しく過ごしております。 彼女とは色々と前向きな進展がありました。 それはまたいつかご報告させていただきます。 いやあ、大変でしたね。 この団体の皆さん。 2週間電気なしの生活ですか? フィリピンですね。 そう言えば、セブの観光というタイトルの映像がこれでもかと流れてきませんか? この円安と日本人が巻き込まれる犯罪が日本のテレビで連日ながされて、フィリピンへの観光客がとても少ないらしいです。 英語学校やツアー会社の身売りの話なんかも友達から聞いたりもしていてます。 セブは美味しい…
7年前ダバオ空港にてヒロさんが迎えにきてくれました 2025年が始まってもう半月が過ぎましたね。 私は今年が勝負の年だと思っています。 今年中に仕事ができなければ、諦めて日本に帰ってグループホーム?とかに入れてもらおうと考えています。 色々とやってきました。 レストランの運営に挑戦したり、料理の補助、食材の確保、支援している人たちのケアー、などなど。 でも、全部ダメでした。 できなかった1番の理由は、体力が著しくなくなっていったことです。 生まれつき、骨に異常がある私です。 それでどんどん背中が曲がっていっています。 だから、体に力が入らないのです。 他人から見たら怠けている様に見えるとはわか…
50代前半ですけど、なぜにこんなにも若いのでしょうか 中学生が不登校になった。 理由はなんだと思いますか? 1、勉強についていけない 2、集団生活についていけない 3、同級生とうまく関われない 4、家庭の状況 5、健康の問題 僕たちは35年間の支援の中で1000人近くの人たちと関わってきました。 彼らは不登校でもありひきこもりでもありました。 彼らのほとんどは同級生とうまく関われない為に不登校になったのでした。 当事者ははっきりと自分の状況を分析なんかできません。 ただ、なぜだか周りとうまくいっていないと感じてみんなと距離を置くしかないかまたはみんなから距離を置かれてしまうのです。 どちらにし…
2025年波に乗って行きますよ!! 2週間電気がとまっていたシャルガオ島です。 私たちのレストランも16日からの再開となりました。 電気も水も止まってしまいましたので、当然多くの観光客はキャンセルをされました。 15日に電気が通っても、安心できなかったのでしょうね。 1週間ほどお客様が全くいないという状況でした。 ところが24日から、通りが観光客で埋め尽くされたのです。 私たちのレストランも満員御礼となりました。 3桁のお客様に来ていただいた日も数日ありました。 ストックがなくなり急遽マニラに飛んで調達した次第です。 マニラのマーケットは元旦でも空いているところがありました。 さて、大勢のお客…
フィリピンの大学通学初日 ひきこもっていた人が25歳以上でもフィリピンで学校に行くことをお勧めしています。 ひきこもっていて50代でもフィリピンで学校に行った人たちもいました。 それほど学校に行くことには価値があるのです。 他者との関わり合いを学ぶ最善な場所が学校なのです。 残念ながら、日本の学校では学ぶことができません。 異年齢の人を受け入れる土壌がないからです。 ほぼ同学年が当たり前です。 異年齢の学生がいると当事者も周りも困惑してしまいます。 しかし、外国でしたら状況は違います。 50歳を過ぎても入学が可能ですし、本人も何も違和感を感じないのです。 私は50歳を過ぎてフィリピンで有名な私…
やります詐欺ではありません ドラえもんのキャラクターが入っている服を着ていいよとか映画を見ても良いよとか。 ドーナッツを食べて良いよとか。 そんなことを言われたので、スタッフの人たちはもう私に対して何も期待していないのかなと思いました。 でも青木さんはすぐに「できることはあるので、それを伸ばしていきましょう。」と言ってくれました。 それと「自分の考えをはっきりと他の人に言葉にして伝えることができたのはとても良いことです。」とも言われました。 それで私はほっとしました。 「あなたはもう必要のない人です。」とか言われたらどうしようと思っていたので。 そのことも青木さんに伝えたら「あなたとどれだけの…
インスタントラーメンをやめることはできません。 ドラえもんが好きです。 ハローキティが好きです。 キャラクターが描かれたバッグを持っていたり、シャツを着ていたりしました。 私の年齢でキャラクターが入っている服を着たり、バッグを使ったりすることは恥ずかしいことだから、使わないでくださいとスタッフから何度も言われていました。 それで、使わない振りをしていました。 しかし、時々は隠れてシャツを着たり、スタッフに隠れて映画館に行ってドラえもんやピカチュウの映画を見ていました。 すぐにバレてしまいましたけれど。 日本に戻ったら、青木さんが「ドラえもんの映画を見てください。」と言われたので見ました。 映画…
こんなふうに自然と笑いたいな 寂しいと感じ始めています。 30年間ひきこもっていた時にはそれほど感じなかった寂しさが、ここにきて押し寄せる波の様に絶えず寂しさを感じる様になりました。 それはなぜだろうかと考えたんです。 気の知れた仲間といる心地よさを知ったからだと思います。 それをいつも感じていたいのです。 それが感じられなくなると寂しさが募るのです。 みんなと一緒にいると楽しいんですよ。 ほとんど笑ったことのない僕が笑うんです。 フィリピン人女性たちとの交流を通して僕が笑うのです。 フィリピン人女性が集うとそこには笑いが生まれるのです。 日本人とは大きく違うのです。 そんな環境にいたら、笑ら…
♪〜 1人じゃないって素敵なことね ♪〜 天地真理ですね。 新年明けましておめでとうございます。 日本のお正月はどうですか? 紅白歌合戦はどちらが勝ちましたか? 日本のテレビを3年近く見ていませんので、日本のことがわかりません。 そう言えば能登地方の地震がありましたね。 復興は進んでいるのですか? みんなが良いお年を迎えられたらいいな。 私は年末年始をリゾート地で過ごしています。 と、言いたいですが、実際のところはフィリピンの田舎に滞在しています。 私のお世話をしてくれているスタッフの田舎に滞在しています。 かろうじて電気とインターネットがある場所です。 近くには、モールも私の大好きなミスター…
抹茶ブームです。レストランでの注文が多いです 僕が今考えていることが4つあります。 1つは青少年支援のこと。 2025年3月から毎月4人の青少年の短期支援をおこないます。 長期の支援は3年が限界です。 3年の支援というと目安としては、フィリピンの4年制大学を卒業するまでと考えています。 人によって支援の期間は違います。 平均で言えば3年もあれば多くの方は社会に戻ることができています。 ヒロさんや大統領や僕やエイジさんの様な状態が重い人たちの長期に渡る支援は僕たちの体力が続かなくなり難しくなってきました。 これからは特に中学生・高校生の支援に重きを置いていこうと考えています。 詳細はまた別の機会…
♪〜 1人じゃないって素敵なことね ♪〜 2024年はお世話になりました。 励ましてくださった皆さま。 不定期なブログにも関わらず読み続けてくださいました皆様。 皆様のおかげで、こうして1年間支援をし続けられたと思っています。 今年を振り返ると1番最初に心に浮かぶのは、フィリピンのリゾート地で日本レストランを開業できたことです。 開業の許可申請をしてから長くても3ヶ月間で認可され営業ができます。 私たちの場合実に7ヶ月間全く進展がなかったのです。 毎日の様に役所の担当部署に赴きましたが、「ただいま申請審議中です。」の返答が続きました。 そんな時に、シャルガオ島で非常に地位が高い方を紹介してもら…
飛行機で行ったり来たり。楽しいですよ!! 読者の皆様にはご心配をおかけしておりました。 私たちのシャルガオ島のレストランは12月17日から再開しております。 国から災害指定がなされ、島外から大型発電機が島内に持ち込まれそれを只今稼働しています。 私たちも発電機を持っていましたが、休みを与えていたとはいえ、長時間の稼働で発電機がオーバーショートしてしまいやむなく閉店としていました。 クリスマスシーズン近くということで、多くのホテルや飲食店オーナーから抗議が上がりその為、今までにないほどの速さでこの問題に対処した地元の電力会社です。 まあ日本では考えられないことがここフィリピンでは普通に見られてし…
英語を使ってコミニュケーション ひとりの青年がフィリピンに来て支援を受けています。 彼はエイジさんのブログを読んで、「こんなに大変な状況でも諦めずに社会復帰目指してがんばっているその姿に感動しました。」と話してくれました。 エイジさんのブログを読んでここなら自分の支援もしてもらえると思ったのです。 最初はとても緊張していました。 初めての海外。 少し前までひきこもってた彼ですから。 2週間が経った頃から英語を使ってコミニュケーションを取ろうとし始めました。 最初は小さな声でしたが、日にちが経つにつれて声も大きくそして色々なフレーズを使うようになりました。 僕が英語の勉強を見ているのです。 中学…
発電機が直りますように。 12月1日日曜日午前4時よりシャルガオ島全島で停電となっています。 原因は電力を送っている海底ケーブルの破損によるものです。 10年前にも同じ箇所が破損しました。 その時は確か1ヶ月間電気がない生活をしました。 シャルガオ島は今1番の稼ぎ時です。 ホテルもゲストルームもレストランも大変な困難に直面しています。 たくさんのキャンセルがあり困っています。 私たちのレストランも1日から5日現在で休業しています。 使っていたジェネレーターも故障してしまいました。 2021年03月 フィリピン都市封鎖 支援中止 2021年12月 台風オデットシャルガオ島 ゲストルーム全壊 20…
いつか個食の時が来るのかな。 私、4度目の婚活をします。 性懲りも無くまたやるのかと思われるかと思います。 またやるのです。 彼女ができるまで諦めずにやっていこうと思っています。 ほとんど可能性はゼロに近いのですが、ここであきらめてしまったら今まで必死になって頑張ってきた気持ちが切れてしまいそうで怖いんです。 だから諦めることができないんです。 4泊5日の婚活です。 ひこうきに乗って1時間のところに行きます。 少しでもお腹の贅肉を取りたいと思い、絶食をしましたが、かえってバカ喰いしてしまいました。 やはりセブファイトクラブで徹底的にしごいてもらう必要があると思いました。 なんども書きますが、1…
ひきこもりから回復する為にセブ市にやってきた青年のお出迎えです 私、体が曲がってしまっています。 なにもしないと後10年で車椅子の生活に突入すると医者が言っていました。 青木さんはそれを少しでも遅くする為に、私にエクササイズをすることを命じました。 それで私はエクササイズを毎日欠かさずにやっています。 その為のマシンも購入しました。 しかし、青木さんからは、そんな程度ではダメだとダメ出しを喰らいました。 青木さんは車椅子の生活がどれほどつらいかを私に坦々と話してくれました。 それで、青木さんは「エイジさんは言ってもやらないから、あなたがそうしてほしいなら、スタッフが寄り添って徹底的にエクササイ…
雨の羽田空港 ANAのデザインはとても綺麗だ 前回記事を書いたのが18日ですから3日間記事を書いていません。 毎日記事を書こうと決めたのにできないでいます。 忙しいとは言いたくないので、書き続けます。 皆さんにお伝えしたいことは山ほどありますから。 1人の青年をフィリピンにお連れする為に日本に帰っていました。 2泊3日の滞在でした。 急に日本は寒くなったのですね。 老体にこの寒さはこたえます。 やはり老人になりますと寒いのより暖かい方がいいですね。 寒いと風邪をひいたり体のあちこちが痛みだしたりすることもありますし。 1人の青年がフイリピンにやってきました。 彼のことをAさんとします。 Aさん…
昨日、不登校の問題は3つの必要で解決すると書きました。 そのうち2つのことを書きました。 最後のひとつは家族のサポートです。 お金がかかることはなかなか言いにくいものですが、はっきりと言わないといけません。 支援にはお金がかかります。 人の視線が気になるのでひきこもる。 僕やエイジさん、青木、テルさんも。 このブログを書いてくれていた全ての人がそうです。 35年間の団体の歴史で1000人近くの人たちの支援をしてきました。 全ての人が自信がなく他人の視線を気にしてひきこもっていました。 だから僕たちは他人の視線を気にならない場所である海外で支援をしているのです。 支援団体の居場所に通えている人た…
あと10年したら介護が必要になるんだろうな 「不登校の問題は解決できる。」 なんていう謳い文句が書かれている書籍を書店で見たことがあります。 または、僕たちの団体の事務所にもそんな本が何冊か置いてありましたよ。 目を通してみましたが・・・。 僕は30年近くひきこもっていました。 そしてこの団体で支援を受けて何とか社会復帰できました。 しかし、10年近くの支援を必要としていました。 10年近く支援を受け続ければ必ず回復できると言うわけではなく。 僕の様な状況の人には少なくとも10年近くの支援が必要だということです。 同じく30年近くひきこもったエイジさんも10年近くの支援を受けています。 30年…
街中で東大さん発見!! 不登校が増えている。 そんなトピックスがインターネットのニュースまとめなどで見る機会が増えているこの頃。 しかし、みんなニュースの中身は同じなんですよね。 どうすることもできない。 結論はそれです。 どうして、不登校の原因を探ろうとしないのだろう。 いや、無気力の生徒が増えていると書いてあった記事がありましたね。 無気力?? 最近の不登校の原因は無気力なんですか? 僕たちにはわかりませんでした。 私たちは支援を再開して少しずつ相談が増えてきました。 この3ヶ月で20件近くです。 原因は全てクラスのみんなと関われない。 これ一択ですね。 青木は38年間この支援をしています…
シャルガオ島の海を見つめる彼です 今週で1ヶ月半支援していた青年の支援が終わります。 張り切り過ぎて2週間近く寝込んでしまった以外は順調でした。 今まで支援をしてきてわかったことを書いていきます。 それらは本人にはすでに伝えてあります。 まず本人は「シャルガオ島に来てとても変わった。英語はまだ話すことは大きく伸びてはいないが、聞くことに関しては以前より理解できる気がする。」と言ってくれました。 本来テストをして効果を測るのですが・・・・。 本人がそう感じたならばそれで良いと思います。 それ以外はとにかく多くの人たちと会話を試みたということです。 6年間ひきこもっていたわけですから、誰とも話して…
私YouTubeで話をしてみようと思いました。 私は話すことに自信がありませんでした。 会話の練習にもなるし、こんな私の話でも誰か1人でも聞いてくれたら嬉しいです。 30年間誰とも話していないので、日本語も忘れかけていました。 誰の目も気にすることがなかったので、常識も忘れてしまいました。 寿命が来て死ぬのを待っているしかありませんでした。 ガンになって、余命3ヶ月と言われても良いと思っていました。 さっさとこの世とおさらばしたかったから。 何も楽しいことなんかなかった私の人生です。 なんで生まれてきたのかといつも自問自答していました。 でもこの団体と出会って日本を出てフィリピンに来た時、とて…
鼻をかむ時はしゃがむ姿勢で!! ひとりの青年がフィリピンに来ています。 6年間ひきこもっていたそうです。 ひきこもる前は支援団体で支援を受けて、障害者枠で期間満了まで働き、そしてその後再びひきこもったのです。 彼がいうのには他者とのコミニュケーションをどう取って良いのかがわからないということです。 さんな彼の希望はそこそこ友達ができて楽しく人生が過ごせれば良いということです。 大きなことは望んではいません。 というより、この先の人生を考えることもできないという現状です。 一般的にひきこもっていたり、不登校の子どもたちを持つご両親は子どもたちに問いかけます。 「この先どうするつもりなんだ。」って…
こんな格好をさせられました これが良いらしいです 「自分のことを理解することは難しいけれど、他人のことはよくわかる。」 青木が僕によく言っていたことです。 確かにそのとおり。 自分のことはよくわからない。 しかし、他人の問題点はよくわかる。 他人の問題点がわかれば、自分が抱える問題点も理解して良さそうなもんですが・・・。 こんな僕ですが支援者という立場でこの団体で活動しています。 自分自身信じられない話です。 しかし、私を指名してくださる青年たちが多いのです。 青木によれば、とても優しそうに見えるからだそうです。 まあ青木と僕を比較したらそう見えるでしょうね。 今は1人の青年を支援しています。…
元気ですよ。 私セブからシャルガオ島に引っ越し、またセブ市に舞い戻って来たのですが、セブ市は良いですね。 というより、シャルガオ島は何もないですからね。 まあ、集中して何かをやるにはとても良い環境なのかもしれません。 わたしにとっては退屈な場所でしかないですが。 セブ市に移り住んでからは、毎日外に出て人間らしい生活を送っています。 やはり、30年間ひきこもってしまいましたので、その期間を取り戻したいと思っているのです。 朝5時に起きて、エクササイズを自宅でします。 セブは毎日雨が降りますので、野外活動はなかなか思うようにはいきません。 ですから、青木さんが自宅に小さなジムを設置してくれました。…
コミニュケーションの練習は毎日やっています 仕事がとても忙しくなっています。 少ない社員で案件をとっていますので、全社員フル稼働なわけです。 「ココを乗り切ったら」と社長は僕たちを鼓舞します。 確かに利益は上向いているのですが、もっと社員を取らないとより大きな案件は取れないのです。 まあ、小さな職場で色々なことをやらせてもらっていてとてもありがたいです。 しかも、彼女と同じ職場ですからね。 いずれ僕たちは起業したいとの思いを持っています。 それまでもっと多くの研鑽を積まないといけません。 ひたすら頑張るのみです。 休日はほとんどぐったりしている僕と彼女です。 僕の近況報告は以上です。 さてさて…
鼻をかむ時 テーブルより下、もしくはトイレで。 エイジさんからメールが僕にもきました。 家族の方から届いたメールを僕に送ってきました。 「私は話し方が変なんです。注意を受け続けています。でも少しは上手くなったのでしょうか」とのメールもエイジさんから送られてきました。 僕はそのメールを僕の彼女にも見せました。 全文英語で書かれてありましたので僕のフィリピン人の彼女もすぐに意味がわかりました。 「家族からのアテンションがどれほど大きな効果を産むかということだね。」僕の彼女はそう言って少し涙ぐんでいました。 「エイジさんが今のタイミングで家族にビデオレターを送ったというのは、エイジさん自身が何か手応…
先日エイジさんから話がしたいのでと言われましたので、お会いしました。 いきなり「これなんですが、見てもらえますか」と僕にメールを見せてくれました。 それは、エイジさんのご家族からのメールでした。 エイジさんはご家族にビデオレターを送りました。 エイジさんの近況報告のビデオレターを見られたご家族がエイジさんに送られたメッセージでした。 そこには、「とてもわかりやすく話している姿を見て、変わったな。」とかいうことが書かれていました。 エイジさんはそのメッセージを僕に見せたかったのです。 家族に褒められたのが嬉しかったのでしょうね。 「私は話し方が上手いですか?」 「青木さんからいつも注意を受けてい…
海外では人の目を気にしなくて良いのです 僕は東大大学院在学中に発達障害と診断されました。 医師からはアドバイスをいただきましたが、意味が理解できませんでした。 僕はそれから30年近く自宅にひきこもってしまいます。 50歳を過ぎた時に今の支援団体につながりました。 それ以前にもいくつかの支援団体が自宅に訪問してくれたのですが、当時の僕は強制的に社会復帰のプログラムをやらされると思い込んでいましたので、全く会うこともしませんでした。 この団体も最初の訪問を断っていました。 しかし、何度も送られてきたハガキに、その人に合わせた個別支援を作り出し、実行するということが書かれてあったのです。 それでも会…
はるか昔僕はアスペルガー症候群と診断されました。 確か僕が25歳の時でした。 今から40年近く前のできごとです。 発達障害のことがいまほどわかっていない時代でしたので診断してくれた医者も、「十分に静養して、人とあまり関わらない仕事を見つけることが良いですよ。」程度のアドバイスしかもらえませんでした もらった僕には何も効果はありませんでした。 確かに医者やその他の専門家からアドバイスを受けて、それだけで効果が期待できる様な症状ではない僕たちですからね。 それ以外に、医者にもかかったんですが、落ち着かないなら落ち着く薬を、眠れないなら眠りを補助する薬を出されただけです。 薬で僕の苦手さがなんとかな…
老人にひとりは寂しいです。 3回目のデートをしました。 相手は30歳の女性でした。 とても背が低い人でした。 でも私にとても優しくしてくれました。 それと会話も弾んだと思いました。 とても楽しかったです。 会話が弾んだのは、青木さんと2週間毎日練習を重ねたからです。 練習したその通りに話したら会話が弾みました。 相手の女性が笑ってくれたのでうれしかったです。 テートは3回目ですが、今まで会った女性はたくさんいます。 しかし全ての女性が、私のことをあまり受け入れてはくれませんでした。 理由は私にあります。 私が清潔ではないこと。 私の行動がおかしいこと。 常識がないこと。 「そういう理由だからで…